花開く その思い 3
雪のように花びらが降り積もったその場所を、シリルはぼんやりと眺めていた。
先程までこの場所に大勢いた見物の人々は、それぞれ千々に散っていた。
子供達は、初めて見た奇跡に興奮した表情を浮かべ、その興奮のまま、我先にと教会から駆け出した。
そして大人達は、安堵の表情を浮かべた者が半数、そして、その逆に青ざめ、そそくさと逃げるように去っていた者が半数。
それはそのまま、カリエ夫妻の交友関係を示したものだった。
レノーの兄は、その場で立ちすくんだまま呆然としていたが、妻らしき女性に腕を引かれ、逃げるようにこの場を去っていた。
その後ろ姿を眺め、そしてシリルは再び神像に目を向ける。
シリルの眼には、まだそこに、光が見える。
そこから感じる気配に、思わず苦笑した。
「ファーライズは、ずいぶんこの場所にご執心のようですね。道を閉じないのですか?」
シリルが、傍にいた聖神官に問いかけると、聖神官は先程までの職務を遂行する表情から、少しだけ柔らかくなった笑顔を浮かべた。
「私どもが、ファーライズの御心を無にしてその目を閉じる事は叶いません。私どもは、開く事はあっても、閉じる事はないのです」
「ああ。あちらからしか閉じないのですね。見た事のない開き方だと思いました」
その言葉に、聖神官は頷きをかえした。
「魔術師の方々が使う術とは違うものもございましょう。神聖術と魔術では、そもそも創始者が違うのですしね」
「面白いですね」
この場で、二人にしか見えていないその道を見上げながら、二人は会話を続けていた。
「ひとつ、聖神官殿にお尋ねしたい事があるのですが」
「なんでしょうか?」
「……魔術師は、元々ある誓約に、重ねて別の誓約は受けられましたっけ?」
その問いに、聖神官は、視線をシリルの横顔に戻し、首を傾げた。
「魔術師の誓約とおっしゃいますと、魔法を使う際の魔力の供給に関する誓約の事ですか?」
「いえ。確かにそれもなんですけど、私の場合、国との契約に関する誓約があるんです。魔力の誓約は、神と交わした物ではないけれど、国との契約は、ファーライズの名の元に交わしているんです。今の状態で、すでに複数誓約を受けている状況で、さらにもう一つというのは可能でしょうか?」
聖神官は、しばし首を傾げ、思考に耽る。その末に口からでたのは、問題ないという言葉だった。
「ファーライズの物でしたら、期間がございましょう。それならば、それぞれ違う誓約をいくつか重ねていても、問題はないかと存じます。どのような誓約をなさるのですか?」
「結婚を考えていまして」
「それはおめでとうございます。ご婚約の誓約でしょうか?」
「できるなら、結婚の誓約もと思ってたんですけど……」
「……ファーライズの誓約で、結婚までとなると、かなり重い物となりますが、よろしいのですか」
「重いですか」
「ええ。人の心は、弱いものです。それはファーライズもお認めくださっています。だからこそ、誓約の破棄の手続きも存在するのです。結婚とは、それ以降の長い時を共に過ごすことを示す儀式です。結婚がただの政治的な結びつきではなく、互いに思い合うものであればあるほど、ファーライズの誓約は向いていません。結んだ時の思い合う強さのまま、誓約は継続し続けるのです。ほんの一瞬、その思いが別に向いた瞬間に、神罰が発動しかねませんよ」
シリルは、聖神官の返答に、しばし考え込み、そして祠の中に視線を彷徨わせた。
その視線の先を聖神官も辿り、ああと頷いた。
「彼女は、嫌がりますかね」
「お母様のご様子を見る限り、堂々と受けてくださるかもしれませんね。あのように、力強い宣誓をされた方は、私も今まで見た事がありませんでした」
だからこそ神は、ここまでの奇跡を見せてくださったのだろうと、聖神官は苦笑した。
視線の先では、娘達が、それぞれ困惑した表情で、母に詰め寄っていた。
「それにしても母さん、どうして身籠もった事を教えてくれないの」
「そうだよ! ずっと一緒に居たのに気が付かなかったよ」
娘達に詰め寄られ、母は微笑みながらお腹をぽんと軽く叩いた。
「だって、せっかくジゼルが帰ってくるから、驚かせようと思って」
「ずっと家に居た私達まで驚かせる事無いでしょ!」
オデットの盛大な抗議に、残りの姉妹二人は頷いた。
「本当に、無事でよかった……。神罰の恐ろしい話ばかり聞いてたから、もしファーライズ様のお怒りに触れたらどうしようって思ってた」
ジゼルが胸をなで下ろしながらそういうと、母はくすくすと笑いながら、胸を張った。
「どんな神様も、本当の事しか言わない人を罰したりはしないわよ」
あっけらかんとした母は、その視線を夫に向けて、ねえと声をかけた。
レノーは、そんな妻を複雑な表情で見つめ、まったく口を開かなかった。
「これで次の子も、私達に似ていなくても、ちゃんとあなたの子だと認められるわよ、レノー」
「ティーア……」
「今度は私の祖父みたいな金色でも、あなたのお祖父様みたいな黒でも大丈夫。どんとこいよ」
この二人の家系は、どちらも人種的にかなり混血している。レノーは、この人種の坩堝ガルダンの生まれ。そしてティーアは、父が吟遊詩人であり、その家系には旅芸人が多かった。当然、そんな旅芸人の子供達は、血筋を辿るのが難しいほどなのだ。
こんな二人であるが故に、子供達がそれぞれまったく別の特徴を備えていても、ある意味仕方がなかった。
ただ、母が酒場の歌姫であった事と、最初の子であるジゼルが、あまりにもこのガルダンにない特徴を備えすぎており、父親の特徴がまったくみられなかった事が災いしたのだ。
さらに、次女であるオデットの事もあった。
オデットも、姿としては両親には似ていない。ただ、レノーの兄に色合いがそっくりだった故に、彼女の父親は、その兄ではないかという事も噂になったのだ。
そもそもオデットは、レノーの母、つまり父方の祖母に似ているのである。
親族の一人なのだから、伯父が似ていてもおかしくないというのに、最初にジゼルの疑惑があったが故に疑われた。
もちろん、ティーアとレノーの兄の関係など疑うまでもなかった。
その噂自体はすぐに消えたのだが、兄は、はじめのジゼルの事があったから自分まで巻き込まれたのだとティーアを激しく非難し、その時、兄との関係は完全にこじれた。
それ以来、レノーは兄と絶縁しており、今日この場に兄まで来ていることすら知らなかった。
「だからねレノー。この子達がわざわざ子供を産んで、その孫を見せてまわらなくてもいいじゃない。孫に私達の特徴が無くたって、いいじゃない。今日、街の人たちにも、この子達が私達の実の子だと知らしめたんだから。どこの誰にお嫁に行ってもいいじゃない?」
それに、とティーアは続ける。
「この町の男達を、うちの娘達が選ぶはずが無いんだもの。よそで見つけてこないと、いつまでたってもお嫁に行かないわよ」
特に同年代から、少し上くらいの男達は、軒並みジゼルの血筋の事をからかっていたのだ。そんな男達を見て育った娘達は、この町の男に何一つ期待していない。
砦に来る見習い騎士達は、三姉妹の事を大変可愛がった。それはもう、目に入れても痛くないと言えるほどの溺愛ぶりだった。彼らは、自分達の事を兄のように慕ってくる少女達を、それは大切にしたのである。
その結果、町の男達が姉妹をからかうたびに、その差を激しく見せつけることとなった。
中には、照れからのからかいもあっただろうが、そうなる年頃より以前に、すでに彼女たちにとって、彼らは対象外になっていたのである。
「……だから、町のじゃなく、うちに来る平民出身の騎士で見繕ってただろうが」
「それなら結局外に出ていくわけでしょう? だったら、あそこにちょうどいい人がいるじゃない」
そういうと、母はシリルに視線を向けて、ね? と首を傾げた。
突然話を振られたシリルは、母の真似をするように首を傾げ、不思議そうにジゼルに視線を向けていた。
「そういえばシリルさんは、神様とお話しできるの? すごいわね」
あっけらかんとした母の問いに、突然話しかけられたシリルは驚きを見せながらも頷いていた。
「元々、魔術師が魔術を使うための言語というのは、神の言葉からできたものなんです。ですから、まず最初に、その言葉を学びます。その素養がなければ魔術師にはなれませんし、魔術師となったからには、皆、神の言葉を聞く事はできます」
「それなら、魔術師は、神官の役割もおやりになるの?」
「いいえ。それはできませんよ。神官と魔術師の違いは、神と繋がっているか否かです。聖神官殿は、その目も耳も、常に神に繋がっている。当然、この方が呼べば、神は答えてくださいます。でも、魔術師は、どんなに神の名を唱えても、神が目を向けてくださる事はないですから」
だからこそ、聖神官は貴重な存在であり、そしてすべて、ファーライズという一国で管理される存在でもある。
母は、シリルの言葉に、なるほどと言いつつも、聖神官ににっこり微笑み、質問した。
「神官様は、いつ頃こちらをお発ちになりますの?」
その突然の質問にも聖神官はにこやかに微笑んだまま、穏やかな声で答えた。
「あと五日ほどですね。もう一人、聖神官が役目に就いております。それと合流次第、帰国する事になっておりますよ」
「では、それまでに、もし婚約の儀式をしていただきたい時は、どのような手続きが必要か教えていただけます?」
母の言葉に、その場にいた全員が絶句した。
聖神官は、唖然としたまま、神の眼がある神像に目を向け、暫く静止した。
「……受け付けてもよいとの事です」
上を向いたままの聖神官は、そのままの姿で、呟くように母に告げた。
「神ご自身が受け付けた事柄は、取り消しはできません。そのお覚悟はございますか」
「そのお覚悟とやらは、どうぞそちらにいる、うちの婿殿にお聞きいただけますか」
母は、シリルににっこり微笑んで見せた。
「さっき、神官様と結婚のお話しをしてらしたんだから大丈夫よね? ジゼル一人説得できないなら、結婚なんてとても無理でしょう?」
ちゃんと話し合いなさいねと言い含められたシリルは、目を丸くしたまま、こくりと頷いた。
母は、娘達と会話しつつ、しっかりと聖神官とシリルの会話を聞いていた。
酒場の歌姫は、酒場の喧噪の中、客からの注文を受けていた。
自分の歌の途中だろうと、どんな激しい殴り合いの喧嘩の最中であっても、ちゃんと聞き分けていたその耳は、祠のような静寂が尊ばれる場所に響く、ほんの数人の声など、ものともせずにその声を聞き分けていたのであった。




