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祝福の賛歌 12

 それはある種の運命の出会いだった。


 可愛いさかり、遊びたいさかりの子狼と、動物と一緒に遊びたくて仕方がない少女の出会いである。

 ソフィは、家に帰るなりその子狼を発見し、目を輝かせた。


 夕刻、振る舞いの料理がほぼ出尽くしたところで、一家は街から引き上げてきた。

 片付けなどは兵士達が請け負い、シリルが魔法で帰る前にと急ぎ足で帰ってきた一家の前に、つい先刻の儀式前までは居なかったはずのころころの子狼が家に居たわけである。


「お姉ちゃん、どうしたのこの子!」


 帰るなり、有無を言わせずに子狼を抱き上げたソフィは、頬ずりする勢いでそのまま抱きしめていた。

 シリルやジゼルが、それは普通の狼ではないと説明する間もない早業であった。


「すごい、ふわふわだね! かわいいなあ」


 笑顔でスリスリと頬ずりするソフィを、金狼は初め驚いたように硬直してされるがままになっていたが、その行動に悪意がないと理解したのか、うれしそうに尻尾を振り、くんくんと甘えた鳴き声を上げていた。


「遊んでいい?」

「……駄目だと言っても、遊ぶんでしょう?」


 ジゼルはそういって肩をすくめると、会議室の中でなら、という条件付けで、それを認めた。


「……大丈夫かな?」

「犬だと、思ってますよね」


 新婚夫婦が、そちらを心配そうに見つめているのを見て、母は首を傾げた。


「犬じゃないの?」

「ええと……」


 シリルがどう説明したものかと言いよどむと、その横にいた第三聖神官がにこやかに説明した。


「狼です」


 あっさりとした説明に、あら、と母はソフィと遊ぶ子狼に視線を向けた。

 ソフィは、自分が持っていた手拭を丸く結ぶと、それを子狼に向かってなげ、取ってこいをやらせていた。

 ジゼルは、それは金狼という魔の種族で、いつか人型になるという事を、今は黙っておくことに決めた。

 なぜなら、金狼の方も、それを喜々としてやっているのだ。

 とってきた手拭をソフィに渡すと、「できた!」と言わんばかりに胸を張り、褒められる金狼の姿は、どこをどう見ても犬だった。


「あれも運ぶとなると、ずいぶん大荷物になるが、どうやって帰るんだ?」


 父の言葉に、ようやく金狼から視線を外した人々は、そう言えばとシリルに視線を向けた。


「帰るのは、来る時とは違って一気に飛べるんですけど……確かに大荷物ですね」


 まず、ジゼルはもちろん連れて帰らなければならない。

 そして、猫は二匹になった。ただし、リスの方は、腕輪に戻せば問題はないので、猫一匹。ノルは、まだ使い魔になりたてで、自身を守る術がない。連れて帰らねば、あっという間に魔に取り込まれるので、これもまた、置いて帰るわけにはいかない。


「私も一緒に連れて帰ってもらうぞ?」


 という事で、宰相も追加された。

 これも、シリルにとっては実は外せない。国家運営の要と言える宰相が不在で、現在すでに四日目である。王宮の執務に関して、どれほどの混乱が起きているのか、考えるだけでうんざりしそうである。

 一刻も早く、宰相を王宮に連れ帰り、この人を執務室に放り込まねばならない。

 しばらく考えた後、シリルは師匠に視線を向けた。


「……師匠は、自分で帰れますよね?」

「くるるぅー」


 ばさりと羽ばたいて見せた師匠は、『飛べば一日だ』と頷いて見せた。

 しかも、梟は夜行性。夜の空に舞う姿こそ、彼らの本来の姿である。

 そして残ったのは、一人と一匹だった。

 そのシリルの視線を感じ取ったらしい第三聖神官は、肩をすくめてあっさりと告げた。


「私は、馬車で行きますよ。カリエ殿。こちらから、馬車は出せますか?」

「……私を見てなくていいんですか?」


 シリルの疑問に、聖神官は頷いた。


「今重要なのは、あなたを王宮に返すことでしょう。王宮の魔術師は、今頃限界に近いでしょう。しかし、そのあなたが、あの狼を抱えて飛ぶのは、お奨めしません」

「なぜです?」

「……あれはまだ子供です。まだ、自身の力や欲望を押さえることを知りません。魔法を紡ぐ途中で、おやつ代わりにその力をぱくりと食べる可能性もあります。そうなったら、いつまでたっても、王宮に辿り着けませんよ」


 その可能性を考えていなかったシリルは、目を丸くしてなるほどと頷いた。


「あれは使えねえのか。へんな扉みたいな枠は」

「あれは、今のところ、目的地で対になる道具が必要なんです。その対はリスですから、ここに一緒に居ると言うことは、目的地に扉が出せないということなので……」


 初めから、扉で帰る事は考えていなかった。

 ジゼルを連れて帰ることも考えていなかったのだが、結婚したからには意地でも連れて帰ると決めていた。

 そして今、シリルの力は、ジゼルをそれほど障害としなくなっている。力も戻っている今、飛ぶ事自体は、問題なさそうだった。


「金狼は、私が馬車で運びましょう。何かあった時、私なら無理矢理術で縛ることも可能ですし。おそらく、普通に走って追いかけろと命じれば、匂いを追ってたどり着くのは容易だと思うんですが、なにせあの毛皮は目立ちますからね」


 おまけに、まだよちよち歩きである。

 今も、ソフィに取ってこいと手拭を投げられ、たまにころんと転がりつつ遊んでいる。

 こんな子狼に自力で走れとは、さすがに魔が相手といえどちょっと言い辛い。


「わかりました。お願いします」


 シリルは、第三聖神官の申し出を、素直に受け入れることにした。


 ――そして。


 さんざん遊び、すっかり金狼と仲良くなったソフィは、シリルとジゼルが帰る段になり、すっかりしょげていた。


「……もうお別れなのか」

「きゅーん……」


 なぜかその横で、金狼までしょんぼりとしている。一人と一匹は、別れを惜しむようにくっついて座っていた。


「私とその子は、明日出発ですよ。馬車は夜には出せませんからね」


 ぴくりとソフィは反応し、少しうれしそうな表情で顔を上げたが、逆に金狼は愕然とした様子でシリルを見つめた。


「キャン、キャンキャンキャン!」


 ころころと途中で転けながら、シリルの足元に走り寄り、服の裾を咥えてくいくいと引っ張る。まるで、自分を置いていくなと訴えているようだった。


「仕方ないんですよ。その人は、事情があって、一刻も早く仕事に復帰しなければならないんです。あなたもお役目はあるでしょうが、あちらもファーライズが認めた神聖な仕事なんです。しばらくは、我慢しましょうね」

「キャン!」


 「嫌だ」とその全身が訴えていた。

 しかし、その直後、ソフィがぼそりと呟いた。


「やっぱり、その子もお姉ちゃんとシリルさんのそばがいいんだね」


 一瞬喜んだだけに、ソフィの落ち込みは大きかったのか、その大きな眼に涙を浮かべ、膝を抱えていた。

 それを見て慌てたように、金狼はなぜか再びソフィのそばに駆け寄って、その涙をぺろぺろと舐め取っていた。

 金狼はソフィの涙がおさまった後も、おろおろと混乱している様子だった。

 その様子を見ていたシリルは、しばらくして椅子から立ち上がり、ソフィのそばにしゃがみ込んだ。


「……じゃあ、王都に来るかい?」

「……え?」

「なんだかこの子、君に懐いてるようだから、私としては、来てくれるとうれしいかな」


 金狼に視線を向け、苦笑したシリルは、その手をソフィの頭の上にぽんと置いた。


「お菓子職人になりたいんだよね。王都にも来たいって言ってた。本気なら、おいで。そのかわり、お父さんの説得はちゃんとしてきて。それなら、住む場所も修行場所も、私がなんとかしてあげる」

「……シリルさん」

「てめえ、この泥棒猫が。娘二人も持ってくつもりか」

「こんな感じだから、私にはお父さんの説得だけは絶対無理だから。この人、年に二回は王都で会議があって出てくるんだから、その度にあの槌を持って追いかけられるのは困るんだからね? 家出はもってのほかだからね? ちゃんと、お父さんを納得させて、胸を張って王都に来るんだよ」


 父の怒りに、慌てたように後ずさったシリルは、さりげなくジゼルを盾にしながらソフィに告げた。


「王都に来たら、その子と遊んでやってくれるかな。今の目標は、その子に、私のそばは居心地がいいと思ってもらうことだから。君が遊んでくれるなら、きっとその子もそう思ってくれそうだし」


 シリルの言葉を聞いたソフィは、おろおろとシリルとソフィの間を覚束ない足取りながら行ったりきたりする子狼を見て、そっと手を伸ばした。

 抱き上げた、小型犬ほどの大きさの子狼を胸に抱き、その体をしばらく無言のまま撫で続けた。


「本当に、行ってもいいの?」

「もちろん」

「お菓子職人に、なれる?」

「それはわからない。でも、王様だって、産まれた時から王様なわけじゃない。そりゃ、乳母だとか、執事だとか、特定の性別でなければ就けない仕事はあるけど、お菓子職人は別に性別で何かが変わる訳じゃないよ。だってソフィは、振る舞いのお菓子を、今日はあんなに沢山作ってくれただろう? あれだけ作れるんなら、ちゃんと勉強すればお菓子職人にもなれるよ」


 ソフィは、腕の中にいる子狼の背に、顔を埋めた。

 突然のソフィの行動に、子狼は一瞬びくりと身を竦ませていたが、その後、大人しくされるがままになっている。

 ソフィは、シリルに返答はしなかった。しかし、その雰囲気には、すでに先程の、置いていかれる寂しさのようなものはなかった。


「さて、そろそろ行かないと、さすがにまずいかな」


 シリルが、ジゼルに手をさしのべ、ジゼルは慌ててノルを抱えて差し出された手を取った。

 リスは、シリルの前でふわりと飛び上がり、くるりと回転すると、そのままその姿を腕輪に変化させた。

 その様子に、慌てたようにソフィの腕の中で子狼がキャウンと鳴いた。

 落ち着かない金狼を見て、第三聖神官はシリルに手を差し出した。


「……仕方ないですね。シリル。少し魔力をください」

「……はい?」


 何を行うのかわからないまま、シリルは言われたとおりに自分も手を差し出し、その身の内から魔力を紡ぐ。

 第三聖神官は、それを受け取り、きゅっと自らの胸元にそれをにぎりこむと、ほんの一瞬、瞬きするほどの時間で、その姿を変化させた。

 先程、神を受け入れた時の姿を思い起こさせる漆黒の髪と、それと同じほど深い闇の瞳。唖然とした一家の前で、その姿に変わった聖神官は、その視線をゆっくりと金狼に向けた。


「……シグルド」

「キャン!」

「お座り」


 びくりと飛び上がるように、ソフィの腕を飛び出した金狼は、なんと第三聖神官の足元で、びしりとお座りをした。

 なにごとかと見守る人々の真ん中で、第三聖神官は言い放った。


「伏せ」

「キャウ!」

「そのまま待て」


 第三聖神官の言葉通りに、しっかりと伏せたまま、金狼は上目遣いでシリルと聖神官を見比べているようだった。


「……いったい、どういう事ですか?」

「大変不本意でしたが、あなたの魔力から、『畏怖』の力を借りて、姿を映しました」

「え? ちょっ。聖神官って、そんな事が出来るんですか!?」


 慌てたシリルは、驚愕の表情のまま聖神官に詰め寄った。


「私はファーライズの器です。万色である神を降ろせる無色の器を持つ者は、その他のあらゆる神をその身に降ろすことが出来ます。もちろん、神から産まれ出でた魔も、その範疇です」


 唖然としたシリルに、聖神官は、軽く肩をすくめた。


「すべての聖神官が出来るわけではありません。神が降りられる器を持つ者だけが可能なことです。それ以外の者が降ろそうとしても、下手をすると一度降ろしただけで、その者は心が破壊されますので、試すことも出来ませんよ」

「それが出来るなら、あなたが『畏怖』自身をここに降ろすことは出来ないんですか?」

「それは無理ですね。まず、私は『畏怖』の真の名を知りませんし、繋がりがないんです。神を降ろすためには、まず存在を知らなければならない。だから今、この姿を取るために、わざわざあなたに魔力をもらったんですよ。それに、『畏怖』は、こちらの世界に出てくることを神に戒められています。『畏怖』は、あちらの世界にとって柱です。支える柱がなくなれば、世界そのものが危うくなる。だから、こうして姿と気配を少し借りるくらいが限界なんですよ」


 苦笑しながら、第三聖神官は、金狼に視線を向けた。


「私がこの姿で、金狼を王都まで運びましょう。この気配を纏っておけば、幼い金狼はこちらのいう事を聞きますから。今のうちに、行ってください」

「きゅーん」


 金狼は、先程までの落ち着かない様子がすっかり消え、第三聖神官が命じたまま、伏せている。

 シリルは、それを見て、まだ何かを言いたそうにしながらも、頷いた。


「荷物は、あとで送ってあげるわね」


 母は、にっこり微笑み、手を振った。


「元気でね、姉さん。いつか、会いに行くから!」


 オデットも、微笑みながら手を振った。その少し後ろに、ブレーズがいる。

 そして、ソフィは、意を決したように立ち上がり、声を張り上げた。


「行くから! 絶対に、父さんを説得して、王都に行くから!」


 今まで、見たことがないほどに、真剣な表情をした妹に、ジゼルは微笑んだ。

 シリルは、決意を見せた義妹に、頷いてみせる。


「いつでもおいで。待ってるよ」


 宰相と、ノルを抱えたジゼルが、シリルの体に手をつける。



 ――そして、手を振ったシリルは、その直後、指を踊らせ、姿を消した。



「来るのも突然なら、帰るのも突然ねえ」

「でたらめ魔術師だからな。魔術師になった頃から、なにしでかすのかその瞬間までわからないからこそ、でたらめって言うんだと」


 娘を見送った両親は、突然静かになったその場所で、呟くように会話した。

 二人とも、その表情は、とても穏やかだった。


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