第八章 何度傷つこうとも立ち上がる
森の空気がひんやりと冷たい。
自分の荒い息だけが聞こえる。
急いでいたので足には何も履いていない。
町からこの森まで裸足で走ってきた。
道中で落ちていた小枝が足の裏に刺さって血が出ている。
町の人が全員出て行った時に気づけばよかったのだ。
やつらが来ると。
家から持ってきたリュックから携帯を取り出そうとした。
その時リュックから何かが落ちた。
少女はそれを拾い上げ、じっと見つめた。
学生証である。
生徒氏名の欄に記された名前。
雪代あさぎ。
明日からエリア5東地区中高学校に転校することになっている。
白い肌にきゅっと一の字に結ばれた口。
可愛らしい目は今は森に潜むものを見逃さんと細められている。
小さな鼻は森の匂いに反応し、時折ピクッと動く。
細いきれいな形の眉はしかめられている。
遠くから地響きのような足音がした。
あさぎは走り出した。
足の裏がずきずきと痛んだが、今はあの木の影に隠れている暇はない。
見つかれば殺される。
ぴんと張りつめた空気にあさぎの荒い息が響き、どんどんと心臓の鼓動が早くなる。
だんだんと足音から遠ざかってきた。
あさぎは走るのをやめた。
胸が苦しくハアハアと息をする。
すると、前方からさっきの足音と同じような音が聞こえてきた。
恐る恐る音のする方を見ると、無数の赤い目が光っていた。
こちらに向かってくる。
とっさに大きな木の根元の空洞に身を隠す。
次の瞬間、無数の獣の、EUCの足があさぎの目の前を通過した。
ドドドドという大きな音がする。
あさぎは目をつむり見つからないことだけを祈って音がやむのを待った。
数十秒ほど経過し、音がやんだ。
あさぎはそっと空洞から出た。
ほっとし、息を深く吸う。
空を見るとだいぶ暗かった。
このままでは危険だ。
不意に町の方から叫び声が聞こえた。
人ではない。
EUCのものだ。
立て続けに無数の悲痛な叫び声が聞こえる。
まさか、誰かが戦っている?
あさぎは森を町に向かって歩き始めた。
もし誰かいるとすれば助けてもらえるかもしれない。
途中で獣がいないかどうか木の陰に隠れて確認しながら移動した。
あさぎには武器などなにもない。
襲われれば対抗する術がない。
移動は慎重にしなければならなかった。
とその時、右側から先ほどと同じ地響きのような足音がした。
「また・・・?」あさぎは木の陰に隠れ、息を殺して足音が通過するのを待った。
しばらくして足音が町の方へと遠ざかっていった。
あさぎは走り出した。
もう怖くて怖くてたまらなかった。
誰かに助けてほしい。
ただただそう願った。
冷たく暗い森を町に向かって走り続けた。
足の裏が先ほどよりも強く痛んだ。
だが止まれない。
恐怖心があさぎを動かしていた。
もうすぐ町につくはずだ。
すると次は大勢の人の声が聞こえてきた。
「援護しろ!後ろ気をつけろ!」という声や、「銃貸せ!俺が潰す!」という声も聞こえた。
EUCの雄叫びもたびたび聞こえた。
あさぎは木の裏に隠れ、そこから町の様子をうかがった。
そこには何人もの白に黒のラインが入ったスーツを着てヘルメットをかぶった人たちとEUCが戦っていた。
スーツの人々は銃を使って戦っていた。
「どうしよう・・・」あんな争いの中に助けてくださいなどと言って入っていけばすぐに死ぬだろう。
あさぎは思い出した。
確か東の方にも町と隣接している森があったはずだ。
そこからなら逃げることができるかもしれない。
行動を開始しようとしたその時だった。
木の根に躓き、あさぎは戦場の前へと転んでしまった。
一匹のEUCが凶悪な牙をむき、あさぎを睨む。
あさぎは逃げようとしたが体が動かない。
涙だけが頬を伝って流れ落ちる。
「だれ・・・か」声を出そうとするがうまくいかない。
EUCがゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「たすけ・・・て」まだ声にならない。
EUCが走り始める。
「誰か助けて!」やっと声を絞り出す。
EUCが口を開き、空中に飛び上がった。
牙がギラリと光る。
その牙は紛れもなくあさぎの喉元を狙っていた。
足音が次第に大きくなっていく。
それと共に雅樹の心臓の鼓動も大きく早くなる。
槍を持つ右手が震える。
ふうと大きく息を吐き、その後に深く息を吸った。
目をつむる。
森から響く足音も雅樹の心臓の音も周りの仲間たちの荒い息遣いも目をつむると強く感じることができた。
絶対に負けない。
スポーツアリーナで見たあの光景が脳裏によみがえる。
あの辛い記憶こそ今の雅樹の原動力となっていた。
「き、きた・・・」隣に構えていたセイバーズ隊員のおびえた声を聞き、雅樹は閉じていた目をゆっくりと開く。
森を見る。
木々の間からEUCの体が見えた。
榊の声が聞こえる。
「全員、盾を持っている手に力をこめろ。やつらがきた」
ぴんと空気が張りつめる。
その瞬間、ドドドドという大きな音と共に森の中からEUCの群れが現れた。
目がギラリと光り、口からは凶悪な牙がのぞいている。
榊の声が今度は頭の中ではなく前方から響く。
「一班は盾の間から槍を構えろ。EUCが近づいてきたら突け」
雅樹は言われた通りにした。
EUCが盾をひっかき始めた。
雅樹はEUCの腹に向けて正確に槍を突いた。
フォーカスが砕け散り、EUCは消えた。
「よし!」思わず声が出る。
四方八方からEUCに攻められているが全員完璧な槍さばきで次々とEUCを倒していった。
榊の指示もうまく通っているようでEUCの数がどんどん少なくなっていく。
これなら盾の耐久値が尽きるまでにすべてのEUCを倒せるかもしれない。
雅樹も他の隊員に負けじと夢中で槍を突いた。
盾での防御も忘れない。
ひっきりなしに聞こえていたEUCの叫び声がぴたりと止んだ。
「やったか・・・?」となりの隊員がぽつりと言う。
榊の声が頭に響いた。
「全員盾の防御を解除しろ」雅樹は盾を構えるのをやめた。
盾で囲まれた四角形から出るとEUCの気配は全くなかった。
「勝った・・・?」雅樹が一言言うと、後ろから「よし!勝ったぞ!」という歓喜の声が湧き上がった。
ハイタッチをする者や仲間内で笑い合っている者がたくさんいた。
雅樹も自然と顔がほころんだ。
勝てたのか・・・俺たちは守れたんだ。
エリア5を。
安心感と喜びで胸がいっぱいになる。
案外簡単にエリア5への侵攻を防げた。
死人どころか怪我人さえもいない。
全員のチームワークで勝ち取った勝利だ。
後は帰るのみ・・・
ドドドド・・・森から足音がする。
もうすぐそこだ。
「まさか・・・また・・・?」
歓喜の声が一瞬にして消える。
あたりが緊張感に包まれる。
森をじっと見つめる。
木々の間に何かが光った。
その瞬間、「陣形をもとに戻せ!また来るぞ!」と榊が叫んだ。
森からEUCの顔がのぞいた。
先ほどよりも多い。
雅樹は盾を構え、陣形を立て直そうとした。
だが、陣形の形が元に戻るよりもEUCの方が早かった。
まだ形になっていない陣形に容赦なく突っ込んでくる。
EUCが雅樹に飛びかかる。
盾で防いだものの先ほどの戦いで盾がダメージを受けていたのか瞬時のうちに消え失せる。
「乱戦だ!全員戦え!これより先に行かせるな!」榊の声が響く。
雅樹は短刀を装備し、襲ってきたEUCの腹に突き刺した。
フォーカスが砕けてEUCが消えた。
後ろで小枝が折れる音がした。
反射的に振り返る。
EUCが飛びかかってきた。
爪をかわし、腹を深く斬る。
EUCが地面に転がる。
だが止めが刺せない。
二匹目が襲い掛かってきたからだ。
首にむけて短刀を一気に振り下ろす。
EUCの首が吹き飛ぶ。
雅樹は走り出した。
とにかくどこかに身を隠さねばならない。
大きな木を見つけ、その裏にまわる。
パンパンという銃声が何度も何度も聞こえた。
木の裏から様子をうかがった。
ひとりの隊員が倒れている。
雅樹は近づき、「大丈夫ですか?」と声をかけようとして顔を見た。
「・・・!」隊員の目は大きく見開かれ、口は少し開き、そこから血が流れていた。
喉には噛みつかれた後がある。
そこからも血が大量に出ていた。
彼は死んでいた。
喉を噛み千切られ、出血して死んでいた。
雅樹は顔を上げた。
目の前で「やめろ!」と叫び、目には恐怖の色が浮かんでいる隊員が三匹のEUCに襲われていた。
手と足から血を流し、銃は持っていなく抵抗しようがないという感じだった。
一匹のEUCが喉元に噛みついた。
隊員は「あ・・・!」という短い声を出し、口から血を流す。
そのまま魚のように口をわずかに動かし、目を見開いたまま息絶えた。
EUCは喉から口を離し、次の獲物を探しに行った。
雅樹は立ち上がり、戦場の様子を見た。
血が地面に飛び散っている。
先ほどまで生きていた隊員の亡骸が大量に転がっている。
まだ勇敢に戦っている隊員もいる。
視界がぼやけた。
涙があふれる。
恐怖で動けなかった。
本当の戦闘とはこういうものなのか?
誰かが絶対に死なないとならないのか?
さっきまで生きていた人間の命が一瞬にして奪われなければならないのか?
スポーツアリーナで見た光景がまた浮かび上がる。
「これじゃ、同じじゃないか・・・あの時と・・・」雅樹の涙が頬を伝って地面に落ちる。
必死に死ぬまいと戦っている隊員たち。
歯を食いしばりEUCに向けて銃を放つ。
今まさに殺されようとしている隊員たち。
死に対する恐怖が目ににじみ出ている。
ぐらりと首が揺れ、息絶える。
死んだ隊員と目があった。
「ごめんなさい・・・もう誰も死なせないと言ったのに」一言つぶやき、涙をふく。
今ここで泣くのは無意味だ。
戦わなければただ死ぬのみ。
そんな時、死んでいった仲間たちにどう言い訳をする?
目の端にEUCの姿が映る。
足に怪我を負っているようだ。
「殺す・・・!」雅樹は手に持った短刀を強く握りしめ、そのEUCに向かって走った。
EUCを蹴り飛ばし、地面にたたきつける。
EUCの体を抑え、雅樹を見て牙をむくその顔に雅樹はぐっと自分の顔を近づけた。
「てめえのせいで死んだ・・・仲間が・・・だから悪いけど」EUCの腹に短刀を深く刺す。
苦痛でEUCが呻く。
「ここで死んでくれ・・・!」フォーカスを短刀で刺し、砕く。
EUCが消える間際、雅樹は相手の目に確かな恐怖を感じ取った。
「次だ・・・」目に留まったEUCを殺そうとして一歩踏み出した瞬間、「誰か助けて!」という声を聞きとった。
声がした方を振り返る。
そこには少女がいた。
座っている。
その少女の目線の先にEUCがいた。
EUCが飛びかかった。
だが今から走って短刀を刺そうとしても間に合わない。
「くそっ!」雅樹はとっさに短刀を投げた。
短刀はまっすぐに飛んでいき、EUCのフォーカスを貫いた。
EUCの爪が少女に触れるかというところでEUCは消えた。
雅樹は少女のもとへ駆けていき、「大丈夫か?」と声をかけた。
少女は無言でただ泣くだけであった。
雅樹はあたりを見回し「ここじゃ危なから移動しよう」と言ってEUCとセイバーズが戦っている戦場を後にした。
木の影に少女を連れて行き、座らせた。
「名前は?」と雅樹は尋ねた。
「雪代あさぎ」と少女は短く答えた。
まだ少し泣いていたので雅樹は落ち着くまで待った。
しゃくり声が聞こえなくなると「落ち着いた?」とあさぎに聞いた。
「さっきよりは」あさぎは答えた。
「ここの町の子だよな?」
「はい。いきなりEUCが入ってきてとっさに森へ逃げたんです」
その時、セイバーズの隊員が放った銃弾が雅樹とあさぎが隠れている木に当たった。
「ここじゃ危ないな。移動しよう」雅樹は立ち上がり、あさぎの手を取って立たせた。
今戦っている場所は森への入り口付近だ。
それなら逆の方向にある町のはずれまで行けば安全かもしれない。
雅樹は「ついてきて」とあさぎに言って目的地まで走ることにした。
「どこへ行くんですか?」
「町のはずれ。そこまでいけば安全かもしれん」
木から数メートル移動した時であった。
三匹のEUCが二人を見つけ、走ってきた。
「こんな時に・・・」
「ど、どうすれば?」
「隠れろ。どこか見つからない場所に」雅樹がそう言った瞬間、一匹のEUCが飛びかかってきた。
「っ!」雅樹は瞬時に短刀を作り出し、EUCの腹に倒れこみながら突き刺した。
フォーカスを一発でとらえたようでバキッと音がしてEUCは消えた。
また一匹が飛びかかってくる。
次は爪の一撃を短刀で受け、腹にもう一方の短刀を刺した。
しかし、フォーカスからはかなり離れていてEUCは一旦地面に着地し再び雅樹に・・・いや、あさぎに飛びかかった。
「くそっ!離れろ!」雅樹はあさぎの上に乗っかっているEUCに短刀を突き刺そうとした。
しかし、背中に激痛が走り雅樹は地面に突っ伏した。
あさぎは腕で体を守ろうとしていたがその腕にEUCの爪が襲いかかる。
あさぎの腕に三本の爪の跡が残り、そこから出血し始めた。
「痛い!痛い!」あさぎはそう言ったかと思うと次に大きな悲鳴を上げた。
あさぎの左腕からは大量の血がほとばしり、地面は赤く染まった。
肩に激痛が走る。
「くっ!」EUCが雅樹の肩に噛みついたのだ。
雅樹の肩からも血が流れ出した。
雅樹は短刀を手に作り出した。
腕に渾身の力をこめ、腕をぶんと振った。
短刀はあさぎを襲っているEUCのフォーカスに命中した。
EUCは消えた。
あさぎはぐったりとしている。
わき腹にまたもや激痛が走った。
「うぐっ!」EUCが噛みついている。
そこから激しく出血し始めた。
「やめ・・・やめろ・・・」左手に持った短刀を力なく、EUCの背中に突きつける。
痛みで気が遠くなっていった。
腕にも力が入らない。
「ちくしょう・・・」死ぬものかという意思が雅樹の心を満たした。
しかし、体が動かない。
EUCがわき腹から口を離し、雅樹の喉元に顔を近づけてくる。
短刀を作り出そうとしたがどうやってもうまくいかない。
イメージができない。
EUCの冷たい牙が雅樹の喉元に触れる。
そしてゆっくりと雅樹の喉の中に侵入してきた。
雅樹は目を見開き、痛みに叫ぼうと口をあけたが声が出ない。
死ぬのか・・・そう思った時だった。
EUCが突然、空中へ飛んだ。
地面に落ちると、上空から足が落ちてきてEUCを踏みつぶした。
雅樹は目を開けた。
そこにはこれまで雅樹が倒してきたEUCとは全く違う体の大きい二本の長い牙が口から生えたEUCが長い爪を備えた四本の足で立っていた。
紛れもなく、スポーツアリーナで雅樹が見たEUCであった。
「てめえ・・・よくも・・・」雅樹はなんとか自分の足で立ち上がった。
雅樹にもなぜ立てるのかわからなかった。
肩にも背中にも喉にもわき腹にも痛みは感じていた。
だが雅樹はそのEUCをまっすぐに見据え、両手には短刀を持っていた。
「グルルル・・・」そのEUCが静かに唸る。
するとEUCのフォーカスが小刻みに震えだし、分離した。
そのフォーカスは体から外に出ると地面に着地し、形を変え始めた。
四本の突起が現れ、長く伸びる。
獣の足のような形になり、地面に立った。
二つの突起ができ、徐々に形を変えて頭と尻尾になる。
その形はEUCそのものであった。
頭についた目がゆっくりと開き、雅樹を一瞥して戦場へと走り去っていった。
「お前か」雅樹が血が滴る口を開いた。
「お前は忘れたろうがお前と俺はスポーツアリーナで一回会ってるんだぜ。その時お前は俺の友達を踏みつぶしてたよな。あれ以来お前を忘れた日はない」EUCはおとなしく聞いていた。
雅樹はわき腹に目をやった。
白いエレクトームスーツの奥から血がどくどくと流れている。
首に触れると手にはべっとりと血が付いた。
足もズキズキと痛む。
肩は真っ赤に染まっていた。
そんな体でも雅樹は地面にしっかりと立ち、短刀を握りしめ体の大きさが雅樹の倍以上もあるEUCを睨みつけていた。
立てないはずの体を動かしているのは雅樹の中にある強い意志であった。
雅樹は体を低くし、戦闘態勢になった。
「お前はここで死ぬ」一言言って雅樹はスラスターで上空へと飛んだ。
スラスターの向きを変え、上空で勢いよく回転するとその回転力を使い短刀をEUCの背中に放った。
短刀はまっすぐにEUCのフォーカスへと飛んでいったが「ガツッ」という音を立てて短刀はEUCの皮膚に当たって消えた。
「・・・!?」硬すぎる・・・
「うっ!!」背中に強い痛みが走った。
雅樹は上空から地面へと真っ逆さまに落ちていった。
背中を地面に叩きつけられる。
バキッという音が聞こえた。
恐らく背中の骨が何本か折れたのだろう。
ぼんやりとした考えしか雅樹の頭には浮かばなかった。
EUCに殺されるのか。
もうさすがに立ち上がることなど不可能だろう。
雅樹はEUCを見た。
EUCは上から雅樹を見下ろし『そんなものか』とでも言いたげな目をしていた。
「ウオオオオオオオ!!!」いきなりEUCが吠えた。
すると先ほどの戦場の方から大量のEUCが走ってきた。
口付近に血をつけているものがいた。
こいつらに殺させる気か?
雅樹は一瞬、そう思ったが予想に反しEUCたちは森へと去って行った。
すべてのEUCの姿が見えなくなるとスポーツアリーナのEUCも森へ歩き去って行った。
雅樹は頭に疑問を浮かべたがいずれも今わかることではなかった。
彼は立ち上がろうと試みたがあばらが折れたのだろうか。
あばらの痛みをこらえ、這ってあさぎの元へと行った。
あさぎは腕を抑え、まだかすかに息をしていた。
「あさぎ・・・しっかり・・・」あさぎの横たわる地面は、彼女の血で赤く染まっていた。
雅樹は通信を試みた。
誰でもいい。
助けてほしい。
「なんだ?」東雲が応答した。
なぜ東雲なのかはわからないが「東雲さん・・・あさぎが・・・助けてください・・・」と雅樹は懸命に薄れゆく意識のなかで言った。
「今どこにいる?すぐ行く」
「あの・・・」雅樹は答えようとしたが無理だった。
居場所を伝えようとした瞬間、雅樹の意識はふっと途絶えた。
目を開くとそこには白い天井があった。
先ほどまでの惨劇が嘘であったかのように真っ白で汚れは一つもない。
雅樹は天井を見てここが病院だとだいたいの予想はついた。
わき腹に目をやる。
包帯が巻かれているかと思ったがそこには病衣の縞模様が見えただけだった。
すそをめくるとやはりそこには白い包帯が巻かれていた。
肩を見ると同様に白い包帯が巻かれており、首に手を当てると包帯のざらざらとした感触を感じた。
起き上がろうとした瞬間「だめですよ」と誰かに言われ肩を抑えられ、ベットに戻された。
最初は看護師だろうと考えたが声の主の顔を見ると看護師ではなかった。
ベットのわきにはあさぎが立っていた。
彼女は三角巾で腕を支えていた。
「ごめん。守れなかった」雅樹はあさぎの腕を見ながら言った。
彼女は笑って「生きていたのならそれでいいじゃないですか。それよりも命を助けていただいてありがとうございました」と言い、「なにか飲み物とか欲しいものありますか?」と雅樹に聞いた。
「いや、大丈夫。俺たちは誰が見つけた?」次は雅樹が質問した。
「東雲っていう人ですよ」
「東雲さんが?よく見つけられたな」
病室のスライド式のドアが突然開いた。
「おお雅樹起きたか」ドアの側には榊が立っていた。
「榊隊長。すみませんでした。途中で倒れるなど」
「いや、謝るのは我々のほうだ」榊は雅樹の寝ているベットの近くにあった椅子に腰かけた。
「新入隊員をいきなり起用するなんて無理な話だったのだ」
「しかし、倒れたのは俺だけでは?」
「君はいいほうだよ」榊は手を組み、少し顔をしかめて「死んだ者もたくさんいたからな」と言った。
死んだ者。
目の前で見た。
喉元を噛み千切られ、恐怖の色を瞳に浮かべ雅樹の目の前で息絶えた隊員たち。
救うことができなかった命だ。
「そう暗い顔をするな」榊が雅樹の肩に手を置いた。
ずっしりと重く感じられた。
「俺は目の前で仲間が食い殺されるのを黙って見ているだけでした。短刀も出せず、動くことすらできず・・・」
「誰だって最初にEUCと戦ったときはそうなるものだよ。君の気持はよくわかる」榊の顔を見上げるとこれまでに見たことのない優しい笑みを浮かべていた。
不思議と安心感を与えてくれる笑みだった。
「EUCがあんなに大量発生した原因を隊長はご存じですか?」あさぎが口を開いた。
「ん?君は?」
「雪代あさぎと申します。彼に命を救われました」彼女は雅樹の方を見て言った。
「そうか。腕の包帯はどうした?大丈夫か?」
「ちょっと引っ搔かれちゃって。でも平気です」
「なら良かったが君はEUCが大量発生した原因を知っているのか?」
「見ました」
「何をだ?」
「すごく大きいEUCでした。巨大な牙が生えていて」
榊が雅樹を見た。
雅樹はうなずいた。
「ありがとう。雪代さん。俺はこれで失礼するよ。病室の外に雅樹の友人が来ているようなのでな」榊が病室を後にすると共に風香と葵が病室に入ってきた。
「大丈夫?雅樹!」
「おい雅樹!大丈夫か?」病室に入ってくるなり二人は大声で雅樹に質問をした。
「大丈夫だって。落ち着けよ」
「EUCに食われそうになったって?」
「足とか腕とかなくなったりしなかった?」二人は椅子に座ったのはいいもののまだ落ち着かない様子でわめいていた。
風香はもうすでに涙目である。
「なにも取れてないから安心しろ。あばらは折ったかもしれない」
「ええ!?」
「なんだと!?」またもや二人がオーバーヒートするかと思われた瞬間、あさぎが口を開いた。
「大丈夫ですよ。あばらは折れてません。わき腹も肩も首も出血は収まったので大丈夫です」
冷静なあさぎの対応に二人は安心したのかふうと息をついた。
雅樹は「ありがとう」とあさぎにお礼を言った。
あさぎは笑って「いえ」と返した。
「それよりあなたは?」風香があさぎを見て言った。
「雪代あさぎと申します。よろしく。あなたは?」
「水戸部風香です。よろしくね」
「俺は華松葵っていいます!よろしく!」葵が割り込む。
「よろしくお願いします」あさぎがにっこりと微笑むと葵は顔を赤らめ椅子に座りなおした。
「赤くなんなよ。バレバレだぞ」雅樹が言うと葵はますます赤くなり、風香とあさぎは笑った。
「そういえばあなたの名前をまだ聞いていませんでしたね。教えてもらっても?」
あさぎが雅樹を見た。
「水沢雅樹。よろしくな」
「水沢君ですね。よろしく」
「腕大丈夫なの?」風香が心配そうにあさぎに聞いた。
「平気。傷が浅かったから。水沢君が守ってくれたし」
「雅樹が?珍しい・・・」
「おい、何が珍しいんだよ?」
「ごめんごめん」風香が笑った。
「あ、あの・・・雪代さんはどこの学校に?」次は葵が質問した。
「転校してきました。東中高学校に」
「ええ!本当ですか!?」
「はい。明後日には学校に行くと思いますよ」そんな会話を四人で繰り広げていると病室のドアがまた開いた。
東雲が立っていた。
「雅樹。てめえ怪我なんかしやがって」
「東雲さんすいません」
「ふん。まあいい。まだ新米だからな。で、榊に聞いたがスポーツアリーナで見たあのEUCと戦ったと?」
「はい。異常に皮膚が硬くて短刀が通りませんでした。もうひとつ不思議なことがあって俺を殺さなかったんです」
「殺さなかった?」
「地面に叩き付けられて動けないでいる俺を一瞥しただけで森に去って行ったんです」
「容姿はスポーツアリーナで見た時と同じだったか?」
「はい。そのままでした」
「分かった。さっさと治せよ。怪我」東雲が病室を去ると葵が「お前あのEUCを見たのか?」と雅樹に質問した。
「あさぎも見たし俺も見た」
「あいつが来たのか・・・」葵はうつむきなにかを考えているようだった。
そしていきなり「俺ちょっと家帰んないと」と言い、病室を出て行った。
風香は驚いた様子で「私ちょっとついて行ってみる」と言って葵を追いかけて走って行った。
部屋には雅樹とあさぎのみが残された。
「水沢君に両親はいないんですか?」唐突にあさぎが言った。
「俺が小さい時死んだよ」
「私もいないんですよ」
「なんで?」
「死因とかはよく分からないんですけど小学生くらいの時に消えちゃって。それ以来一度も会ってないんです。
だから私の中では死んだってことになってて」
「探さないのか?」
「なんかもう一人で暮らすのに慣れちゃって」
「なるほどな」雅樹は自分も今現在一人で暮らしているがたまにひしひしと強く寂しさを感じるときがある。
あさぎは寂しくないのだろうか。
「寂しかったりはしないのか?」
「たまにすごく寂しくなる時がありますよ」彼女は少し笑って答えた。
雅樹と同じ気持ちのようだった。
「水沢君はどうなんですか?」
「同じさ」雅樹も少しだけ笑った。
「俺たち似た者同士だな」
「ですね」あさぎと雅樹は互いに笑った。
雅樹は思った。
これから先入院するだろうがそこまで憂鬱な気分ではない。
彼女がいればきっと平気だ。
窓を見るともうすっかり日は沈んでいた。
「あ、私もう帰らないと」
「暗いしな。気をつけろよ」
「ありがとうございます。それじゃお大事に」あさぎが病室を出ていき、雅樹は一人になった。
毛布を頭の上まで引っ張り上げ、今日の戦いを思い出す。
とたんに眠気に襲われた。
雅樹はそれに逆らおうとせず目を閉じた。
深い闇がエリア5を包み込む中、彼は深い眠りへと落ちていった。