祝福の賛歌 4
シリルは、唖然としたままの海軍の面々にかまうことなく、提督の傍にいたレノーにあっさり告げた。
「補佐官の拘束も、こちらでお願いします。ここの襲撃犯と一緒に送ってください」
その途端、補佐官は身を引き、シリルを睨み付けた。
「なんの証拠があって、私に反逆罪などとおっしゃるのか!」
「ベルトラン侯爵家の花嫁襲撃犯達の証言、並びにクローデット=クリステル=ダントリク侯爵令嬢の証言、そして昨日こちらを襲撃した犯人の身元並びに証言だ」
宰相の言葉に続き、シリルは笑みを消した表情で、僅かに下にある補佐官を見下ろしながら、今朝持って帰ってきたその証拠を一枚、懐から取り出した。
「それに加えて海賊船に残されていた文書もあります。海賊達は、いつかあなたが裏切る日が来るのを予測して、あなたから受け取っていた物をすべて保存していました。人身売買の契約書もありましたし、その契約書によって売られた人数は、ベルトラン襲撃犯達の証言と人数も合致しています。追って調査は必要でしょうが、証言の裏付けとなる物が発見されたからには、どんな言い逃れも通用しませんね」
文書をすべて折りたたみ、再び懐にしまったシリルは告げる。
「提督閣下も、長年の海賊達との癒着についてお聞きしたい事がありますので、そのまま軍港の施設ではなく、こちらにご滞在お願いします。今日明日中には王都に向けて拘束した者達と共に移動していただきますので、お覚悟を。一応念のために申し上げておきますが、ここであなたが自害したら、あなたのご子息があなたの代わりに断罪される事になります。どうぞ潔く、王都への出頭をお願いします」
初めに意気揚々と乗り込んできた提督が、愕然とした様子でシリルの顔を見上げていた。
補佐官は、立っているのもやっとの様子で呆然としていたが、なにやら小さな声で、ぶつぶつと呟いていた。
「そんな……。クリスが……そんな証言、できるはずは」
「彼女は、お前のした事に気付き、自らも断罪される覚悟で、つい先日出頭してきた。お前が王妃陛下主催の夜会の日、彼女のパートナーとして会場にいた事も調べがついている。その夜会のあと、お前が彼女を籠絡した事もな。彼女は、王太子妃候補の情報を調べて、お前に向けて手紙を送っていたとも証言していた。姉を王太子妃にできれば、二人の結婚も許すと、侯爵からの確約を得ていたそうだ」
宰相の言葉に、補佐官は顔をしかめた。
「長年にわたる海賊達との癒着の疑惑は、提督並びに海軍に所属する者達からの証言も必要になる。だが、反逆罪だけでも、お前には死罪が確定している。取り調べも厳しい物を覚悟しておくように」
ひゅっと息を飲んだ補佐官を、ブレーズ達は取り押さえるため、一歩足を踏み出した。
しかし、その補佐官は、震える手をそのまま腰に当てると、突然獣じみた叫びと共に、宰相に向けて己の剣を振りかぶっていた。
拘束しようと傍にいた兵士達も、海軍兵達の傍でその見張りをしていた者達も、皆、反応が一瞬だけ遅れていた。
宰相は、己に振りかぶられたその剣を、ただ一歩下がることで受け入れていた。
一度たりとも目を逸らすことがなかった宰相と、暴漢と化した補佐官の間に立ちふさがるのは、つい先程、その補佐官を拘束するよう命じた、紺色の、近衛礼服。
シリルは、自身の透明な壁で遮られ、はね返された補佐官の手を掴むと、それをすばやく背中にひねり上げた。力を入れ、補佐官が痛みと脱力で剣を取り落としたところで、それを宰相の前に進み出ていた護衛の騎士に向けて蹴る。
自暴自棄の補佐官がシリルによって取り押さえられたのは、それこそあっという間の出来事だった。兵士達は、ほぼ反応しただけだった。レノーも反応したが、さすがに位置が遠すぎた。
しかし、シリルと護衛の騎士二人は、宰相を守護する為、しっかりと補佐官と宰相の間に立ちふさがっていた。初めから、宰相を守るための立ち位置を確保していたからこそ、その行動に移れたのだ。
その事は、シリルの近衛礼服は飾りではないのだと、その場にいる人々にまざまざと見せつけた。
砦の兵士達の注目の中、補佐官を取り押さえているシリルを見ながら、宰相は突然問いかけた。
「シリル。ダントリクの王位継承順位は、血脈としては何番だったか」
「現在の王家であらせられるリュスコール。次いでバゼーヌ。次は、先代の王妹を娶ったダントリクです」
「そのダントリクには、現在娘しかおらず、血縁から婿を迎える予定だったな」
「その婿に継承権が与えられた場合、七位となります」
「まあ、与えられるのだろうな、今の法だと……。だが、あと僅かで法は変わるぞ」
宰相があっさり告げた言葉に、その場にいたほぼ全ての人間は、驚愕した。
「王女の王位継承権が認められ、女王の即位が可能になる。その場合、バゼーヌでは、私の妻であるディオーヌが王位継承権を持つ。ダントリクの娘二人も、王位継承権を持つことになる。そして、王配は、継承権を返上、または消滅させることで調整されている。それがないと、継承権をもつ娘を妻にした後、それを排除することで継承権を得ようとする男がいないとも限らないからな」
宰相は、その視線を一瞬だけ補佐官に向けた。その視線の意味は明らかで、今まで睨み付けるばかりだった補佐官の視線が、その瞬間戸惑いを見せるようになった。
「お前は、今のダントリク侯爵の弟の子だったか。王家以外の継承は、主筋のみ。そこに食い込むには、主筋の娘に取り入り、継承者の数を減らすのが早道、か。お前の父はずいぶん単純なことを考えたものだ。あの王妃陛下主催の夜会でジゼル嬢の名が上がるまで、ダントリクの長女は王太子妃候補の中で一歩先んじていた。だからこそ慌てたか」
呆れたような宰相の声に、補佐官は項垂れ、その体からは力が抜けていた。
「我が国は、王となる者の魔力を地に返すことにより、国の豊穣を約束されている。王家が、その維持のために尽力し、初めてこの地は豊穣な農地となり、清水がもたらされているのだ。しかし、今の王家は、優秀な魔術師を使い捨てにして、初めてその権威を保つことが可能なまでに力が衰えている。その事を愁いている貴族は多いが、人の誕生と、その能力に関しては神の領域であり、誰もどうしようもない問題でもある。たとえ当代で魔力が低くとも、魔力が強い女性が当代に嫁せば、次代にはちゃんと魔力を持った子が産まれることはわかっている。しかし、その場合、その力が必ず全員に現われるわけではない。力を持つのがその代に女児しかおらず、男児はすべて魔力が低くとも、今の法ではその女児ではなく男児を王とするしかない。王は、常々その事を愁い、だからこそあえて、自ら魔術とは関わりなく妃を娶り、その問題を明確にすることに骨身を削る思いで取り組んでこられた。今も、王家は、血筋としては優秀な魔力保有者を産み出す土台はある。次代の王太子妃によっては、その力は取り戻されるだろう。だが、その取り戻した力が、再び女児に宿れば、結局その女児は王家から出ることとなり、今の二の舞となる。王は、そうならない為の整備をする時間が欲しかったのだ。幸い、我が国には、ヤン=ラムゼン=アランブールがいた。だからこそ王はこの計画を実行し、そして、シリルが産まれ、その猶予期間は若干だが延長された。今でなくてはできない法整備をしている時に、個人的な邪心を向けられて、我らとしては大変憤っている」
初めて怒りを露わにしたその視線は、海軍提督に向けられていた。
「前の時は、王妃陛下の魔力が無いことに反発した貴族達を扇動、今度は己が欲と邪心に捕われた息子。そろそろいい加減にしてもらえないか。王も私も、一刻も早く、この法を整備するために自らのすべてをかけている。たかが個人的な野心程度で私を煩わせるな! こっちが気が付いた時にはすでに王位が転がってましたくらいの計画が出来てから来い!」
憤りをそのまま口にした父に、シリルは若干腰が引けながらも、一応これだけはとばかりにその父に進言した。
「……気が付いたら終わっていましたでは、今父上がやってる法整備が無駄になりますよ」
「王家に対する害意について取り除くのは、その全権を担う王太子殿下と近衛隊の仕事だ。私にまで回してくるな」
どうやら、宰相の本音はそこだったらしい。
にらみ返され、シリルは補佐官を捕獲したまま、しおしおと頷いた。
その宰相の声を、扉の内で聞いていた一家は、いつ表に出ればいいのかで全員が困惑していた。
「……呼ばれるまで、中にいればいいのかしらね」
「何か、難しいお話をしてるみたいだし、そうじゃないの?」
オデットとソフィは、晴れ着を着た状態でしゃがみ込み、扉の前でぼそぼそと相談している。
そんな姿を見て、ジゼルは苦笑しながら、二人に立つように促した。
「せっかくの晴れ着が汚れるわよ。立ちなさい二人とも」
「そうよ。それに時間のこともあるんだし。さ、出るわよ」
あまりにあっさりと扉に手をかける母を、娘達は慌てて制したが、それは叶わなかった。
母は、扉を少し開けて、外にいた兵士に声をかけた。
「そろそろ時間ですけど、よろしいかしら?」
緊張した空気が、母のそのひと言で一気に解きほぐされた。
砦の兵士達は、提督と補佐官を拘束し、砦の中に連行した。
残された海軍の兵達は、ひとまとめに監視が置かれ、慌ただしく軍港にもシリルの命令書を持った護衛の騎士と一部の砦の兵士達が送られた。
バタバタと皆が駆け回る中、母は扉を開け、娘達を表に導いた。
白地の布に、色とりどりの絹糸で刺繍されたその衣装は、王都では見かけることが出来ない、ある種素朴な形の貫頭衣だった。
薄手の下着に、襟としてたっぷりのフリルが施され、上着の襟ぐりから、それがふわりと花嫁の首元を覆っていた。
華やかな刺繍が施された衣装とは裏腹に、頭にかけられたベールは白一色で織り上げられた物であり、飾り気のないそのベールを唯一彩る物として、陽光を反射して輝く花冠が乗せられていた。
特殊な花飾りは、まるで宝石細工のようで、どのような細工物の冠よりも貴重な物。それが、神から授けられたルシスの花冠であることは、あの儀式を見ていた者なら一目でわかる。
花嫁衣装を身に纏ったジゼルは、シリルの姿を認めて、うれしそうに微笑んでいた。




