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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ないものねだり

作者: 実月 鏡弥

オレンジ色に向かって大きく伸びをした。左腕の時計を見れば、午後四時を指す時計の針と、一定に回る秒針が目に映る。

サラリーマンにとって付きものである残業ばかりの日々。ましてや入社したての自分が上司を差し置いて帰れるはずもなく、下手をすれば会社に泊まることさえある。そんな中、こんな風に夕日を見られる時間に上がれるだなんて奇跡とでも言うべきだろう。

少しだけ遠回りをして帰ろうと、堤防がある方へ向かって歩く。高校時代に友人たちと何度も通った道だ。

地元を離れてしまった後、再開発が進んで色々変わってしまった。大学を卒業して帰ってきた時、原っぱだったはずの場所には新しい駅が、中央の商店街には知らない店が次々と出来ていて、たった数年の間で全く知らない土地のようになってしまっていた。

だからこの堤防も少しくらいは変わってしまっただろうと思っていたのだが、しかし、たどり着いた先に見えたのは数年前と何ひとつ変わらない景色だった。懐かしい景色に、また懐かしい記憶が蘇る。

よく寝転んだ緑色の草、だらだらと駄弁った帰宅部の放課後、学校をサボってここでひたすら寝ていたこともあった。

ごろんと草の上に寝転ぶ。ワイシャツ越しのちくちくとした草の感触に、ふと頭に浮かぶ笑顔。


ーーーーあいつも、ここに寝転ぶの好きだったっけ。


脳裏のそれから逃げるように瞼を閉じた。大事にしまっておいた過去、それは今更思い出すようなものじゃない。思い出したところで何も変わりはしないのだ。時間を巻き戻せたらなんて柄にもないことを考えたけれど、時は金なり。ことわざでも言うように、失った時間を取り戻すのは不可能以外の何物でもない。

それに、もう終わりにしようと決めていたことだ。

忘れてしまおう。そもそも、こんな所に来てしまったからいけないんだ。こんな、思い出しかない場所に。

そっと閉じた瞼を開けて遠くを見やれば、夕日は静かに、けれど確かに来た時よりも沈んでいた。

帰ろう。

草の上の鞄を掴み、身体を起こそうとしたその瞬間、後ろから声が飛んできた。


「とざき?」

「え?」


親しげに疑問符付きで名前を呼ぶその声にぼんやりとしていた脳内が一気に覚醒する。

この、懐かしい声は。


「いさかわ、か?」

「お、やっぱり門崎じゃん。久しぶり!」

「あっ、おお、久しぶり」


バッ、と身体を起こして後ろを向く。視界に現れたのはあの頃の面影を残したかつての親友。

昔と変わらない、屈託のない笑顔を見せながら、門崎はなにそれと小さく噴き出した。


「なんでそんな動揺してんの」

「いや誰だって驚くだろ。何年ぶりだよ」

「んー……高校卒業して以来、かな」


約六年ぶりの再会は思わぬ形で果たされた。昔のように堤防で寝転んでいたことに何故か気恥ずかしさを覚える。タイミングというのは恐ろしい。


「で、門崎はこんなとこでなにしてたの?」

「別に、ちょっと会社が早く終わったからまったり過ごしてただけだよ」

「なんだ。じゃあ俺と同じじゃん」


そう言って、友来は門崎の右隣へ腰を降ろした。足を投げ出し、後ろに手をつく格好で川の向こうを見つめている。まさかの展開にただ黙って見ることしかできない。

しばしの沈黙の後、友来がぽつりと言葉をこぼす。


「懐かしいね。高校の時みたいだ」

「ああ、そうだな」

「俺さ、よくここに来るんだよね。なんかここすごい落ち着くの」


柔らかな口調で語る友来に、高校の時の記憶が重なる。二人だけの時間に交わした、なんてことない会話。喋って、黙って、また喋って。沈黙が苦にならず、ただ隣にいるだけでよかったあの頃。今の自分たちの状況とよく似た、そんな記憶。


「あ、そういえばさあ」


突然何かを思い出したかのように声を上げた友来。

何も疑問を持たず、ただ言葉の続きを待っていた門崎に降りかかったのは、いつか来ると予測して割り切っていたはずの言葉だった。


「俺、結婚すんだよね」


結婚。永遠を誓う、男女間の契約。

職場の人でね、年上の、ちょっと気が強い人なんだ。と続ける友来に、門崎は淡々と言う。


「へぇ、おめでとう」


それをきいて何故かきょとんとする友来。目を丸くしてこちらを見ている。


「……なんだよ」

「や、ずいぶんあっさりだなー、と」

「普通だろ。なに? 親友だからって泣いたりするかと思ったわけ?」

「そうじゃないけど……」

「けど?」


これ言ってもいいのかな、いやでも……と呟く小さな声。明らかに何かを隠しているような、そんな態度。

言えよ、と促すと、友来はなんだか気まずそうに言葉を発した。


「だって門崎、俺のこと、好きだったでしょ?」


気まずそうに、けれど全てを見透かしたような瞳で問いかける。

絶対的な確信を持っている時の、友来の目。


「……いつから知ってた?」

「高3になったくらいかな。クラス替えの時とかね」

「ああ、そうか」


クラス替えの時は同じクラスになれたのが嬉しすぎていつもだったらあり得ない程テンションが上がってしまったことを思い出す。今思うと恥ずかしくていたたまれない。


「……なあ」

「ん?」

「……もし卒業前に俺が告ってたら、お前どうした?」

「えっ……」


それはほんの出来心だった。聞いてみたかったのだ。友来に。

友来は門崎の唐突な質問に戸惑いながらも答えを告げた。


「多分嬉しかった、と思うよ」

「でも断っただろ?」

「どうだろ」


どうだろってお前。と言うと友来は少し迷いながら続けた。


「門崎を失うのは、嫌だからなあ……」


その言葉に柄にもなく涙ぐみそうになる。もう何年も前のことなのに、割り切ったはずなのに、心のどこかでまだ期待していたのかもしれない。絶対にないとわかっていながらも、ほんの僅かな可能性に縋ろうとする、矛盾した感情。現に、可能性はあったのだとここで証明されてしまった。


「……もし」


やめろ、やめろ。頭の中で繰り返す。けれど口は勝手に言葉を紡ぎ出して、


「今でも好きだって言ったら……」


失敗した、と思った。何をやっているんだと、馬鹿じゃないのかと自分を責める。今更何がしたいのかと。

ははっ、門崎は『もし』が多いね。

そう笑いながら友来は言う。


「ダメだよ、門崎。俺たちはもう、高校生じゃないんだ」


きっぱりと言い切った声。少しだけ哀しげなその声で、門崎は全てを察してしまった。

付かず離れずだった高校時代。その距離を保っていた、お互いの理由。全てのピースが埋まって完成した、ただの真っ白なパズル。色はもう、抜けてしまったのだ。


俯いて、黙る。今までとは違った耐え切れない沈黙に、先に立ったのは友来だった。


「じゃあ、俺そろそろ帰るね」

「……ああ」


鞄をひょいっと持ち上げてこちらに背中を向ける。グレーのスーツのズボンには抜けた草がくっついていて、少し間抜けだった。


「式、来てくれるよね?」

「……ああ」


去っていく背中を見送って、門崎は堪えていたものを一粒だけ流した。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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