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花開く その思い 27

 夜が明け、本来なら港町にようやく朝一番の賑やかさが訪れる時間、砦の庭では、ブレーズと本日日勤の兵士達が見守る中、宰相による侵入者の検分が行われていた。

 中庭に並んだ遺体に掛けられた布をまくり、一人一人の顔を確認した宰相は、深々とため息を吐いた。


「そちらの重傷者達に見覚えはないが、他は皆、海軍の下士官だな。施設にいった時に、見た覚えがある」

「……見た覚え、ですか」

「あいにく、私は、一度しっかりと見た顔は、忘れる事がないのでな。名前が告げられる事はなかったが、顔は正面から見ている。間違いない」


 唯一、それほどの怪我もなくブレーズに捕縛された侵入者は、厳重に縄で拘束され、槍を持った兵士達二人にすぐ隣で見張られながら、その場に座らされていた。


「海軍施設にいる、提督補佐官の元にいた者達だ」


 宰相が、きっぱりと自分達の身元を断言した様子を、ただ一人意識があったその男は、愕然としながら見つめていた。

 その顔を醒めた目で見た宰相は、侵入者に向かって、吐き捨てるように告げた。


「それで、お前達が動いた大義名分はなんだ。まさか、私にそれを尋ねられた時の答えを用意しないまま、ここに来たりはするまい」


 そう問われ、はっとしたように顔を上げた侵入者は、拘束された不自由な体で、身を乗り出すようにして宰相に答えた。


「こちらの施設が、海賊の脅威にさらされているとの情報を得て、宰相閣下の御身をもっと安全な場所でお引き受けするために我々は遣わされました。我々は侵入などという事をするつもりは……」

「馬鹿か。武器を抜いて突っ込んできた時点で、そんな言い訳が通じるはずがないだろ」


ブレーズは、呆れたようにそう告げて、ちらりと宰相に視線を向けた。


「それで、宰相閣下を、たいした腕もない五人で、今まさに海賊の脅威にさらされて、がっちり警戒している場所から連れ出し、全然警戒していない街道を走らせたとしてだ。その目的地が、海賊達の船だったとしても、お前らの姿じゃあ、目撃者達も海軍のせいだとは思わないだろうなあ。おまけにお前らは、海軍士官の証明が出来る紋章のひとつも身につけていない。あとから、お前達に責任をすべて被せて切り捨てる準備も万全という事か?」

「なんだと!」


 一瞬で激昂を見せた男は、兵士達に槍で押さえつけられ、地面に転がされた。

 それでも、その視線は、ブレーズをまるで仇のように睨み付ける。

 宰相は、そんな男の姿を見る価値もないとばかりに視線を逸らし、今は一隻の船も動きがない港に視線を向けた。

 本来なら、今の時間、夜明けと同時にはじめられた漁の結果を水揚げしている時間である。

 海賊の脅威がある今、漁船の出航すら制限された港は、日頃ではありえない姿で、静かにレノー達が乗った船の帰りを待っているのである。


「同じ我が国の軍人でありながら、軍施設に武器を抜き侵入を果たしたお前達の行動は、どんな理由があろうと許される事ではない」


 宰相は、もう仕事は終わったとばかりに、身を翻した。

 宿舎の扉に手をかけながら、ブレーズに告げた。


「レノー隊長の帰還次第、その者達の移送の手筈を整えてくれ。彼らと、主犯である補佐官は、王都で軍法会議にかけられる事になるだろう。その際の証人として、君が出廷してくれると助かる」

「了解しました。隊長が戻り次第、その準備にかかります。……その補佐官の身柄はいかがしますか」

「……しまったな。もう一枚紙を持ってきておくべきだった」

「は?」

「……シリルが帰り次第、あれに命令書を出させる。それで捕縛してくれ」

「え、シリル殿が命令書ですか」

「今回の本来の仕事は、王太子宮の近衛隊が請け負っているものだ。その隊長であるあれは、王太子殿下の名の元にその事件の関係者に対する逮捕権限を持っている。海軍の補佐官と言えども、王太子殿下の名に逆らう事は不可能だ。逆らった時点で、極刑が決まる。その命令書は、私についてきている騎士達に持たせればいい。あれらは、王宮の近衛だ。シリルの命令書を持っていても、なんらおかしい事はない」


 ここにいる限り、警護としての騎士は必要ない。ここの砦が守りに徹する時、どれほど強固に結束するかは、数日の滞在で理解できている。

 宰相はそれだけ告げて、再び自分を守る者達に手を煩わせないように、彼らが守るための場所に戻ったのだった。



 ずっと眠る気配がなかったノルを、師匠が強引に眠らせたのは、宰相がこの部屋から出て、しばらく経ってからだった。

 今日はシリルもいないので、代わりにジゼルが、ノルの体をずっと抱いている。

 昨日は触れない方が良いと言われたのだが、今日は師匠が抱けと指示したのである。

 師匠は、器用に爪の先で文字を書き、それをジゼルに指示した。


「……字が、書けるんですね」


 呆然としたジゼルの呟きに、毛を膨らませ胸を張った師匠は、再びかりかりと何かを書き付けた。


「ノルや、リスも……覚えれば書けるのですか」


 こくこくと頷いて「くおー」と鳴いた師匠は、まるでジゼルを慰めるように、肩に飛び乗ってその頬に頭を擦りつけた。

 暖かでふわふわの羽毛は素晴らしい肌触りで、ジゼルの心を和ませた。


「じゃあ、もしかしたら、いつの時か、ノルやリスとも、会話ができるかもしれないですね」

「なぁーん」


 リスが、ジゼルの足元で、まるで師匠の行動に対抗するように頭を擦りつけていた。


「リス。いつか、文字を覚えてくれる?」

「うにゃ!」


 きりりとした表情の返事は、どうやら肯定のようだった。

 その表情に、その部屋にいた女性達に、笑顔が広がった。

 穏やかな笑みの中、ソフィはリスの背を撫でながら、呟いた。


「そういえばお姉ちゃん。お姉ちゃんが帰ってきて、ちょうど一週間だね」


 ソフィの言葉に、そういえばと思い出す。

 あまりにもバタバタしていてそんな実感はなかったが、今日は確かに、あの日から一週間だった。


 そしてそれは、シリルが自由でいられる、最後の日である。


「今日中に帰ってこられるかしら、シリルさん」


 母は、心配そうに、扉の方に向かって呟いた。


「……シリル様は、いざとなれば、魔法でお一人でも帰ってこられるわ。むしろ、父さんが帰ってこられるかしら」


 ジゼルは、苦笑しながら、足元にいるリスに視線を向けた。

 リスは、何か用事かとばかりにそんなジゼルを見つめながら首を傾げている。その目は、シリルではなく、『眼』のものである。

 もし何かがあれば、その力の一端であるリスに、変化がないわけがない。

 その様子に変化がないところを見ると、あちらでは順調にいっているのだろう。


「さすがに、父さんがいないままに、儀式は受けられないでしょう?」

「そんな事になったら、父さんが何をするかわからないわね」


 オデットが、腕を組みながらうーんと唸る。


「それに、たとえシリル様が、魔法で父さんも連れて帰ろうとしても……」

「ああ、絶対に帰らないわねえ。あの人、部下を置いて一人で帰ってくることは絶対にないから。しかも、いつもとは違う船の上だし、そんな場所に部下を置いてくるわけがないわね」

「……儀式って、なにも決めてないけど、そんな状態で受けられるものなのかしら」


 一応、一度はその儀式を受けた母も、それに首を傾げていた。


「私の時は、事前の説明はとても簡単な物だったわよ。当日行って、控え室で手順を説明されて、絶対に必要な言葉を教えてもらったくらいだったわよ」

「必要な、言葉?」

「そう。最初に、神様への誓いの言葉。そのあと、神官様が宣誓をと言ったら、神様に届けたい言葉を、宣誓するとちゃんと言ったあとで本心から述べてくださいって。終わったら、以上ですと言えばいいですよと、それだけだったわ。神官様は、難しい言葉は使わなくても結構です、あなたが思ったとおり述べてくだされば、それを判断するのは神の御心ですからとそう仰ってくださったわ。他の儀式でも、手順は同じじゃないかしら」


「……婚約でも、結婚でも?」


 オデットとソフィは、姉の言葉に驚いたように眼を丸くし、母はそれをわかっていたとばかりににっこり微笑んだ。


「どっちでも、言う事はそれほど変わらないんじゃないかしら」

「変わらない?」


「この人を信じて共に生きます。それだけでいいんじゃない?」


「……母さん」

「宣誓の部分は、いつまでに結婚しますか、今結婚しますの違いはあっても、そのあとの言葉は、結局同じ気がするわ」


 シリルとジゼルの結婚に、他の約束など必要ない。

 一緒にいてと伸ばされたシリルの手を、ジゼルは取った。それだけだった。

 ならば誓いの言葉も、それである。


 まるでそれを知っていたような母の言葉に、ジゼルは肩の力が抜けていた。


「……どっちでも、おなじ?」

「あら! どっちでも、行っちゃうんでしょう、ジゼル」


 母の断言を驚いた表情で聞いた娘達三人を見ながら、母はこの数日で縫い上げたジゼルの衣装に視線を向けた。

 白地に、色とりどりの文様を刺繍したその衣装は、この地方独特の花嫁衣装である。

 完成したその衣装の隣には、シリルの身に付ける近衛騎士の衣装が掛けられていた。


「儀式が終われば、それが婚約でも結婚でも、シリルさんについていくでしょう?」

「母さん……」

「だってあなた、あの人ほっとけないって顔をしているもの」


 きっぱり言い切られ、思わず顔に手を当てたジゼルに、その場の視線が集中していた。


「そう、なの? ほっとけない、の?」


 困惑したジゼルの表情に、母はしっかり頷いた。


「待つにしても、待つための場所がある。シリルさんがここに来られない以上、あなたがあの人を待つべき場所は、ここじゃない。そして、ジゼルは、そこに行きたいんでしょう?」

「母さん……」

「それなら、その場所で待つために、より相応しい儀式は、どっち?」


 にい、と微笑む母の顔は、まるで悪戯の成功した子供のようだった。

 そのわかっている答えに、ジゼルは呆然と答えていた。


「いい、の?」


 母は、ジゼルの呟きに、微笑んで頷いた。


「結婚でも、いっしょ?」

「ええ、一緒。婚約でも、結婚でも、あなたがあの人とここを出るのは一緒」

「いって、いいの?」

「行きなさい、ジゼル。あなたは私の娘だもの。私の血筋は、ずっと居場所の定まらない人生を送る一家だけど、生涯を捧げる相手を見つけたら、そこに根を下ろすの。そうやって、お祖父さんも、お祖父さんのお祖父さんも、旅をして、そして相手を見つけて、生涯の居場所を決めたのよ。そして私も、レノーを見つけたから、あの人の傍を居場所に決めた。そんな私の娘であるあなたが、居場所を決めたというのに、止める権利はたとえ父親でもないのよ」


 なんでもないように言い切った母は、ぺろりと舌を出した。


「だって、私自身が、父親の言葉を振り切って、レノーを追うために船に飛び乗ったんだもの。それを知ってるレノーが、止められるわけがないじゃない」


 軽く肩をすくめた母は、立て続けの驚きに、娘達が唖然としている表情を面白そうに見つめた。


「相手をもう見つけたオデットはいいとして。ソフィ、あなたもよ。これだという人がいたら、ちゃんと捕まえなさい。大丈夫! うちの一族、それで失敗した人はいないからね!」

「うん、わかった!」


 ぱっと表情を輝かせて、ソフィは勢いよく頷いた。

 姉二人は、それを、唖然としたまま見守っていたのだった。


 ――その時、突然、リスはぱっと壁に顔を向けた。


 リスの突然の行動と、その顔を向けた方角に、ジゼルは眉をひそめた。

 その壁のずっと向こうにあるもの。それは、ガルダンの港である。


「リス、シリル様に、何かあった?」

「……なぁう?」


 まるで誤魔化すように、リスは首を傾げたが、それはそれからすぐに、外から漏れ聞こえた歓声によって判明した。


「……船が」

「空を飛んで」

「帰ってきたぁ?」


 母と、ソフィと、オデットが、それぞれその声を拾って呟く。

 ジゼルは、そのあまりに派手なシリルの帰還に、思わず天井を仰ぎ見たのだった。


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