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殻を破る時 8

 目的地はわからないが、足に迷いがないシリルに手を引かれながら、篝火で明るさが保たれている中庭を歩いていた。

 そろそろ秋の中頃だが、丹精こめられた中庭は、まだたくさんの花々が咲き乱れていた。それが篝火に照らされ、日中とは違う、幻想的な姿を見せていた。

 景色は美しいが、さすがに今の気候はドレス姿のままでは肌寒く、空いている手で素肌を見せている腕を摩る。


「……あ、ごめん」


 突然シリルからそう言われ、ジゼルが顔を上げると、ふわりと目の前が白い布で覆われた。

 シリルは、自身が着ていたローブを脱ぎ、しっかりと前を会わせてジゼルに着せ、ボタンまでしっかり留めると、にっこりと微笑んだ。

 その瞳の虹彩はすでに元に戻っており、先程の怒りは微塵も感じられなくなっていた。


「これで、寒くないかな」


 ジゼルは、想像以上に軽いそのローブにそっと触れながら、首を傾げた。


「あの。シリル様は、まだお仕事の途中なのではありませんか? 私は、あとは部屋で大人しくしていますから……」


 だから、ローブはいらないと続けようとしたジゼルに、シリルは首を振った。


「今、部屋は立ち入り禁止」

「え、どうして……」

「侵入者がいたからね。元から部屋に居た使用人以外は、建物自体に入れないように規制されてる。全室確認して、あと、会場で、王太子とジゼルに敵対意思があった人達は、部屋の移動。それが終われば、入れるよ」


 苦笑して、シリルは再びジゼルの手を取った。

 長身のシリルが身につけるだけあり、ローブはジゼルの体には大きすぎた。それは、シリルとの体の違いをジゼルにまざまざと知らしめた。

 袖の長さが、指先がほんの少し出るくらいなのが、まるで子供が大人の服を着ているようで、日頃色気の欠片もないと言われた体も、今日はドレスで若干ではあるが女性らしさがあったというのに台無しだった。

 大きなローブに体をすっぽり覆い隠され手を引かれる姿は、きっと子供そのものだ。

 だが、その暖かさは妙にほっとする物で、ジゼルは自分の思考に苦笑しながらシリルに礼を言った。


「失礼します!」


 突然声をかけられ、ジゼルはビクンと身を竦ませる。

 シリルが、その声をかけてきた兵士に視線を向けると、二人組の兵は揃って敬礼した。


「外周の確認が終わりました。今のところ、不審物、不審者共にありません」

「邸内は?」

「そちらは、現在半数ほど見終わりました。今のところ、侵入の形跡はありません」

「使用人の確認は?」

「そちらも、部屋の確認と共に進めています。今のところ、人数、性別に変化はありません」

「では引き続き内部の確認を。外は、先程侵入された場所より、他に設定していた警戒地点を優先で」

「了解です」


 指示を出すシリルの横顔を見つめながら、ふと、ジゼルは繋がる手を目に留めた。

 仕事中まで、こんな側にいるわけにはと思い、そっと手を離すと、すごい勢いで握り直され、さらに指を絡められた。

 ここまで力強く握られると、ジゼルの力では外すことは叶わず、困惑して顔を上げた。


 そして、ふと兵士の一人と視線が合うと、なぜか兵士はぽかんと口を開け、ジゼルを見つめていた。その気まずさに目礼すると、相手は敬礼の姿勢のまま、びしりと体を硬直させた。


「……まだ、何か、あるのかな?」


 シリルのゆっくりとした問いかけに、二人のうち、硬直していない兵は、慌てて相方を引き摺り、失礼しますと逃げるように去っていった。


「……やっぱり、私のような部外者は、少し離れた方がよかったのではないですか?」

「大丈夫だよ。彼らはジゼルを守ってるようなものだから、部外者なんかじゃない」


 シリルは笑顔でそう告げると、再びジゼルの手を引き、中庭にあった蔦植物で覆われている東屋に入りこんだ。


 東屋には、テーブルセットが設置されており、その上には羊皮紙でできた地図と共に、不思議な光景が広がっていた。

 それは、かつてジゼルがシリルの元で初めて見た魔術と同じような、半球状の光に覆われたたくさんの点が、地図上に踊る物だった。

 その点は、中央で二つが組みになり、それこそダンスをするように、くるくる回転していたり、周囲でざわめくように集団を形成していたり、まるで先程までジゼルがいた会場の縮図そのものだった。


「これ……もしかして、大広間ですか?」

「うん。この点が、今日の参加者。今のところ、外に出たのは、ジゼルと殿下だけだね」

「ずっと、ここでこれを見てらしたんですか?」

「そうだよ。……今は、ジゼルが会場を出たから、色がついてないけど」

「色?」


 ジゼルが首を傾げると、シリルは頷き、その半球状の光に指先をそっと当てた。

 光は、シリルの指が触れたとたん、七色の波紋を広げ、それに従い、中の点にそれぞれ色がつく。


「これは、さっきジゼルが中にいた時の情報を元にして出した色。……青は、ジゼルに悪感情を持つ相手。色が変わらないのは、どちらでもない人。そして……黄色は、好感を持っている人だよ。中でも橙色は、特に親しい相手。フランシーヌやエルネスト、そして王太子殿下、あとはうちの両親と侯爵夫妻もかな。師匠も一応中にいるんだけど、師匠はこの点には含まれていないから」


 ジゼルは、その説明を聞き、目を見開いた。

 中の無数の瞬きのうち、青は先程の出入り口付近にぎっしりと固まっていたのだが、それ以上の数、会場中に広がる黄色の点が、ジゼルには信じられなかったのだ。

 唖然としたジゼルの頭を、シリルはくすくす笑いながら、そっと撫でた。


「これは、ベルトランの主催した宴だから。今は一線を退いていても、軍に関係していた人が多いんだよ。そしてそういう人は、軒並み、君のお父さんの知りあいなんだ」

「……そうなの、ですか?」

「この国は、貴族はみんな、最低一年間は騎士としての修練をする義務がある。いざという時に、私兵を指揮し、率いて戦わなくてはいけないからね。そして今、家長としてここに来ているような人達は、君のお父さんと同時期にその修練をしていた人達が多いらしい。ベルトラン侯爵自身がそうらしいから、自然とそういう人が集まっているんだ」


 黄色の点は、会場中でざわめいていた。先程中にいた時は感じることがなかったが、これだけの人が、ジゼルを見守っていたのである。


「さっき、ジゼルが青い点に囲まれた時も、この人達は動こうとしていたんだ。だけど、一番早かったのは、やっぱり子グマちゃんだったみたいだね。ジゼルが囲まれたとたんに、すぐに動きが変わってたから」


 ジゼルは、その事実に息を飲んだ。

 ジゼルからはまったく見えなかったのに、フランシーヌは会場の隅にいたジゼルを、きちんと意識していた。自分の社交界デビューで精一杯だっただろうに、そこまで気を使わせていたことに愕然とした。


「ずっと気にしてくれてたんだろうね。ほんと、殿下はフランシーヌ嬢に根性を鍛え直してもらった方がいいよ。あっさり青い点に連れて行かれてたよね」

「……あれは、私が離れたんです。殿下は、ご挨拶することも多いのだと、事前にお聞きしていましたから。それに、最初に囲みを突破して駆けつけてくれたのは、殿下でしたよ」


 ジゼルが首を振り、シリルの言葉を否定すると、シリルは笑みを消し、無数の点を見つめていた。


「……ジゼルが青い点に囲まれてすぐに、猫が鳴き始めた。猫は、君の負の感情に敏感に反応するように作ってる。それで、何かあったんだって、わかった」


 今、この場所に猫は居ない。あの会場にも、猫の姿はなかったはずだ。

 だけど、ここでシリルが会場のジゼルをずっと見守ってくれていたように、この屋敷のどこかで、猫はジゼルを見ていてくれたのだ。


「泣かないでって、ずっと鳴いてたんだ」

「……ここに、会場の声は届きませんよね」

「聞く手段はない。会場にある石は音を保存しているから、探せば会話も拾えるはずだけど……。さっきのジゼルの言葉をきいて、大まかに何を言われたのかは想像できた」


 思わず言葉に詰まったジゼルの頭を、シリルの手がそっと包んだ。


「悲しい思いをさせるつもりはなかった。本当にごめん」

「いいんです。大丈夫です。……あれで、信じられたんです。やっぱり私は、本当に父の子供なんだって」

「……どうして?」

「確かめる手段があった時、きっと母は、たとえ神罰があるとしてもそれを躊躇わない。私は、それを疑いもしませんでした。他の人の言葉に傷つくことはあっても、父も母も、その主張を変えたことは一切なかった。それはきっと、神を前にしたとしても変わらない。それが、信じられたんです。だから……」


 本当に、大丈夫。そう言って笑ったジゼルを、シリルはぎゅっと抱きしめた。

 抱きしめたまま、そっと頭を撫でるシリルは、そのまま、髪につけていた石を指で弄ぶ。


「攻撃から身を守る手段は用意できても、心を守る手段は用意できなかった。それが、悔しかった」

「……いいえ、十分守っていただきました。守られているとわかっているから、私は取り乱すこともなかったし、恐怖で体が動かないということもなかったんですよ。……腕輪、外さなくて、よかったです」



 ジゼルが笑顔でそう告げた瞬間、今まで体を抱きしめていたシリルの腕は、彫像のように硬直していた。



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