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祝福の賛歌 15

 ソレーヌは、部屋にあった茶器のセットで、ジゼルと宰相に手早く、優雅に、茶を入れていた。

 つい先程まで跪いていたソレーヌは、ジゼルに乞われて立ち上がったあと、しばらくジゼルの話し相手でもと宰相に頼まれたことで、それではと言って、勝手知ったるとばかりに部屋に備えられていた茶器のセットを取り出したのである。

 バゼーヌ家で、公爵夫人に教わった作法の完成系はこれだったのかと、ジゼルは驚きに目を見開いてそれを見つめていた。

 耳障りな音もなく、まるで滑るように滑らかな指の動きは躊躇うことなく作業を行っている。その動きは、シリルが魔法を使う時のものにどことなく似ていて、まるでその指先に楽器があり、音を奏でているようだった。

 湯が沸き、ポットやカップが温められる中、ソレーヌはジゼルに微笑みながら、話しかけてきた。


「先日、フランシーヌ様にもお会いする機会がございました。フランシーヌ様も、今のジゼル様と同じように、私がお茶を入れる作法を不思議そうに見ておられました」

「ええ、とても不思議です。公爵家で教わったものにも似ているのですが、もっと別のものにも見えますし」

「お茶を入れる手順自体は、他の作法と変わりません。これは、魔術師長の奥様から学んだ作法なのですよ。今は、ラムゼン派の魔術師達に伝えられている作法です」

「ラムゼン派……というと、シリル様もそうですよね?」

「はい。シリル様は、私にとって兄弟子にあたります。とは言っても、私は正式な魔術師ではありませんので、名は頂いておりませんし、魔力は紡げないのですが」


 カップに注がれるお茶は、見事な琥珀色をしていた。

 その香りはふわりとその周囲を取り巻き、少し離れていてもそれが感じられるほどだ。

 ジゼルが同じ茶葉を使用して、バゼーヌで習った作法で入れたとしても、こんな風には絶対に入れられない。

 一口含み、なおさらそれを実感した。


「あの。このお茶の入れ方は、魔術師じゃないとできないものですか?」

「いいえ。ヤン師匠の奥様は、魔術の事は一切見向きもしない方でした。それでも、この作法で入れたお茶は、魔術師の心を落ち着かせる効果があると伺ったことがあります。お若い頃から、その身を削るようなお仕事をなさっていたヤン師匠のために、奥様が考案したものなのだそうです」


 その話を聞いたジゼルの視線は、その一杯のお茶に向けられていた。

 精一杯、思いを込めれば効果がある、という話ではない。どれだけの試行錯誤をすればそのような事が出来るのかと、ジゼルは今知ったばかりの、魔術師の妻の先達を思う。

 再び、そのお茶を一口含む。

 優しいお茶の甘さと、身を包む香りは、たとえ魔術師でなくとも、心が温かくなる。


「私でも、この作法はできますか?」


 ソレーヌは、身を乗り出すように尋ねたジゼルを見て、ほんの少し首を傾げ、それでも微笑んで頷いた。


「できるのではないでしょうか。奥様は、常に魔除けを複数身につけて生活をしておられたそうです。もし、お茶を入れる作法に魔力のようなものが関わっているのなら、奥様には入れられなかったはずですから」

「あの、教わるのはやはり、魔術師長様の奥様に直接学ぶべきでしょうか?」


 できるなら、その人と話をしてみたかった。魔術師の妻として、あるべき姿を、教えてもらいたかった。しかし、ソレーヌは、静かに首を振った。


「ヤン師匠の奥様は、今は病を患い、ずっと眠っておられます。長年、ヤン師匠や、その弟子達の魔力に触れつづけておられましたので、それが病に繋がったとお聞きしました」

「……え」

「治癒術師の里で、昔からその症状を治癒するための研究が行われているのですが、奥様は、自分がその症状に冒された場合、自身を研究に使って欲しいと仰っておられたのです。ヤン師匠もそのお心を汲み、その身をそちらに託されたと聞いております」


 愕然としたジゼルに、ソレーヌは目を伏せ、項垂れた。


「必ずしも、魔術に触れたものがその症状にかかるわけではありません。ヤン師匠は、「扉の鍵が壊されたのだ」と仰っておられました。……私が、ヤン師匠に連れられ、治癒術を学びにそちらに伺った時には、奥様はまだ、日の半分ほどは起きていられました。ですが、年ごとにその起きていられる時間は短くなり、今はひと月に一度、目覚めればよい方だとお聞きしています。お目覚めになっても、すぐまた眠りにつかれるそうですから、お話しすることも叶わないそうです。元はとても闊達な方で、私はそちらで、この作法を教えていただいたのです」


 呆然としたジゼルに、ソレーヌは困ったように眉を下げながら、小さく首を傾げた。


「もしお望みでしたら、私がお教えします。ジゼル様は、シリル様の元にいらっしゃるのですし、このお茶を入れてさしあげれば、きっとシリル様の助けになりますわ」


 反応を無くしているジゼルに、ソレーヌは困惑したように宰相に視線を向けた。


「……言い忘れていたんだがな。シリルが結婚した」

「……は?」

「ジゼルさんは、もう、シリル=ラムゼンの妻なんだ」

「もしや、ファーライズの縁とは、婚姻の……?」

「うむ。ただ、ジゼルさんには、それ以外の加護も付いたのではないかと思う」


 ソレーヌが息を飲み、慌てたようにジゼルの前に再び跪いた。


「申し訳ありません。あの、魔術師の妻となった者が、みな病に冒されるわけではありませんわ。本当に、稀なことなのです」

「大丈夫だ、ソレーヌ。その病は、ジゼルさんが罹ることはない。他でもない、魔術師長が断言している」

「……え?」


 ソレーヌが唖然として呟く。

 ジゼルも、ゆっくりと視線を宰相に向けていた。


「ジゼルさんには、そもそもそれで壊されるものが存在していない。壊れようがないのだから、その病に関しては罹りようがない、という事だ。その言葉を受けていなければ、私も結婚に関しては、もっと慎重に事を運んだだろう」


 ソレーヌの視線は、ジゼルの銀の髪に向けられていた。


「本当に……大丈夫なのですか」


 ソレーヌの心配そうな声に、ジゼルはふと、以前魔術師長から聞いた話を思い出していた。


「わたしは、鍵のない扉に、魔除けのまじないが書かれていると、以前お聞きしました」

「扉はあるが、鍵穴はない。つまり、特殊な手段でも用いない限り、開くことのない扉、という事だろう」


 宰相は、仕事の手を止め、ジゼルの正面にあるソファに身を沈めると、ゆったりと足を組み、寛ぐように背もたれに身を預けた。

 どうやら、一端休憩することにしたらしい。

 お茶をもって移動してきた宰相は、喉を潤すためにそれを一口含んだ。


「特殊な手段、ですか」

「それこそが、ジゼルさんが使い魔達の言葉がわかるようになった理由であり、シリルの契約主が変わることになった理由だろうと、私は思う」


 宰相がそれを告げた途端に、今まで一度たりともならなかった、陶器のぶつかる微かな音が、部屋に響く。

 ソレーヌの手元で鳴ったそれに、ジゼルは驚き顔を向けた。


「契約主が、変わった? ありえません、そんな!」

「……この二人の結婚に関しては、ありえないことだらけだった。まず神がその写し身を使い降臨することがありえないし、神官でもない相手に直接声をかけることもありえない。さらにそのあと、ジゼルさんには祝福を自ら与え、シリルの魔力の輪を、強引に書き換えた。まさに、奇跡の連続だったんだぞ」

「……ファーライズが、ですか? 他の神ではなく」

「そうだ。だから私は、そのジゼルさんの扉とやらは、魔力ではなく、神力に反応する扉なのではないかと考えている。神が何らかの手でその扉を開き、使い魔達の言葉を読み取れるようにしたのだろう」


 二人の女性がぽかんと口を開く前で、宰相は微かに愁いを見せながらも、その口は淀みなく言葉を紡いだ。


「だからこそ、シリルの契約主も変えたのではないかと思う。話を聞いていれば、かの契約主は、魔の世界の生まれではなく、こちらで神から産まれたものだという。つまり、純粋な魔とは言えず、むしろ神の力に近いものなのだろうと思うのだ。ゆえに、あちらから力を送られても、ジゼルさんの力にそれほど脅かされることなく魔力を紡ぎ、それを使えるのではないか。逆に言えば、あちらの世界で、その条件に合致する契約主は、他になかった。ゆえに神は、あの契約主を選択したのではないかと思う」


 ぽかんとしたまま、二人はその話に聞き入っていた。

 しばらく呆然とした後、ようやくジゼルは一つだけ、理解できた事があった。


「……神様は、私の扉に合わせて、シリル様の契約を変えてしまわれたとおっしゃるんですか?」

「まあ、あくまで私の推論だが、状況を見るに、そういうことだろう」


 宰相の頷く姿を見て、ジゼルの身はついに傾いだ。

 ジゼルは、この時一つだけ、心に決めた。

 初夜の床で、まずシリルに全身全霊をもって謝罪する。

 まさか自分の体質で、ここまでシリルに影響することになるなどと、ジゼルは思っていなかった。

 気軽に結婚を選択した昨日の自分に、もう少し、魔術師の妻として勉強してからにするよう、忠告しに行きたい。

 今、猛烈な羞恥心と後悔に苛まれながら、ジゼルは心からそう思っていた。

 


 入城許可が出たところで、ようやく城を出ることが可能になったジゼルは、ようやくバゼーヌ家に戻れることになった。

 ジゼルの顔色が悪いことと、今日結婚したばかりだと知ったソレーヌが、城に部屋を仕度すると申し入れてくれたのだが、ジゼルは城ではなく、バゼーヌに帰りたいと告げて、首を振った。

 ジゼルがいる場所が帰る場所なのだとシリルは言ったが、それならば待つ場所を選びたかった。

 それは、一度も滞在したことのない王宮ではなく、バゼーヌ家の庭にある、あの離れだった。

 シリルができるだけ早く帰れるように、手を尽くすと約束してくれた宰相とソレーヌに見送られ、ジゼルは一人、バゼーヌ家の門を潜ったのである。

 深夜にもかかわらず、そこには相変らず警備の騎士達が立っており、ジゼルの姿を見て、笑顔で「お帰りなさい」と言ってくれた。


 今日一日、早朝からずいぶん長かった。

 それなのに、この家で、この門で、すっかり見慣れた紋章を身につけた騎士に、その一言をもらっただけで、ジゼルは疲れも忘れ微笑むことができた。


 ジゼルは、ノルがシリルの使い魔であることを説明し、許可をもらって屋敷に入り、驚いた。

 すでに使用人も寝ているはずの時間なのに、そこには執事とマリー、そして、この家の女主人である公爵夫人が、微笑みながら立っていたのである。


「おかえりなさい、ジゼル! ああ、よかったわ。もう帰ってこないのかと思っていたの」

「お、奥様、ずっと、待っていてくださったのですか?」

「ええ。シリルの休暇は今日までですから、あの子のことですし、どんなことになっても、今日の日付が変わるまでに、城に帰ると思っていましたの」


 それに、ジゼルが同行しているかは、正直に言うと自信がなかったのだと言いながら、公爵夫人は目に涙を浮かべ、ジゼルを抱きしめた。

 するりとジゼルの腕を抜けたノルは、するりとジゼルの背に周り、邪魔にならないように後ろに控えた。


「あの、ただいま、戻りました」


 この場でずっと待っていたらしい三人は、ジゼルが頬を染めながら小さな声で告げた帰宅の挨拶に、うれしそうに微笑みを返していた。


「話を聞かせて欲しいところですけれど、今日は疲れているでしょう。お湯を使って、早くお休みなさいね」

「はい、ありがとうございます。それで、あの、離れの私の部屋は、まだ使っても大丈夫なのでしょうか?」

「もちろんですよ。何一つ動かさないままにしてあります。そのままお使いなさいね」

「ありがとうございます!」


 さっそく、ぺこりと頭を下げ、そちらに向かおうとしたジゼルの背中に、ふと気が付いたように公爵夫人が呟いた。


「……白地に、その刺繍は、西方の祝い事の席で飾られる壁掛けの刺繍に似ていますね」


 びくり、と体が竦む。


「え、と、あの……」


 なにやら、嫌な予感がして、恐る恐る振り返ったジゼルは、一歩一歩近付いてくる公爵夫人の視線に射すくめられていた。

 足元にいたノルは、なぜか怯えたように耳をぺたりと倒し、腰が引けた状態でじりじりと壁際に逃げている。

 ジゼルも、それができるならそうしたいところだったが、その前に、目の前に、笑顔の公爵夫人が到着してしまっていた。


「……以前、一度、見たことがありますの。ジゼル、それは、花嫁衣装ではなくて?」


 にっこり微笑んだ公爵夫人の目は、その笑顔とはまったく違う剣呑な光を湛えていた。

 この状態で、ジゼルに、この公爵夫人の追及を逃れる術など何一つなく、実家に帰宅した時からのことを、洗いざらい、その場で話すこととなった。



 ――義父に与えられていた初仕事は、その機会を得ることもなく見事に失敗したのであった。




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