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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

吸血鬼は牛乳がお好き。

作者: 黒水 狸糖

 夏の日射しが強く感じるある日、僕は病的に肌の透き通った、あるいは絵画の中から現れたかのような女の子に恋をした。顔立ちはまるで人形を目の前にしたかのような気持ちにさせた。白日の下、白いワンピースと白いつば広帽子に日傘を持つ彼女は、何と言うか、官能的な雰囲気すら醸し出していた。

 彼女と目が合ったその瞬間に僕の心はいとも容易く射抜かれてしまったのだ。

 僕は人混みをくぐり抜け彼女に近付き声をかけた。彼女はいかにも興味の無さそうに、ただ適当な相槌を返した。

「あの、そこの喫茶店にでも入りませんか?」

「ごめんなさい。人と待っているので」

 勇気を振り絞って話しかけてみたが、僕も友人と会う約束をしていて、その場に向かっていたことを思い出した。近くに設置されていた時計を見て、もうあんまり時間がないことを確認した僕は拳を握り締めて再び勇気を振り絞って声を出した。

「あの、電話番号など教えていただけませんか?」

「ごめんなさい。電話は持っていないの」

 そういえば、どこかでナンパを断る方法としてこういう返し方があったな、と頭をよぎった。確かに僕の口振りを見ると、これはナンパしているようにしか見えないな、と少し凹んだ。

 諦めて友人との待ち合わせ場所へ行こうとし、去り際に「また会えると嬉しいです」と言っておいた。

 彼女の口はかすかに動いていたが喧騒の中に消えていってしまった。

 僕は友人と合流して、しばらく歩き回ってから飲み屋に入り、話しているうちに先程の彼女のことを思い出して友人に話してみた。

「人生で初めてのナンパだったというのに、失敗してしまったよ」

「なあに、数をこなしていくうちにきっと成功する日も来るさ」

 友人もあまりナンパをしたことはないらしいが、酒の肴程度にはなったようだ。

「でも、そんな格好の女がいたのか。俺も興味があるな」

 友人はそう言った。

 ああ、確かに興味を持つのも仕方ないことだろう。僕はありのままのことを彼に話したからだ。近寄ると、ふんわりといい香りが漂い、どこか近寄りがたいピリピリとした空気が僕の肌を刺激し、口から溢れる言葉は僕の耳を蕩けさせた。あそこまで魅力的な女性を僕は生まれてこのかた、見たことがなかった。

「そうだろう?僕もあんな姿をしているのは、漫画の世界だけかと思っていたよ」

「今日はお前の初めてのナンパ記念日だ。どれ、俺が女の子がいる店を紹介してやろうか?」

「いいよ、僕は」

 少なくとも今の僕はそんな気分ではなかった。一人の女性に、未だ心を射抜かれたままなのだ。そしてその友人とは夜更けまで呑み明かしたのであった。

 終電の時間に余裕をもって間に合うように、僕は店の前で友人と別れて駅へと向かった。

 ああ、久し振りに合ったが彼はいい奴だ。余韻に浸っていたのもつかの間。ふと表通りから外れた、少し薄暗い路地に強烈に惹かれるものを感じた。

 高校の制服らしき服を着た少女の手を引き、角を曲がって更に暗い方へ入っていくのは、まさに先程の彼女ではないか。再びその姿を見ることができた喜びと、二人の尋常ならざる雰囲気に心が大いに揺れた。少女の瞳は、少し虚ろに見えた。

 何事かと思い、僕は二人の後をつけてみることにした。彼女たちが入っていった曲がり角につき、覗き込む。

 そこには、壁にもたれかかる少女の首もとに舌を這わす彼女の姿があった。それは本来ならば歪な光景なはずなのに僕の目には官能的なもののように映った。

 きっとこれは何かの間違いだ。酒が回って本来のものとは違うものが見えているのかもしれない。目をよく凝らしてじっくりと見てみると、やはり彼女は少女の首もとに舌を這わせている。それどころか、少女の首もとは血で赤く染まっているではないか。

 僕はその場から離れることはできなかった。いや、正確には離れようともしなかった。彼女に見つかったらどうしようかとか、そんな感情は一切僕の心にはなった。むしろ僕に気付いてほしいとまで考えていたくらいだ。しかし今の僕にはそんな勇気はなく、ただ、彼女がしているその行為を目に焼き付けておくことしかできなかった。

 不意に足下で音が鳴った。

 しまった。頭ではいけないと分かっていながら、つい足が少し前に出てしまった。

 ゆっくりと彼女の目がこちらを向く。あの時の目とは違う、妖艶でいて殺気だった目だ。僕は腰を抜かししりもちをついた。

「あっ、あのっ、違うんです。僕はただ、あなたの姿が見えたから…」

 さっきまでの昂ぶりはどこへいったのか。僕の心は酷く怯えていた。どうしようもなく足が震える。立ち上がって逃げなければならない。どうしてすぐに立ち去らなかったのか。自責の念が強くなる。

 しかし意外なことに彼女はすぐに少女の方に向き直し、また一度だけ首を一舐めすると少女の手を引きこちらへ歩いてきた。

 僕の目の前で立ち止まり、少女の背中をぽんと押すと、少女はふらふらと僕が歩いてきた道を辿って通りの方へと歩いていく。

「いつまでも座っていると、ズボン汚れますよ?」

「へっ?あ、は、はい」

 彼女の表情は既に先程までのそれとは違う、初めて彼女を見たときのそれになっていた。

 何だ。何なんだこの子は。腰が抜けるほどの恐怖心を受けておきながら、今はまたさっきまでのような恋心さえ抱いている。

「立ち上がれないのなら、手を貸しますよ?」

 そういって差し出された指は、白くすらりと長くふわりと流れてくる彼女の放つ甘い香りに惹き付けられる。

 思わず見とれてしまい、口を半開きにする僕に彼女は首を傾けた。

「だ、大丈夫です。立ち上がれますから」と虚勢を張り、立ち上がろうとするがどうにも腰から下に力が入らない。

「い、いやあ、蒸し暑くなってきましたから、冷たい地面で熱を逃がそうかと」

 我ながらに下手くそな言い訳をしているとそれに見かねた彼女は僕の右手をとり、まるで大人が赤ん坊を持ち上げるような、そんな風に軽々しく僕の体を引き起こした。まだ下半身に力が入らないものだから、彼女にしがみついてしまった。彼女の柔らかい肌、そして艶やかで流れるような髪に触れる。

「す、すいません!わざとじゃなくて…」

「いいんですよ。でも私のお願いを一つ聞いてもらえますか?」

 甘い声を耳元で囁かれて僕は断るどころかむしろ何だってやってのける所存であった。

 裏路地を出て、彼女と向かったのは駅前のコンビニであった。彼女の言う「お願い」とは牛乳のパックを買ってほしい、という思っていたよりも随分可愛らしいものだった。

 会計を済ませてコンビニを出て、僕は彼女に「本当にそんなものでいいんですか?」と聞いたが、彼女は「こんなものでいいんです」と即座に牛乳を飲み干してしまった。コンビニで売っている限り、一番大きいサイズのパックの牛乳をこんなに素早く飲み干す人は初めて見た。彼女は牛乳パックを折りたたむとビニール袋の中へとしまいこんだ。

「ご馳走さまでした。さて、あなたの家に上がらせてもらってもいいですか?」

「えっ、あ、はい!?」

 それは唐突だった。まるで「今日はいい天気ですね」と言うような口調で、とてつもなく恐ろしい単語を並べられてしまった。呆気をとられて返事が遅れる。というか彼女の言動は全てが唐突だ。

「どのみちあなたには少なからず興味がありましたから。断ったら、さっき抱きつかれたことを理由に警察につきだしますけど?」

「そそ、そぉーれは…恐喝罪にあたるものでは…」

 平静を装うと試みるが駄目だ。酒のせいもあってか表情筋の制御がままならない。あからさまに動揺が顔に出ているはず。ああ、こんな醜態を晒したくはない。顔を逸らして自分の意見をさっさと言ってしまおう。本当なら喜んで受け入れてもいい相手だが、先ほどの少女の首を舐める彼女を見た後ではどうしても気が引ける。

「僕の家に上がりたいということでしたら、どうぞ…」

 言えた。いや言ってしまった。本来、言ってはいけないことなのに。それはどうして言ってはいけないのか。回転が鈍る頭で考えてみる。僕は彼女が好きだ。そして彼女は僕の家に来たがっている。どうしてだろうか。もしかしたら何か盗まれるかもしれない。だけどもそんな不安は彼女の魅力の前には些細なことなのではないかと思えてしまう。彼女と一秒でも長く一緒にいたい、というのが僕の本音だった。

「そう、ありがとう。じゃあ案内して?」

「は、はい」

 これが果たして僕にとってどんな未来を導くことになるかを考えることもせず、僕は彼女を連れて家へと向かった。

 二人分の切符を買い、改札口を抜ける。ここで一つの違和感。彼女は駅員を一瞥すると切符を通さずに改札口を通り抜けてしまった。酒と、もうすぐ電車が来ることへの焦りによって僕はそんなことは気にしてはいられなかった。

 何とか電車に乗り込んで、もう一つの違和感を感じた。

 満員電車の中、彼女には扉の窓際に立ってもらって、それに向き合う形で乗り込んでいたのだが、窓ガラスに彼女が映り込んでいないのだ。

「あ、あの…」

 僕が彼女に直接聞こうと、口を開けたが彼女の白く細いその指に塞がれてしまった。

「ここは人が多すぎます。後で話します」

 彼女のその一言はとても小さかった。しかし、耳元で話されたような、そんな距離感で周りの雑音など全く気にならないほどしっかりと僕の耳の中に響いた。

 電車の中が少し空いて来た頃に僕たちも電車を降りた。さっきほど町は明るくないが、それでも真っ暗と言うほどではない。この町は嫌いではないが星が見えないのが残念だ。

 ぽつぽつと街灯が並ぶ道を歩く。そうだ。さっき聞こうと思っていたことを聞いておかなければいけない。そう思って再び口を開いた。

「あなたはいったい何者なんですか」

 真っ白なワンピースと真っ白な帽子、彼女の肌もそれに近い白で、夜の闇に佇む彼女は神秘的なオーラのようなものを纏っていた。

「私…ですか?私は、吸血鬼なんじゃないでしょうか」

 帰ってきた答えは曖昧かつ信じがたいものだった。

 僕は心霊や宇宙人、妖怪などの存在を信じてはいるが、目の前に自称する人が現れたのは初めてでどうリアクションすればいいか分からない。しかし改めてそう言われてみると、裏路地で少女の血を舐めていたあの行為も納得がいく。

 しかし、それなりに謎も残る。

「それなら、太陽光を浴びても大丈夫だったのは何故ですか?」

「さあ?確かに太陽の光を浴びるのは嫌いです。ですが死に至ることはありませんでした」

 これは、つまりそういう設定で彼女は僕のことをからかっているんだろうか。それから彼女は、僕の家につくまでは様々なことを話した。

 まず、彼女はいつの間にか吸血鬼になっていたらしい。思い出せる限り昔のことを話してくれた。季節は真夏。気が付くと田舎の神社の木陰で横になっていた。自分が何者なのか分からずに、ただ歩き回った。やがて夜が近付くと急激に喉の渇きを感じたらしい。お金を持たなかった彼女はふらふら歩いているうちに、車に乗った見知らぬ女性に出くわした。

 見ない顔だったから遠くから家出したものと思われ、とりあえず時間も遅かったのでその女性の家に連れていかれた。家に着くと女性の夫と娘に出迎えられた。

 丁度同じくらいの歳の娘がいる女性にとって、彼女は見過ごせなかったのだろうか。僕はそう感じた。

 その家庭の事情は分からなかったが、とても嬉しかったそうだ。彼女は食事も出されたが一つだけとても気になることがあったそうだ。

「何を食べても、何を飲んでも、私の喉の渇きはやむことはありませんでした」

 そう言った瞬間の彼女の瞳はその日に思いを馳せていたのか、遠くを見るような目だった。

 その日は泊めてくれるということでお風呂に入り、着替えもその家の娘の服を借りたそうだ。娘の部屋で寝るように言われ、布団を二つ並べて電気を消したが眠気は来ないし何より喉の渇きが酷くなる一方だ。ついに小さくうめき声を上げるようになり、寝ていた娘を起こしてしまった。暗闇の中なのにはっきりと娘の顔が見えた。心臓の鼓動が聞こえてきたがどうも自分のものとは違う。これは自分の心臓の鼓動ではなく、目の前で自分を心配する娘のものと理解した時、ある不思議なことが起きた。自分の手ではないが、娘の心臓にはっきりと触れている感触を知覚した。手でもない。足でもない。娘とは全く接触をしていないはずなのに、まるで娘の心を握ったような感触だった。それから一時、我を失い、静かに娘の喉元に歯を刺したが、娘は糸が切れた操り人形のようにぴくりとも動かなかった。娘の喉元から流れる鮮血が舌を介して喉を通ると次第に喉は潤い、それとともに頭の奥で確かな快楽を感じていた。ほんの数回舐めただけで満足し、最後に一舐めすると傷口は塞がった。

 それが、彼女にとっての初めての吸血だったそうだ。

 握っていた娘の心臓を放すと、娘はそのまま寝入った。それから初めて自分が普通の人間でないことに気づいた。喉は潤され、頭も冷えてから何があったのかを熟考してもいっこうに答えは出ない。布団を被り朝まで悩み続けた。そして朝。娘が何事もなかったかのように、起きて顔を洗いに行った後について行った。洗面台の前に立って、違和感を覚えた。自分の姿が鏡に映っていないのだ。違和感どころの話ではない。これは異常だ。昨晩、車に乗せられた時は確かに車内鏡に自分の姿は映っていたはずなのにだ。鏡を通して娘と目が合ったときに、口には出さずに叫んだ。

「お願い気付かないで、とね。流石に私はびくびくしていました。何せ、もしも鏡に映ってないことがバレて、何らかのショックで昨晩のことを思い出されたら、私は何をされるか分かったものではありませんでしたから」

 彼女は僕を見て、無邪気に笑った。僕は自分の中で熱くなるものを感じながら、続きを話すように促した。

「あなたの家は、まだ遠いんですか?こんな静かな住宅街で、ご近所さんに変な女と歩いているようなところを見られたら、あなたの評判を落としかねませんけれど」

「そ、それは…」

 だいぶ酔いが冷めてきた頭で考えてみた。確かにご近所付き合いはあまりいい方ではないが、普段女っ気がない僕が自称「吸血鬼」の女の子の話を聞きながら、しかもこんな時間に家へ向かって歩いていたら、明日のご近所の奥様方の世間話に花を咲かせることになるかもしれない。それは今後の僕の人生によくない。

 もうそこまで遠くないから、続きは家で聞くことにした。

「というか、本当に家に上がるんですね」

 家と言っても築20年を越える賃貸のアパート。壁は薄いが幸い角部屋で隣の部屋は、住民が今年の春に出ていってから未だに空いたまま。まあ彼女が入って話をしても、何も問題はないだろう。

「ええ。もちろんです。一度入ってもいいと許可を得たので、今更拒否されても入ります」

 鍵を開ける前に、彼女がドアノブを捻ると扉は開いた。「ね?」と言いながらそそくさと上がられる。

 確かに今朝は鍵を閉めたことを確認したはずだったのだが、僕の頭は何が起きたのかを知覚出来ずにぐるぐると思考を巡らせた。

「初めて上がる家は、家主の了承を得ないといけないんですよ。だから、例え廃墟でも住み着くことはできませんでした」

「でもそれって、あなたの話が確かなら、その人の心を操ってしまえばいいだけのことじゃないですか?」

 彼女はすたすたと冷蔵庫の前に行くと、了承もなしに開けて中を物色し始めた。

「…牛乳がないじゃないですか。あ、ええとですね。試してみたんですけど、それじゃあ駄目だったみたいで、人の家に上がれなかったので、仕方なく漫画喫茶などに入ることが多かったですね。夜は、私みたいなのが歩き回っていると警察などに不審がられていましたし、漫画喫茶の店員一人で済んでいましたから。何より、たまに家出した、私好みの血を持つ女の子とも会えました」

 牛乳を探していたのか。その牛乳について言及している時の表情と、彼女好みの女の子について言及している時の表情には雲泥の差があった。

「私もこうなってから少し慣れてきて分かったんですけど、どうも処女の血が好きみたいなんです」

「はぁ…」

 彼女の口調は、「プリンよりもコーヒーゼリーの方が好き」と仕事中に同僚が呟いた一言に似ていた。ちなみに僕はヨーグルトが好きだ。

「で、話の続きはどうなったんですか?」

「どこまで話しましたっけ?ああ、鏡に映らなかったところまででしたね。あれからは、私自身の素性が分からなかったので、しばらくは多少強引に泊めて貰いながら、娘さんに協力してもらい、吸血鬼のことを調べていました」

「多少強引に…?」と聞くと、「ええ、多少強引に」と笑顔で返ってきた。恐らく彼女の言う多少強引にというのは、初めて人の血を吸った時のように心を操ったりしたのだろう。

 彼女は、その後に調べて分かったことを語り始めた。

 まず、彼女が吸血鬼ではないという可能性。日本にも血を吸う妖怪がいるらしく、彼女はそれでないのか、という説だ。

「片方は、人間の姿ではありませんし、もう片方は人間の姿をしている場合もあるらしいですけれど、磯女という海に関係する妖怪だそうです。私が目覚めたそこは、海から離れた田舎でしたので、この説はなしですね」

 となると、吸血鬼である可能性が高い。ただし、彼女には吸血鬼に関する通説である、日光を浴びると灰になるとか、弱点はニンニクだとか、十字架や聖なる場所を嫌うといったことはないが「ただただ苦手」な範疇で収まる程度だそうだ。

「最初に目覚めた場所が神社なだけに、神様の存在を疑ってしまいますね」

 彼女はそう言ってから笑った。

 次に、もう一つの吸血鬼の通説にある「吸血鬼に血を吸われると、その人間も吸血鬼になる」ということについて彼女は語った。結論から言えば、彼女に血を吸われてもただそれだけでは吸血鬼にはならなかったらしい。ならばどのようにすれば彼女のような吸血鬼になれるのか。彼女は老若男女、異性との関係があるかないかまで様々な人物の血を吸ってみて試したらしい。

「でもやっぱり美味しかったのは若い処女ですね。年老いて、しかも男性だと血は吐き出してしまうほど不味かったです」

 その時の味を思い出したのか、次は彼女の表情が強張った。確かに老人の血というものは、失礼を承知で言うが不味そうだ。

「暫く思い詰めてから、一つの答えに辿り着きました。ただ、『この人も仲間にしたい』と考えながら血を吸う、それだけだったのです」

 一般的な吸血鬼は若さを永遠に保ち続けると言われている。それはつまり、自分は老いないが、周りの人間は老いて死んでいくということだ。それが嫌になった彼女は、ある日、とても美味しい血を舐めながら「彼女も吸血鬼になれば、ずっとこの血を味わえるのに」と考えたそうだ。するとその瞬間に、美味しく感じていた血は、無味無臭に変わり、それは血を吸われていた少女が吸血鬼に変わったことを意味していた。彼女は初めて会った自分以外の吸血鬼に喜び、それまであった自分の体験を話したそうだ。人の心を操る術を教えて、実際に何人かの人間の行動を意のままにしたと言う。しかし喜びも束の間。朝になり太陽が昇り始めてから少女が体調不良を訴え始め、日光を浴びると途端に灰になってしまったそうだ。

「あの時は、彼女に悪いことをしてしまいました。まさかあんなことが起こるなんて、予想だにできませんでしたから」

 それから彼女は誰かを吸血鬼にしようとしなくなった、ということを語った。

 何だか僕まで悲しい気分になってきた。やっと自分と同じ境遇の人物が、不本意ながら現れたというのに自分の目の前で死んでいったらどんな気持ちでその光景に向き合わなければならないのだろうか。

 彼女が次の話を始める。

 何故彼女が牛乳に執着を見せるのか。それはとある日のこと、漫画喫茶でパソコンを使っていた時に「母体が作る乳は、血から赤い成分を取り払ったもの」という記事を見てから思い付いたものらしい。一時期、人から血を吸うことに抵抗を感じていた頃に、実際に牛乳を飲んでみたら、これが中々効いたらしく血を吸わずとも喉の渇きは抑えられたそうだ。ただし、収入源もなく常に一文無しであった彼女は、お金を払わずに牛乳を飲むことに、血を吸うことよりも抵抗を感じ、割り切って人から血を吸うことにしたんだとか。

 抵抗を感じるところが少し違う気がするが、中学の時に先生に「血はたまに少し抜いて、新しい血をつくるようにした方がいいから、積極的に献血に行け」と言われていた記憶が甦り何とも言えない気分になった。今思えば、僕は献血に一度も行ったことがなかったっけか。

 閑話休題。牛乳が血の代わりになるのならば、案外吸血鬼というのは身近な存在であったのかもしれない。

「でも牛乳だけで補えるかと言えば、一概にはそうとも言えません。結局は牛ですし、子を孕んだことがあるわけですから。人間の母乳はもう少しマシなのかもしれませんけど、その人の赤ちゃんから横取りしてるような真似はあまりしたくありませんしね」と彼女は苦笑いをした。

 ここまで彼女と話していて、彼女がお喋りなことや、表情が豊かなことを知った。初めて見たときは、近寄りがたい雰囲気すら持っていた彼女だが、話してみると印象はガラリと変わった。しかし僕の想いは薄れることなく、むしろもっと彼女のことを知りたい気持ちが高まっていた。

「名前とか…ないんですか?」

「ううん…名前をつけられたことはありませんが、一度、歳を召した女性の家に泊めて貰っていたときは、その女性のお孫さんの名前で呼ばれていたときはありました」

「それは、なんて名前だったんですか?」

 もう何かのついでだ。その名前で呼んでしまおう。

「忘れてしまいました」

 首を傾ける彼女にまた惹かれながら、僕はテレビで芸能人がするようにコケた。

「あなたはよく転びますね」

「あはは、面目ない」

 彼女の目の前で二回コケたが、二回とも彼女のせいだと僕は思う。それでも僕がそれを言えないのは僕が彼女に心酔してしまっているからだ。

「きっと、自分につけられた名前ではなかったから忘れてしまったんだと思います。それに、名前なんてあってもろくに話し相手もいませんでしたから」

 その割によく喋る人だな。

 彼女は本来は話好きの人…吸血鬼だったのだろう。それでも目の前で誰かが自分のせいで灰になったから彼女は心を閉ざしてしまった。

「…ところであなたは何なんですか?」

「へ?」

 急に自分のことを聞かれても困る。そういえば、ずっと彼女の話ばかりで僕のことは全く語っていなかった。

「自己紹介がまだでしたね。僕の名前は」

「そういうことではありません」

 じゃあどういうことなのか。彼女は説明し、僕はそれを聞いた。そしてその後、僕の頭はぐるぐると回るような感覚に襲われてついには眠れないようになってしまった。理由はそれだけではないが、そこまでの経緯を話しておこうと思う。

 まず、彼女は僕が本当に人間なのかを疑った。僕ははっきりと自分が人間であると主張した。

「でもそれっておかしいですよ」と彼女は口を尖らせて言った。

 何でも彼女は僕がナンパした時、鬱陶しかったから心を操りよそへ行かせようとしたそうだ。しかし一向に退く気配のない僕に戸惑っていた。すると最後は何もしてないのにするりとどこかへ行ってしまう。これは単に僕が友人と合流するために去ったものだが彼女は混乱してしまう。これまでは人から話しかけられることもあまりなかったのに、話しかけられ、しかも追い払おうとしても払えない。そして急に去っていく。彼女の恐怖心を煽るには十分だったようだ。しかしそのまま僕を追うことはできず、あの場に居続けたようだ。ところで何故彼女があんなところにいたのかというと、人通りの多い場所の方が好みの女の子が通る可能性が高いからだそうだ。思考がナンパをする男とさほど変わらず、彼女がそれを得意気に語ったとき、笑いがこみあげてきた。少し機嫌を損ねたようだが機嫌が直るのはさほど時間がかからなかった。

「で、以上のことを踏まえてですが、あなたはいったい何者なんですか?」

「ですから、僕は普通の人間ですよ」

 彼女は眉間に皺を寄せてじっとこちらを見据えた。

 そんなことを急に言われても、僕にはこの答えしか返せない。何しろ僕は普通の人間として生きてきて、尚且つ吸血鬼のみならずその系統の人と出会ったのは今日が初めてなのだ。たとえ僕が人間でなかったとしてもそれを認識するのは不可能というものだ。

「むぅ、まあいいです。あなたの謎はじっくりと解いていきますから」

「つまりそれはこの部屋に居続けるということですか?」

「そういうことになりますね。何か問題でもありますか?」

 突拍子もないことをしかもまるで目玉焼きには醤油でしょう、とでも言いたげな表情で彼女は語った。

「でもそれはまずいですよ!例え吸血鬼とはいえ、付き合ってもいない男女が同棲だなんて!」

 酒は抜けきったはずなのに、我ながら動揺が隠せない発言をしている。当たり前か。そのような同棲は、世にいくらでも存在していることは承知の上で僕は必死になってこの起こりかかっている非日常を拒む。だが、心の何処かでそれを望んでいた。僕は彼女が好きだ。恐らく、彼女以上の人物に出会うことなんて、二度とないだろう。ならばなぜ僕はそれを拒むのか。

「じゃあ付き合いますか?」

「へっ?」

「あなたがそこまで世間の目が気になるというのなら、交際関係になりましょう。あの時、あなたが私に声をかけたところを見ると、あなたには交際中の女性がいなくて、私に少なからず好意があったんですよね?私にも交際中の男性はいませんし私は構わないのですが」

 青天の霹靂だ。もしかして彼女は僕の反応を見て楽しんでいるのか。しかし彼女の目にはそんな色は見えず、ただ真剣な眼差しを僕に向けている。彼女自身が何者か調べるときもこうだったのだろうか。研究者気質な目をしている。そんな目を向けられて断ることなど僕には出来なかった。

「不束者ですが、これからよろしくお願いします」

 彼女がくすりと微笑むと、僕の心は熱く燃える。汗ばんだ手をぐっと握り締めて僕は彼女に対して頭を下げた。

 さてそうして僕は彼女と表向きには付き合うことになったのだが、もう一つ眠れなくなった理由があるのだ。なんと彼女は睡眠が必要ないと言いつつも、何故か僕の布団の中に入り込んできたのだ。しかも僕の方をじっと見ている。これが生殺しというものなのか、そう考えつつも僕は必死に眠ろうと頑張った。

さて、私の自己解釈はいかがだったでしょうか?個人的にはこの二人は気に入っていて今度続きを書いてみようかなどと考えてはいます。R-18展開に持っていきたいのですが、いかんせん自分には文才がなく、かつ遅筆なので他に考えている話の後になってしまいそうだったので単品作品として投稿しています。

そして何より、吸血鬼の牛乳好きという設定はどう感じましたか?今後、この設定が流行っていけばとても嬉しく思います。私も牛乳が好きなので吸血鬼と並んで牛乳の早飲みをやってみたいななんて…あぁ、小学生の頃を思い出して涙が…

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― 新着の感想 ―
[良い点] 現代ですがなんとなく懐かしい気持ちにさせてくれる内容と文章 淡々とした印象を受けますが、逆にそれが読んでいて安心感を受けました。 例えるなら昔通っていた店によく似た店を都会で見つけたような…
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