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花開く その思い 28

 港では、そこにいた全員で、その船を見つめていた。

 緩やかな速度で、まるで鳥の羽根が舞い降りるかのごとく降りてきたその船は、つい昨日、この港の船をすべて止めて、帰るまでの出港禁止を言い渡した人物が乗っていった船だった。

 その時は、間違いなく波の上を走っていたそれが、どうして空から帰ってくるのか。

 その理由がさっぱりわからないまま、港の人々は、その船を呆然と見つめていた。


「……うえ、気持ちわる……」

「なんだ、海の上とは違う感覚が……」

「まさか……酔うなんて……」


 はじめにそこから聞こえたのは、なにやら呻く男達の声。

 そして、その恨みすら籠もっていそうな呻きを一切無視して、朗らかに鼻歌を歌いながら一人の男が船縁に姿を現した。


「無事に到着しました。さすがですよ、シリル!」

「あ……がと……ござ……」

「おい、大丈夫か!」


 港の人々は、その船からようやく聞こえたレノーの声に、これが夢でも幻でもなく、あの時出航した船なのだとようやく全員が理解した。

 レノーの姿は見えないままだが、声をかけられたらしい男は振りかえり、会話を続けている。


「おい、あんた! こいつはこれから、いろいろ予定があるんだぞ。大丈夫なのか!」

「大丈夫ですよ。ここには聖神官がもう一人いるはずです。彼は私と違って、回復が得意なので、なんとかなります」


 ただ一人、姿が見えている元気いっぱいの男は、港をざっと見渡し、その人を見つけた。


「あ、いたいた。おーい、五位!」

「馬鹿ですか三位! 突然、港に来いと聞こえたから何事かと思えば、なんでこんな目立つ事をやってるんですか! そもそも、どうして船に乗ったりしてるんですか。予定をすぎても来ないし、馬車がようやく到着したかと思えば中に衣装だけが乗っていて、どれだけ心配したと思ってるんですか!」


 挨拶よりもなによりも、真っ先に聖神官を真っ向から罵倒したのは、あの日一家のために儀式を行った聖神官だった。

 あきらかに罵倒した側の聖神官の方が年上に見えるが、その言葉遣いから、三位と呼ばれた聖神官の方が上の地位にいる事がわかる。

 三位聖神官は、笑顔を見せながら、港にいた五位聖神官に手招きをして見せた。


「ああ、馬鹿でもなんでもいいから、理由はすべて後回し。ちょっと力を貸してくれないか。魔術師が一人潰れたから、回復してやって欲しいんだ」

「何をやったんですか!」


 一気に血の気が引いた表情で、五位聖神官は、慌てて空に飛び上がった。その体は、まるで背中に羽でも生えているように、ふわりと甲板に舞い降りる。

 甲板の上に、レノーがしっかり抱きかかえたシリルが、血の気の失せた顔でぐったりと気絶している姿を見つけ、強い視線で三位と呼んだ聖神官を睨み付けた。


「何をしました」

「あの子は風の魔術師なんだ。その力を使って、この船を浮遊させた」

「やっぱりあなた、馬鹿ですよ! 人一人にこんな巨大な物を制御させたら、下手したら魔力切れで落ちて全員死ぬでしょうが! しかも日の出に魔術師に魔法を使わせる? なんて無茶をやらせてるんですか!」


 慌ててシリルに駆け寄り、レノーからその体を受け取ると、大急ぎで両手足と額の位置に空中で呪文を書き付け、それに力を分け与える。

 その作業を見ながら、三位聖神官は、うんうんと頷いた。


「失敗しないように、ちゃんと私も力を使っていたよ。その子は今、いつも使っているはずの強大な魔力が宙に浮いた状態だから、なんとかなると思ったんだよ。それに、一人で魔力の制御ができるようになっているか、見てみたかったし。なにやら急いでいるとかで、どうやって帰るかでこちらの隊長さんともめてたから、それぐらいなら、制御を受け持つから船を飛ばして帰ろうって提案して、やってもらったんだ」

「それだけやるなら、もうちょっと力を分けてあげればいいでしょうが! どうするんです、この方これから、ファーライズの儀式をしなければいけないんですよ!」


 その五位聖神官の言葉に、ふと気が付いたように、三位聖神官は首を傾げた。


「……しなければ、いけない?」

「そうです。この方の儀式は、神ご自身に受け入れられたものなんです。儀式の延長も拒否も出来ないんですよ。こんなになるまで力を使い果たしたら、日が沈むまで回復しないし、声も出せないじゃないですか。どうするんです」


 それを聞いた瞬間、三位聖神官の表情は変わった。


「……まさか、魔術師が神の写し身を召喚できたのか?」

「それは違います。この方自身が、神と対話したわけではありません。ここで、この方の婚約者にあたる女性のお母様が、誓約の儀式を受けられました。その際、そのお母様と婚約者の女性を、神がいたくお気に召されたようなんです。婚約の儀式についてのご質問をお母様から受けた際、神がそのまま、受け付けてしまったんですよ」

「……うわ、まっず……」


 目を彷徨わせた三位聖神官は、慌てたように五位聖神官に駆け寄った。


「急げ、なんとしても治せ!」

「あとでそんな事を言うくらいなら、無茶させないでください! いいからあなたも力を分けてください。この方、器が大きすぎて、簡単に治せないんですから」


 突如慌てはじめた二人は、揃ってシリルに飛びつき、次々に呪文をシリルに打ち込む。

 その呪文は、まるで乾いた砂が水を吸うようにシリルの中に溶け込んでゆくが、その度に二人の聖神官の表情は険しさを増していった。


「せめて、陽光の守りが出来れば、効果もかなり違うと思うんですが」

「私達ではできないな。どうする」

「いざとなったら……仕方ありません。神のお叱りはあなたが受けていただくという事で、あの母娘に神が授けたルシスを使います」

「うわ、ルシスまで渡したのか? そのお気に入りになった娘の相手が、この子なのか?」

「そうですよ、って、さっきからずいぶん気安く呼んでらっしゃいますが、もしかして、知りあいですか……。まさか」


 睨む視線に、気まずそうに三位聖神官はもごもごと答えた。


「あー……。以前儀式に立ち会った」

「もしかして、開眼のですか。あなたは正真正銘、大馬鹿者ですね。それじゃあ、この方、あなたの言葉に逆らえないって事じゃないですか」

「ああ、はいはい、大馬鹿でいいから。儀式の時間は?」

「正午の静謐の時です」


 二人は、お互い見つめ合い、しばし考え込んだ。

 シリルは、彫像のように息をしている事すら信じられないいつもの寝相で、完全に意識をなくしている。

 その姿を見ていた三位聖神官は、はっと何かに気が付いたように、すぐ傍で成り行きを見守っていたレノーに、突如視線を向けた。


「そうだ。この子がここに滞在中、寝ていた場所はどこですか」


 その三位聖神官の言葉で、五位聖神官も同じように何かに気付き、レノーに問いかけた。


「確か、砦ですよね。あそこで寝てましたか?」


 二人の聖神官から、矢継ぎ早に質問され、レノーは怪訝な表情をしたまま、それに答えた。


「ああ、寝てたが……それがどうした」

「結界は残っていますか」

「結界だ? 知らん」


 レノーがいる間は、普通に部屋に入っていたし、もしくはなぜか、倉庫で寝ていた。

 確かに自分が海賊退治の間、守護の結界とやらを張っていたのは報告を受けたが、今現在どうなっているかなど、答えようがなかった。

 その回答を得た二人は、一瞬難しい表情になったが、次の瞬間、五位聖神官が突然頭を上げ、レノーに尋ねた。


「……猫。そうだ、黒猫が、ごく最近、この方を頼ってお宅に行きませんでしたか」

「来たな。娘が面倒を見ているはずだ」

「それです! すみません、この方をその黒猫がいる場所に運びたいので協力してください」

「黒猫?」


 三位聖神官が、訳がわからないと言った表情で首を傾げた。それに説明するのももどかしげに、五位聖神官はレノーがシリルの体を背負うのを手伝った。

 身長のあるシリルの体も、それ以上に大きなレノーなら、ゆとりを持って背負える。

 レノーの大きな背中でぐったりしたシリルを見ながら、第五聖神官はようやく口を開いた。


「神の儀式を行った時に、傍に居た黒猫が、神力に触れて開眼したようなんです。この方を頼るようにと指導しましたから、十中八九、結界はそこに残っているはずです」

「うーん。すでに使い魔になっているなら、陽光の守り。そうじゃなければ、防御の陣かな。どちらを張ってあるか」


 その疑問に、五位聖神官は悩むことなく答えた。


「この方が使ったまま残したなら、おそらくは両方です。陽光の守りなら、その中で儀式を行えば、効果も見られるはずです」

「ああ。それしかないか」

「お得意でしょう、賭け事。勝つ方に賭けてください」

「私は勝てるやつにしか手は出さないよ!」


 シリルを背負ったレノーは、船の上にいた兵士達に、海賊達の移送と後始末を命じると、そのまま身軽に船から下りた。

 そのあとを、二人の聖神官も追いかける。

 野獣は、人一人背負っていても、聖神官達が追いつけないほどの脚力を発揮して、自分の住み処に向けて駆け出した。

 その鬼気迫る様子に、港に集まっていた人垣は自然と割れ、砦までの道が開けていた。


「隊長! おかえりなさい。てか、何があったんですか。船浮いてましたけど」

「その説明はあとだ」


 ブレーズは、その隊長の背中から前に回された白い手を見て、首を傾げた。

 その手に巻き付く布は、薄紫で、ここを出がけにシリルが身に纏っていた物だった。

 恐る恐るその背中を見て、それが間違いなくシリルである事を確認し、目を見張る。


「こいつ、どうしたんです?」

「力を使いすぎて、ぶっ倒れた。こいつが連れて来た黒猫はどこだ」

「会議室でお嬢さん達が面倒を見てますよ」


 なぜ黒猫の行方を尋ねられたのかはわからないが、それは今野獣にとって、庭に転がる侵入者達の身柄よりも重要事項らしい。

 そう判断したブレーズは、砦の入り口の扉を全開に開けさせた。

 その時、ようやく駆け込んできた二人を見て、この場にいた兵士達は、全員が唖然としてしまった。

 駆け込んできたうちの一人は、あの日、あの荘厳な儀式を司っていた聖神官である事に気が付いたのだ。

 あの日の儀式は、部隊で時間があった者も、全員が見に行っていた。

 聖神官は、あの日の落ち着きをすべてかなぐり捨てたように、必死の形相で砦に駆け込み、野獣のあとを追う。

 もう一人もそれに並び、まるで風のようにこの場を立ち去っていった。


「……なんなんだ?」


 取り残された兵士達は、それを呆然と見送るしかなかったのだった。


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