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殻を破る時 9

 シリルは、そっと離れたあと、何かを言いたげに、ジゼルの左手を凝視していた。

 しばらくの沈黙の後、聞こえたのは、謝罪の言葉だった。


「……ごめん」

「なにがですか?」

「腕輪……無理矢理、つけた」


 そう言われて、ジゼルは自分の左手を上げ、ローブの袖をたくし上げて、その腕輪を表に出した。

 腕輪はいつもの通り、猫になっている石以外はつけられた当初と変わらぬ白銀の輝きを放っていた。


「……そう言えば、これのことをお話ししたかったのを忘れていました」


 びくりと体を震わせたシリルに、ジゼルは恐る恐る上目遣いで尋ねた。


「この腕輪で、私の周囲が筒抜けというような説明を受けたのですが……今もなんですか?」


 その問いに、シリルは首を勢いよく振った。


「今、その腕輪の呪文はすべて猫を構成する物に変わってる。だから、そういうことはない」


 ジゼルは、首を傾げながら、頭の中で必死に今、聞いておくべき事を思い出そうとしていた。


「はじめに、どうしてこの腕輪をつけようと思ったんですか?」

「……その目から見える世界が、見たかったから」


 ジゼルにとって、予想外の解答に、思わず眼を瞬かせた。シリルは、うつむいたまま、その視線を逸らしている。

 その目が見たくて、ジゼルはあえて、少しシリルの顔をのぞき込むと、びくりと震えたシリルは、完全に顔をそらしてしまった。


「……自分がほしかった、紫水晶の瞳が目の前にあった。この目から見た世界は、自分が見ている物とどう違うのか、知りたかった」

「……見えましたか?」

「繋がらなかったんだ」


 その意味がわからず首を傾げると、シリルはようやくジゼルに向き直った。


「君の体は、魔力の影響を受けない。織り上がった魔法自体は影響があるかも知れないけれど、魔力の糸で内部を探るような物は、一切受け付けない。私は、それ以外の方法で人と繋がるような魔法の存在を知らないから、結局、その腕輪の魔法の半分以上は、効果が発動しなかったんだ」

「……そうやって眼と関わる呪文があったから、猫ちゃんができたんですか?」

「たぶん。防御のための感情を読むだけなら、別に内部にまで入る必要はないから」


 ジゼルは、シリルの解答をうけ、改めて自分の心に問いかけていた。


「……シリル様。この指は何本ありますか」


 指を一本差しだして、そうシリルに問いかける。


「……一本、だけど」

「ではこれは?」


 指の本数を増やして問いかける。


「三本」


 シリルは、ジゼルの問いに、困惑しつつもきちんと答えた。

 ジゼルは、シリルが着せたローブのボタンを外して、自分が着ていたドレスを指差した。


「これは何色ですか?」

「紫」


 淀みない解答に、ジゼルはくすくすと笑いながら、次々に指差していく。

 シリルの身に纏っていたシャツのボタンの色を問いかけるに至り、シリルはその指をそっと手に包んで、顔をしかめた。


「ジゼル、何が言いたいのか、わからない」

「……同じですよ、きっと。私の目が見ている世界は、シリル様が見ているよりも、ほんの少し暗くて、魔力の糸が見えない世界です。以前、シリル様が見せてくれた、糸がたくさん産まれて漂う幻想的な世界とはたしかに違いますけど、他の見えている物は変わりませんよ、きっと」


 他の人の眼と、見ているものは変わらない。ジゼルがきっぱりそういうと、シリルは苦笑して頷いた。


「……それは、わかってた。でも、見てみたかった。……本当に、ごめん」

「シリル様。私、そういう魔法が込められていたとわかっても、怒ってはいないようなんです」


 まるで他人事のようにそう告げたジゼルを、シリルは虚を突かれたような表情で見ていた。


「確かに、腕輪が外れない事は困ったんですよ。こんな高価なものは簡単にいただけないし、これをつけたまま水仕事をするのは怖かったし、そもそもお風呂の時どうしようとか、そういった事をぐるぐる考えて、せめてちょっと外れるようにしてくれないかなとは思ってたんですけど、シリル様がこれをくださった事自体は嬉しかったんです」


 そっと腕輪を撫でながら、ジゼルは微笑んでいた。


「ずっとつけっぱなしで、すっかり慣れてしまったから、新しくいただいた腕輪もこうしてくれないかなとか思ったりしちゃいました。腕輪が抜けるのが逆に不安だなんて、前は一度も思った事がなかったのに」


 シリルは、眉を寄せ、困惑の表情のままうつむいて、ジゼルから視線を逸らしていた。


「はじめに、魔術師長様から説明を聞いた時、シリル様は、私の事を信用できなくて、そんな効果をつけたのかもしれないと思ったんです」

「そんな事はないっ」


 慌てたように顔を上げたシリルは、ジゼルがくすくす笑っているのを見て、その強ばりを解いた。


「わかってます。もしそんな風に思ってらしたなら、そもそもあそこに置いてくださらないですよね。それに結界が無効になる物である事にかわりはないですから、変だなとも思ったんです。信用できない相手に、そんな物を渡したりしないでしょう?」


 だが、そうなるとますます理由がわからなかった。

 だからジゼルは、先程のシリルの答えに、大いに納得したし、安堵したのだ。

 やはりシリルは、シリルだった。


「見たかったという答えで、私は自分が見ていたシリル様が、ほぼ素のシリル様だったんだなとわかって逆にほっとしました」

「……ジゼル、あまり、人を簡単に信用しちゃ駄目だよ」

「簡単ではないですよ。少なくとも、シリル様の観察に半年かけてますから! 毎日寝起きのシリル様を見守ったんですから、もう十分観察してます! その上でこう思ったんです。その、はじめにかかっていた私を見るための魔法も、きっと今に至るまでに必要な物だったんだって。今、この感情に至るまでに、この腕輪も、そして猫ちゃんも、全部必要だったんだなって」


 ジゼルの答えは、まったく淀みがなかった。

 しばらく二人して沈黙していたが、その沈黙を先に破ったのは、シリルの方だった。


「……一応、聞いておかなきゃいけないと思うんだけど……外した方が、いいよね?」

「あ……これを外したら、猫ちゃんは、どうなるんでしょうか?」

「もう、呼び出すのに慣れたし、再構築すれば、腕輪がなくても出せる。ずっと腕につけてる必要はないよ」


 しばらくの沈黙後、シリルは首を傾げた。


「……猫は、いた方がいいの?」

「いなくなると、少し寂しいと思ったんです。でも……帰ったら、どちらにせよ、猫ちゃんは傍からいなくなるんですよね」


 ジゼルは苦笑して、腕輪に視線を落とした。


「……猫ちゃんがずっといることに慣れてしまって、ここに来た時に、猫ちゃんが居ない間すごく不安を感じたんです。でも……いない事に、慣れないといけませんよね」


 ジゼルは、腕輪をそっと撫でながら、シリルに本当に告げなければならない言葉を口に出した。


「シリル様。あの、私、父と一緒に帰る事になりました。それで、離れにはもう帰れないかもしれないんです」


 どうしてもシリルの顔を見ることができず、ジゼルは頭を下げたまま、顔を上げることができなかった。


「お世話になりました。あの、お約束、守れなくてすみません……」

「……約束」

「お帰りをお待ちしてますって言ったのに……肝心の私が帰れなくなりました」

「そう、だね……」


 シリルが頷くのを見て、ジゼルは、シリルがそれを知っていた事に気が付いた。

 考えれば、シリルは移動の時に父と接触し、あの後も一緒に過ごしている。その時に何らかの話があったと考えて間違いなかった。


「あの、シリル様。もしかして、父から何か、聞かれましたか」

「……あちらに帰って、ジゼルに婿を迎えるって聞いた」

「……え、婿?」


 ジゼルがきょとんとして首を傾げたのを見て、シリルの方が不思議そうに首を傾げる。


「うちには娘しかいないから、ジゼルには、騎士の婿をもらって、家を継がせるって……」

「え?」


 ジゼルの驚く様子に、シリルも驚き、固まった。


「え、って、お父さんはそう言ってたよ。だから、嫁に出す予定はないって……そう言われて」

「え?」

「えって、あの、ジゼルも知ってたんじゃないの?」

「……確かに、結婚の用意をするとは聞いてましたけど……婿をもらうなんて話は聞いてませんでした。母は、嫁ぎ先を探すような事を言っていたんですけど……」

「え?」


 二人は、唖然としたまま固まっていた。

 お互い、そのまま何も言えずにただ時間が流れていた。


 ――その状況は突然響いた衝撃音で破られた。


 一瞬散った火花のような光に、ジゼルは身を竦ませる。

 金属を打ち付けたような甲高い音の直後、何かが木に突き刺さるような音が立て続けにその場に響く。

 シリルとジゼルは、お互い視線を見合わせ、無事を確認すると、そろりと同じ方向に首を向け、状況を確認した。

 傍にあった大木の幹に、斜めに短剣が突き刺さっていた。

 その木から、はらはらと葉が降る状況から、誰が見ても、これがつい今し方突き刺さったのだとわかる。

 唖然としたジゼルは、しばらく硬直してそれを見つめていて、隣の変化に気が付いていなかった。

 視界の端に、ゆらりと漂う何かがあった。

 そちらに顔を向け、思わず息を飲む。

 シリルは、その短剣を見つめていた。その虹彩を縦長く変化させ、背中は、覆うほどの白銀の髪をゆらゆらと流している。

 ほんの一瞬で変化した姿に、ジゼルはぽかんと口を開けて、シリルを見つめた。

 シリルは、音も無くその木に近寄ると、無造作にその短剣を抜き取り、それをじっと見つめた。

 そしてそれを、無造作に、東屋の外に投げつけた。


「ぎゃあ!」


 悲鳴に驚き、ジゼルがそちらに視線を向けると、先程シリルが投げた短剣が、庭にいた侍女の肩に突き刺さっていた。

 思わぬ反撃だったのか、その侍女は憎々しげにシリルを睨み付け、身を翻そうとしたところで、悲鳴を聞きつけたらしい兵士達に一斉に取り押さえられた。

 それを、表情もなく見つめているシリルに、ジゼルは呆然としながら、事の成り行きを見守るしかなかった。


「……あの、シリル、様?」


 ようやく意を決して、ジゼルはシリルに声をかけた。

 シリルは、しばらく兵士達の姿を見て、そして、ゆっくりとジゼルに視線を向けた。

 その姿は、なにやらジゼルの記憶を刺激する。

 それは、ジゼルにとって、もっとも見慣れたシリルだった。寝ぼけている時の、あの時の表情とよく似ているのである。


「……?」

「お姿が、変わってます……よ?」


 小首を傾げてジゼルが告げると、シリルはまるでジゼルの真似をするように、こくんと首を傾げた。

 そして直後、はっと気が付いたように、自分の手を、繁々と見つめ、愕然とした。

 しばらくぱくぱくと何か言いたげに口を開閉させていたが、その後、まるで糸が切れた人形のようにその場に頽れ、がっくりと両手を地につき、項垂れた。

 どうやら、本人にとって、想定外の変化だったらしい。そのうち拉がれた様子に、それがわかった。

 ジゼルは、どうやって慰めればいいのかと、ひとまずそっと手を伸ばした。

 伸ばした手の先で、シリルの突然伸びた髪が、ふわりと舞うように指先から逃げていく。

 それを驚きつつ、ジゼルはその髪がなんなのか、閃くように理解して、思わず苦笑した。


「えい」


 ジゼルは、小さく勢いづけるように声を上げると、そのシリルの背中に自らしがみついた。


「!!」


 驚いたように体を起き上がらせたシリルは、慌てたように顔をジゼルの方に向けていた。

 シリルの髪は、あの襲撃の日のように、ふわりと舞い上がるとそのまま散り散りに光の粒となって消え、元の姿に戻ったシリルが、困ったような表情をその手で覆い隠していた。


「……ごめん。ありがとう」

「どう致しまして」


 くすりと笑ったジゼルは、そのままの姿勢でシリルの背中に頬をすり寄せた。


「……シリル様。あの、聞いてくださいますか」


 シリルの背中で、その顔を隠していたので、声はくぐもっていた。

 しかしシリルは、その声に応え、顔を覆っていた手を外し再び振り返った。


「……なにかな」

「……私、シリル様のお側にいたいんです」


 ジゼルの告白に、シリルが息を飲むのが、背中越しの感覚でわかる。

 ジゼルは、それを頬で感じながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「だから、ここに帰ってきます。両親を説得して、ちゃんと帰ってきます。だから……一度、お側を離れますけど……帰ってきたら、また、雇っていただけますか? また、あそこで……待っていても、いいですか?」


 ジゼルの心は、自分の居場所を定めていた。両親の望みとは違っているかもしれないけれど、ここが自分が決めた居場所だと思った。

 シリルの背中に縋ったまま、どんどん顔が熱くなるのを感じていた。

 シリルからの返事はなく、今、シリルの表情がどうなっているのかもわからない。むしろ、知るのが怖くて、ますます顔を背中にすり寄せた。

 突然、シリルの背中に当てていた手が、背後に回してきたシリルの手で前に引き寄せられ、体全体がしっかりとシリルの背中に密着した。


「……ジゼルの為だけの、居場所を作る。だから……ずっと、傍にいて」


 シリルの手が、ジゼルの左手にはめられていた腕輪に当てられる。

 鈴の音のような、軽やかな音と共に、腕輪は光の粒となり、消滅した。


 そしてジゼルの耳には、猫の嬉しそうな鳴き声が、どこからともなく聞こえたような気がしていた。


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