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花開く その思い 15

 宰相が駆け込んできた時には、すでに日没が近かった。

 すでに兵達の夕食もすべて終わらせたあとだったが、客人である宰相に何も出さないわけもいかず、大慌てで材料を一家総出でかき集める事になった。

 幸いな事に、兵の一人に町に走ってもらったところ、魚だけは確保できた。

 客人に出すのだからと母が腕を振るい、朝焼いたパンと、魚の香草焼き。そして豆のスープと芋と野菜の炒め煮という、貴族に出すには簡素にもほどがある料理が卓に並ぶ。

 急ごしらえの料理で、本当にこんなものを出しても良いのかと、恐る恐る供したが、宰相はそれを何も言わずにすべて口にして、感謝の言葉まで述べた。


「お酒も出せず、申し訳ありません」

「今は警戒態勢の中だというのに、その守られる対象が酒を飲み、前後不覚でいるわけにもいかないだろう。急に押しかけてきたのはこちらだ。かしこまる事など無い」

「ありがとうございます」


 ジゼルは、一人宰相の給仕をしながら、頭を下げた。

 宰相の隣では、これなら食べるかもしれないと、骨を取った魚を供された梟も、宰相の許しを得て卓に乗っている。

 梟は、しばらく首を傾げつつも、その魚を口にして、機嫌良さそうにくるると鳴いた。


「師匠さんも、お魚は口に合いましたか」

「きゅー」


 当然のことながら、ジゼルに梟の言葉などわからない。

 ただ、嬉しそうにしているのはわかるので、きっと喜んでもらえたのだろうと、大雑把に納得した。


「……魚ははじめて食べたそうだ」


 意外な場所からの返答に、ジゼルの眼が驚愕で見開かれた。


「気に入ったと言っている」


 堅いパンを一口大にちぎりながら、宰相はなんでもない事のようにジゼルにそれを教えてくれた。


「……閣下は、師匠さんのお言葉がわかるのですか?」

「それは、魔術師の素養がある者なら聞き取れる言葉で話す。私も、シリルほどではないが、その素養があるのでな」


 茶目っ気のある笑みで、ジゼルと梟を見つめる宰相は、そう言えばと梟に問いかけた。


「シリルに何か、伝言を預かっているとか言っていなかったか」


 梟は、口に魚の切り身をくわえたまま、こくんと首を傾げ、しばし静止した。

 そのまま、もぐもぐと切り身を口に入れ、満足そうにそれを呑込み、そして、再び首を傾げた。

 どうやら思い出せないらしく、しきりと悩む仕草をしている。

 その仕草は愛らしいのだが、もし重要な伝言なら、困るのではないかとジゼルは困惑した。

 しかし宰相は、大変あっさりと頷いた。


「……まあ、忘れたのならいいんじゃないか」

「え、あの、こんな離れた場所に送ってくるくらいですし、何か大事な伝言ではないんですか?」

「それなら、伝言という形で預けはしないはずだが。体のどこかに、書面なりなんなり、ついていないか」


 宰相のその言葉を受け、さらに梟の許可を得たジゼルは、改めて梟を拘束していた道具と、梟の体をじっくりと観察する。


「……首輪?」


 梟の首に、以前はなかったはずの窪みを見つけ、そこに指を這わせるとなにやら、布のような感触があった。

 しかし、布にしてはそれはやけに堅く、しっかりとした作りをしているような気がする。

 梟は、しばらくその指に身を任せていたのだが、突然ビクンと身体を竦ませ、くあー! と鳴いた。


「え、あの……」

「何か思い出したらしい」


 慌てたように、机の上をばさばさ羽ばたきながら走る梟に、宰相はさすがに顔をしかめ、その体を鷲掴みにして強引に足を止めさせていた。

 しっかり押さえつけられ、身動きできなくなった梟は、ジゼルに助けを求める視線を向けていたが、次の宰相のひと言で、再び力の限り暴れはじめた。


「羽根が飛ぶ。部屋で羽ばたくな」


 なにやら、既視感を覚える光景だった。

 しっかり押さえ込まれた梟は、なにやら言いたげな表情で宰相を睨み付けている。

 しかし、このまま梟が大暴れしていては、宰相の食事がままならない。そう思い、慌てたジゼルは、すっと手を挙げ、そんな一人と一匹に提案した。


「あ、あの、シリル様にご用なら、私がお連れします」

「そうか」


 宰相は、軽く頷くと、なんと梟の両足をひとまとめにして掴むと、ぐいとジゼルにそれを差しだした。

 そのあまりの扱いに、ジゼルは唖然とするばかりである。

 ジゼルは、その体を丁寧に腕におさめ、暴れたために乱れていた羽毛を少し整えると、宰相と扉の傍で警護をしていた付き添いの騎士に会釈をして、部屋から足早に立ち去ったのだった。


 途中ですれ違ったオデットに、母に宰相の相手を変わって欲しいと伝言すると、そのまま傍に付いてきているリスに案内を頼み、シリルの元へ向かう。

 今日もシリルは、見張り台に立つ副隊長の傍で、昨夜からずっと見ていた海図にさらに何かを書き足す作業を行っていた。


「あれ、ジゼル」


 顔を上げたシリルのその腕の中、黒猫のノルが、腕に抱かれるようにその身を添わせていた。

 ジゼルの姿を認めると、ノルはさっとその腕から出て、シリルの傍にちょこんと座る。

 その姿を疑問に思いながらも、ジゼルは腕の中にいた梟を解放し、シリルの傍に歩み寄った。


「シリル様。師匠さんをお連れしました」

「うん?」


 ジゼルの腕から飛び立った梟は、静かな羽ばたきと共に周囲を旋回し、そしてシリルの正面に降り立つと、ぐいっとその首を突きつけた。


「……なんだ?」


 首を傾げながら、先程ジゼルが見つけたそれに指を這わせ、そして取り外したシリルは、あ、と声を上げると、傍に座っていたノルに顔を向けた。


「ノル、許可証だ。使い魔にする許可が出たよ」

「んなぁう!」


 嬉しそうな声を上げ、再びシリルの膝に登ったノルは、その許可証を見るためか、身体を伸ばしてシリルの手元をのぞき込む。

 シリルは、梟の首についていたその輪っかを器用に解き、中に入っていた一枚の薄い紙を取り出した。

 薄茶色のそれは、一見油紙のように見えるが、薄いのに透けて見えるわけでもなく、油が塗り込まれているわけでもなさそうだった。

 ジゼルも見た事無いその紙は、シリルの手元で器用にのばされ、まっすぐに広がると、ふわりと浮き上がった。

 その紙は、ジゼルが見ても何も書かれていないように見えたが、シリルが指でするりとなぞると、光る文字が浮き出てふわりと周囲に飛び散った。

 そしてきらきらと、もと文字だった物が回転し、再び紙に舞い落ちる。

 すると驚く事に、その薄い紙の上に、じわりと文字がしみ出していた。


「……まあ」

「魔術師専用の、呪文紙という物なんだよ。呪文で書き込み、中に封じ込めるんだ。すると、それの解呪の言葉を知っている相手だけが、これを読む事が出来る。これはうちの一門用の、呪文紙なんだ」

「へえ……」


 珍しそうに、副隊長もそれをのぞき込む。

 書かれている文字は、そもそもこの国で使われるどの言語とも違っており、その場にいたシリルと梟以外、皆が首を傾げる事になった。


「……読めませんね」

「魔術師じゃないと読めない文字なんだよ」


 くすくす笑いながら、シリルはノルを自分の体から降ろすと、その紙の上に乗せた。


「ノル、大丈夫かい?」

「みゃん!」


 キリリとした表情で答えたノルは、しっかりとした姿勢で、シリルの顔を見上げていた。


「じゃあ……ジゼル、少し離れてもらっていいかな」


 申し訳なさそうに、シリルに言われて、あっと気が付く。


「あ、はい。すみません、私が見ていたら、魔法は使い辛いですよね。私はもう中に入りますから」


 慌てて身を翻し、屋内への入り口へ足を向ける。

 中に入る寸前に、ふと後ろを振り返ると、シリルは紙の上に座ったノルの前で立ち上がり、ふわりと腕を振りながら、踊るように呪文を紡いでいた。

 ジゼルは、一瞬そこで足を止めていたが、ふと何かに急かされたように、足早に屋内に姿を消した。

 その後ろ姿を、シリルの傍から、一歩離れた場所で見ていた副隊長は、その姿を眼に止め、一瞬考えるように視線を空に向けると、再び傍で紡がれていく魔術に視線を向けたのだった。


 緩やかな腕の動きと、ほんの僅かな足の動きで、少しずつ周囲に光が浮き上がり、それはノルの体にまとわりついた。

 明確な文様を描き出したその光は、まるでノルの体に吸い込まれるように黒の毛皮に溶けていき、そして光は収束する。

 ノルの瞳は、つい先程までの金の眼差しが、薄い水色に変化していた。


「ノル、どうかな。私の力がわかるかい?」

「なぁう」


 こくんと頷くノルに、シリルも満足そうに頷くと、その手をノルに伸ばした。

 ノルは、その手を踏み台に、ひょいと肩に飛び乗ると、たった今、繋がったばかりの主の頬を、そのざらりとした舌で嘗め上げた。


「少しずつ、力を慣らせば、いつかノルも自分の力で魔力を編み上げる事ができるようになる。そうなれば、呪文も操る事ができるようになるからね」

「なぁん」


 嬉しそうに返事をしたノルは、一度その頭をシリルに擦りつけると、再び軽やかにその手を離れ、きりりとした表情で主のシリルの傍に控えた。


「なあ、ちょっといいか?」


 副隊長の声に、たった今繋がったばかりの主と使い魔が、同じようにそちらを向いた。


「ジゼルは、いつもお前が魔法を使う時は、ああやって離れていくのか?」


 つい先程、ジゼルが姿を消した入り口を見つめながら、副隊長はシリルにそう尋ねた。


「ジゼルの視線は、魔術を編む時、その魔法を阻害する働きがあるんだ。簡単な呪文ならなんとかなるけど、慣れていない魔法を使う時は、離れてもらってる。……それがなにか?」


 不思議そうに首を傾げ、シリルは副隊長の様子を窺う。

 副隊長は、うーんと唸りながら、本人もよくわからないがと前置きをして、シリルにその違和感を告げた。


「……昔から、ジゼルは、なんていうか、自分の望みを全部飲み込んじまうんだよ」

「飲み込む?」

「俺がここに来た時、ジゼルは五つくらいだったか。オデットは四つで。その時には、もう、あんまり今と変わらない性格をしててな。普段、絶対自分の望みは言わずに、妹の願いばっかり聞いてるんだよ」


 シリルが、話の意味がわからず首を傾げると、副隊長は苦笑しながら、首を掻き、ぼそりと呟いた。


「普通なら、上の兄弟は、親から、お姉ちゃんなんだから我慢しなさいとか言われるもんだ。だが、ジゼルは、そんな事言われるまでもなく、まず妹の意思を優先する。その時の、オデットの後ろでぐっと何かを我慢している時のジゼルを、今、お前の側を離れていく時の顔を見て、思い出した」

「……」

「やっかいなのは、それを本人がまったく気が付かない事なんだよな。本人は、もうそれが癖になっているから、我慢なんぞしている自覚がない。そのまま、自分の言葉を飲み込んで、要求もせずに、人のためだけに動くんだ。なあ、魔術師。おまえ、ジゼルに、何を我慢させてるんだ?」


 シリルは、困惑の表情を浮かべ、つい先程まで頭の中を閉めていた海図に視線を落とす。

 副隊長に言われた言葉は、今のシリルにとって、この海図よりも難解な事に感じられ、呆然としたのだった。 

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