第三話 「黄昏に隠して」
第一章 第三話 「黄昏に隠して」
窓の外を見る。どこか夏が近くなっていることを感じさせるような植物の緑が目に入る。現在は五月の下旬。高校に入学し、もう一月半が経った。さすがにもう高校生活には慣れた。登校して、授業を受けて、帰宅する、そんな色のない退屈な日々ではあるのだが、心地が悪いというわけではなかった。むしろ、これくらいの方が俺にはあっている。
「まだ昼休みだぜ、なぁに黄昏てんだよ時人ー」
……などと考えていると、視界に白間直が飛び込んできた。どことなく溜息が出る。すぐに直の隣に鈴波憂が現れる。こいつらはもう入学して一月半も経つにも関わらず、未だに俺に絡み続けていた。俺以外のクラスメイトと話している姿も見かけるが、昼休みと放課後は常に俺と行動していた。退屈な俺と付き合ったって、……楽しくないだろうに。
「うるせぇよどっか行け」
「もう時人の口の悪さに慣れてきた俺様にはその程度は通じないぜ」
そう言って、直はガッツポーズをとる。やめてくれ恥ずかしい。
だが、そこで違和感に気づいた。昼休みが始まると、この2人はいつも弁当を持ってくる。だが、直を見ると何も持っていない。隣の憂も同様だった。
「お前ら、弁当はどうした」
「おっいい所に目をつけました時人くん!」
今度は直は親指を立ててグッドポーズをとる。忙しいヤツだ。憂はその隣でどこか楽しそうな表情をとっていた。
「じゃあ行くぞ!!」
直が俺の腕を引っ張る。おかげで椅子から落ちそうになったのでとりあえず立ち上がった。「どこに」、と睨みつけながら聞いてやる。直は、笑顔でこう言った。
「食堂!」
* * * * *
春崎高校の食堂は体育館の下に位置しており、一階から行くのが最も近い。つまり言い替えるなら俺達一年生が一番行きやすい、ということになる。だが、一年が席を埋めすぎるとやはり先輩達の目が少々怖くなるとかいう話もあるんだとかなんだとかを、直が向かう廊下の途中で語っていた。
「俺達も睨まれんじゃね…??」
その話を聞いて憂が心配そうに言う。憂は楽観的な直とは違って、物事に対しては落ち着いていて慎重だった。
「まぁもう五月下旬じゃん、大丈夫だろ」
対して直は訳の分からない理屈を振りかざしていた。まぁ、もし睨まれたら全部直のせいにしておけばよい。
渡り廊下を渡って食堂に着く。俺は弁当だったので食券は必要ない。食券販売機の前には五、六人並んでいた。
「時人、席取りよろしく」
ポン、と直に肩を叩かれる。なんで俺が、とは思いつつも食堂の中に足を踏み入れた。多分この食堂のはあまり広い方ではない。テーブルもかなり埋まっているようだった。じっと目を凝らして、奥の方の6人掛けテーブルが空いているのを見つけた。……3人だけども仕方ない。それに奥の方だからいいだろう。と、俺も人のことは言えない謎の理屈で自分を納得させて席を取った。
座って、二人を待つ。少々騒がしい場所だった。窓が隣にあったのでなんとなく目を走らせる。かなり汚れで曇っていてあまり見えなかったが、日頃体育の授業で使っているグラウンドが映っていた。四限の体育の後、食欲を誘うカレーやらラーメンやらの臭いがする理由がわかった。
そんなことをぼんやりと考えているうちに、憂と直がうどんを持って席に来た。
「結構、早かったんだな」
席に着く二人にそう声をかける。もっと時間がかかるかと思っていた。
「なんか、うどん買ってる人少なかったみたいだよ」
憂が隣のテーブルにおいてある箸を直の分までとりながらそう答えた。
「よっし!じゃあいただきます!!」
憂から箸を受け取り、直は早速うどんを食べ始めた。お腹すいてたんだねぇ、などと言いながら憂もうどんに箸をつけ始める。俺もそっと、弁当箱を開けた。
「しっかし、本当人多いな……さすが高校」
直が辺りを見渡しながら呟く。本当にここはガヤガヤと騒がしい。教室も静かではないが、それ以上だった。
「先輩も多そうだね」
「まぁこんな奥なら睨まれない睨まれない。ナイス席取り時人!席取りマスターの素質あるぜ」
そんな素質いらん、と目で語りながら、俺は詰められた昨夜の夕食の余りである唐揚げを食べていた。
「こういう食堂とかってなんか色んな噂集まりそうだな」
美味い美味いとうどんを啜りながら、直がどことない感じで呟いた。
「お前の噂好きは相変わらずだな……」
直の隣で憂が呆れたように呟いた。中学の時から直はそうだった。噂と言っても誰かの恋愛とかではなく、怪奇現象とかそっち系のが多かった気がするが。俺はそれらを8割ガセだなと思いながら聴いていた。
「あっ、そういやここでもあの噂聞いたわ」
どれだよ、と憂が直に突っ込む。こいつの仕入れてくる噂はかなり多過ぎてもはやどれだかわからない。
「俺らのいた中学で一番メジャーなやつ」
「ん…あぁ、『本』か」
あれか、と納得する。確かに中学校の時は結構聞いた噂だった。
「そうそう、あの『本』に書けば願いが叶うってやつ。やっぱこの地域じゃメジャーな都市伝説なんだな」
都市伝説────世間一般には口裂け女とか人面犬とかだろうか。俺らが住むこの地域では、直の語る『本』の噂が一番メジャーだった。といっても所詮都市伝説。噂は噂にしか過ぎない。実際に叶ったなんて話は聞いたこともないし、大体その本がどこにあるのかすらも分かっていない。
馬鹿馬鹿しい、と思って顔を上げた。……そしてすぐに、上げなければよかったと後悔した。おそらく席がなくおろおろとしているクラスメイトと、目が合ってしまった。
「時人? どこ見てんの」
向かいに座る憂が俺の視線を辿って振り返る。視線の先にいたのは、クラスメイトの、神永椎奈と、その友達である福本未来だった。
「あれ神永さんと、福本さんじゃん」
「なぬっ!!」
二人の名が憂の口から発せられた瞬間、直も瞬速で振り向いた。現金なヤツ。
憂が席が空いてないのを察して、おいで、と言った感じで二人を手招きする。……神永だけならまだしも、福本も。相変わらず、入学して間もないあの日以来、俺は福本と話したことは無かった。
思い込みかとしれないが、俺の姿を見て一瞬福本は嫌そうな顔をしたような気がする。しかし、神永とともにこのテーブルまでうどんを持ってやってきた。意外と人気じゃないか、うどん。
「ごめんね〜、席空いてなくて……」
直の隣の席に神永が腰を下ろしながら言った。福本は神永の向かいに……つまり、席を一個挟んで俺の隣に座った。非常に気まずい。
「いやいや、全然構わないぜ」
直がかっこつけてグッドポーズをとりながら言う。福本は何も言わずにうどんを啜り始めていた。神永もありがとう、と笑って、うどんを食べ始めた。隣では直が珍しく会話のネタに困っているのか、目を泳がせていた。いつもの五月蝿いばかりのトークスキルはどこへいったのやら。諦めたのか直は目で憂に助けを求めていた。憂は仕方ないなぁ、という風に笑って、こう切り出した。
「そういや、この前相川心くんって子と話したけど、二人共心くんと中学校同じなんだね」
相川心。二週間程前に神永と共に図書室で知り合った男子生徒だった。それ以降も廊下で会う度にちょくちょく会話していた。
「うん、心くんとは中三で同じクラスでね。未来ちゃんも一緒だった」
「えぇ、そうね」
淡々とした声で福本は神永に返した。3人とも仲良さそうだねぇ、と憂は笑顔で返した。……憂も少し緊張しているのかどこかぎこちない笑顔のような気がしたが。そういえば、気づけば前の二人ともうどんを食べ終わっていた。俺もあと少しだった。急いで食べなければ。
「仲良いよ〜…あっ」
そこで、神永が何かを思い出したように……何故か俺を見た。
「……何?」
明らかに困惑を隠せない声でそう神永に問う。まさか福本から『あれ』を聞いたのか?
「陸くん、鴎小学校出身……だよね?」
少し間を開けて、そうだけど、と返す。『あの件』ではなかったようで少々ほっとした。が、なぜ俺の出身小学校を知っている? 俺の返答を聞いて、神永はぱぁっと嬉しそうな表情になった。
「やっぱり! 私と未来ちゃん、陸くんと小学校一緒だよ〜!」
「は?」
思わず、そんな声が漏れる。全然記憶にない。
「いや、そんなわけ…」
「あはは、私はクラス多分陸くんと一緒になったことないけど……。この前図書室で話したときに顔じっくり見てもしかして〜と思ったんだよ!」
「……すまん、まったく覚えてない……」
そう答えた瞬間、右斜め前の眼鏡野郎から糾弾の視線が飛んできた。直、やめてくれ、本当に記憶にないんだ。
「そう言われればそんな気がするわね……」
一個挟んで隣に座る福本も俺の顔をまじまじと見た。いや待て、福本も覚えてないのか。そこで、はっとする。あの時に福本が俺にどうしてあの言葉をかけたのか。……納得した。
「……えへへ、じゃあ久しぶりになるのかな」
神永がはにかみながら言う。一応会釈だけしておいた。全く覚えていないのだが。神永はそれだけでも満足そうだった。そして、また何かを思い出したように目を輝かせて、こう言った。
「そういや陸くん、確か小学校のときくーちゃんって呼ばれてなかったっけ?」
食べようとした最後のご飯一口を箸から落っことしそうになった。神永はなぜそんなことまで知っている。
「……くーちゃん?」
斜め前の直が笑いそうになっている。何かを察したのか憂が軽く直の脇腹にチョップを決めていた。ナイス憂。
「呼ばれてたけど……なんで知ってんだ」
「えぇと……なんでだろ、わかんない。陸くん、結構有名だったのかも?」
それはないない、と俺は首を振った。
よくよく振り返ってみると、小学校時代の記憶は殆どない。……誰と過ごしていたのかすら、俺は思い出せそうになかった。よほど、退屈だったのだろう。きっとそうに違いない────と思考にふけっていると、
「……まぁ、全く知らない女子の席で居眠りするくらいだから有名なんじゃない」
……福本が、『あの件』を暴露した。俺は、顔がひきつる。
「ご馳走様でした」
うどんを早々に食べ終わったらしい福本は席を立つ。待って待って、と神永が焦りながらうどんを啜り、後に続いた。去り際にはちゃんと笑顔で礼を言っていた。
さて、目の前の視線が痛い。俺は無心で弁当箱を片付け、何事も無かったように席を立ち教室へ戻ろうとした。が、肩を思いっきり直に掴まれた。
「時人や、先程の福本さんの発言はどういうことだ……??」
……観念するしか、なさそうだった。
* * * * *
結局あのあと、俺はあの件について洗いざらい…といっても大したことはないのだが…吐かされ、それを聞いた憂と直は大笑いしていた。失礼なヤツらめ。人のことは言えないが。
そして、今は放課後である。いつも通りに席を立つと、すぐ後ろに憂と直も鞄を持ってスタンバイしていた。これも、いつも通りだ。そのまま、教室を出る。
────今日が、恒常ではないのは、ここからだった。
「あぁあぁああ!!」
廊下に出るとすぐに、神永の慌てふためく声が聞こえた。何事だ、と直が前に出る。
神永はロッカーの前にいた。その横には福本もいた。この高校では各教室の前の廊下に生徒が使用できるロッカーが備え付けられており、生徒それぞれが授業で使用する教材などを中に置いている。
率先して神永の元へ向かう直に、俺と憂も続く。
「どうした?」
直が神永に尋ねる。こちらを向いた神永はどこか目が潤んでいた。そんなにやばいことをやらかしたのか?そして、神永は震える声で言った。
「ロッカーのかかか鍵なくした…ぁ…」
ええぇっ、と直が驚く。神永は涙目になりながらこう続けた
「明日の授業で使う英語のテキストの予習しようと思ったんだけど…鍵がバッグに入ってなくて…」
「なんでそんな大事なもんなくすのよ…」
横で福本が呆れたように言う。神永はかなり狼狽しているようだった。
「どこかに落としたんじゃねえか……??」
直が心配そうに訊くが、神永はわからない、と首を振るだけだった。
「……はぁ、仕方ないわね」
そう福本が、溜息混じりに言って、この場を去ろうとする。おい、と直がそれを引き止めた。
「……何よ。さっさとあなた達も来なさいよ」
「は?」
「どうせ帰るんでしょ、暇なんでしょう。探しに行くわよ」
それだけを蛋白に言い、福本はひらりと背を向け、歩き始めた。その後にわたわたと神永が付いていく。
「なんか予想通り強気っちゅーか……」
福本の言動を聞いて、唖然とした表情で直が呟いた。それを憂が軽くつつき、「何やってんの、手伝うよ」と声をかけた。
「おぉう!行くぜお前ら!!」
やたらと威勢だけはある言葉を告げ、直はそのまま福本らの跡を追う。仕方ないなぁ、なんていいながら憂も歩き始めた。────俺の鞄をちゃっかり引っ張りながら。
「……引っ張るな離せ」
「こうでもしないと時人来ないじゃないか」
「……はぁ。わかった。落し物探しだろ。そんくらい付き合うから離せ」
ふぅん、とどこか感心したような声を上げて、憂は鞄から手を離した。こいつもこいつで、俺に対しては結構しつこい。
────かくして、俺たち5人の放課後校内落し物探しは始まった。
* * * * *
まず、福本達が訪れたのは職員室前。俗に云う『落し物棚』を確認する為だった。
「どう?」
「んん……」
神永は上の方は身長が低い為に見えにくいのか、背伸びをして棚の中身を覗き込んでいた。
「なさそう……」
一通り見終えて、神永はまた落胆したように肩を落とした。
「ここにないってことはまだ落ちてるか、誰かがネコババしたか……」
「鍵とか持ってくか? 持ってったところで使えなくね?」
直と憂がそのような議論を交わしている横を、福本がすっと通り過ぎる。俺達と椎奈はその後を急いで追いかけた。
「未来ちゃんどこ行くの…?」
「あなたが行きそうなところ。全部見ていくしかないでしょう、ほら、早く」
福本は言って、おどおどとしている神永の手を引いて廊下を進む。俺達三人はちょっと顔を見合わせて、……福本の後をついていった。
そこから見て回ったのは、順を追って述べていくと、まず神永が美術部所属ということから美術室。ここで神永はついでに鍵を落としたという事情を説明し、部活欠席の連絡をしていた。次に3階に上り、図書室へ入る。正直歩き回ることにかなり疲れていたのでここで本を読んで過ごそうかと俺は思ったのだが、1通り室内を見終えた直と憂に連行されて出ていかざるを得なかった。そして1階に降りて、食堂を見て回り────自分達の教室、1年5組へと戻って来た。
「うぅ……」
鍵は、どこにも見当たらなかった。憂と直が気だるそうに机に寄りかかった。神永は完全に気落ちしたようで、自分の机に座って突っ伏していた。福本はどこか遠くを眺めるような瞳をしていた。……そしてまた、彼女は神永の手を引き、彼女を立ち上がらせる。
「み……未来ちゃん?」
神永は驚いた様子で福本に尋ねるが、彼女は答えない。どこか遠くを見るような瞳をして……数分間の沈黙を置いたあと、こう言った。
「まだ、探してない場所、あるでしょう」
「え……」
「…ついてきて」
困惑する神永の手を引っ張り、福本は教室を出ていく。彼女の突然の言動に一瞬俺達三人は固まって出遅れたが、すぐに後を追った。
「どこに行くんだ……」
特別教室棟に行き、福本達は小走りで階段を上がっていった。行く先に見当がつかないので、直がぼやく。
そして、階段を上る。1階、2階、3階。ここの校舎は、教室があるのは3階まで。でも、この特別教室棟にだけは、更にに上へ上る階段があった。福本達は、それを上り始めた。────その、上は。
「……っ」
声にならない息を漏らして、俺は、足を止めた。
直と憂はその先を上っていった。置いていかれた俺は、そのまま帰ることもせず、立ち止まることしか出来なかった。否、動けなかった。
気づけば、茜さす時刻。どこか、感傷にひたらせる朱が、校内を満たす。時が、止まりそうになる。
だが、すぐにあいつらはバタバタと降りてきた。階段の下で動けずにいる俺に、直が声を掛ける。
「おーい!鍵あったぞ!」
顔を上げて4人を見た。さっきとはうってかわって、みんな明るい表情だった。特に神永は、安心しきった表情だった。────良かった。
それからは、教室に鞄を取りに行くため、階段を降りていった。その中で、神永が申し訳なさそうな声色で福本にこう訪ねた。
「ごめんね、未来ちゃん…どうして分かったの?私も屋上に行ったこと忘れてたのに……」
その問に、福本は少し考えるような仕草をとって……珍しく口元を少し緩ませて、答えた。
「椎奈、屋上の景色、好きそうだった」
茜に照らされて、福本のその微笑みは、俺達の瞳に美しく映った。
直が笑い合う2人を見て、以心伝心だな、と呟く。その呟きが聴こえたのか、聴こえてないのか。福本は、ほんの一瞬だけ────悲しそうな、顔をした。
窓から見える景色は、夕焼け色。黄昏時と言っていい時刻。俺は、この時刻に……何か、変化が訪れているのを感じた気がした────。