祝福の賛歌 13
シリルに連れられ、初めて魔法での移動を体験したジゼルは、到着した瞬間、ひゅっと息を飲んだ。
その場所は、闇の中に仄かな魔法の明かりが灯された静かな場所だった。
その薄明かりに、それぞれ人の顔が浮かび上がっているのを見た瞬間、ジゼルは悲鳴を上げた。
しかし、その悲鳴は、口から出る寸前に、横から伸びてきた手のひらで防がれる。
それと同時に、手袋をはめた手が、ジゼルの目をそっと覆った。
「……馬鹿者。いきなり魔術棟に飛んでくる者があるか」
「……目標地点として、一番設定しやすいんですよここ。人数が多いので、安全を期しただけです」
目と口を覆われ、身動きできないジゼルは、周囲から聞こえる呻き声に肌を粟立てながら、腕の中でジゼルと同じように硬直していたノルをぎゅっと抱きしめる。
どうやらここが、シリルの仕事場であることは、宰相とシリルの会話で見当が付いたのだが、そこが死霊のたまり場であるとは思わなかった。
シリルは、ジゼルが硬直している事にようやく気が付いたのか、慌てたようにジゼルの口を覆っていた手を外し、肩を叩く。
「ジゼル。大丈夫だから。ここは、私の職場の、魔術師達の控え室というか、休憩所だから。みんな、休憩してるだけだから」
――ジゼルは、シリルのその言葉で、その場にいたのが死霊などではなく、シリルの同僚達であると、ようやく気が付いた。
どうやら、シリルがいない間、大変な苦労があったらしい。
屍累々となった休憩室で、力なく横たわっていた魔術師達は、ぼんやりした表情のまま、移動の魔術陣の中にいたシリルを見て、目を見開いた。
「う、ああ……シリル、さん?」
「か……帰って来たぁぁぁぁぁ!」
その瞬間、部屋には雄叫びが響き渡った。
「結界守護者委譲の用意だ! 急げ!」
「魔術師長に連絡しろ!」
その場にいた全員が、今し方まで力尽きたようになっていたことが嘘のように、勢いよく動き始める。
ジゼルは、どたばたと走り回る音がするが、まだ目を覆われているためにさっぱり状況が掴めない。不安になり、その目を覆っている手にそっと触れると、背後からすまなさそうに宰相から声をかけられた。
「申し訳ないが、ここは国の重要施設で、関係者以外の立ち入りを禁止している場所だ。シリルがつれて来てしまったのだから、処罰されるようなことはないが、なにも目にしない方が賢明だろう。しばらく、目隠しをさせてもらう」
「あ、はい……」
宰相は、ジゼルにしばらく目を閉じるように告げると、その閉じた目の上に、手拭で目隠しを施した。
「本当に、申し訳ない」
「どうぞ、お気になさらず……」
何度も何度も宰相に詫びられ、居心地悪い思いをしているジゼルの横で、シリルはシリルで、大変な事態に陥っていた。
「さあ、行きますよー!」
「とっとと繋がってくださいよもうやですあれ~」
「なに踏ん張ってるんですかわがまましないでください!」
シリルの両腕に、同僚の魔術師ががっしりと腕をからめ、逃がさないとばかりに引っ張っていく。
それを補助するように、少し小柄な魔術師が、背中をぐいぐいと押しながら、有無をいわせずにシリルを移動させようとしていた。
シリルは、逃げる間もなく捕まったその腕を振りほどこうとしたが、現在死にものぐるいになっているらしい同僚達に、力ではまったく敵わなかった。
「ちょ、ちょっと、ちょっとだけ待って!」
「「「まーてーまーせーんー」」」
「私は、ついさっき結婚してきた所なんだよ? 儀式、やったばっかりなんだよ。新婚ほやほやなんだよ。せめて奥さんを家に連れて帰る時間くらい、待ってくれてもいいだろう?」
「結婚……?」
「儀式……?」
「ほやほや……だと?」
その瞬間、その場は痛いほどの沈黙に包まれた。
部屋に残っていた三人の魔術師達は、最初惚けたようにシリルに視線を向け、そしてシリルと同行していた宰相と、宰相の傍に立っているジゼルにじわりと視線を廻らせた。
――そして。
「ちっくしょおおおおぉぉぉぉぉ! 美人の嫁もらいやがって!」
「誰が待ってやるか! こんちくしょう!」
「呪うのは勘弁してやらぁ! だから素直に結界に力吸い尽くされやがれ! うわーん!」
「あああぁぁぁぁぁ!」
シリルの切ない叫びが、勢いよく引き摺る音と共に遠ざかり、扉が閉まる音と共に、さらに遠ざかる。
魔術師は、圧倒的に独身の者が多い。
その容姿や生態が人に在らざる部分があるため結婚が難しいのだが、そもそも大半は、研究のために異性と出会う機会が皆無なのが原因である。
その魂の叫びは、ある意味致し方のないものだった。
静かになった部屋の中で、目隠ししたまま、ジゼルは呆然としていた。
「……本当に……」
再び詫びの言葉が出そうになった宰相に、ジゼルは首を振って「大丈夫ですから」と答えた。
「ええと……楽しそうな……職場ですね?」
「日頃は、皆、シリルよりよほど理性的な連中なのだがな……。今は疲労と結界による精神摩耗で、全員少々箍が外れているようだ……」
「はあ……」
「これ以上騒がしくなる前に、ここを出るか」
なにやら、宰相の声も著しく疲労の色が濃くなった。
ジゼルは素直にそんな宰相を気遣い、ふと、どうやって自分がここから出ればいいのかと考えた。
しかし宰相は、ジゼルが考える暇を与えなかった。
体に腕を回され、そして足元をすくい上げられる。
体の感覚で、それがいわゆる横抱きの状態であることを理解したジゼルは、慌ててその手を逃れようとした。
「大人しくしていなさい。ここは事情があって、段差が多い。手をひいて歩くには不都合がある」
それだけ告げると、宰相は有無をいわせずにそのまま扉を開け、部屋を出たのだった。
宰相の腕の中に抱えられ、どれほどの時間がたったのかよくわからない。
しかし、扉が開く音と共に、ふわりと漂った植物と土の匂いに、ジゼルはほっと力を抜いた。
これで降ろしてもらえると思ったのだが、宰相はそのまま、ずんずんと歩いて先を進む。
「あの、もう外ではないのですか?」
「まだ、もうしばらく先まで、立ち入り禁止区域だ。入り口の場所も、知られるわけにはいかないのでな。……まったく。せめて、王宮のあれの部屋にでも出れば、まだましだったというのに」
小さな愚痴に、ジゼルは思わず苦笑した。
「そういえば、シリル様は、王宮にもお部屋があるとお聞きしました。そちらにも、先程のような場所があるのですか?」
「魔法での転移の場合、自分で設定した場所か、国で厳重に保護されている移動用の魔術陣に転移することになる。シリルは、自分の行く場所には、大体道具でその場所を確保しているのだよ。だから、シリルの個室、王太子宮の控え室、あとは先程の場所の三箇所、この王宮内だと移動できる場所がある」
「……その中で私が入る事が可能な場所は、シリル様の個室くらいではありませんか?」
「そうだな。王太子宮も、許可なく立ち入れば、それだけで捕縛される。先程の場所は王宮の使用人も、入る事を禁じられた区域だ。飛んで入るには、先に認証しておかないと使えない場所でもある」
さすがと言おうか、シリルはジゼルがもっとも入ってはいけない場所に飛んでいたらしい。
宰相が一緒でなければ、それこそ新婚初夜を牢の中で過ごす羽目になっていた。
「……助けていただき、ありがとうございました」
あらためてそう告げると、宰相は少し笑った。
「気にすることはない。あんな不出来な息子の相手を務めてもらうのだから、この程度の事はなんでもない。君はもう、私の娘でもある。息子なら、自力でなんとかしろと言うところだが、かわいい娘のことなら話は別だ」
安定感のある宰相の腕の中で、意外なほど茶目っ気のある宰相の言葉に、ジゼルも思わず吹き出した。
「ありがとうございます」
ジゼルは、今日できたばかりの頼もしいもう一人の父に甘えるように、その身を任せることにした。
しばらくそのまま進み、突然立ち止まった宰相に向かって、数人が駆け寄る音がする。
カチャカチャと、ジゼルも聞き慣れた武具の音を響かせる集団は、慌てたように駆けてきて、宰相のすぐ傍で足を止めた。
「閣下」
聞き覚えがあるその声に、ジゼルがあっと声を上げた。
「エルネスト。今帰った。さっそくだが、私とシリル、それから、ジゼル=カリエの入城許可を頼む。私はこのまま、執務室に向かう」
「ああ、無事にジセル嬢は閣下の元に引き取られたのですか」
幾分か、ほっとしたようなエルネストの声に、宰相は首を振って答えた。
「引き取った訳じゃない。……シリルの嫁に来た」
その直後、その場に漂った空気は、先程の死霊の館、いや、屍累々、力尽きた魔術師達の休憩室に漂っていたものより、重かった。
「……よめ、ですか?」
「嫁だ。シリルが結婚した。本日午後、儀式を終え、名実共に彼女はシリルの妻となった。儀式の主神はファーライズ。誓約の証も出されている。国へは、後ほど届けることになるが……」
「……まったく聞いておりませんでしたが、いつのまに婚約を?」
エルネストの声が、いつもより一段低い。周囲の複数の足が、一歩下がる音がした。
「婚約は、しなかった」
「しなかった……だと」
再び、周囲の足が一歩下がる。それほどまでに、エルネストの作り出す空気は、威圧感があり、重かった。
ジゼルも、地面に足が付いていたら、一歩どころかそのまま駆け出して逃げてしまいたいほどだったが、さすがと言おうか、宰相はその程度のことでびくともしなかった。
「では、手続きを頼む」
あっさりとそれだけ言うと、そのままジゼルを腕に抱えて、宰相はさっさとその場を立ち去ったのだった。
少し離れた場所で、宰相はジゼルを降ろし、その目隠しを外した。
ジゼルは、先程エルネストと出会っただろう場所に目を向けて、小さく首を傾げた。
「……エルネスト様、大丈夫でしょうか?」
エルネストは、フランシーヌとの結婚で、必死の思いで期間を短縮した経緯がある。
裏技のように、そのまま結婚したという実例を目の前にして、衝撃を受けるのも致し方ない。
宰相も、その経緯をわかっているのか、苦笑していた。
「エルネストとシリルの場合、その立場はあまりにも違いがある。エルネストは、嫡子であるから、その周知期間は長く必要になる。いきなり結婚などしては、フランシーヌ嬢の立場が悪くなるからな。本当に、あれ以上は短縮しようがないのを、本人も十分わかっているだろう」
「……私は大丈夫なんですか?」
「シリルはあとを継ぐわけではないからな。周知をする必要はない。……問題があるとすれば、家で待つ姫に、ひと言もないまま式を敢行したことだけだ」
宰相が重々しく告げたその一言に、ジゼルも一瞬硬直した。
宰相は、そんなジゼルに、肩をしっかりと掴んで、正面から重々しく告げたのだった。
「私とシリルの命運は、君にかかっている。しばらく大人しく、姫の着せ替え人形でも勤めてご機嫌を取ってくれ。頼んだぞ」
外から聞く分には大変情けないひと言だが、本人はいたって真面目だった。
だからジゼルも、義父の言葉に真剣に頷いたのだった。