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殻を破る時 13

 いつまでも現実から目を背けていても仕方がない。

 そう思い直し、意を決したジゼルは、よしと気合いを入れ、小さく扉を開けた。

 扉の外で、片手の拳を扉に当てようとしたらしい姿で固まったシリルが、突然開いた扉に驚いたように、目を見開いていた。

 しかし、すぐにシリルのほっとしたような表情が、満月に近い月の明かりで浮かび上がり、その雰囲気は和らいだ。

 その衣装は、いつも身につけている魔術師用のものではなく、騎士の服装から装飾的な刺繍や飾り紐を無くしたような、簡素な物だった。フード付きの上着は、旅装としてよく使われているものであり、服装自体は大変地味である。

 だが、白銀の髪が、まるで月の光と同化したように淡く輝き、シリルの異形をありありと見せつけている。

 こんな場所にシリルがいるはずがないと思っていたジゼルだが、それが間違いなく本人だと確認し、扉の隙間から身をすべらせると、後ろ手に扉を閉め、改めてシリルに視線を向けた。


「……シリル様、どうしてここに?」

「え、いろいろあって、休暇がもらえたから。はい、お土産」


 無造作に渡された紙袋からは、バターと砂糖の甘い香りが漂っている。


「今、王都で流行している焼き菓子らしいんだけど、ジゼルはうちにいる間、外出できなかったし、食べたことないかと思って」


 ジゼルは、腕の中にある、まだ仄かに温もりを感じるそれを手にして、ふと思いついた。


「猫ちゃんの扉で移動してきたんですか?」

「いや、猫の魔力を辿って、細かく飛んできたんだ。猫、どこか狭い場所にいなかった?」

「……衣装箱の中で寝てましたが」

「え。……やっぱりそうなのか。少し前に一度意識を繋いだ時に、不可って返事だったから、荷物の中に入りこんだんだなとは思っていたんだ」


 シリルの答えに、ジゼルは一瞬虚を突かれたように顔を上げた。


「シリル様が、あそこに入れと命じていたわけではないんですか?」

「違うよ」

「……もし、シリル様が、隠す目的で猫ちゃんをあそこに入れたのなら、一度くらいは殴らせてもらおうと思ってました」

「……猫がしたことで良かったと言った方がいいんだねきっと」


 ジゼルの座った眼に、シリルは少したじろいだ。


 仮にも、女性の衣装箱を勝手に開けたあげくに、眼が繋がった生き物を入れておくというのは、さすがに許しがたい。

 あの箱には、ジゼルがあちらで誂えた衣類、つまり下着もすべて入っているのだ。


 苦笑しているシリルを半眼で見つめながら、ジゼルは確認のためにさらに問う。


「……見てないですよね、中身」

「さすがに距離がありすぎて、眼も繋がりは切れてたよ。猫はずっと寝てなかった? 離れすぎてて、私の魔力も届かなかったから、魔力を温存するために、安全な場所で寝てたはずだけど」


 ガタゴトと揺れる馬車の荷台で乗り心地を追究した結果、箱に入った布の上という結論に達したのだろうと、シリルは妙に冷静な口調で告げた。


「……動けなくなるかもしれないのに、猫ちゃんついて来ちゃってたんですか」

「まあ、それが『眼』の魔法だから。おかげで、『眼』の有効距離が大体わかったよ」


 くすくす楽しそうに笑うシリルは、確かにいつもどおりだった。

 それなのに、ジゼルは、妙な違和感を感じていた。

 楽しそうなシリルは、普段魔法を思いついた時などはよく見ていた気がする。だから、違和感は表情などではない。

 首を傾げながら、ジゼルは繁々とシリルの姿を見つめ、そして、息を飲んだ。


「……シリル様。耳飾りはどうなさったんですか」

「外してきた」

「あれは、外していい物ではないはずです。寝る時も、入浴の時も、いつもつけてらしたのに」


 シリルの耳から、いつも見ていた耳飾りが消えていた。

 指輪が防御の物なのだから、残りひとつ、常に身につけていた耳飾りは、王宮にあるという結界と繋がっている物のはずだった。

 困惑しているジゼルに、いつもつけている物を外してスッキリとしている耳元を指し示しながら、シリルは笑う。


「王宮魔術師七人がかりで、一日三交代制。それだけの人数で維持していても、外していられる期間は一週間。それ以上は、全員の命に関わることになる。それを越えれば、今度は師匠の魔力を使わなければいけなくなる。……自由になった時間は、一週間だけだよ」

「どうして、そんな事をしてまで、ここに来たんですか。絶対に外せないって、あんなに言ってたのに」

「……ちょっと、ジゼルのお父さんに、用があったから?」


 苦笑するシリルに、困惑したジゼルは、じわりと視線を外し、つい先程自分が閉めた扉を見つめた。


「……私、今日、こちらに着いたばかりなんです。あの、お約束した話も、父にも母にもまったくしてません。父が許さないのはわかりきってたから、母に先に話をして、味方をしてもらうつもりでいたんです。でも、母にはまずファーライズの誓約の事がありましたから……。そんな状態で、いきなりシリル様が父の前に出てきたら、それこそ火に油を注ぐ結果にしかなりません。説得も何もできなくなります」


 つい先程、猫を見ただけで嫌悪を示した父の姿は、シリル自身を見ればさらに悪化することが明白である。

 今も下手をしたら、扉に張り付いているかもしれない。むしろ、いつ蹴破って出てきてもおかしくない。

 ジゼルの声は、その為、どうしても尻窄みの小さな声になっていた。


「いったい、なんのご用なんですか?」

「話があるんだ。どうしても避けて通れない事だし、私には今しか時間が許されてない。だから来たんだ」

「今……しか?」

「王宮魔術師として任じられ、結界を維持し始めてから十年。それだけ勤めて、王都の外に出る事を許されたのは、この一週間だけ。次、いつ機会が来るかわからない。だから、この一週間は、本当にやりたいことを、やれるだけ、やってやろうと思って」

「……それが父と話すことなんですか?」

「話だけで済めば、一週間もいらなかったんだけど……。お父さんが王都に来るのを待っていたんじゃ、いつまでたっても、話どころか会ってももらえそうにないから、こちらから出向いたんだ」


 肩をすくめたシリルは、首を傾げたままのジゼルに、小さな声で懇願した。


「……ご家族を、紹介してもらえないかな、ジゼル」


 真剣な眼差しで、お願いします、とまで言われ、ジゼルは折れた。

 小さく頷き、ゴクリと息を呑むと、そっと玄関の扉に手をかけたのだった。


 ジゼルに導かれてようやく扉を潜った人物を、母と妹たちは、あんぐりと口を開けて見つめていた。

 本人が扉の外で宣言していたとおり、十人中十人が、確実に覚えるほどに目立つ人物だ。驚くなと言う方が無理である。

 白銀の髪も、翡翠の瞳も、この人種の多様なガルダンでも見たことのない色合いである。さらに、その顔は、それこそ水神の祠に飾られた神像のように神々しい、整いすぎた美貌だった。それが、人の良い笑みを浮かべているからこそ人間なのだとわかるが、そうでなければ、なぜ彫像が動いているのかと問わねばならない所である。


 ぽかんと口を開けたままの女性陣と対称的に、副隊長はその姿を認め、そして隣にいた隊長の様子を見ると、あらかたのことを察したように、ただ肩をすくめた。


「……なにしにきた泥棒猫」


 今にも爆発しそうな様子で、地を這うような声を出した父に、ジゼルがびくりと身を竦ませた。


「こんばんは、レノー=カリエ小隊長。あの時のお話の続きをしに来ました」


 シリルの言葉を聞き、父がぴくりと身動いだ。


「……あの時?」


 いつのことかわからないジゼルが首を傾げると、そんなジゼルの頭に、シリルはぽんと手を置いた。

 そして、改めて怒りしか見えない父に、むしろ晴れ晴れとした笑顔で、シリルは話しかけていた。


「ジゼル嬢は、婿を迎える。その婿はまだ決まっておらず、彼女が帰ってから選ばせる、そう仰いましたよね」

「それがどうした」


「割り込みに来ました」


 にこやかに告げられた言葉の意味がわからず、全員がぽかんと口を開けていた。正面で聞いていた父ですら、虚を突かれたような表情で、シリルを見つめていた。

 父は、一度自分の耳を掻き、改めて問いかけた。


「……なんだと?」

「ジゼル嬢の婿になりにきました。まだ決まってないなら、候補にくらい入れてもらえませんか?」

 

 その場に満ちた痛いほどの沈黙の中で、ジゼルの手から落ちた紙袋の音が、やけに大きく部屋に響く。

 誰も微動だにしなくなった場で、ただ一人シリルだけが、挑戦的な微笑みで、父からの返答を待ちかまえていたのだった。


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