はじめてのお仕事5
「取り乱して申し訳ありませんでした」
ようやく落ち着いたジゼルが、しょんぼりと頭を下げると、シリルは困ったように頬を掻き、苦笑した。
「まあ、この時間起きられないと私自身がわかってるから、昨夜寝なかったんだけどね……」
蓋を開けてみると、実に簡単な話だった。
今日、シリルは、王城で開催される御前会議に、王宮魔術師長の付き添いとして出席するために登城していたのだ。
会議は、午前中に開催される。いつものように寝ていては、会議に出席できるはずもない。
その事がわかっているシリルは、「寝ない」という手段をとったのだ。
そしてジゼルはというと、シリルに対して、寝起きの虚ろな眼差しでぼんやりしている時の印象しかなかった。
おまけに、シリルが起きた後は寝室を整える役目を請け負っている故に、普通に表情のあるシリルを見た事がなかったのだ。
実際に動いているシリルは、穏やかそうな、母親である公爵夫人の性格をそのまま受け継いだらしい、ちょっとやそっとでは怒りそうにもない、優しそうな青年だった。
その髪の色を見なければ、寝起きの時のアレとは別人だと思ったことだろう。
「いつも言っているでしょう。登城する前に、ちゃんと門番に告げてから行きなさいと。また面倒くさがって、お部屋から直接王城に行ってしまったのでしょう?」
「はあ……すみません、母上」
「その度にマリーが、離れまであなたの事を確認に行かなければならないのですから、そろそろちゃんとなさい」
「申し訳ありません」
それは、力の強い魔術師だからこその弊害だった。
希望の場所に、ほんのまばたき程度で飛んで行けてしまうシリルは、逆に、近い場所に飛んでいくためには、力の制御的な問題で少々面倒になる。力を加減して飛ぶことになるのだが、それくらいなら実は歩いた方が面倒がない。
だが、いちいち歩いて行っては時間がかかる。では飛んでしまえ、で一気に飛んでいく。そして、知らせるはずの門番をすっ飛ばし、王宮魔術師達の控え室に飛んでしまうのだ。
その警備の都合上、王位継承権を持つ公爵家の人々は、外出時は王宮から派遣されている門番に、その目的地を告げていく。
移動の際、命を狙われる危険が高いゆえのことだ。
だが、シリルは毎回、それを飛ばしていくために、帰ってきた時にややこしいことになる。行く時はひとっ飛びで行くが、帰りは王宮魔術師長の付き添いをして、馬車で帰ってくるのだ。書類上、家に居るはずの人間が、外から帰ってきたことになってしまう。
そろそろ、シリルが王宮魔術師になり五年ほどになるので、門番達もわかってはいるのだが、それでも規則は規則である。
まず、家の中に本人がいないかを確認し、シリルが本人であるかどうかを家の者が確認して、ようやく通れるのだ。
その両方の確認を、毎回マリーが務めているために、今日もお茶の用意の前に、それに駆り出されてしまった。
他の侍女に任せていったはずなのだが、その連絡に手違いがあったらしく、結果、夫人の元にお茶が届かなかったのだ。
「家の中の移動用に、なにか作るかなあ……」
「それくらい、面倒がらずに歩きなさい」
「せめて目標値の設定用に、門のところに……」
「あ・る・き・な・さ・い。離れ以外に、お前の魔法用の道具を設置するのは許しません」
「……はい」
母親より、頭ひとつ分も大きな息子が、背を丸めて小さくなる姿というのは、大変残念なものだった。
公爵夫人は小柄な為、頭ひとつ違うシリルと並ぶと、互いの身長差が際立ってしまい、シリルはより大きく、公爵夫人はより小柄に見えてしまう。
しかし、ジゼルは同年代の少女に比べても背が高い。公爵夫人がシリルと並んで立つと、その視界の高さは胸から肩にかけてになるが、ジゼルだとこれがちょうど顎から耳のあたりになる。
シリルに従い離れに向かいながら、ジゼルは、正面で揺れている、シリルの耳にたくさん付けられた耳飾りを見つめていた。
そのひとつひとつに、どのような効果があるのかはわからないが、シリルの身につけている物は、どれもすべて魔法が込められていると聞いている。
金や銀で、繊細な細工のされたその装飾品は、男性よりも女性の使う物のように見える。しかし、それをシリルが付けていても、顔自体が母親似で女性的なシリルにはよく似合っていて違和感はない。
だが、ふと、シリルが寝ている時に、それらの装飾品を見た事がないのに気が付いた。
つけていても、もっと地味な、銀一色の指輪や、飾り気のない耳飾りだった気がするのだ。
しばらく、耳に揺れる耳飾りを見ていたジゼルは、意を決してシリルに話しかけてみた。
「……シリル様。寝る時は魔法の道具はすべて外してお休みになりませんか?」
不躾なジゼルの言葉に、シリルは不快な表情ひとつ見せなかった。
ただ、難問に当たったとばかりに、考え込んだだけだ。
「……うーん。それは難しいな」
「せめて、移動する物は外しませんか?」
ジゼルの真剣な眼差しに、困ったように頭を掻いたシリルは、その翡翠の瞳を申し訳なさそうに陰らせた。
「実は、移動するような魔法を身につけているわけじゃないんだ」
その言葉の衝撃を、どう表現して良いかジゼルにはわからなかった。
話が違う。違いすぎる。
道具の暴走とか、そういう話だと思い込んでいたジゼルは、一歩よろめいた。
「今、常時身につけているのは、私の魔力を王宮の魔方陣に吸収させるためのものなんだ。私は魔法技師だけど、王宮魔術師も兼任している。王宮の結界維持用の魔力を、私から吸収しているんだ。本来、その結界は、国王陛下が維持するものだけど、陛下はそれほど魔力が高いわけではない。その場合、王宮魔術師が、結界の上で魔力を直接吸収させるのが通例なんだけど、私は幸いに魔力がとても高い上に、陛下にとっては甥に当たる。血が近いので、その装飾品だけで肩代わりができるんだ。それを外すなら、外した後に別の魔術師に取り付け、さらにその魔術師を結界の上に乗せて儀式で繋ぐ必要が出てくる。とても大変なことだから、外すのは許されない」
「……甥?」
呆然としたままのジゼルの問いに、シリルは頷いた。
「陛下は、私にとっては伯父に当たる。母上は、陛下の妹だから、かなり近い血縁だ。だから、魔力の肩代わりもできる」
「……伯父?」
「知らなかったのか……」
ジゼルは、公爵家の血縁に関してなど、まったく興味がなかったのだ。
わざわざ聞く話でもないし、その事に疑問も不具合もないのである。
確かに、今の国王陛下の妹姫が、国内の貴族に降嫁した話はジゼルの故郷である港町でも聞いたことがあったが、それが公爵夫人だとは思っていなかった。
ただ、それで、あの王宮の舞踏会の時、王妃陛下と公爵夫人が並んで座っていた理由がわかった気がした。
あの時、二人は同じ椅子に、並んで座っていたのだ。
ジゼルに礼儀作法を教えてくれたベルトラン侯爵夫人は、その二人から少し下がった位置にある椅子に座っていたのにだ。
公爵家とはいえ、流石に王妃陛下と並んでいるのはおかしいと思うべきだったのだ。
「すみません……。あまり、貴族の方々のことには詳しくありませんので」
「まあ、自分が産まれる前の王族の結婚のことは、知らないことの方が多いしなあ。仕方ないよ」
「はあ……」
「まあ、つまり、その装飾品は、国から任されている仕事の内だから、外すことはできないんだ」
「……常に、ですか?」
「ああ。湯浴みの時も外すことはできないから、当然寝る時も外せない」
「それじゃあ、なぜ飛ぶんですか? 毎回毎回、あんな高い場所に飛んでいたら、いつか落っこちて取り返しがつかない怪我をしますよ」
「いや、その怪我を防ぐために、防御魔法が発動する物も身につけているんだよ。まあそっちの暴走のせいでたまに起きられないんだけど。これを外すと、本当に命の危険があるから、これも外せないね」
どうやらそれが、どこから落ちても怪我ひとつない理由であり、あの見えない壁の正体で、そっちは正真正銘暴走しているらしい。
だが、問題はとりあえずそこではない。
「じゃあ、何とか飛ばないようにはできないんですか?」
そのジゼルの疑問に、シリルは首を傾げながら唸った。
「なにせ、飛んでる理由がよくわからないからなあ。確かに移動の魔法は使えるけれど、その呪文式は別に身につけているわけでもないし、意識がない間に簡単にできるような物じゃないんだけど……。無意識でやっているとすれば、それこそどうやって止めた物かわからないし」
「……飛んでるからには何か理由があるはずです。まずは原因を突き止めましょう」
「……え?」
「毎日、いつ飛ぶかいつ飛ぶかと待ち構えるよりも、その根本を調査して直す方が、誰にとっても良いはずです。原因がわからない限りは、いつまでたっても止める事はできません。それがわかって、はじめて対策もできるんです。いいですよね?」
ジゼルの座った目と、ぐっと握った拳の力強さに、シリルは気が付いたらこくりと頷きを返していた。
その日から、ジゼルの、寝起き観察記録は始まったのである。