花開く その思い 11
「うーん。やっぱり、船の速度が平均でしか出せないと、正確な予測はできないなあ」
「まあ、その辺は、長年の勘と経験がものを言うところだからな」
本隊から、海賊の討伐を完了したと連絡があったその日の夕方、起きてきたシリルは副隊長が夕食をとる正面に陣取り、朝ずっと眺めていた海図と書類を並べて二人で額を付き合わせていた。
「これに関して言えば、おやっさんがやっぱり一番近い予測が立てられるし、出した結果は八割方当たるぞ」
「あの人、あっちで一応調べてきたけど、軍に入ってから船に乗ってた記録なんか無かったよ? どこで勉強したんだろう」
「あの人は、商家の出身だ。元々カリエ家は、大きな商船を持っていて、おやっさんはその船の上で産まれた人だぞ」
「ええ?」
「お前も、祠であの人の兄貴に会ったんだろう? あの人の実家は、今、一番上の兄貴があとを継いでるんだ。他の兄弟も大体船主だが、おやっさんだけが兵士になったんだよ」
「つまり、お父さんが海図を読めるのは、もしかして子供の頃の経験ってこと?」
「多分な。船の上の遊び相手なんざ、船乗り達しかいないだろ。そういうのから教えてもらってたんじゃないか。おやっさんが船を下りて、そのままその足で入隊試験を受けたのが十三の年の頃だって聞いた。それまではずっと船の上だ。それだけ経験があれば、船乗り達は、もう一人前として扱うぞ」
肩をすくめながら話す副隊長は、シリルの前に広がる書類を一枚手に取り、その数字を睨み付ける。
シリルの告げた条件に該当しそうな海賊の資料を揃えたのは、夜番の交代の前、寝るほんの少し前だった。
シリルは、魔術を学ぶために留学した時も、海路ではなく陸路で移動したため、海を見た事自体があまりない。
当然ながら、海図は初めて見たため、読み方もわからないはずだった。
それは聞かされてわかっていたが、人員が少ない今、任務で支障を出さないためには、寝るのも仕事の内だった。
教える時間はなかったが、シリルは、他の報告書と、ごく初期に読まされる軍の薄い教本一冊を手に、ほとんどそれを読み解いていた。
「海図を見た事もなかった素人が、俺達もずっと探している海賊の根城を、突然見つけたりはできんだろう。むしろ、俺が出した情報だけで、よくここまで海域を絞れたと思うがね」
副隊長の言葉に、シリルは、はあとひとつため息を吐くと、頭を抱えた。
「海は、専門外もいいところなんだよな。うちの一派は、風と関わりが深いから、特に学んだ事もなかったし」
「帆船だと、風系統の魔術師が乗っているのはありがたがられるはずだが?」
「それは風を起こすだけだろう。操船はあくまで船員が行うもので、魔術師が風ひとつでできる事じゃない。できたとして、真っ直ぐにしか進めないだろう?」
「……確かに」
帆をいじれないなら、方向の操作もできない。
潮を読めなければ、どれだけ帆を操作しても、潮に流され、いつまでたっても目的地には辿り着けない。
シリルが、まったく専門外だというのは、確かに正しかった。
しかし、ここまでできていれば、おそらくレノーも納得するだろう。それだけ、詳細に情報はより分けられていた。
だが、シリルは、この結果でも、まだ満足はしていなかった。
「これだけ情報をまとめてあるなら、おやっさんならすぐに本拠地も割り出すと思うぞ?」
「……うーん」
「おやっさんは、気に入らない相手からの情報だからと、蔑ろにするようなことはない。これを見りゃ、すぐ動くと思うがな」
レノーはシリルに対して、印象が最悪である。今は、気に入らないというのを通り越したところにその感情はあると見て間違いない。
それで思い悩んでいるのかと副隊長は思っていたが、シリルはそれをあっさり否定した。
「それはなんとなくわかる。そういうところ、ジゼルは、すごくお父さん似みたいだから」
あまりにあっさりといわれたので、副隊長がぽかんとしていると、シリルはそれを見て苦笑した。
「あまり好きじゃない相手というのはあっても、それが仕事となれば、感情は持ち込まない。やらなければならない事だと理解すれば、自分は二の次にする。少なくとも、ジゼルはそうだった。そしてお父さんも、この町との付き合い方を見ていれば、そうなんだろうと見当はつくよ」
「じゃあ、いったいどうして」
「単純に、日数の問題。私がこちらにいられるのはあと三日ほど。それが過ぎれば、王都とこちらで、人を使ってやり取りするしかない。こちらが特定したあと、そんな派手なやり取りをすれば、あっという間に警戒されて逃げる時間を与える事になる。私がいる間にそれが済ませられれば、私が一緒に情報を持って帰って、すぐに軍が動く許可を得る事ができるはずだ」
いっそ軍を動かす権限も預かってくればよかったと呟きながら、難しい表情になったシリルは、ふと何かに気が付いたように顔を上げた。
その瞬間、机の上に、音をさせずに飛び乗ってきたのは、白銀の猫リスだった。
すぐ傍には、いつの間にか、ジゼルが手にお盆を持って立っていた。
「……ジゼル。片付けはもう終わったの?」
「終わりましたよ。オデットとソフィは、兵に付き添ってもらって部屋に帰りました」
リスは、書類を踏まないように紙を避け、そしてシリルの隣の空いた席の前にちょこんと座った。
その席に、ジゼルは歩み寄り、副隊長とシリルの前に持ってきたお茶のカップを置くと、自分の前にもそれを置き、ぽすんとそこに座った。
「……急に海図の勉強をはじめた理由、教えてくださるお約束ですよ?」
ね、といって小首を傾げたジゼルに、シリルは苦笑して頷いた。
シリルはひとまずお茶を飲み、そして、話を始めた。
「……ジゼルの情報が、貴族の間に伝わるのが、とても早かったんだ」
「はい?」
海図の勉強理由から、あまりに飛躍した話に、一瞬ジゼルは目を見開いた。
しかし、シリルは、説明は聞くのが疲れるほどに細かいが、関係のない話でごまかしたりはしない。
ジゼルは、思い直してシリルの話の先を促した。
「半年前、ジゼルが王妃陛下に直接訴えたあの時、君の名前や素性は、一切あの会場には伝わっていなかった。君たちは、特別招待で、その人数が預かっている家の名前で出されているだけで、名前まではあの会場で呼ばれる事はなかったんだ。その状態で、君の姿を見て、まず国の人間だと思うだろうかという事が、最初に疑問だったんだ」
ジゼルの銀の髪は、この国内ではとても珍しいものである。
ガルダンでは、確かにいろんな国の出身がいるが、それでも銀はなかなかいない。
「その条件で、正体を探すなら、まず国外の人間との繋がりを探すんじゃないか。王妃陛下は、下級騎士の令嬢だけではなく、商人の令嬢も同時に招待していた。その中には、国外からの移住者だって大勢いた。むしろ、そちらから探しそうなものなのに、貴族達のうちの誰かは、君の姿だけから、ガルダンの下級騎士、レノー=カリエの娘ジゼルというその素性を、三日もしないうちに探し出した」
「それは、あの、名簿などがあったのでは?」
「その名簿の在りかは、王妃陛下の居室だ。他には一切渡っていないし、君たちに手渡された招待状は、すべて王妃陛下の直筆のものなんだ。侍従達は確かにそれを預かり、直接令嬢達に配りに行ったが、王妃陛下の命によって、その一切の情報を伏せるように指示されていて、誰も口外はしていない」
まして、ジゼルをはじめに預かっていたのはベルトラン家だった。
ベルトラン家は、その統制が他とは一線を画すほど徹底された武門の家であり、そこから情報が漏れる事も考え辛い。
身柄を預かったバゼーヌ家に至っては、その守護は王家直属の部隊であり、その人員はすべてベルトラン家の騎士で構成されている。そこでジゼル本人を預かっていた事ですら洩らさなかったというのに、名前と出身だけ伝わるというのは、おかしな話だった。
「最初に話を聞いた時から、ずっと、それが引っかかってた。だけど、ここでお母さんに、人攫いの話を聞いて、そこかと気が付いた。ガルダンのジゼル=カリエの特徴は、他に類を見ない銀の髪と紫の瞳。海賊達が手ぐすね引いて待っている、野獣様の弱点のひとつ。人攫いと絡んでいた貴族が、そこで最初に気付いたんじゃないかと思ってね」
どこへ連れて行こうとしていたのか。つまり答えは、人攫いが絡んでいたなら単純明快に、簡単に金に変えられる場所という事になる。
「あの襲撃の時の人数も、落ち目のクレール家がかき集めたにしては多かった。傭兵くずれもいたけれど、大半は、奴隷として売られてきた兵だった事が判明してね。人攫い達は、人を売買するルートがある。それはつまり、あの時の黒幕と繋がっている海賊がいて、人員を奴隷という形で用意して売りつけ、ジゼルの情報を与えた者が、このガルダンに根城を持っている海賊にいるんじゃないかな、という事なんだ。ジゼルをただ傷つけるのではなく、攫おうとした理由は、その関わりがあったからだと思う」
人を売りさばき、情報を売り、貴族からまとまった金を受け取った者。ここ最近、略奪行為無しに、何かしらの手段で金を稼いだ者。
シリルが探していたのは、そういう海賊だったのだ。
「海賊行為は、この国では過去の罪でも捕まえる理由になる。奴隷売買も、認められてはいないから、なおさらだ。問題は、根城に入って、その証拠を押収する事なんだけど……根城がわからないんだよね」
シリルの視線は、自然と手元にあった海図に落ちる。
その横には、シリルの流麗な字でびっしりと何かを書き付けたメモがあり、昨夜からずっと、それの割り出しをしていた事が伺えた。
「お父さんに頼む事も考えたけど、撤収してくるのがいつかわからない。大がかりな摘発なら、王都から軍が動く許可も出してもらわなければいけないけど、情報を送り、確認してとなると、相手に悟られる可能性もある。今、私がここにいるのは、それこそあちらにとっては、想定外も良いところだ。それなら、私がここにいる間に、すべての情報をまとめて、帰り次第軍を動かせるだけの事をしておきたい」
シリルが言い切るのを、ジゼルはその手元の海図を見ながら聞いていた。
「……あの、その話、あの時にできなかったのはどうしてですか」
「君のお母さんは、君たちに、人攫いの事を知らせたくなかったみたいだから」
苦笑したシリルは、目の前の副隊長を見ながら、眼だけでその確認をしていた。
「お父さんのせいで、君たちが海賊に狙われているというのを、あまり教えたくなかったみたいだった。だけど、ジゼルはもしかして知ってたのかな?」
その問いかけに、自然とジゼルの眼がシリルの顔に向けられた。
「あっちで攫われそうになっていた時、冷静だったから、そんな気がした。あの状況で、見慣れた紋章、しかも、それだけは信用していいと言われていたものを見て、ほっとするではなく、逆に疑えたのは、その下地があったからなんじゃないかな」
そのシリルの言葉に、ジゼルはこくんと頷いた。
「昔から母が、人攫いが出るから一人で出歩くな、というのはよく言ってました。その攫う相手が海賊なんだろうなというのも、なんとなくわかってました。父が海賊を討伐すればするほど、その恨みを買っているのは、いくら仕事の話をほとんど聞かされない私達でも、推測できますから」
ただ、その人攫いが、ガルダン以外でも出るとは思っていなかった。
微笑むジゼルに、シリルが口を開こうとしたその時だった。
食堂に兵の一人が駆け込み、副隊長に耳打ちしたのである。
「……どこの誰かはわからないのか」
「わかりません。ただ、ものすごい早さです。すぐに到着すると思われます。早馬でしょうか」
「徴はつけてないんだろう?」
二人の会話を、きょとんとした表情で聞いていたシリルとジゼルは、何事だと尋ねようとした。
――しかし、その直後、それは、尋ねるまでもなく、直接シリルに降りかかったのである。
「シリル!! ここにいる事はわかっている。出てきなさいっ!!」
砦中に響き渡るほどの怒鳴り声に名指しされたシリルは、その瞬間、毛を膨らませた猫達二匹に囲まれ、愕然としたまま、凍りついていた。