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殻を破る時 14

 凍りついたように動きのない部屋で、いち早く己を取り戻したのはオデットだった。

 彼女は部屋を見渡すと、皆がそれぞれ硬直しているのを確認し、まず最初に副隊長の元に歩み寄った。

 高い場所にあるその顔を見上げ、小首を傾げると、その額を指で弾く。


「あいたっ」

「ブレーズ。あなたが惚けること無いでしょ。このまま父さんをここに置いてたら、何壊すかわからないし、ちょっと宿舎の方に引き摺って行ってほしいんだけど」

「ええ、そんな無茶な」

「無茶でもなんでも、やってちょうだい。その間に、壊れちゃ困る物は片付けるから。ちょっと玄関から、父さんを遠ざけて」


 何かが壊れることは、すでに決定しているらしい。

 オデットのあっさりした言葉に、副隊長は複雑そうな表情で、父を引き摺るように部屋から連れ出した。

 くるりと振り返り、シリルに視線を向けたオデットは、にっこり微笑みお辞儀した。


「はじめまして。ジゼルのすぐ下の妹で、オデットです。あちらがソフィーナで、末の妹。その隣が母のティーアです。お名前を伺っても?」

「シリルです」

「シリルさん……姉をよろしくお願いします」


 あっさりと頭を下げたオデットに、シリルの方が困惑した。


「……構わないの?」

「構うも構わないも……。この動揺具合を見れば、姉の気持ちは丸わかりですから」


 オデットが、呆れたようにジゼルに視線を向ける。

 ジゼルは未だに、ぽかんと口を開けたまま、シリルを凝視していた。


「あいにく昔から、言い寄る男性に気付くことなく過ごしてきたような姉です。それをここまで意識させたのなら、十分じゃないですか?」


 肩をすくめて苦笑したオデットを見て、シリルも微笑んだ。


「君とは仲良くできそうだね。ほっとした。なにせ、こちらのご家族の意思で、わかっているのが、お父さんだけだったから」


 心底安堵したような笑顔だったが、その直後オデットの口から出た大変あっさりとした要望に、シリルは一瞬首を傾げた。


「すみませんけど、先に姉を正気に戻していただけます?」

「え……」

「……さっきのって、先に、ちゃんと姉に言ってました?」


 オデットの問いに、シリルは気まずそうに苦笑した。


「ジゼルって、嘘がつけないから。言っちゃうと、顔に出てますますお父さんを煽りそうだったから、具体的には何も言わなかった」


 その返答に、さもありなんとオデットは頷いた。


「姉は、突発的な事には弱いんです」


 それだけ言うと、ジゼルの腕とシリルの腕を両方取って、玄関から二人を外に追いだした。


「とにかく、姉が正気に戻ったら、また入ってきてください。お茶の用意をしておきますから」


 それだけ告げると、問答無用で扉を閉める。

 オデットは、姉が落とした紙袋を取り上げ中身を確認すると、すぐさま台所で湯を沸かしはじめた。

 人数分のカップを揃え、紙袋の菓子は少し考えた後、そのまま戸棚にしまうと、オデットは部屋にとって返した。

 部屋に残っていた母とソフィーナが、二人揃って夢見る瞳でぼんやりしているのを見て、オデットは思わず額を押さえた。


「……結婚衣装を急いで作らないと。布はあるかしら。色はやっぱり白がいいわよね。布の市はいつだったかしら。やっぱり前の市で、先に買っておけばよかった。飾り玉は残ってたかしら。ああ、式はいつ? 明日? 明後日? あ、そうだわ、明日神官様に会うじゃない。それで決めればいいわよね」

「……お姉ちゃんが結婚して王都に行ったら、遊びに行ってもいいのかな。いいよね? いつ行けるかなぁ」


 オデットは、その二人の前で、思わず吐いて出そうになった溜息をぐっと呑込みこんだ。


「二人とも、落ち着いて。母さん、式の日取りの前に、姉さんの意思を確認することが先でしょう。それからソフィ。お相手の話を何も聞いてないのに、いきなりどうしてあんたが王都に遊びにいく事になってるの。ちょっと落ち着きなさい」


 腕を組み、眼を半眼にして睨み付けるオデットに、ソフィはそのきらきらした眼差しのまま、首を傾げた。



 末の妹は、外見は父の血を引いているが、中身は完全に母そのものだった。逆に、姉のジゼルは、ふとした拍子に出るのが、あきらかに父に似た考え方だった。

 姉を、さんざん不義の子だと馬鹿にしていた近所の馬鹿息子共に、毎度何度も言ってやったものだった。


 ――あの性格が、父と一緒に居た程度で似せられるものか。


 どう考えても、魂の奥底が似ているからこその性格でしかない。

 特に、一旦懐に入れた相手に対し、自分の身を顧みず全力で尽くす所などそっくりなのである。


 思わず、扉の方に視線を向ける。

 妹である自分達が行き遅れないために結婚すると言った姉に、頼むからそんな義務感で結婚したりしないでくれと言い続けていた。

 好きな人が出来たわけじゃない。それどころか姉は、あまり結婚というもの自体に夢を見ることがなかった。

 だからオデットとしては、姉がちゃんと自分で相手を連れて来ただけでも、踊り出したいほど嬉しかった。

 今も、ふと気がつくと緩みそうになっている表情を、正面の二人を諫めるために無理矢理顰めている。

 父の様子を見れば、王都で何かしらあったのは想像がつく。

 自他共に認める、究極の親馬鹿である。さらに姉には特別甘い。男が横に並んで立っていたというだけで、おそらく父は簡単に激怒する。

 それが求婚である。

 父がどんな状態であろうとも、オデットは姉と、姉が連れて来たあの風変わりな人に味方することを決めていた。


「母さん、ソフィも。一旦部屋から父さんは出したけど、このままだと嵐が来るわ。壊れそうなものを、とにかく玄関から遠ざけましょ」

「あら、それならいっそ、玄関扉も外した方がいいかしら。……蹴破るわよね?」


 さすが母だった。その慣れた対応に、オデットは一瞬の沈黙の後、首を振った。


「外にいる二人の邪魔は、ぎりぎりまでしないでおきましょ」

「つまり、今日は、玄関扉は諦めだね!」


 ソフィは、玄関にあった花瓶を台所に隠しながら、明るく言い放ったのだった。



 オデットによって外に追いだされたシリルは、さてどうしたものかとジゼルに視線を向けた。


「……ジゼル、おーい?」


 ぱたぱたと目の前で手を振ってみれば、ジゼルはあわあわと何かを言いたそうに、だが何を言えばいいのかわからないと言った風に、口をぱくぱくさせながら、身振り手振りで何かを伝えようとしていた。

 そして、その直後。


 顔を真っ赤にして、瞳を潤ませていた。

 唇を引き結び、ただなにやら悔しそうに、うつむいている。


 その表情で、今度は逆にシリルが狼狽し、何も言えなくなり慌てふためいた。


「……婿ってなんですか、シリル様」      

「え、婿って、結婚した後お嫁さん家に世話になる旦那さん」

「シリル様は、お婿に行ったりしちゃ駄目でしょう」

「え、どうして」

「離れを出ちゃ、駄目だって聞きました。それに、王位継承権もあるって。そもそも、結婚してもいいんですか? ずっと、結界を守るんですよね?」


 今も、わざわざ耳飾りを外し、他の魔術師に役割を代わってもらい、やっとここまで来たのだと言ったその人が、婿入りなど出来るはずがない。

 ジゼルは、そういいながら、ぼろぼろと涙をこぼしていた。

 シリルは、ジゼルの涙に慌てふためきながらも、ああと頭を掻いた。


「……そうか、そこの説明すらしてなかった」


 一瞬額を押さえ、そしてひとつ息を吐くと、シリルは苦笑しながらきっぱりと告げた。


「私はそもそも、もう本当の意味では貴族じゃない」


 ジゼルが、のろのろと頭を上げると、シリルはジゼルの涙を、身につけていたスカーフでそっと拭った。


「ええとね、私の名前は、シリル=ラムゼン=バゼーヌだけど、本来の名前としての部分は、『シリル』だけなんだ。ラムゼンというのは、魔術の系統を指す名で、家名じゃない。私の爵位は、このラムゼンにかかるもので、私本人がもらったものではない。そして最後についている家名は、支援者の家名。私の場合、それは父だから、バゼーヌとなる」

 

 突然の説明に、ジゼルは困惑したが、それでも理解しようと、シリルに縋るような視線を向けた。

 シリルは、それを感じつつも、苦笑したまま、説明を続けた。


「……私は、貴族にとって一番重要な、系譜を繋ぐ事がほぼ不可能だと王宮の医師から告げられたから、その時点で、バゼーヌではなくなってるんだ。

 私の王位継承権は、バゼーヌの系譜から抹消された時点で、一旦無くなっている。今持っている継承権は、あくまで仮のもの。

 本来、あの結界は、国王にほどほどの魔力があれば、受け継げるものなんだ。

 今、あの結界維持に、膨大な魔力が必要なのは、本来得られる国主からの魔力が注がれておらず、他の者で強引に維持するために、魔力が割かれているからなんだ。

 今の国王には、魔力がほぼ無い。そして王太子にも。

 だから、表向きの建前として、王位継承権を持つものが維持していることにするために、王族に繋がる血を持つ私が末席に戻された。

 王太子の御子に、魔力を持った子が生まれれば、今度は性別関係なくその子が王位に就き、私の継承権は抹消されることになっている」


 静かに語られたその事実を、ジゼルは必死で頭の中で繰り返し、そして気になった部分が、口をついて出る。


「……抹消?」

「魔術師にいつまでも継承権を持たせて、もし叛意などもたれたら、大変だからね。本当は、母さんには結界を維持できるだけの魔力があったんだ。だけど、当時、この国には女王が許されていなかった。女性は、子を成すと、魔力が落ちる。それが結界にどう影響するのかわからないという理由だったらしいのだけど、今の王太子殿下も維持能力が無く、さらに他に今代に御子がいないとなれば、次代はまず魔力がほどほどにある女性を王太子の妃として探すしかない。母が、女の子を産んでいれば、その子を妃に出来るようにという意味で、貴族に降嫁したらしいけど、産まれたのは結局男三人でそれも叶わなかった。ただ、その中の一人が、産まれた時から異様に魔力が強い子供だった。それこそ、本人の命に関わるほどにね」


 シリルは、自らを指差しながら、苦笑した。


「だから、私の爵位も、王位継承権も、シリルという人間につけられたものじゃない。私の魔力に爵位をつけられ、王位継承権を与えられているんだ。だったら……」


 シリルは、ジゼルが初めて見る、皮肉の籠もった笑みを浮かべ、ジゼルを見つめていた。


「だったら、シリルという名前だけの人間なら、どこで誰と一緒に居ても、構わないはずだろう? どんな家名がシリルという名前の後についたって、私の魔力には変わりないから。だったら、私は、私の隣にいる人を、自分で選びたい。私は、ジゼルの隣にいたい」


 そっと回された腕を、ジゼルは戸惑うことなく受け入れていた。


「ジゼルが、婿しかとらないというなら、じゃあ、婿になるしかないじゃないか。……ジゼル。私が婿では、駄目かな。面倒くさい事情もあるし、子供は望めないかもしれないけど。……戻ってくると言ってくれて、嬉しかった。だけど、それだけでは、いつか君はお父さんが選んだという婿をもらって、またここに帰ってしまう。そうなった時私は、私を保つ自信がなかった。だから、追いかけてきたんだ」


 シリルの腕の中で、ジゼルはその話を静かに聞いていた。

 自分の涙が、抱きしめられることでシリルの胸元を湿らせ、ずいぶん冷たくなっていた。

 その感覚で、火照っていた顔は、ずいぶん冷めていた。


「……そういうことは……先に教えてください」

「うん、ごめん。……それで、ええと、婿にもらってくれる?」

「……シリル様のお側にいるためには、もう、ずっと独身でいるしかないと思ってたんです」

「うん」

「シリル様が用意してくれた、私の場所って……」

「奥さんじゃ駄目ですか」


 ジゼルは、そのシリルの答えに、ぐっと言葉を詰まらせた。


「……駄目……じゃないです」


 小さな小さな声で、ようやくといったように成された返事に、シリルは満面の笑みを浮かべ、腕の中にあった細身の体をぎゅっと抱きしめた。


「……でも、お父さん……頑張って説得してくださいね。先にお母さんを攻略した方が、楽ですよ」

「大丈夫。エルネストにコツを聞いてきた」

「……コツ?」


 そんなもの、かつて聞いたことがないジゼルは、不思議そうにシリルの腕の中で首を傾げていた。


「会話をするな、拳で語れって言われてきた。……魔法使っても大丈夫だと思う?」


 その豪快なコツに、ジゼルが呆気にとられたその時だった。


 母の予想通り、内開きの扉は、外に向かって勢いよく吹っ飛んでいった。

 そこには、拳どころか、木槌を背負った父が立ちふさがっていたのだった。


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