第九章 AEUCの出現、そして暗殺
入院10日目。
「飽きたな」思いのほか長引いた入院生活に雅樹は嫌気が差していた。
風香や葵、そしてあさぎは毎日病院に来てくれるがそれでも病院の飯はまずいし、病室では一人。
外の景色も天気以外変わり映えしない。
ゲームだってほとんど全てやりつくしたし学校から出てくる宿題も適当に済ませている。
肩と首の傷はもう癒えたがわき腹がまだ少し痛んだ。
もう退院してはだめなのかと看護士に聞いたが、まだ痛むうちは絶対安静だと言われてしまった。
あの町での一件以来、EUCがエリア5内に入ってきたという話は聞かないがいつ来るかと心配でたまらない。
「まずいな」病院の朝食を顔をしかめながら食べていると病室のドアが開いた。
食事の手を止め、ドアの方を見た。
いつのまにか知り合いが来るのが楽しみになっていた。
開いたドアの向こうに立っているのは知らない男であった。
しかし、どこかで見たことがある顔だった。
痩せこけた頬に細い目。
目の下にある小さなくまが若干病弱そうなイメージを与える。
一文字に結ばれた薄い色の口が開いた。
「雅樹とは君のことか?」
唐突に質問された雅樹は戸惑いながらも「はい、そうですが」と答えた。
「そうか。俺は鷹原 翔だ。座っても?」鷹原と名乗った男は椅子を指さして言った。
「はい。どうぞ」
すまないなと鷹原は言って椅子に腰かけた。
「ちょっと筋肉痛でね。ずっと立っているのは少々きつい」
「あの、すいません。俺になにかご用が?」
「ああ、そうだった。まずは自己紹介が先だな。俺は東地区エリア5セイバーズ副隊長、鷹原翔だ」
「セイバーズなんですか?しかも副隊長?」
「その通りだ。高校三年生だ。榊とは同じクラス」
「あのなぜあの時いなかったんですか?」
「北の方の町で起きた戦いか?」
「はい」
「別のところで戦っていたんだ」
「別のところ?」
「実はEUCが侵入してきたところはあそこだけではない。北とは正反対の南の方でも同じことがあった」
「え!?」
「原因は分かっていない。バリアには傷一つなく、発生装置も正常に機能していた。聞いてないか?」
「俺はあの戦いが終わった後すぐ入院してそれからはなにも聞いていません」榊も東雲も雅樹が入院したあの日以来、病院には一度も来なかった。
風香になにか変ったことはないかと尋ねても最近セイバーズの本拠地に入ることができず、榊に理由を聞いてもいずれまた入れるようになるの一点張りで、話を聞いてくれないとのことだった。
「そうか」鷹原は椅子の背にもたれかかった。
ひどく疲れているように見えた。
「君は覚えているか?」いきなり鷹原が質問した。
「え?」
「君と俺は前に一度会ったことがあるんだ。覚えていないか?」
「いえ・・・まったく」
「ほら、中学に入ってすぐの頃を思い出せ」
中学に入ってすぐの頃といえば学校の設備に驚いたり葵と出会ったり・・・あとは祖母の死くらいだろうか。
「あ・・・!」思わず声が出た。
「思い出したか?」鷹原はにこにこと笑っている。
その笑顔を見てさらに昔の記憶がよみがえった。
「あの時の・・・」
二年前―――――――――
「はい!では今日はここまで!明日からは通常授業だからちゃんと教科書とかノートを忘れずに持ってくること」元気のいい女の担任が黒板前で言った。
この学校はエレベーターや廊下、一番上の階にあるスポーツアリーナなどの設備はハイテクですごいのに教室にある黒板は祖母の話によればどこの学校もずっと昔から変わっていないそうだ。
雅樹は教室を出て、エレベーターに乗り込んだ。
雅樹の他にも10人ほどのクラスメートが乗っていた。
みんな無言でエレベーター内にはモーターの音だけが響いていた。
無理もない。
みんな初対面なのだからそう簡単に話そうとはしないだろう。
エレベーターが一階に到着した。
全員エレベーターから一斉に降りる。
廊下を歩いていると何かにぶつかられて雅樹は前のめりに転んだ。
「ん?あ!ごめん!急いでて」
「いや別に」雅樹は立ち上がり、また歩き出した。
「怒ってる?」横から声がした。
「怒ってない」
「嘘だ」
「本当だって」雅樹は歩みを止めた。
止まらざるをえなかった。
男子生徒が前方に立ちふさがったからだ。
「・・・なに?」
「お前、怒ってる!」
「言ったろ。怒ってないって」
「嘘だね。口調が単調で感情がこもってないもん」
「こういう話し方なんだよ」
「ちゃんと謝ったんだから許せよ!自意識過剰って言われるぞ」
「使い方間違ってるよ」
「え」
「全然違う」
「わざとだから」
「そうか。まあいい。どけよ」
「やだ」
雅樹はだんだん腹がたってきた。
こいつはそんなに俺の帰宅を邪魔したいのだろうか。
「もう一回言うぞ。そこからどけ」
「パードゥン?」
雅樹はそれを聞いて笑い出してしまった。
こいつ、覚えたての英語を使いやがった。
へたくそな。
すこし腹立たしい言い回しではあるけど今のは傑作だ。
まさかそう来るとは。
「なに笑ってんだ?」
「いや、すまん。お前がちょっとおもしろくて」
「変な奴」
「お前に言われたくない」
「名前」
「ん?」
「名前教えろって」
「まあいいか。俺は水沢雅樹」
「俺華松」
「下の名前は?」
「・・・」
「おい?」
「葵」
「あおい?」
「そう」
「ふーん。珍しい名前だな。でもなんか綺麗な感じがする」
「本当か?女みたいじゃないか?」
「全然。でもお前の性格とそぐわない」
「失礼な奴だなあ」
「クラスは?」
「3」
「俺もだ」
「じゃあクラスメートか。よろしくな。俺ちょっと用事あるからもう帰る。明日な」
葵は廊下を走って行った。
雅樹も歩き出し、玄関へと向かった。
祖母に入学式を見てもらいたかったがもう今となっては無理な話だ。
祖母の死により現在雅樹の心の中は心底暗く、クラスに馴染めるか不安であった。
あの葵とかいうやつはそんな気も知らずに気安く話しかけてきたが雅樹にとってはそっちの方がよかった。
家に帰ってもあの優しかった祖母は『おかえり』とは言ってくれないのである。
ただ居間の仏壇の上の写真の中でにっこりと微笑んでいるだけだ。
そんなことを考えていると歩きながら泣きそうになった。
泣きたい時は泣けと言う連中もいるが雅樹は泣きたい時も別に泣きたくない時も基本、涙は流さないと祖母の葬式で決めた。
他人に弱みを見せるのはどうも苦手で、一人の時も自分自身の弱みを自分に見せるのも好きではない。
人は必ず死ぬのだからそれを乗り越えなければ成長もなにもないだろう。
学校から外に出ると雅樹の目の前を桜の花びらがひらひらと舞った。
人々の足で、散々踏みつけられた桜の花びらを見ながら、歩いて家へと向かう。
数十メートル進んだ時だった。
「おーい!待ってくれ!」不意に後ろから声がした。
振り返ると一人の男がこちらに向かって走ってくる。
服装から察するに雅樹と同じ学校の生徒だ。
その男は雅樹の前で止まり「これ」とカードを差し出した。
それは学生証だった。
水沢雅樹と名前が入力されている。
「ありがとうございます」と言い、雅樹はそれを受け取った。
「君は一年生か?」
「はい」
「ならそれ、大切にしないとな」
「すいません」
「まあ、今度から落とすなよ」男は笑顔でそう言うと来た道を戻って行った。
なんだか印象に残る笑顔だった。
「変な奴」一人つぶやき、雅樹は再び歩き出した。
彼が通った後もなお、桜の花びらは舞い続けていた。
「ありがとうございました。あの時は」
「いやいや、当然のことをしたまでだよ」
「なんか短い時間だったのに印象に残ってるんですよね。あの顔が」
「よく言われるよ。お前の顔はどこか印象に残る要素があるとね」鷹原は笑った。
「怪我は大丈夫か?」
「ええ、だいぶ痛みもひきました」
「なら良かった。ああ、それとひとつ君に頼みがあるんだが聞いてもらえるか?」
「なんですか?」
「君が見たあのスポーツアリーナに現れたEUCのことだ。セイバーズの本拠地が今閉鎖中なのは知っているか?」
「はい。聞きました」
「その理由は高校三年のセイバーズが集まってスポーツアリーナに現れたあいつについて研究をしているからなんだよ」
「具体的にはどんな?」
「まあ、研究と言ってもまったく進歩がないのだが主にあのEUC、我々はあいつをAEUC(アブノーマル・エレクトロン・ユニオン・クリーチャー)と名付け、それと通常のEUCの関係を調べている」
「なるほど・・・」
「そこで君にも協力してほしいんだ。AEUCと対峙したのは君だけだからな」
「俺がですか?」
「そうだ。これまでは精神的にショックを与えてはいけないと質問するのはやめていたんだが、どうもそうは言ってられなくなった」
「なぜです?」
「別のエリアでまたバリアが破られた」
「それは、その、本当ですか?」
「もちろんだ。だから君に協力してほしいんだ」
「わかりました」
「ありがとう。ではまず最初にAEUCの体の特徴を教えてほしい」
「俺が剣を刺そうとしたときにまったく刃が通らなかったです。体の表面は非常に硬いと思われます。さらに、体が大きく四本の脚には鋭くて大きな爪が生えています。巨体の割には俊敏に、しかも静かに動きます。
サーベルタイガーの犬歯のような牙が口から伸びていてそれに刺されば確実に命はないと思います。
後、フォーカスを変化させてEUCを生成することができます。それと・・・」
「ちょっと待ってくれ。フォーカスを変化させてEUCを生み出すだと?」鷹原はメモの手を止めた。
「はい。具体的にはフォーカスがAEUCの中で分裂してそのひとつが外に出てきてEUCに姿を変えました」
「本当に生み出したのか・・・」
「この目で見たので確かです」
「ありがとう。かなり有力な情報だ。俺はこれで帰る。君はしっかり休めよ」
「ありがとうございます」
「じゃあな」鷹原は病室を出て行った。
しかし、セイバーズの本拠地が閉鎖中とは。
榊隊長の意図がわからない。
「バタン!」突然、病室のドアが勢いよく開いた。
雅樹は飛び上がった。
ドアの向こうには息を切らして膝に手を当て、ゼーゼー言っている葵の姿があった。
「お前かよ・・・びっくりした・・・」
「おお、雅樹・・・俺さ・・・すごいことに・・・気が付いた」息が切れて言葉が続かないようだった。
「息整えてから話せよ」雅樹は葵を椅子に座らせた。
しばらくゼーゼー言っていたが、しばらくして「よし、いける」と言った。
「お前が遭遇したあの変なやつ」
「AEUC?」
「アブノーマルイーユーシい?なにそれ」
「その変なやつの名前」
「ああ、なるほどな。で、そいつについて少し調べてみたんだ」
「ふーん。あんま期待できないけど聞くだけ聞く」
「まず最初に俺は事件現場を調べた。セイバーズが調査してたけどなんとか忍び込んで事件現場をくまなく調べた。そして見つけたのだ!」
「なにを?」
「これだ!」葵はズボンのポケットから携帯を取り出し、なにやら操作をして画面を雅樹に向けた。
そこには地面が映し出されていた。
しかし、中央が黒くなっている。
「ああ・・・!これあの時の」
「そう!あの街だよ」
あの街とは風香と雅樹が訪れたエリア5の中心都市だ。
あの街に行った帰りに爆発音が聞こえ、音がした方に行くと雅樹と風香はEUCに襲われた。
その時は東雲が助けてくれたものの、彼がいなければ二人とも噛み殺されていただろう。
そしてこの地面が黒くなっている部分は爆発物があったところと思われる。
「この黒い跡ってさ、なにかが爆発したってことだろ?つまり、その時の爆発のときになにかが起きてEUCがでてきたんだよ!」
「そのなにかってなんだ?」
「そりゃあ、わからん」
「わかんないのか」
「そこまで詳しくは調べられない。でもな、もうひとつ見つけた」
「AEUCのことか?」
「うん。えっと、まずあいつはでかい」
「知ってる」
「それと、ネットで調べたからウソかホントかわからないけど5年前もあいつが出現してる」
「なんだと?」
「その時もバリアに異常はなかったって。でも現れたところが市街地から大分離れた森の中だったから一般市民に怪我はなかったらしい」
「なんで5年後にまた出てくる必要があるんだ?」
「知らねえよ」
もし葵の言っていることが本当だとするとAEUCは5年も前から存在していたことになる。
それがどういうことなのか雅樹にはわからなかった。
5年前と言えば雅樹が10歳の頃だ。
東雲も榊も鷹原もセイバーズにはまだ入隊していない頃。
「ああ、それともうひとつ大事なことを言い忘れてた」葵が唐突に口を開いた。
「なんだ?」
「俺と雪代さんもセイバーズに入ることになった」
「おいおい、冗談きついぞ」
「マジだって。榊隊長に入隊希望書出したらオッケーだった」
「俺と風香の時は公園に呼び出されてなんやかんや言われたのに」
「二人とも運動神経がいいとかで」
「ああ、そういえばお前って50メートル6.9とかだっけ」
「6.8な」
「変わんねえよ」
「雪代さんだって速いぞ」
「何秒?」
「7.2」
「嘘だろ。速すぎるだろ」
「榊隊長もそう思ったのか、試に50メートル走らせてた。7.2だった」
「俺より速い」
「まあそんなわけで入れたのだ。お前というコネもあったけどな」
「俺?」
「榊隊長が雅樹の友人なら彼も心強いだろうって」
「それコネっていうのか?それに別に心強くないしな」
「照れるなって」葵が雅樹の頭にぽんと手を置く。
雅樹はそれを振り払い、「いいから帰れ」と言った。
「はいはい。じゃそういうことだからよろしくな」と葵は言って病室を後にした。
再び一人になった雅樹は携帯を取り出してインターネットブラウザを開き、『5年前 EUC 事件』と検索をした。
いろいろなサイトが出てきた。
その中に『他のEUCとは違うEUCがいた』という記事を見つけ、そのサイトに入った。
内容はこうだ。
『エリア7西地区のセイバーズ隊長である、石川 健太氏は今日のバリア突破事故についてこう語った。「我々エリア7西地区のセイバーズはバリアが突破された北地区へと向かい、そこで他とは違う風貌のEUCがバリア内を徘徊していたところを目撃した。そのEUCは二本の長くて鋭い牙を口から生やし、体は大きく、まるでサーベルタイガーのような姿であったが顔は狼のように細かった。そいつは我々を見ると森へ消えて行った。後を追ったが逃げられてしまった。その後、バリアの損傷部分を探したが不思議なことにどこにも破損したところは見られなかった」彼の言っていることが正しければ、そのEUCはバリアに傷一つつけずにバリアを突破したことになる。このことからセイバーズ総合委員会は石川氏が見たというEUCは今後、バリア内の住民の脅威になると判断し、これからも警戒を強めていくとのことである。しかし、EUCには稀に亜種がいることがある。その亜種は他のEUCと違い、体のつくりが弱くすぐ消滅してしまうとされている。今回出現した亜種も同じような体の構造ならばすぐに消滅する可能性が高いため、あと数週間して再度出現しなければ危険性は低いと思われる。 2045年 10月6日』
「何見てるんですか?」突然、頭上から声がした。
「わっ!」
「あ、すいません!驚かせちゃいました?」
「なんだ、あさぎか・・・かなりびっくりした」
「すいません」ベットの横にはあさぎが立っていた。
「何見てたんですか?」
「ああ、いやなんでもない」
「そうですか・・・えっと私もセイバーズ入ることになったって今日は伝えに来たんですけど」
「葵から聞いたよ。7.2秒だっけ?50メートル」
「ええはい、まあ」あさぎは照れくさそうに言った。
「怖くないのか?」
「怖いことには怖いですよ」
「なんで入ろうと思った?」
「なんというか、水沢君とか風香とか他の隊員さんが戦ってるところを見てかっこいいと思って入りたいなあと」
「EUC、怖いぜ」
「知ってますよ」
「まあでもあさぎが入れば葵が喜ぶ」
「なぜです?」
「あいつ、風香とあさぎのこと好きみたいだからな」
「え、本当ですか?」少し笑ってあさぎが言った。
「さあな。でもたぶんそうだと思う。あんまり人に言うなよ」
「わかりました。ああ、それと言い忘れてましたけど私、三組になりました」
「おお、同じクラスか」
「よろしくお願いします」
「おう。後さ、セイバーズの本拠地ってまだ閉鎖中なのか?」
「ええ、まだ閉まったままです」
「いつ開くとかわかる?」
「まだ私にも風香にも葵君にもわかりませんね」
「なんで閉鎖してるんだ?榊隊長は一体何を考えてる・・・」
「そんなこと入院してる人が考えちゃだめですよ。今はゆっくり休んでください」
「まあ、今考えてもどうにもならんな」
「そうですよ。私は用事あるので帰ります。ちゃんと寝てはやく戻ってきてくださいね」
ドアを閉める音がした。
雅樹は再び携帯を開いた。
五年間やつは生きている。
そしてまた出てきた。
なにかある。
まだ俺たちが知らない何かがきっとある。
雅樹は目をつむった。
ともかく今は怪我を治すんだ。
目が覚めると朝の7時だった。
窓から鳥のさえずりが聞こえた。
夢を見たかと思い出そうとしたがなにも思い浮かばなかった。
深い眠りだったようだ。
病室のドアが開いた。
看護士が朝食を運んできた。
「はい、水沢さん。朝食です。ちゃんと食べてくださいね。昨日、夕食運んできた時は良く眠っていたから起こさないでおいたんですよ」
「ああ、そうだったんですか。すいません」
「いえいえ。それじゃ私はこれで失礼します」
またまずい病院の朝食か。
募る嫌悪感を抑え込み、空腹を満たそうと病院の朝食を口に運ぶ。
おかゆは冷たく、ぐちゃっとした食感だ。
味噌汁も同様に冷たい。
顔をしかめながら食べすすめ、全て完食して携帯をいじっているとある考えが雅樹の頭に浮かんだ。
そういえば最近、運動をしていない。
退院すればセイバーズに戻るのだから今のうちに少しでも体を動かしておいた方がいいのではないか。
いきなり激しく体を動かしてまた怪我をするのはごめんだ。
雅樹は横腹に少し触れた。
次にベットから足を出して、立ち上がった。
無論、この入院している間に一度もベットから出たことがないわけではない。
しかし、今回は遠出するつもりだった。
雅樹は病室のドアを開けて外に出た。
どこに行こうか。
この病院は広い。
下手したら迷うほどだ。
まあところどころに地図は設置されているので大丈夫だろうが。
雅樹は東に進むことにした。
とりあえず東に進み、三個目の階段で下に降りるつもりだった。
三個目の階段まではかなりの距離があった。
途中で病人が集まる広場のようなところを通った。
ほとんどが老人だったがみな楽しそうに何かを話していた。
廊下では看護士とも何度かすれ違った。
みな愛想よく挨拶をしてくれた。
まもなく、階段につき、二階へと下って行った。
二階も三階と同じような感じだった。
広場があり、病室があり、看護士が忙しそうに歩き回っている。
自動販売機があったので雅樹は休憩しようとコーラを一本買い、日当たりのよさそうな場所を探した。
二階にある広場はどこもたくさん人がいて座るのは無理かと思ったが、二人の男性の老人の間がひとつだけ空いていたのでそこに座ることにした。
腰かけようと椅子に近づくと右隣の老人が少し右に寄った。
「あ、どうも」と軽くお礼を言い、腰かけた。
左を見ると、杖におでこを乗せて居眠りしている老人がいた。
コーラを開け、一口飲んだ。
そういえばコーラなんてここ最近飲んでなかったなと思いながら炭酸が口の中で弾ける感覚を雅樹は楽しんだ。
しばらく座っていると左の方から声がした。
「池田さん。起きてください。お孫さんがいらっしゃってますよ」
「・・・は?」どうやら池田さんは起きたようだ。
「孫?優太か」
「違いますよ。それは池田さんの弟さんでしょう?花ちゃんですよ・・・あ、ほら来ましたよ」遠くの方から「おじいちゃーん!」と叫ぶ女の子の声が聞こえた。
雅樹が声のした方を見ると、小学生くらいの女の子がこちらに走っている姿が見えた。
女の子は池田さんの目の前で立ち止まった。
「おお、加奈か。よく来たね」
「違うよ。私の名前、花だよ。おじいちゃん、病室戻ろう。お母さんとお父さんもそこで待ってるから」
「行こうか」池田さんはそう言って立ち上がり、孫と一緒に病室へ帰って行った。
後から看護士が追って行った。
「全く、やかましいな」不意に右隣から声がした。
「え?」声の主は先ほど右にずれてくれた、老人だった。
「あのガキとじいさんだよ」
「そうですか・・・?」
「他のところでやればいいものを」
「はあ・・・」雅樹はなんと返したらよいのか分からなかった。
「お前さん、なんでこんなところにいる?」
「怪我してて」
「なんでだ?」
「ちょっと、その、EUCと戦って・・・」
「EUC?」
「はい。俺セイバーズの隊員で」
「セイバーズか・・・」老人は遠くを見るような目をした。
「俺もそうだった」
「え?セイバーズだったんですか?」
「高校一年生から三年生までな」
「隊員の一人だったんですか?」
「まあ、今のお前たちのようにEUCとは戦わなかったがな」
「え?それじゃあ、何を・・・」
「今となっては誰も信じる者はいなくなったが、俺たちはある研究をしていた」
「研究ってなんですか?」
「他言無用だぞ。いいな?」
「はい」
「俺たちは圧倒的なEUCの力にどう打ち勝つかを考えていた。それである日、人体を飛躍的に活性化させるにはどうしたらいいかを考えたんだ。その結果・・・」突然、老人が広場にあるテレビを見た。
「どうしたんですか?」
雅樹が訪ねても老人は黙ってテレビを見つめるだけであった。
雅樹もテレビを見た。
緊急ニュース速報のようだった。
なにかあったのだろうか。
テレビに一番近い入院患者がテレビの音量を上げた。
「・・・もう一度繰り返します。今日の午前10時頃、第500地域の西地区にて殺人事件が発生しました。
殺害された男性は西地区に住む、会社員の男性で財布に入っていた免許書から石川健太氏であることが確認されました。石川氏は学生時代、優秀なセイバーズの隊長で卒業後は大手電気メーカーに勤めていたとのことです。調べによると、石川氏の後頭部には銃弾が一発入っていたとのことです。目撃者の証言によると銃声らしき音は聞こえず、石川氏が突然、倒れたので声をかけてみたが反応がなく救急車を呼んだということです。
警察は遠くからスナイパーライフルのようなもので撃たれた可能性が高いとみて捜査をしています」
石川健太。
雅樹はその名前をもう一度、頭の中で言った。
「おい、お前」老人が雅樹に声をかけた。
「これを」老人が雅樹に手渡したのは古いカードキーだった。
「これは・・・?」
「いずれ使う時が来る」老人はそれだけ言うと去って行った。
「待ってください!」雅樹が呼び止めようとしたが老人は早歩きで階段を昇って行った。
雅樹は渡されたカードキーを見つめた。
特に変わったところはない。
いたって普通のカードキーだ。
バーコードがついている。
旧型のようだ。
いずれ使う時が来ると老人は言った。
そしてつい先ほど、石川健太が暗殺された。
雅樹はもう一度、テレビを見た。
そこには午後の天気が表示されていた。
雨が降るようだ。
ニュースはいつも通りに進行していた。
病院内はいつもと変わらず、看護士が忙しく歩き回っていて広場には老人がたくさんいた。
雅樹は自分の病室へ帰ることにした。
心に大きな疑問を抱えて。
なぜ、石川健太は暗殺されたのか。
あの老人が言っていた『研究』とは一体なんだ?
雅樹には見当もつかない大きな『闇』が動き出そうとしていた。
それは夜の闇より深く、冷酷なものだった。
それに雅樹が気づくのはまだ先のことだ。
老人は自分のベットに入った。
午後から降り続けている雨が病室の窓を打っていた。
「おい」不意に後ろから低い男の声がした。
「来たのか」老人は窓を見たまま言った。
「予想はついていたんじゃないのか」男は言った。
「やつの差し金だな」
「口に気をつけろ」
「知ったことか」
「残念だが」男はポケットに手を入れた。
「あなたには死んでもらわないとならなくなった」男がポケットから出した右手には注射器が握られていた。
「そうはいかん」老人がベットから立ち上がり、あらかじめ持っていたナイフを男に向けた。
「抵抗はするな」
「出ていけ。この病室から」
「そうはいかない。あなたを殺さないと俺が殺られる」
「俺以外にもいただろう。あいつらはどうなった?」
「全員死んだ」
「俺はそうはいかないぞ」
「セイバーズ時代に一度もEUCと戦わなかったあんたがどうやって俺を防ぐ?年は隠せないもんだぜ」
「出て行かないと俺がお前を殺す」
「死が怖いか?」
「怖くはない。だが、俺が死ねばもうお前らに抵抗する術がなくなる」
「おいおい。勘違いするなよ。俺たちのやってることはあんたが思ってるほど悪いもんじゃない」
「消えろ」
「それより、あんた点滴してるんだな」男がにやりと笑った。
しまった。
老人がそう思ったときは遅かった。
男は点滴に注射針を突き刺し、液体を注入した。
「あばよ。じいさん」男は病室から去った。
「待て・・・」老人は声を出そうとしたがめまいがして老人は倒れた。
点滴を外そうとしたが激しい頭痛がして、思わず頭を押さえた。
次に血を吐き、激しくせき込んだ。
だめだ・・・死ぬ・・・
老人は悟った。
体から力が抜け、床に倒れた。
薄れていく意識の中で老人は思った。
昼間の坊主が頼みの綱だ。
あれを渡したのだからまだ勝機はある。
冷たくなっていく老人の体が病室に横たわっていた。
雨は激しさを増した。
病室の窓にぶつかる雨音はだんだんと大きくなっていった。