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祝福の賛歌 7

 神を宿した聖神官は、シリルの体の背後に回り、シリルから浮かび上がる環を繁々と眺めていた。

 一つの大きな円環の中に二つの大きさの違う環が重なり合い、それぞれの模様が絡み合う、大変複雑なその環を、神の眼はひたすらに凝視する。

 シリルは、その環が外に出た瞬間、まるで石にでもなったように、完全にその動きを止めていた。

 ほんの少し、体を捻り、とっさに躱そうとしたその姿をじっと見て、ジゼルは息を飲んだ。

 たとえどんな状態でも、人は僅かなりと動くものだ。瞬きしないまま、目をずっと開けてはいられないし、呼吸で僅かに体が揺らぐのは、どんなに修行した人物も、呼吸を続ける限りは押さえられない。

 しかし、今のシリルは、その動きすらない。まるで時を止めたように、同じ姿勢のまま、硬直しているのだ。

 思わずジゼルはシリルに向かってにじり寄り、その手を伸ばした。


「シリル様……」

「いけませんジゼルさん!」


 ジゼルの手は、その鋭い声によって停止した。

 光る壁の外側から、第五聖神官がジゼルに向かって必死で叫んでいた。


「今のシリルさんに触れてはいけません。神は、あなた方を害することはありません。今、ジゼルさんが彼に触れ、少しでもその体が揺らげば、その環は壊れます。その環は、彼の内面にある、魔力の環。魔と契約し、彼が得た、魔と繋がる物です。それが元の場所に戻せなければ、彼はすべての感情が四散し、今とは逆に魔に命を吸われるだけの生ける屍となります。それを神が彼の身の内に戻すまで、けして触れてはいけません」

「あ、あの、神様は、どうして、こんな……」


「おそらく、あなたが、神の知る何者でもなかったからです」


 第五聖神官の言葉に、ジゼルは首を傾げた。

 神は、すべてを知る存在ではないのか。

 そのジゼルの疑問が表情に表われたのか、第五聖神官は首を振って答えた。


「おそらく、あなたは神にも探知が出来ない存在なんです。神は、この大地を、空を、水を、炎を作られた。それらすべてに神は宿る。当然、それらに触れている存在は、みな神の知るところなのです。けれどあなたは、そんな神が知る事が出来なかった存在だった。あなたのそれは、自身の性質。魔術師達のように魔術が関わり自身の存在を隠蔽しているわけではない。だからあの日、神は、お母さんの儀式でここに目を向け、初めてあなたという存在を知ったのだと思います。そして今日は、改めてその性質を確認するためにここに写し身を作り出した。始まりのファーライズは、孤独だった。だから、自らのいた場所に、世界を作り、我が子とも言える他の神々を産み出した。だからこそ、孤独にはとても敏感です。唯一無二の存在であるあなたが一人で在ることを、神は望みません。神は、あなたの思う家族すべてを祝福しました。だから、あなたの家族となったシリルさんを、傷つけることはなさいません。ですから、どうかそのまま、動かないでください」


 第五聖神官の必死の説得に、ジゼルは小さく頷いた。

 自分が、そんな大層な存在だとはとても思えない。だが、この状況を切り抜けるために必要なのは、ただ神を信じることしかないのだと、第五聖神官を見ていて理解した。


 神は、今もシリルの魔力の環を、ひたすら凝視している。


 ジゼルの目には、ただの同じような模様でしかないそれらをひとつひとつ読み取るように、丁寧に指でたどりながら確認しているようだった。

 まるで周囲のすべての時まで止まってしまったかのように、息苦しい。

 神を宿した聖神官は、相変らず瞬きをせず、しかしその仕草は、だんだんと人に近付いているように滑らかになった。


 ずっと指を滑らせていた神は、ふと、その指を止めた。そして、薄く微笑んだ。


 壊してはならないと言われたその環に、神は指をちょんとつけた。その途端、その部分がまるで光に焼けたように、輝きと共に消え去った。

 その部分に、神は再び、元のような模様を書き付ける。

 神の御業に、その場の人々は、息も吐けぬまま、見入っていた。

 三箇所ほど同じように繰り返し、神は再び、始まりの場所から環を辿りはじめる。シリルのその環がどうなっているのか、ジゼルにはわからない。しかし、神は、それに満足したように微笑むと、その環にふっと息を吹きかけた。


「――ッはっ!」


 息を吹きかけた瞬間、魔力の環はかき消され、その瞬間、シリルの体は頽れた。


「シリル様! あ、あの、もう、触れても?」


 第五聖神官に慌てて尋ね、了承を得ると、ジゼルはシリルににじり寄り、その背を摩る。

 シリルはまるで海から上がったばかりのように、速い呼吸を繰り返していた。

 ジゼルは、そんなシリルの姿を見ながら、呆然と、誰に問いかけるでもなく呟いた。


「……どうして、髪の色は戻ってないの?」


 シリルの髪は、まだ亜麻色のままだ。魔力の環とやらが抜け、白銀が消えたのはわかる。あの髪は、シリルの魔力の表れなのだ。だが、それが戻った今もまだ、その色は亜麻色のままだった。


「どうして……」

『それなら見える』


 そう答えたのは、幾重にも重なる、子供の声。

 その声に釣られるように視線を上げた先には、神が宿る第三聖神官の顔。そこには、微笑が浮かんでいた。

 神は、それ以上、なにも告げることはなかった。

 ジゼルの横をすり抜け、先程現われた時と同じ場所に立つと、すっと目を閉じた。

 再び、その場が閃光で覆われ、次にその場の人々が見た時には、漆黒の髪は消え失せ、第三聖神官の髪は淡い金に戻っていた。


 第三聖神官も、その場で頽れるように膝をつくと、ぐったりと両手を床についた。


「つ、月のやつ……勝手に……」

「三位!」


 第三聖神官は、今まで作っていた壁を消し、駆け寄ってきた第五聖神官に視線を向け、そして唖然とした。


「シリル、その髪、どうしたんですか!」

「か、み?」


 息も切れ切れなシリルに、今までのぐったりした様子が信じられない早さで駆け寄った第三聖神官は、シリルの体を無理矢理起こし、そして目を眇めた。


「……目は、変わってない。どういう事です」


 疑問も露わな表情になった第三聖神官に、第五聖神官は問いかけた。


「三位。神降ろしの間、意識は?」

「……朧気に。何をやっていた?」

「シリルさんの魔力の環が書き換えられました」


 第五聖神官の言葉に、シリルと第三聖神官は、同時に息を飲んだ。


「どこが書き換えられたのか、私には知識が無くわかりません。シリルさん、自身の魔力の環は、読めますか」

「読めます、が……書き換え? そんな事、できるんですか?」

「普通、できませんし、そもそもしようとも思いませんね。あれは魂に刻みつけるものですよ。想像もしたことがありません」

「あんな強引な書き換え方があるなど、初めて知りました。魔力に異変はありませんか」


 第五聖神官に尋ねられ、シリルは初めて、自分の体の、さらにおかしな異変に気が付いた。


「……魔力が、戻ってる」

「え、空っぽになってたんですよ。まだ日は落ちてません」


 唖然とした三人は、お互い視線を交わし、首を傾げていた。


 そんな三人の様子に、ジゼルはその場から少し下がって、様子を見守ることにした。

 なにより、魔力の事ならば、ジゼルが傍にいて、何か影響があってはいけないと思ったのだ。

 そばから離れたジゼルに、客席から、猫達が駆け寄ってきていた。

 シリルの傍には、梟の師匠が、静かに羽ばたき、舞い降りる。

 シリルが目を閉じ、自身の胸に手を当て、祈るように頭を下げる。そして、すぐさま顔を上げ、呆然と呟いた。


「……契約主の名前が、ちがう」

「「……は!?」」


 聖神官二人の声が、ぴたりと重なった。


「でも、読み方がわかりません。これ、誰だ……見た事も聞いたこともない名前なんですけど」


 パサリと、ほとんど羽音もさせずに舞い降りた師匠を目にして、シリルは慌てたように師匠に尋ねた。


「師匠……師匠はこの名前、覚えはありませんか」


 師匠は、シリルが自身の手のひらに描いた文字を見て、いつも見せていたように、こくんと首を傾げた。


『……少なくとも、魔王旗下の誰でもない』


 ――ジゼルはその瞬間、愕然として、師匠の口元に視線を向けた。


 ジゼルは、その事実に気が付き、呆然と梟を見つめていた。

 ちょこちょこと駆け寄ってきた猫達が、ジゼルを心配そうに見つめ、口を開く。


『ジゼル、大丈夫ナノ?』

『ママ、ママ』


 完全に硬直したジゼルは、ようやくその事実を理解した。

 耳では、鳴き声なのだ。リスは「ニャー」と鳴いている。ノルも、「ニャウ」と鳴いたのだ。

 それなのに、二匹が何を言っているのか、わかるのだ。


「……どうして、わかるの?」


『もしかして、どこか痛い?』

『ジゼル、ドウシタノ?』


 二匹は、揃って不安そうにジゼルの顔を見上げていた。


「……わかるの。リス、私は大丈夫。ノルも、心配してくれて、ありがとう……」


 ジゼルの異変に、シリルが視線を向け、息を飲む。

 シリルは、起こり得ないはずの異変を、その言葉で察した。

 ジゼルは、シリルから消えた白銀を今も保ったままのリスを、そっと抱き上げた。


「リスの言葉、わかるわ。師匠さんの言葉も、ノルの言葉も……」


 ジゼルは、リスの頭に頬ずりした。


「これが、神様の奇跡なの? リス、あなたの言葉がわかるの。文字じゃなくても、ちゃんとわかるの」


 ジゼルは、泣き笑いの表情を浮かべ、リスの耳にそっと口付けた。

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