序章 tragedy
序章 tragedy
また、向かい風が頬を撫でる。
2015年3月7日の午前6時過ぎ。
立春をとっくに迎えたとはいっても、いまだ吹き付ける早朝の風は厳しく、凍えるほどだった。ここが廃墟ビルの屋上ということもあって、風の唸りがまたいっそう近くに聞こえてくる。それは威嚇か、嘆きか。一つ、自らの溜息をその音に混ぜる。弱々しい息音は当然かき消され、そこにはただ、白い霧だけが一瞬残って、虚しく散っていった。まるで時間のようだ。そこにあるのはわかっているのに、いつも気づけば消えていたもの。いったい俺はどれだけの時間を無駄にしただろうか。
────なぁ、俺達、高校生だったんだな。
夜明け前に聴いた友人の言葉が浮かんでくる。数年前、俺達は確かにそうだった。何も知らない、理解していない、ただ青いだけの高校生だった。
俺も友人も、大学に進学していた。でも、あの高校に通った3年間が、『青春』とも呼べるあの時間こそが、俺達にとってはたまらなく愛おしく、悲しいのだ。
気づくと、視界は霞んでいた。滲んだ屋上、空、町を背景に枯葉らしきものがひらりと舞う。流されて、飛んでいく。一通り空を舞った後にそれは、俺の足元に力なく落ちた。 俺はそれを踏みつぶす。グシャ、という情けない音が聞こえた。
涙で潤んだ目を擦った。そして、現実に目を向ける。
屋上のフェンスに、1人の青年が力なく寄りかかっているのが見える。その青年……友人の体は、真っ赤だった。
染めたのは、俺だ。
手からナイフが滑り落ち、甲高い音を立てる。その音はだがしかし、遠かった。
殺したという感覚はなかった。ただ友人は赤に染まっただけ。罪の赤に染まっただけだ。
友人はもう動かない。先程まで見せていた笑顔はもうない。どこまでも変わってしまった友人だったが、あの笑顔だけは学生時代から変わらないままだった。
何故こうなってしまったかはわからない。俺も友人も、一緒だった。いつも同じ場所に立っていた。開始点も、終着点も、同じ場所にあった。でも、何処かで道を逸れてしまったのだろう。それは俺なのか、友人なのか。結果として、俺は友人が犯した『罪』を裁くしかなかったのだ。
風の唸りは、嘲笑に変わったように思える。この運命に抗えなかった俺達を、どこまでも貶している。
「────他力本願の、代償ってやつか」
その声に答えてくれるものはもういない。既に孤独だった。結局、ここまで堕ちてしまったのだ。堕ちまい堕ちまいと、その背後から襲ってくる孤独から逃げまとっていたが、結局は、無駄だったのだ。おそらく、こうなる運命だった。それならば、この運命に堕ちた自分自身を嘆くしかない。
全てが、悲しく、愛おしく、また馬鹿らしい。
血がこびりついたナイフを再度手にする。もう俺には何もない。守るものも、傷つけるものも。
────────きっと、俺達の青春なんてなかったんだな。
誰に言うでもなく呟いて…そのナイフを、俺自身に突き立てた────。