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青春四季  作者: ねこやなぎ。
第一章 青い春
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第一話 「春、予感」

第一章 第一話 「春、予感」


 * * * * *

 

 学生達の笑い声が、向かい側の席から聞こえた。

 その声はどこまでも明るく、またどこまでも楽しそうである。

 ガタン、ゴトン、と不規則に音を立てる電車に揺られながら、気づけば声の主達を羨望の眼差しで見つめていた。彼らは当然、自分の視線になんて気づかない。彼ら自身が作り上げた世界の外には、気づかない。そんな彼らが持つ眩しさに耐えかねて、そのまま視線を車窓に移す。鮮やかに咲いた桜が、そこに映っては一瞬で消え去る。そうして消えてゆく桜の一本一本に胸を痛めた。淡い桃色は、この先、二度と消えそうにない面影を残していった。

 そう、春が来ていたのだ。希望に満ちた季節である春が。

 

 ────気づけば、もう二度と手に入れることの出来ない『春』を思い描いて、後悔の雫が一滴、頬を伝っていた……。


 * * * * *


 ─────2007年、4月。

 

 様々な人の、様々な形での新生活が始まる春。これから始まる新たな一年に期待を持つ季節。学業、仕事、恋愛など、実に多様な形でその期待は人の心に渦巻いていることだろう。自分の周りも、そんな期待に''浮かれた''人々で満ちていた。明るい笑い声が響くここは、新しく俺達の居場所となった高校の一教室だった。


 クラスメイトは、まだお互いの名前も顔もよく覚えていない。だが笑顔で振る舞い、新しい友達を作ろうと必死に周りに話しかけている生徒の姿もちらほら見える。中には緊張しているのか俯いている生徒もいた。俺はそんな''浮かれた''クラスメイト達をどこか嫌厭した目で見て、視線を机に戻した。生憎、俺自身は新しく始まるであろう学校生活に、期待なんてこれっぽっちも持ってはいなかった。


 「まーた、不機嫌なオーラ出してんのな」

 後方から、諭すような声が届く。振り向くと、見知ったヤツが俺の後ろに立っていた。彼は俺と目が合った後、それとなしに机の前までやってきて、こう述べる。

 「まだ高校生活始まって三日目なんだから、少しくらい楽しそうな雰囲気だせよ、(くが) 時人(ときと)くん」

 少し色素の薄い髪を持つ彼……鈴波(すずなみ) (ゆう)は俺の机に手をついたまま、苦笑を浮かべた。

 「改まってフルネームで呼ぶな。不自然だ」

 「突っ込むのそこかよ。はいはい、失礼しました。ちょっと新鮮な感じでいってみようと思ったんだけど」

 「くだらねぇ」

 「そうかい」

 一蹴されても憂はへらへら笑っていた。こいつの笑顔を見ない日はなかった。今日は一段とにやついているようだが。こいつも''浮かれた''生徒の中の1人か。

 「お前は楽しそうだな」

 「もちろん。だって高校生活開始だ。ウキウキしないでどうする」

 そう大真面目な顔で憂は言った。温厚で、子供みたいに真っ直ぐな瞳と心を持っているこいつは、ひねくれた俺とは真反対だった。中学からの付き合いだが、何故俺と仲良くしてくれるのかよくわからない。同様の疑問を抱いているもう1人の旧友の名も浮かんできた。


 「────お前も(なお)も、浮かれすぎじゃねーか」

 皮肉を込めてそう言うと、憂は苦笑する。

 「馬鹿、お前が達観しすぎなんだ。肩の力抜けよ」

 言って、俺の肩を軽く叩いた。嫌気が差し、手を払う。抜けるものならとっくに抜いている。憂はそんな俺をみて、寂しさを混ぜて笑っていた。その笑みに糾弾されているような気がして、俺はそっと目を逸らした。


 「…何やってんだ?」

 わずかな沈黙をおいて、横からそんな声が飛んできた。憂がその人物に軽く手を挙げて、声をかける。

 「おー、直。おはよー」

 「おっす。遅刻するかと思った」

 憂がそうして挨拶を交わした人物は、白間(はくま) (なお)。黒髪で眼鏡をかけているのに、癖毛であちらこちらに跳ねている髪のせいで、第一印象でもなかなか真面目で堅物には見られない男だった。本人の性格も気楽で、人を茶化すことを何よりも好んでいた。


 パンをかじり、鞄を持ったままこちらへ来た彼は、軽快な笑みを浮かべている。時計を見れば朝礼まであと7分。少しギリギリな登校に、憂は失笑しながら声をかける。

 「お前、相変わらずだなぁ。まだまだ入学したてなんだから余裕持って電車1本早く来たら?」

 「仕方ねえだろ。低血圧で起きられないんだから。間に合ったんだからオッケーオッケー」

 はっはっはっ、と明るく笑い声を上げて直はそう言う。その後手に持っている通学鞄を置きに俺の左斜め後ろに位置する自席に向かった。そして、ちょうどホームルーム開始5分前を告げる予鈴が鳴る。その音を聞いて、憂もじゃあ、と告げて自席へと戻っていった。


 やっと静かになった。時計を見ながら、先ほどの憂の言葉を反芻する。『達観』か。確かにそうなのかもしれない。俺はある時期から、周りが面白い、楽しいと思うことを全部つまらない、くだらないとしか思うことが出来なくなった。自分でもわかっているが、『ひねくれている』のだ。憂や直にも何度もそう指摘された。そうだから『友達』と呼べる人物も少なく、こんな俺に付き纏う憂と直が唯一、そういう存在だった。そのことを改めて思って、溜息が出る。こんなひねくれ者に話しかけることはないのにな、と。あの2人は『人気者』だった。中学の時も、2人はクラスのムードメーカーとして、仲の良い友達も沢山いた。しかしあいつらは俺を見つけては、ちょっかいをかけてきたり、絡んできたりするのだ。一体、こんなやつのどこが面白いのか。


 俺はそんな思考を止めるために窓から外を見る。青がどこまでも広がる晴れ空と、まだ見慣れない校舎とが瞳に映った。ひらひらと、桜の花びらが何枚か風に舞っていた。しばらくその何の変哲もないが、新鮮な景色に見入っていると……再び鳴った鐘の音と同時に、若い女性の声が聴こえてきた。


 「朝礼を始める」

 前を向くと、出会ってまだ三日目で緊張しているのか少し強ばった様子の女教師……もといこのクラスの担任────相川(あいかわ) 知美(ともみ)が教壇に立っていた。いつ教室に入ってきたのか。全く気づかなかった。


 相川の言葉にしたがって、そろそろと席を立つ。そしてひとまず仮の学級委員に任命された生徒の「気をつけ、礼」という号令がかかったあとに、同じようにそろそろと席についた。相川はやはり緊張している様子で、ゴホン、と小さく咳払いをしたのちに、こう言った。

 「あー。一昨日入学式で、昨日は新入生実力テストで…ちゃんとした朝礼をするのは今日が初めて、だな」

 強気な口調の割に、声は震えている。この相川という教師はみるからにまだ新米だろう。化粧っ気が多少ある顔や、長く伸びた髪を束ねたポニーテールは単純に『若い』という印象を与えていた。


 「ということで、改めて自己紹介させて頂く。このクラス、1年5組の担任の相川知美だ。担当教科は日本史。勉強でわからないことがあったらなんでも質問してくれ」

 やはり口調は強気だ。新米なら、後半の言葉はなかなか言えないだろう。相川はさらにこう続けた。

 「実は、私は担任を務めるのは始めてなんだ。だから、不慣れなとこも多いと思う。だから努力は惜しまず、みんなの期待に答えていけるよう頑張りたい。それで、みんなと1年間、仲良くやっていきたい。よろしくお願いします」


 誠意が伝わってくる言葉だった。自然と教室内では拍手が湧き起こる。相川は満足そうに微笑んだあと、手に持っていたファイルを見ながら今日の業務事項を読み上げ始める。俺はそれをなんとなく聞き流しながら、気づけばまた窓外へ視線を移していた……。


 * * * * *


 ────時間が経つのは早い。


 担任が朝礼を終えて早4時間弱。俺達はその4時間で初めての高校の授業を受け、気づけば昼休みを迎えていた。環境に慣れてないためか時が経つのがかなり早く感じる。昨日、一昨日は学校は午前中までだったので、これが高校初めての昼休みだった。そわそわしている生徒が何人も見受けられた。おそらく一緒に弁当を食べる人を探しているのだろう。俺はどこにもいかず、椅子に座っていた。


 「時人、昼食べよーぜ」

 唐突に聞こえてき目の前の声に顔を上げると、そこにはお馴染み憂と直の姿があった。二人の手には弁当が握られている、と思えば2人とも俺の許可なんてなしに机の上に弁当を広げ始める。


 「ここで食べるのか」

 「ここ以外のどこで食べろって言うんだよ。食堂あるらしいけど、まだ行きにくいじゃん。よし、いただきます」

 何か問題でもある?といいたそうな顔で憂がそう答えた。見ると直ももう食べ始めている。2人とも強引だ。まぁ、別にいいか、困ることでもない、と心中で深く溜め息をつきながら俺も鞄から弁当を出した。


 「どうだ、高校生活は」

 箸で弁当をつつき始めると、ふいに直がそう口にする。俺は母が作った卵焼きを口に運びながら、「別に、なんとも」と吐き捨てた。直は懲りずに続ける。

 「お前は変わらねぇなぁ。ほら、教室見渡してみろよ。出会いに満ち溢れてるぜ」

 「別に友達作りに高校に来たわけじゃない。勉強しに来たんだ俺は」


 そう一蹴してやると、直は「つまらないやつめ」と小さく俺に悪態をついて、サンドイッチを頬張る。憂はそれを黙って見つめながら弁当を食していた。


 まわりにふと目をやると、クラスメイトが二、三人程度のグループで集まって昼食をとっているのが目に入る。その中で出身校やら、中学時代の部活やらを訊いているのが耳に入った。そんな情景を見て、俺はついこう口に出してしまう。


 「お前らこそ出会いを見つけなくていいのか」


 あとに続けようとした、別に高校に入ってまでこんな俺と行動を共にする必要はないだろう、という言葉は飲み飲んだ。


 「ふむ、そうだな」

 直は言って、先ほどの俺と同じように周りを見渡した。そして、こう続ける。


 「まずは…高校入ったんだからカノジョでも作らないとなぁ」


 言って、ニヤつく。…その笑顔が最高に気持ち悪い。このお調子者の考えることはやはりわからない。

 「なぁ、憂」

 「んー、そうだねぇ」

 憂は笑って直の言う事を受け流す。俺も憂も、恋愛ごとにはあまり興味がなかった。もっとも憂はいわゆる「二枚目」だったので、中学時代はかなり告白されていたが。

 「何、さっそくかわいい子見つけた?」

 憂のこの問いに、直の視点が一点に定まる。そちらをチラ、と見ると、長い黒髪の少女が、憂よりも色素の薄い肩までの髪を持つ少女と2人で弁当を食べていた。さて、クラスメイトなのだろうが俺は名前をまだ覚えていない。それは憂も同じなようで、2人で直の次の言葉を待った。


 「ふふふ…」

 直は俺らの視線を捕え「待ってました!」という感じで答えはじめる。


 「あの福本(ふくもと)さんとか結構美人だよなぁ! 黒髪ストレートのクールビューティって感じ。向かいに座ってる神永(かみなが)さんもなんか雰囲気ふんわりしてて可愛いし」

 言いながら表情が更にだらしなくなっていく。俺と憂はそんな直を見ながら、今彼が口にした2人の姿をちら、と眺めていた。確かに美人系と可愛い系だった。直風に言うなら『レベルが高い』2人なのだろう。


 「で、直はもう2人に話しかけたわけ?」

 表情を崩している直に、憂がそう語りかけると、首を横に振った。さすがの直でも出会って3日で話しかけるのは不可能だったのか。

 「まぁまだまだチャンスはあるさ。なんせ一年間はクラス一緒という確約があるわけだしな!」

 「ポジティブ精神さすがだねぇ。まぁ、頑張って」

 憂が軽く直の肩をポン、と叩きながらそう声をかけた。「お前はいいよな、イケメンだから…」とかいう直のボヤキが微かに聞こえた。


 「相変わらずだな、お前ら」

 そんな2人の様子を見て、つい口からそう零れ落ちる。

 「おめーも相変わらずだよ、時人。もっと盛り上がっていこーぜ!」

 「うるさい、黙れ」

 騒ぎ出しそうな直を睨みつけて牽制する。生憎俺はそんなの柄じゃないんだ、と小声で言い、食べ終わった弁当箱を包むため手を動かす。

 「ひでぇ…」

 直の情けない声が聞こえてくる。しかしこいつはこんなんで黙るやつではない。


 そう思っていると…視界に、直の人差し指が入る。


 直はメガネをクイッとあげながら、俺を指さしていた。…また始まった。

 「あのな、時人。少し直お兄さんの話聴こうか」

 誰がお兄さんだ、と悪態をつく。直は全く気にしていない様子で続けた。

 「いいか、俺達が今いるのはどこだ? 答えは簡単だな。高校の一教室だ。じゃあ今の俺達は『何』だ?これも簡単だな。新高校生だ」

 はいはい、そうですね、と適当に相槌を打っておく。しかし直はそれが気に入らなかったようで俺をきっと睨む。…疲れる。こいつの相手はやっぱり非常に疲れる。憂は横で苦笑していた。

 「新高校生…。9年間の義務教育から解き放たれ、新しく通う校舎では本来の自身を知る者もかなり少ない…ならば!! これまで出来なかったことを謳歌するしかないだろう! 彼女作ったり! あえて不良になってみたり! はたまた空から降ってきた女の子と運命的な出会いを果たして、なんとその女の子は超能力持ちで異世界人とのバトルとぎゃっ!?」

 ヒートアップした直の腹に、横から憂が笑顔でチョップを決めた。

 「高校生になって浮かれるのは結構だけど。ハイテンションをさっそく発揮するのはみんな引いちゃうからやめようね」

 言って、憂は周りを指さす。…怪しいものを見るような視線が俺達に…いや、直に降り注いでいた。どうやら本来の自身というものはすぐに知られてしまったらしいな。

 「少なくとも最後にお前が言ったようなことはいくら期待しようとも絶対起こらないから安心しろ」

 憂のチョップと周りの視線に傷ついている直にそう言い残し、俺は席を立った。憂が行き先を訪ねてきたので「こいつと同類にされたくないからちょっと校内歩いてくる」と言って、教室を出る。一瞬だけ振り返って直の哀れな表情を確認しようとした、

 …そのときに。

 「…?」

 窓際の列に座って昼食を食べていた、先ほどの直の話題に出てきた、福本。彼女と一瞬、目が合った……気がした。いや、目が合ったと言うべきなのか? 彼女の目は、どこか冷たいもので……睨まれた、のだろうか。

 しかし、一瞬のことだ。よく分からない。だから、俺もそのあと廊下を軽く歩いているときに、────そんなことなんか、忘れてしまっていた。


 * * * * *


 「気をつけ、礼」

 「ありがとうございました!」

 赤くなり始めた空が窓に移り始めた時間、放課後を迎える。一日が終わった。溜息をついて俺は鞄を手にとりながら振り向く。後ろでは憂と直が鞄を持って何やら話していた。

 「なんだ、帰らないのか」

 「あぁ…いや、その」

 そう尋ねると、憂が口篭る。…なんなんだ?

 「時人」

 直が俺の名を呼ぶ。珍しく、真面目な瞳で。俺はその目を見た瞬間、なんとなく2人が何をしようとしているのかが解った。


 「その、俺達部活動見学いくけど……お前、どうする?」


 「行かない」

 予想がついていたから、それに対する反応も早くなる。そしてその申し出は……出来る限り即答で、拒否しなければならないものだった。


 「…なぁ、お前────」

 「そんなことに、構うわけにはいかない」

 食い下がる直に、ただ、それだけを放つ。直はじっと俺を睨んだ。

 憂が焦りと困惑の表情を浮かべているのが見えた。生憎、俺は怒ってはいない。ただ────。ただ、盛り上がることが、嫌いな、だけだ。


 「ふーん、じゃあ待っててくれるか??」

 「は?」

 

 どこか緊迫した会話の中で放たれた直の言葉に、目を丸くする。どうして、そうなる。

 「お前どうせ暇だろ、待ってろよ」

 「別に、帰ってもいいだろ。…ずっと一緒にいなきゃ死ぬってわけじゃあるまいし」

 「いいから、待ってろよ。一人で帰るってよりみんなで帰った方が楽しいって」

 「……くだらねぇな」


 一蹴し、教室を出る。廊下にも生徒達の明るい声が広がっていた。なるべく聞かないようにして、歩き出す。

何も考えないように、何も感じないように。俺は、これでいいんだ。


 だが、……昇降口で、勧誘をしている部活動生が沢山いるのを見つけると、心が、かすかに揺れた。

 馬鹿馬鹿しい、あんなに頑張ったって、勧誘に心動かされる生徒なんてそうそういるわけないのに。あぁ、くだらない────。

 そう、思っているはずなのに。俺はどうも、あの部活動生らの間を通り抜けられそうになかった。勧誘されても、断ればいいだけ。たったそれだけのことなのに────。

 

 「…馬鹿、だな」


 結局、俺は踵を返す。帰りゆく人々の波に逆らって、教室へと戻っていく。

 

 煩わしいだけだ、むやみやたらに人に話しかけられるのが。ただ、それだけだ。何度もそう心の中で呟きながら、教室に辿り着き、……まだ残っていたらしいあの2人と、目が合った。


 「……なんだよ、まだ行ってなかったのかよ」

 「お前こそ帰るんじゃなかったのか」


 直から、悪態に悪態で返される。俺はふたりを見ないようにして言ってやる。


 「気が変わった。教室(ここ)で待ってるから行ってこいよ」


 視界の端で、直がにやりと笑うのが見えた。あぁ、これで満足か。

 「それじゃあ、行ってきやっす!」

 随分と嬉しそうな言葉を残して、二人は見学に向かっていった。


 こんなの、ただの気まぐれだ。普段なら、絶対こんな不安定なことはしない。

 でも……今日は、どこか気持ちが弱ってしまっていた。それは高校に上がってもなお、あの2人がどこまでもつまらない俺に絡み続けることへの罪悪感からなのか、そうでないのかは、分からなかった。

 ふと窓の方に目をやると、朝に比べて、舞う桜の花びらは、徐々に減っていった。今自分が抱くこの気持ちも、全部過ぎ行く春のせいにしてしまえたら、どんなに楽だろうか────なんていう考えが頭をよぎった。


 教室からも、人が減っていく。一人、二人……。気づけば、残っているのは俺だけだった。意味もなく広げていた教科書を閉じて、俺は、教室の窓や扉を全部閉めていく。

 独りになりたかった。完全な孤独に。

 廊下とつながる道をすべて絶たれた教室は、ただの箱だった。今の教室は、教室ではない。俺独りが存在する、たった一つの孤独な世界だった。喧騒も何も無い、静かな世界。


 そっと窓際の席に座る。もう陽が西に傾き出した時刻だから、おそらく誰も来やしないだろう。それで、ここが誰の席かだなんて気にもしていなかった。

 そこから見える中庭の景色は……微かに赤に染まって、ひどく寂しいものだった。人によっては、この景色を嫌うかもしれない。でも俺にとっては、随分と心地のいいものだった。


 俺は、徐々に赤に染まっていく教室に独り、手で目を覆い隠し、真っ暗な世界の中で、思考に耽る。

 そもそも、俺は、何かを大勢で集まって成し遂げようとしたり、仲間内で楽しむということが嫌いだった。否、そうでなければいけないのだ。

 そうであるが故に────俺は、あの2人が俺に絡む度、苦しむのだ。どうして、なぜ、こんな人間に絡むのか。放っておいてくれ。常にそういう気持ちを持つようにしていた。向こうが放ってくれないのであるならば、俺が無視すればいい。そうも考えていた。であるのに、それが、出来ていない。今だって、俺はあいつらを待っている。

 くだらない、本当に、自分自身がくだらない。矛盾していることには、とっくの昔に気づいてる。

 だから、こういう時に、俺はいつも、何故そうでいかなければいけないかを考える。忘れてはいけない。そう、俺は────。

 

 そう、思考を加速させているうちに……。気づけば、柔らかな微睡みの中に、落ちていた。


 * * * * *


 まず、意識を夢の中に失いかけていたということにすら気づいていなかった。

 ただ、しばらく同じ体制でいたため、腕と首が痺れ……そこで、夢と現実の境をうつらうつらしていたということに気がついたのだ。

 だから、手を下ろし、目の前を見た時に…ひどく、焦った。


 ────そこには、窓を開け、吹き抜ける風にその長く黒い髪を靡かせながら先刻よりも赤く染まった中庭の景色に見入る、1人の少女がいたのだ。

 固まってしまい、指1本動かすことが出来ずにいると……俺が起きたということに気づいたらしい彼女は、俺の方を見た。

 その瞬間、わかった。彼女は……昼間、直が話題にしていた福本(ふくもと)であった。

 福本は俺と目が合うと、これまた彼女の外見に見合うりんとした声でこう言いのけた。

 「そこ。私の席」

 「あ……」

 やらかした、とだけ思った。しかし、体は彼女のその糾弾するような瞳に射抜かれて、すぐには動かせない。福本は続けて言う。

 「中の物取りたいんだけど、どいてくれる」

 「……っ、ごめん」

 謝り、すぐに席を立つ。福本はようやく俺から目を逸らし、引き出しに入っていたプリントを取り出した。

 

 「何、じろじろ見て」

 俺の視線に気づいた福本は、まだ人を射抜くような瞳を俺に向ける。そういや、昼休みの終わりごろにもこのような瞳を見ていたような気がした。

 「いや、別に」

 「入学早々、人の席で寝てるなんて。あなた、相当ね」

 怒りを感じさせる語調で、福本は言った。仕方ない。確実にこれは俺が悪い。だから、もう一度素直に「ごめん」と謝る。福本は「まぁ、別に、いいわ」とだけ言って……プリントと学生鞄を手に、教室を去ろうとした。


 しかし、福本は扉から出る前に…1度、振り返る。俺は何事か、と思いわずかに首をかしげた。そして……福本はさらに、こう告げた。


 「────どこかで、会ったことある?」


 「は…?」


 分からない。福本の出現にさらに心を乱されていた俺には、唐突すぎて、質問の意味すら理解出来なかった。福本はそんな俺に向かって、「やっぱり、気のせいね。さよなら」とだけ残し……今度こそ、教室を去ったのだった。


 俺は、福本が去った後、しばらく戸惑ったままだった。とりあえず訳もなく鞄を肩にかけ、彼女が開けっ放しにしていった扉の外を見つめていた。


 どうして、福本は俺に、そんなことを聞いたのか。もちろん、俺は彼女のことなんて全く知らない。だいたい今日昼に直が話題に出すまで、福本というクラスメイトが教室にいるということさえ分かっていなかったのだ。それなのに、なぜ────。

 思考は、そこで、打ち切られる。


 「お待たせ時人ー!!」

 

 それは、直の声だった。上の空になって、よく認識出来ていなかった扉の外に、直と、憂の姿が現れる。あぁ、終わったのか。俺もようやく、教室から出た。


 そうして、帰路につく。俺達3人は電車通学だった。校舎を出て、駅まで歩き…二駅分ほど電車を乗り継いで、地元へ。そこから1キロほど歩いて、ようやく家に帰りつく。通学時間はそれなりに長かった。

 3人で帰るとき、いつもと同じように、直を中心とした話が繰り広げられていた。俺は話題を振られても頷くか、あまり興味が無いものであれば無視していた。

 その帰り道でわ俺は、福本のことは一切2人に話さなかった。それはどこか、気まずかったからなのだ。

 ただ……俺は電車から降りた後、一つのことを二人に尋ねた。

 

 「何か、入るのか」


 唐突な、簡素な言葉での質問だったが、2人はその問いの意味を分かっていた。いや、そもそも俺にそう訊かせようとしていたのか。2人は当事者なのに不自然なほどに、その話題を出さなかったのだ。

 

 「いや、やっぱあれだな。この天才直様に見合った部活はなかったってこったな!!」

 

 直は軽快にそう答えて見せた。その隣で、憂も笑顔で頷いていた。


 「……そうか」


 俺は、その答えを聴いて…複雑だった。

 この2人が部活に入っていれば、今のように絡まれることも少なくなるだろうと思う心が大半だった。でも、わずかに……2人が、今のままで良かった、と思う自分が存在していた。俺はそんな考えを消すために、夜空を見た。

 春の星座なんてこれっぽっちもわからないが、帰路の田んぼ道で見る空には、星が数多に浮かんでいた。この星たちは、変わらない。俺が生まれた時から、おそらく、ほとんど変わっていない。でも……俺は、この夜空を見た瞬間確かに、何かを感じてしまったのだ。それが確信に変わるまで……そう長い時間は、経たなかった。


 ────春、俺の周りで、何かが変わろうとしていた。


 

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