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祝福の賛歌 3

 屋内から現われたシリルを眼にして、手伝いに来ていた女手のすべてが硬直し、頬を染めた。

 紺色の近衛式礼服を身に纏い、日頃手を入れない白銀の髪をすべて後ろに流し固めたシリルの姿は、紛う方無き貴公子だった。

 常日頃はこんな無骨な砦にいるはずのない貴公子の姿に、女性達は老いも若きも揃って頬を染めていた。

 しかし、そんな女性陣とは対称的に、庭で竈に付きっきりになっていた兵士達は、なにやら含みを持った表情で、シリルを、と言うよりも、その衣装をじっと見つめていた。


「……ここでそれを着るかぁ?」

「近衛様だねえ」


 砦の兵士達の、なにやらもの言いたげな視線を受け、シリルはうっと言葉に詰まる。


「だからやだったのに……」


 この西砦は、騎士となるための前段階、兵士としての修練のために配属される砦でもある。そこかしこにいる未来の騎士達にとって、王宮の近衛隊というのは、最大の目標となる。

 現在、近衛の頂点であるエルネストは、それこそ彼らにとっては雲の上の存在であり、崇拝の対象とも言えるのだ。

 その憧れの存在と同じ服を身につけているのが、騎士ではなく魔法使いだというのは、彼らにとっては納得のいかない事らしい。

 それは、王宮で近衛としての勤めをする間に送られてくる視線で、否応にも知る事実だった。

 一応、近衛隊の模擬戦などで、模範の演武を行うエルネストの相手を勤めるのは必ずシリルなので、それを見た者達はシリルがその地位にいる事を納得するのだが、それを見ているのは近衛に所属した者だけなのだ。

 日頃、シリルは王宮魔術師の勤めが優先で近衛の仕事をする事が稀なので、結局それを他の騎士達には知られる事がないまま、シリルはいつも同じような視線に晒されているのである。

 壁に向かってどんよりと項垂れたシリルに、今日も仕事中のブレーズが肩を叩いて豪快な笑い声と共に慰めた。


「まあ、いいじゃないか。魔術師の衣装よりは、それの方が花嫁の隣に立つのには、相応しいってもんだろ」

「そうかな」

「魔術師の衣装ったら、あれだろ。ずるっとしたローブと口と手を隠したやつ。あれだとどう見たって、不審人物じゃないか」

「不審……」


 ブレーズの、慰めているのか余計にとどめを刺しているのかわからないひと言に、シリルは傷ついたような表情でゆらりと身を傾ぎ、さらに項垂れた。


「ところで。武器はどうした。その衣装で、剣がないのはおかしいだろう。持ってきてないなら、砦のものを貸す事もできるぞ?」


 ブレーズの視線を辿り、それが腰にある剣帯に向けられているのを知って、シリルは苦笑した。

 その腰にあるのは、煌びやかな装飾が大量に付けられた、あきらかに儀礼用の剣帯である。一応、剣を装着する部分もあるが、それ以上に白銀の鎖で編まれた飾り部分が目立つ。

 シリルの剣帯は、剣を装備するためのものではない。その飾りにこそ、意味がある。

 鎖の一本一本、そしてその先に付けられた宝石細工。それらすべてが、シリルにとっては意味のあるものなのだ。


「私に剣はいらないんだ。そもそも騎士ではないから、剣を装備する意味もない。昔から、武器を持って戦う事には、慣れて無くてね。むしろ、ここに剣がある方が、邪魔になる」

「……じゃあ、なんで剣帯を付けてんだ?」

「一応、これが私にとっての武器だから。この位置に、武器がある事には変わりないんだよ。ただ、それが他の人の眼に映るかどうかの違いだけ」


 シリルの腰で揺れる鎖が、シリルの動きに合わせて、微かに触れあい金属音を響かせる。

 他の、武装した兵士達とはあきらかに違うその音は、シリルがただの近衛ではない事を周囲に知らしめた。

 ブレーズは、そんなシリルの剣帯を見て、首を傾げつつも納得した。

 これは、魔術師である。それも、でたらめと言われるような、通常では考えられないような方法で魔法を紡ぐと言われている魔術師だ。

 魔術師の武器は魔術。見えない武器とは、すなわちそれだろうと、ブレーズは納得したのである。


「副隊長!」


 見張り台の上から声がかけられ、ブレーズとシリルは、会話をやめて、そちらに視線を向けた。


「軍港方面から、騎兵が来てます」

「部隊か?」

「人数は、十人ほどです。旗手が提督旗を掲げています」


 にわかに兵士達が緊張に捕われる中、シリルはブレーズの平静な表情を見て、首を傾げた。


「……来るのがわかってた?」

「そりゃ来るだろうさ。自分の所の兵士が、軍法会議にかけられるために、陸軍によって王都に送られると聞いて、動かないはずはない。おまけに、今ここに宰相閣下がいる事もわかってる。それなら、動くのは、その宰相と交渉できそうな、提督閣下本人だろうよ」


 にやりと笑うブレーズに、シリルは仕方ないとばかりに肩をすくめて苦笑した。


「長々居座られるのは困るな。これから儀式だし」

「なに、花嫁の仕度ってのは時間がかかるもんだろ。その間には片付くさ」


 それだけ言うと、ブレーズは、自ら隊長に知らせるべく、砦の中に入っていった。

 取り残されたシリルは、駆けてくる騎士の集団を見つめながら、そっと自らの剣帯を確認するように、手を腰に当て、しばらく思案すると、砦の中にとって返したのだった。


 砦の外で待ち構えたレノーの正面に立ったのは、提督ではなかった。

 あくまで提督は、宰相以外を相手にする気はなかったらしく、レノーに対しては補佐に相手をさせていた。


「海軍所属の兵が、陸軍による単独の見解で軍法会議にかけられるのは、納得しかねる」

「単独の見解と言われても、こちらは武装した兵によって襲撃されている。いわば現行犯を取り押さえた形だ。見解もなにもない。襲撃犯として、王都に送らせてもらう」


 窮屈そうに礼服をきっちり身につけたレノーは、それもあってか、憮然とした表情でとりつく島もなくそう返事をした。


「その襲撃が、見解の相違であると言っている。とにかく宰相閣下にお会いして、こちらの見解も述べさせてもらう」

「その宰相閣下が、兵士の移送を指示している。それは覆せない」


 平行線を辿る会話を眺めながら、レノーはちらりとブレーズに視線を送る。

 その視線を受け、ブレーズは砦の中で待機している人物達に合図を送る。

 合図を受けて、姿を現した宰相と護衛の騎士達の姿を眼にして、提督はすぐさま宰相に敬礼し、出迎えた。


「閣下。この度の事について、詳細をお聞きしたく参りました。我らに知らせず、陸軍の単独作戦により、海賊の討伐も行ったと聞き及んでおります。その件に関し、我らにもご説明いただけませんでしょうか」

「……知りたいのは、こちらに捕われた兵達の事ではないのか?」

「もちろん、そちらに関してもです。しかし、今朝方、こちらの陸軍が使用した船が空中に浮いた状態で帰港したとの話を聞きました。こちらは、陸軍が船を出す事も、海賊を討伐する事も、連絡を受けておりません。元来、このガルダンでは、我ら海軍と陸軍は、役割を二分しておりました。陸軍は海賊に村々が襲われた場合の備えとしてこちらに駐留しており、海上での討伐は、すべてこちらの管轄です。それをなぜ、こちらではなく陸軍主導の作戦を行ったのか。原則を覆されたからには、こちらにもご説明いただくのは、当然の事かと存じます」


 宰相に対しても、まったく畏れることなく提督はそう言い放ち、レノーを睨み付けた。

 先程までレノーに相対していた補佐は、宰相が来た事で一歩下がり、提督のすぐ傍で控えていた。

 宰相は、その補佐を上から下まで眺め、首を振った。


「その作戦は、私から出したものではない。第二近衛隊が預かる事件に関する出動であるから、陸軍が出たまでの事。緊急の作戦であったために、そちらへの連絡も事後とした」

「どのような緊急性があったとおっしゃるのか。ここガルダンから軍港までは、馬で飛ばしてもそれほどの距離ではございません。陸軍が、船を手配し、出港する時間があれば、十分こちらでもその作戦は遂行できましょう」


 提督の言葉に、ブレーズを初めとした砦の兵達は、総員呆れ返り、言葉もなかった。


「海賊が出たと聞いて、翌日になってから暢気に出港していく海軍の船では、無理な作戦だっただけですよ」


 砦の中から、兵士達の心中を代弁する言葉が告げられた。


「あの日、あの時でなければならないのに、翌日に船を出されては、みすみす相手の仕事を見逃し、さらに逃亡の時間を稼がせてやる事になる。それでは意味が無い」


 姿を現したシリルに、提督は怪訝な表情を向け、そして何かに気付いたように宰相に視線を向けた。


「……ご子息の名声のために此度の作戦を承認なさったとおっしゃるなら、我らはそれこそ王都の軍法会議において、閣下の独断専行を追及する事になりますぞ」

「……これに名声? 今更か?」


 宰相が思わず呟いたその声が聞こえたのか、提督は不愉快そうに眉をしかめた。

 シリルは宰相に耳打ちし、その前に出ると、提督に対しにっこりと微笑み、一枚の紙を取り出した。


「提督閣下。我々のために、わざわざそちらの補佐官まで連れて来ていただき、ありがとうございました。おかげで、無駄な時間を使わずにすみました」

「……なに?」


 提督の虚を突かれた表情を尻目に、シリルは手にしていた紙を広げ、それを提督の傍に控えていた補佐官に向けた。


「王太子殿下の命令により、王宮第二近衛隊隊長シリル=ラムゼンの名において、海軍提督補佐官セヴラン=フォートリエ=ダントリクを、王家に対する反逆罪並びに人身売買に関わった罪で拘束する。これにより、海軍施設並びに人員の調査のため、一時的に調査完了まで、海軍に所属する兵士の、軍港への立ち入りを禁ずる。この命令は、王太子殿下により保証された物であり、その効力は王太子殿下による解除の命令が発令されるまでとする」


 突然差し出されたその文書に、海軍兵達は元より、提督までが唖然として二の句が告げられない状態で、その場に沈黙がもたらされたのだった。

 

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