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祝福の賛歌 6

 今日もまた、その道は水の女神の頭上に開いているらしい。

 猫二匹と梟は、正面に立つ主役二人ではなく、そちらに視線を向けている。

 そして、花婿であるシリルもまた、そちらに視線を向け、なぜか顔をしかめていた。

 儀式の手順は、前回母が行ったものと変わりない。

 誓約の文言で、この誓約により二人の婚姻と成す事を宣言し、そして宣誓で、二人の婚姻のあり方を示す。

 先に宣誓をしたのは、シリルだった。


「私シリルは、ジゼル=カリエを妻とし、生涯において互いに支えあい、添い遂げる事を誓います」


 装飾のない、あっさりとした宣誓だった。だからこそ、この宣誓に対するシリルの嘘偽りない気持ちでもある。

 シリルが命をかけなければならない場所は、もう決まっている。シリルの命は、国に、そして王家に捧げられたものだ。

 騎士は、その命を主君に預け、剣を捧げる。シリル自身は、騎士ではない。だが、その騎士達を束ねる立場にある。それは、王家への忠誠が認められてのことに他ならない。

 父の姿にずっと見てきた国と王家への忠誠は、ジゼルにとっては、ごく当たり前のものだ。だから、その宣誓に、命を持ち出される必要など、まったくない。


 この誓い自体が、命をかけて行われるなら、なおさらだ。


 何度も繰り返された神罰の話を受けても、それでも告げられた生涯の約束。装飾がないからこそ、それが生涯にわたる覚悟の表れでもある。

 ジゼルは、今もまだ神像の上を見つめているシリルに視線を向け、そして微笑んだ。


「……私ジゼル=カリエは、シリルを夫とし、生涯において互いに支え合い、添い遂げることを誓います」


 ジゼルも、同じ誓いの文言を述べ、そして聖神官に視線を向ける。

 第三聖神官は、その二人の様子を見て、ふっと微笑んだ。

 大きく錫杖を振り、涼やかな音がその場に響き渡る。


「以上、宣誓致します」


 主役の二人の声が、しっかりと重なり、その誓いの声がおさまる頃、第三聖神官の持つ錫杖の先に灯る光が瞬く。


「今、宣誓は成された」


 ――そう告げた聖神官が、その錫杖を両手で捧げるように持った瞬間、その場の空気が突然変化した。


 その変化は、真っ先に使い魔達に現われた。

 猫二匹は、突然立ち上がると、尻尾をぴんと立て、その全身の毛を一斉に逆立てた。

 梟は、ぶわりと倍ほどにも膨らみ、その翼を広げ、まるで威嚇するように神像の頭の部分を睨み付ける。


 そして、二人の聖神官と一人の魔術師は、それぞれ息をすることも忘れ、その場所を凝視した。


「……道が、広がってる」


 呆然と、シリルが告げるとほぼ同時に、第三聖神官はすぐ傍にいた同僚に叫ぶように告げた。


「五位、見届け人に結界! 水の神官は見届け人の傍に行け! 神が降りる!」

「お二人は……」

「儀式を受けている二人はいい。目的はこの二人のどちらかだ。それ以外の人間を守れ。急げ!」


 その声を受け、第五聖神官は客席に駆け寄り、その場で呪文を唱えながら腕を振り始める。

 その呪文が完成し、突然光る壁のようなものが、客席と二人を別つ時、その場は、閃光で包まれた。

 ジゼルは、シリルに抱き寄せられ、その腕の中にかばわれながら、ぎゅっと目を閉じる。


 ――目を閉じていても、目が痛くなるほどの光だった。


 しばらく時を置き、ジゼルは恐る恐る目を開いた。

 しっかりと目蓋を閉じていてもなお光でやられたのか、目を開いているはずなのになにも見えず、慣れるまではしばらくの時間が必要だった。

 ジゼルが身動ぎしたのに合わせて、シリルもその場を見渡した。


 その場には、変化がなかった。誰かが増えていたり、突然消えたりしたわけでもない。

 だが、正面にいた人物に、驚くべき変化が起こっていた。


 第三聖神官の、肩を少し覆うほどの長さの淡い金の髪は、漆黒に染まっていた。そして、床まで流れるほど長く伸び、その背中を覆っている。

 目を閉じたその顔に感情は見えないが、その作りは先程まで見ていたものだ。それなのに、髪の色が違うだけで、まるで別人のように見えた。

 その姿を目に止めたジゼルは、僅かに動く目蓋を見つめ、息を飲んだ。

 緩やかに開かれたその瞳は、第三聖神官の琥珀から、何色とも言えぬ、不思議な物に変わっていたのだ。


 第三聖神官の体の動きは、とてもゆっくりとしていた。

 じわりと開かれた目は、そのまま上に向けられ、そしてゆっくりと首を廻らせる。

 少しずつ、少しずつ、その動きのぎこちなさが緩和され、そして再び正面を見据えた瞳は、ぴたりとジゼルに向けられていた。

 第三聖神官だった存在は、ジゼルを見て、一歩、足を踏み出す。

 シリルは、びくりと震えたジゼルの体を守るようにしっかりと抱き留めたが、ジゼルは、きゅっと唇を噛みしめると、シリルにその腕を解き放つように合図した。

 第三聖神官は、ジゼルよりも若干ながら背が高い。

 今も、その視線は、ジゼルより少し上にある。


 正面に立ち、ジゼルを見下ろすその瞳を、ジゼルは美しいと思った。


 色が、瞬いている。緑だと思った色が、次の瞬間には金に見え、そして赤にも見える。定まらないその色は、光と蝋燭の揺らぎで、幾重にも色を見せる。

 その一見神秘的な視線は、次の瞬間、ジゼルをただ戸惑わせた。

 その存在は、繁々と、まるで珍しい物でも見るような視線をジゼルに向けるのだ。

 前から後ろから、興味が尽きないとばかりに眺めまわし、そしてようやく正面に帰ってくると、その存在は小さく首を傾げた。


『    』


 第三聖神官の口が、何かを告げる。

 ジゼルには、何を言われたのか、まったくわからない。

 何かを伝えようとしているのはわかるが、神の声は、ジゼルに聞こえるはずのない音だ。

 師匠やリス、そしてノルの言葉も、ジゼルにはわからないのである。神の声など、聞き取れるはずもなかった。


「……申し訳ありません。私には、そのお言葉は聞こえません」 


 神の声は、おそらく隣のシリルや聖神官ならばわかるだろう。ノルや師匠、そしてリスにも聞こえているはずだ。

 だが、その誰も、ジゼルにその内容を伝えられない。

 しばらくその存在は、口を閉じたまま、考えるように首を傾げた。

 そして、ジゼルの頭に、ゆっくりとその手を乗せた。


『……』


 花冠を避けるように置かれた手は、しばらくぽんぽんとその感触を確かめるように動き、そしてその動きを止めた。


『寂しい?』


 突然、頭の中で響いた声に、ジゼルは驚愕の表情で正面の色が瞬く瞳を凝視した。

 ジゼルの硬直を感じたのか、その存在は、再び口を開いた。


『一人は、寂しい?』


 先程まで聞いていた、第三聖神官の声ではない。もっと幼い、子供のような声だった。幾人かの子供が、同時に話しているような、不思議な音だった。

 初めて聞いた神の声は、想像したような威厳も、畏れも感じない。ただ純粋で、頼りなげな声だった。


「……一人は、寂しいです。でも、今、私には家族がいます。この先には、シリル様も、私の家族になります。私は一人ではありませんので、寂しくないです」


 ジゼルの返答に、正面の目が、一瞬だけ閉じられた。

 その時、ジゼルは、この正面の存在は人ではないのだと、改めて知った。

 これまで一度も、瞬きをせずに、こちらを凝視していたことに、ジゼルはたった今、気が付いたのだ。

 ジゼルは、瞬きをしない人間など知らない。それはつまり、この正面の第三聖神官だった存在は、人ではない何かなのだという事を示していた。


『……置いて、いかれるのは、いや?』


 再びの問いに、ジゼルは答えようとして開いた口を、再び閉じた。

 待っていれば、迎えが来る。だから大丈夫だと答えようとしたその心に、まるで見せつけるように浮かび上がるのは、シリルが魔法を使う時、目を逸らすあの時の気持ちだった。

 目を逸らし、その場から立ち去るあの瞬間、沸き上がるのは……。


「傍に、いたい……」


 ジゼルは、その声を出したことにも気付いていなかった。思わず漏れ出たその声に、目の前にいた存在は、優しく微笑み、ジゼルの頭をしばらく撫でた。


『その無二に祝福を』


 そう告げると、その存在は、素早くジゼルの額に一つ、軽い口付けを落とした。

 とても軽い口付けだった。そのはずなのに、その瞬間、ジゼルの全身に、まるで強い蒸留酒でも口に含んだように、熱が駆け巡った。

 ふらりと傾いだ体を、すぐ傍にいたシリルが慌てて受け止め、そっと床にひかれていた敷物の上に、ジゼルを座らせた。

 そうやって、二人が視線を逸らしたその時、再び第三聖神官の手が動く。手を掲げながら、しばらく首を傾げ、不思議そうにあたりを見渡している。

 そして突然、まるで暗闇で何かを手探りで探しているように、手を彷徨わせた。

 何をしたいのかわからず、呆然と見守る二人の前で、その手が微かにシリルの頭に触れた。その途端、手は、明確にシリルの方角に向けて、さしのべられた。

 ぺたぺたと、第三聖神官の手が、シリルの顔を確認するように動き回る。


 神の目に、魔術師は写らない。その話そのものだった。

 この仕草はつまり、目に見えないシリルを探していたのだ。

 

 しばらくシリルの顔を探っていた手は、次に首を、そして肩に行き着く。

 次第に降りていく手は、その体を確認して、そしてある一点で止まった。

 そこに到達し、何かを納得したように頷くと、その存在はシリルの肩を掴み、立ち上がらせた。

 そこに至っても、まだその焦点はシリルにはあっていない。しかし、すでにその場所はわかっているらしく、再び先程手が止まっていた一点に、手が添えられた。

 そこは、人の心臓がある部分。その部分に手を添えられたシリルは、はっと何かに気付いたように体を反らそうとしたが、すでに遅かった。


 とん、と軽く体を押しただけに見えた。それなのに、その変化は、劇的だった。

 シリルの背後に、まるで血で描かれたような真紅の環が、三重になって現われていた。


 しかし、ジゼルの眼はそちらではなく、別の現象を捉え、驚愕で見開かれていた。


 その環が現われた瞬間、シリルの白銀だった髪が、それこそ魔法のように変わっていたのである。

 その色は、公爵夫人ディオーヌと同じもの。

 ――本来、シリルが持っていたはずの、亜麻色だった。 

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