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花開く その思い 4

 ソフィは、台所で、家族用の朝食を作るオデットを手伝いながら、大皿に盛られていた菓子をひとつ口に放り込んだ。

 バターと砂糖は、一気にソフィの口の中を、幸せな香りで満たしてくれる。

 幸せそうな表情でもぐもぐと口を動かす妹を、姉は呆れたような声でたしなめた。


「あんたはまた。朝からお菓子摘んじゃ駄目じゃない」

「美味しいよね。すごいね王都は。こんな美味しいお菓子がお店で売ってるんだよ」


 それは、先日、ジゼルが帰宅したその日に、姉を追いかけるようにして家を訪れたシリルの手土産だった。

 ご家族でどうぞと言われたそれは一口大の焼き菓子で、表面はサクッと香ばしく、中はしっとりとした生地の少しもっちりとした歯ごたえを感じる、不思議な菓子だった。

 少なくとも、ここガルダンでは製法すらわからない菓子である。それが紙袋いっぱいに入っていたのだ。

 その大量の菓子を、客人であるシリルを含め六人分に細かく分配したところ、シリルはお土産なのでご家族でどうぞとそれを家族用のものにひとつずつ振り分け、両親は子供達にと自分達の分をすべて娘達のものに振り分けた。

 そして長女のジゼルは、自分は王都でたくさんお菓子もいただいたからと、ひとつだけ摘んで、残りをすべて二人の妹たちに譲ったのである。

 結局、姉妹二人で分ける事になり、妹たちはお茶のたびにこのお菓子をいただいている。

 ソフィは、この味の虜となり、事あるごとに菓子を口に入れてはうっとりとしていた。


「すごいよね、王都。いいなあ。行きたいなあ」

「観光くらいなら、父さんだって連れてってくれるわよ。頼んでみたら?」

「観光かあ。それより、王都で働きたいなあ。お菓子職人って、女の子でもなれるかな」


 夢見る瞳でお皿を差し出すソフィに、オデットはきょとんとした表情で問いかけた。


「あんた、王都で働きたいの?」

「王都で、というより、お菓子屋になりたい。ずっとこのバターと砂糖の香りに囲まれて働けるって、最高だと思うんだ」

「でも、普通、料理人も菓子職人も、男性の仕事でしょう」


 姉の冷静な言葉に、はふうとため息を吐いたソフィは、そうだよねと頷いた。


「シリルさんも、作るのは無理だろうって言ってた。でも、これの売り子は女の子なんだって。それもよくない?」


 一瞬落ち込んだかに見えた妹の、立ち直りの早さに呆れながら、オデットはあれと一瞬固まった。


「あんた、シリルさんとお話ししたの?」

「したよ。昨日の夜、シリルさん、庭で猫と遊んでたから」

「夜?」

「うん。すごかったよ。シリルさんが座ってる周りを猫がぐるりと取り囲んでた」


 オデットは、その様子を想像し、首を傾げた。


「……いったい、シリルさんは何をしてたの?」

「なんか、お話ししてたらしいよ? すごいね。魔術師って、神様だけじゃなく猫とも話ができるんだね」


 にこにことソフィはその時の様子を説明するが、オデットにはどうにも様子が想像できなかった。

 猫は、それほど人に懐く生き物ではない。

 それが集団で一人を取り囲んで、なごなごと会話をしている図というのが、よくわからないのだ。

 首を傾げつつも、オデットはソフィが手に持っていた皿を受け取り、外を指差した。


「ここはもういいから、今の話を姉さんにしてあげて」

「お姉ちゃん? どうして?」

「朝から、シリルさんが部屋に居なくて、探して回ってるはずだから。夜、外にいた事だけでもわかれば、どこに行ったか辿りやすいでしょ」

「え、いなかったの?」

「朝起きる人ではないそうなんだけど、ちゃんと寝ているのか様子を見に行ったらいなかったんですって。宿舎の中で探し回ってるはずだから、早く教えてあげてちょうだい」

「探すのも手伝った方がいい?」


 慌てたようにエプロンを外しながら問うソフィに、オデットは肩をすくめて見せた。


「それは姉さんに聞きなさい」


 わかったとだけ言って、ソフィは家の台所から駆け出した。



 ジゼルは、宿舎中を駆け巡りながら、かなりうろたえていた。

 まさかまた、例の勝手に飛んでいく症状がでたのかと思ったのだ。

 あれは、公爵邸の広大な敷地が安全だからこそ、まだそれほどの危機感は覚えずに済んだのだ。それに比べて、この砦は、砦とは言われているが、建物自体はそれほど広いものではない。

 近くには崖もあり、少し高台にあるから、急な坂もある。うかつに外に飛んで出られたら、それこそ命に関わることになる。

 どうか寝ぼけていませんようにと、すべての部屋を見て回りながら、ジゼルはただひたすら祈っていた。


「うわ、なに!」


 夜勤明けの副隊長が、突然部屋の扉を開けられ、着替え途中の上着を脱いだ姿で飛び上がって驚いていた。


「あ、ごめんなさい。ブレーズさん、シリル様見なかった?」

「ん? 部屋にいなかった?」 

「いらっしゃらないの。昨夜、どこかに出かけたりしてなかった?」

「昨夜は、誰も出入りはなかったはずだけど……。なんだったら、俺らも探そうか?」


 夜勤明けの兵士達なら、今から寝るだけである。その全員を出動させれば、かなりの人数で動けるが、ジゼルはそれを断った。


「まだ、外に出たとは限らないから。もう少し探してみるわ」

「そうか。昨夜は寝てないって話だったから、訓練もほどほどに、部屋に戻ってたはずなんだがな。もし砦に居ないようなら、声かけて。外に一人で探しに出るような事はするなよ?」

「わかってます。おやすみなさい」


 それだけ言い置いて、再びジゼルは部屋を飛び出した。

 この副隊長の部屋が、すでに最後だった。これで建物内は、物置まで見て回ったが、シリルの姿は見あたらなかった。


「……外かしら。ああ、もう。やっぱり飛んじゃったのかしら」

「お姉ちゃん!」


 思わず漏れた声に答えるように背後から声をかけられ、ジゼルの体はビクンと撥ねた。


「ソフィ。どうかしたの?」

「あのね、シリルさん、昨夜あの白銀の猫を連れて、外にいたよ」

「外?」

「うん。猫に囲まれてて、私少し話をしたの」


 ソフィは、身振り手振りまで交え、その時の事を説明し、最後に首を傾げながら、姉に尋ねた。


「シリルさん、あの後、もうしばらく猫達と居るとは言ってたけど、部屋には居なかったの?」

「居なかったわ。シリル様は、そこにもうしばらく、猫と居るって言ってたの?」

「うん」

「わかったわ。ありがとう」


 素直に頷いたソフィに礼を言うと、ジゼルは外に向かうべく、駆け出した。


「あ、お姉ちゃん、一緒に行こうか?」

「大丈夫。心当たりはできたから!」


 それだけ言って、颯爽と駆けていった姉を見送りながら、ソフィは納得したように頷いていた。


「お姉ちゃんすごい……。ほんとにあれでわかったんだ。それだけシリルさんのことよくわかってるって事だね。すごいなあ」


 きらきらと輝く瞳で頷きながら、しみじみと呟いたソフィの声は、すでに目的地にのみ意識を飛ばしたジゼルの耳には、まったく届いていなかった。



 ジゼルは、慌てて庭に出て、目的のものを視線を廻らせ探し出した。


「猫ちゃん!」


 白銀の猫は、日当たりのいい芝生の上で微睡んでいた。

 ジゼルは、先程のソフィの話を聞いて、シリルの居場所に思い当たったわけではない。ただ、シリルの居場所に案内できそうな存在を思い出したのだ。

 猫は、ジゼルの声に反応して顔を上げ、そして嬉しそうに一声鳴くと、飛び跳ねるように大喜びで駆け寄った。

 ジゼルは足元にすり寄る小さな体をそっと抱き上げ、猫の顎の下を指先でくすぐりながら微笑んだ。


「猫ちゃん、お願いがあるんだけど」

「なーう?」

「猫ちゃんは、シリル様の居場所、わかるのよね? その場所までの案内とかできる?」

「うにゃ!」


 元気いっぱいに一声鳴いた猫は、ジゼルの腕をすり抜け、地に降り立った。

 キリリとした表情で、自分について来いとばかりに、時折振り返りながら駆けていく。

 ジゼルは、その微笑ましくも逞しい後ろ姿を見て、くすりと笑いながら、後を追いかけていった。


 白銀の猫がジゼルを連れてきたのは、厩の裏にある飼料倉庫だった。

 倉庫とは言っても、木製の年期が入った代物で、扉すらないぼろぼろの建物である。

 そして今、その前ではなぜか、早朝馬の世話をするはずの隊員達が数人困ったように首を傾げていた。


「みんな、どうかしたの?」

「あ、お嬢さん」


 振り返った隊員達が、ジゼルと白銀の猫を交互に見て、首を傾げながら自分達がここに突っ立っている理由をしどろもどろに説明した。


 猫が飼料倉庫を占領している、らしい。


「……占領?」

「中に入ろうとすると、ものすごい勢いでこちらを襲ってくるんだよ」

「おかげで、寝藁の交換もできなくてなぁ……。いったいこの猫、どこから集まってきたんだ?」


 首を傾げる隊員の傍で、ジゼルはひっそり頭を抱えた。

 ジゼルの目的の人物は、どうやらこの中にいるらしい。


「何がどうしてそうなったのかしら……」


 今また、隊員の一人が中に一歩踏み込んだ瞬間に、どこからともなく飛んできた猫によって、見事なひっかき傷を鼻の頭に作られた。

 様子から想像するに、どうやらシリルは、この猫達の長となり君臨したらしい。

 そして、猫達に守られ、今頃健やかな眠りについているのかもしれない。

 ジゼルは、一瞬遠退きかけた意識を無理矢理引き戻し、飼料倉庫に向けて一歩足を踏み出した。


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