はじめてのお仕事4
初仕事の日から、一週間が経過した。
その一週間に、シリルが寝起き時に消えること三回。
一回は初仕事の時。天井の梁をぶち抜くと同時に、ジゼルの緊張も吹っ飛ばされた。
残り二回は、一回は外の木の上に引っかかり、巣を荒らされたと思ったらしい鳥につつかれ、そしてもう一回は馬小屋の屋根をぶち抜いた。その時間、馬はすべて出払っていたから良いようなものの、もし残っていたら、驚いた馬に蹴り上げられ、大怪我を負っていてもおかしくない事態だった。
たとえ消えない日でも、目は開けているのに起き上がらずに惚けていること二回。
透明の壁に遮られ、そもそも寝台付近に近寄ることもできず、さらに、その壁は音を通さないため、シリルに気付いてもらえないまま、いつ消えるのかわからない壁を手が痛くなるほど叩き続ける羽目になり。
そして一週間のうち残り二日は、そもそも日中には起きなかった。
深夜になり、流石のジゼルも就寝時間のため、夜番だという侍女に役目を変わったわけだが、深夜、突然起きてきて、なにやら仕事をしたらしい。
夜は普通に起き上がると聞いた時のジゼルの心中には、暴風雨が吹き荒れた。
結局、七日のうちに、まともな起床を見た日は皆無。
ジゼルは納得した。起床を見張る専門の侍女が確かにここには必須だった。
そして、それが、精神的に大変な忍耐を強いられることを、身をもって思い知った。
だが、そんな仕事も、一週間もすればなんとか慣れる。ジゼルは、密かにこの仕事に闘志を燃やすようになっていた。
今日は、刺繍をしている公爵夫人の隣で、仕事に使うからと特別に申請して、この屋敷で使用した布の端切れを分けてもらい、ちくちくと裁縫に精を出している。
「可愛らしいものを作っているわね」
手元を覗きながら、公爵夫人が何を作っているのかと興味深そうに尋ねてくる。
ジゼルは、一旦顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
「地元のお祭りで作る花飾りなのです。祭り時になると、街の女達は、これをたくさん作って、首飾りを作るんですよ」
ジゼルは、手元で作られた花びらの一枚を手にとって、説明した。傍に置かれた籠の中に、すでに完成した大量の花があるのを見て、公爵夫人は微笑んだ。
「あら、じゃあ、首飾りを作るのね」
「いいえ。これは花のまま使います」
ジゼルは、思わずその花を握りしめ、力強く言い切った。
「これを、あのにっくき透明の壁に投げつけます」
そんなものが出現するなどとは思いもせずに、おもいきり額を打ち付けたあの日の翌日。公爵夫人は、「女の子の顔に傷をつけるなんて!」と憤慨していた。
残るような傷ではないのに、責任をとるという公爵夫人を慌てて宥めたのだが、もうあの部屋で確認もせずに頭を下げる真似はしないと、変な誓いを立てさせられた。
この布製の花は、その壁を確認するための道具だった。
一度目は、おもいきり額を打ち付けた。おでこを冷やしながら、その壁が消えるまで叩き続けていたのだが、シリルが起きた頃には手のひらが真っ赤になっていた。
二度目は用心したためにそうはならず、しばらくぺたぺたと触り続けていたのだが、ふと思いつきクッションを投げつけてみたのだ。
額があれだけ衝撃を受けるなら、きっとクッションも跳ね返るはず。
そのジゼルの予想は的中し、ぽこんと跳ね返ったクッションは、ジゼルの手に再び収まった。
その結果に満足し、ひたすらクッションを投げ続けていたのだが、なんと投げている途中でシリルが起きてしまい、そのまま本人に当ててしまう痛恨の失敗をしでかした。
ただ、シリル本人は、寝起き時は周囲にも自分にも頓着しない。
たとえクッションがぶつかろうが、その跳ね返って床に落ちたクッションを踏みつけ、足を取られて再びベッドに倒れ込もうが、特に表情も変化がない。
ただ、再び寝具に沈んだことによって、二度寝の危機に陥っただけだ。
それはシリルの危機ではなく、ある意味ジゼルの危機だったが、流石に、足を取られるようなものを投げつけてはいけない事は理解した。
寝起きのシリルは、足元にも頓着しない。足を取られるようなものを投げたら、おそらくそのまま踏んでしまうだろう。
「この花なら、投げても勢いは出ませんし、床に落ちているものを踏んづけても、足を取られるようなことにはなりませんから!」
ただ、綿が入っていないし、丸くもないので、うまく跳ね返ることはないだろう。だから、それに関しては、大量に換えを作ることで対応する。
満面の笑顔で宣言するジゼルをみて、公爵夫人は楽しそうに声を上げて笑った。
「あら、そう言えば、お茶はどうしたのかしら」
公爵夫人がそうつぶやいたのは、ジゼルが布製の花で籠をいっぱいにした後だった。
いつもなら、途中でマリーがお茶の支度をしてくれるのだが、今日はその気配がないままに、もうすぐ昼という時間になっていた。
マリーなら、こんな時間にお茶を持ってくるようなことはしない。お茶もゆっくり楽しめないし、先にお茶を飲んでお腹を満たした状態だと、ただでさえ食が細い公爵夫人は、昼食をとらなくなるのだ。
「おかしいですね?」
「……何かあったのかしら?」
しばらく首を傾げていたが、そうしていても埒があかないと、ジゼルは手元の針を丁寧にすべて片付けると、立ち上がった。
「控え室を見てきます。お飲み物のご用意は、いかがなさいますか?」
「もう昼食になりますし、必要ありません。行くのなら、控え室ではなく厨房に行って、ついでに昼食の支度をお願いね」
「かしこまりました」
会話の時間はこれで終了。
再び侍女に戻り、頭を下げて退室する。
この屋敷のあらゆる場所に敷かれたふわふわの絨毯は、足音を完璧に吸収する。だからといって走る事は許されないので、できる限りの早足で、まずは控え室を覗きに行く。
簡単なお茶ならば、この控え室で用意されているはずだが、その用意もない。
つまり、マリーは、ここにすら来ていないことになる。
厨房へと向かうため、急いで身を翻したジゼルは、そこにありえないものを見つけて硬直した。
「ああ、ジゼル。ちょうどよかった」
ジゼルは、硬直したまま、それが自分に歩み寄ってくる姿を見つめていた。
彼女にとって、現在、もっともありえないことが目の前に起こっているのだ。
「今日は、これから眠るから、起きるのはどうせ深夜になる。今日は離れに来る必要はないから……」
いっそ、お前は誰だと言ってやりたかった。だが、それが誰なのかは、これ以上ないほど目立つ目印のために、たとえこの広い屋敷の、廊下の端と端で見つめ合っても間違いようがない。
たとえその距離であろうとも、そして夜の闇の中であろうとも、人にあらざる白銀の髪は、きっと輝いて見えるだろう。
「て、あれ? おーい。ジゼル? ……どうしてそんな、お前は誰だと問いたそうな表情で私を見ているんだい?」
ジゼルは、これも寝ぼけている時の行動の一種かと思い、恐る恐る腕を伸ばした。
もしかして、動いて話す幻か何かかと思ったのだ。
だが、その姿は、いつもの寝室で見る下穿き一枚の姿ではなく、華麗な装飾がなされた白のロングコートを纏った、王宮魔術師の正装姿である。
しかも、幻にしては、背後も透けていない。
触るに触れず、変な姿勢で腕だけを伸ばしたジゼルを見て、しばらく怪訝な表情をしていたその人は、何かに気が付いたようにぽんと手を叩くと、自分も手を伸ばした。
「幻ではないよ。本物だ」
そう言って、シリルは母親にそっくりの、柔らかい笑顔で、その不自然に伸ばされたジゼルの手をギュッと握ると、自分の胸に引きよせた。
ぽん、と軽い感触で当たったその胸からは、シャツ一枚を通して、確かに人の温もりと鼓動を感じる。
―――その瞬間、ジゼルは、盛大な叫び声を上げて、その場を飛び退いていた。
「え、ちょっと、なっ! ま、まって! なんで悲鳴なんだ!」
「ど、ど、どうして起きてるんですかっ! うそです、絶対うそです、幻です、こんな時間に起きてるわけがないんです!」
飛び退いた勢いで柱の影にしゃがみ込み、涙目で首を猛然と振るジゼル。対して、ジゼルが上げた乙女にあるまじきギャーという悲鳴に怯み、おろおろと立ちすくむシリル。
シリルを追いかけてきていたらしいマリーと、ジゼルの悲鳴に驚いて部屋を出てきた公爵夫人が、混乱した二人を真ん中に挟んだ状態で、これはなにごとかとお互いに視線で問いかけあったのだった。