殻を破る時 6
あの日も、似たような光景を見た。
雰囲気にのまれ、身動きも出来ず、声も出せず、その夢のような光景をただただ見つめていたジゼル達に、彼女たちは数人の集団でやってきて、わざわざこちらに聞かせるように嫌味を言い始めた。
はじめは、ここだけ妙に暗いだの、臭うだの、言いがかりもいいところの言葉をちくちくと小声で言っていたのを、反応がないと見ると突然個人的な攻撃を始めたのだ。
ジゼルの銀色の髪は、まさにそこで、格好の的になった。
この国で見られない髪色は、つまり遠い異国との混血であることを示している。
彼女らはそれを責めたのだ。
しかし、ジゼルはそれをまったく相手にしなかった。
異国の民との混血は、この王都では確かに数が少ないが、港町であり、異国との玄関口であるガルダンでは、それほど珍しい事ではなかったのだ。
たかが髪色のことだと、ジゼルは気にも止めていなかったのである。
ただ、その態度が、あまりに悠然としていて、その時の令嬢達は、頭に血が登ったのだ。
今日も、少女達は集団だった。
以前の王宮で、ジゼル達に辛く当たっていた令嬢達は、今日は招かれていない。
今日のこの場は、王妃陛下主催というわけではないので、たとえ会場にいたとしても法に触れるわけではないし罰を受けるわけではない。
しかし、今日の主役は、まさにあの場でその令嬢達が怪我をさせたフランシーヌである。
たとえフランシーヌ自身が許したとしても、エルネストは彼女たちがこの場に招待され、再びフランシーヌと顔を合わせることを認めはしなかった。
それもあって、近寄ってきた顔ぶれ自体はまったく違うのだが、やることは同じなのかと、笑顔のままでその集団を迎えながらジゼルは暢気に考えていた。
「はじめまして。お名前を伺ってもよろしくて?」
先頭に立っていた少女が、微笑みながらジゼルに話しかける。
ここでもどうやら、様式美があるかのように、主に話しかけてくるのは一人らしい。
それ以外は取り巻きという構造も、以前と同じである。
「ジゼル=カリエと申します」
「そう……。あいにく不勉強で、カリエという家名は存じ上げませんわ。どちらのご出身ですの? この国ではお見かけしない御髪の色ですもの。さぞ遠いお国のご出身なのでしょう?」
結局そこか。
ジゼルは、あまりに変わり映えしない質問に、心の中で嘆息した。
「私は西のガルダン出身でございます。母が、北の大陸にある、ベルクドという国の出身で、私はそちらの血が濃く出まして、この様な色が出たのだと聞き及んでおります」
令嬢は、笑顔だった。しかし、ジゼルの出身を聞いた瞬間、眼がまったく笑っていなかったことを、ジゼルは見逃さなかった。
「わたくし、思い出しましたわ」
以前と違う台詞に、ジゼルは一瞬首を傾げた。
令嬢は、その表情だけは淑女らしく穏やかに、しかしその視線は冷たく、ジゼルを見据えていた。
「カリエ、というのは、ガルダンにある砦の小隊長様のお名前ではありませんでしたかしら?」
「……ええ、それは私の父ですが」
「以前、わたくし、こんな噂を耳にしたことがありますの。……カリエ隊長のご息女のうち、長女にあたる方は、夫人の不貞の結果産まれた御子だと」
話している令嬢は、表情を崩したりはしていなかった。だが、周囲が、一気に好奇心に傾き、耳をそばだてていたのは、その雰囲気からジゼルにも察せられた。
「大変失礼ですけど、ジゼル様は、カリエ隊長の何番目の御子ですの? もしご長女なら、御血筋の辿れないような方を、まさか王家の花嫁とはできませんでしょう?」
令嬢は、にっこりと微笑んでいた。
その表情を見て、ジゼルは納得した。
この令嬢は、ジゼルが、自身の力で反論ができない最大の弱点を調べてきたのだ。
この令嬢の告げたとおり、母は、両親のどちらにも似ていないジゼルが、間違いなく自分の産んだ子であることは証明できたが、それが父の種だったかどうかの証明はできなかった。
そんな事、証明する術など無いのである。
それは事実ではないとただ口にすることは出来るが、他でもない、ジゼル自身の容姿がその反論を封じるのだ。
今に至るまで、それはあやふやなまま残された謎だった。
母は、ジゼルが間違いなく父の種であると確信していた。
しかし、周囲の人間は、両親とよほど親しい人を除き、誰もそれを信じなかった。
だからこそ父は、ジゼルを側から離しはしなかった。血の絆があやふやでも、親子としての絆はできるのだと、そう言ってジゼルを連れ回していたのだ。
この令嬢は、どうやらしっかりとジゼルについての調査をしてきていたらしい。
噂を聞きつけ、ジゼル自身がそれを否定できないことを知った上で、この公の場で正面から告げたのだ。
「どうなさいましたの?」
「……私は、レノー=カリエの長女ですわ」
それ以外、ジゼルには答えられなかった。
ただ、胸を張って、顔を上げて、ジゼルはそう答えていた。
かつて母に言われたとおりに、胸を張って、自分の父の名を告げることしかジゼルにはできなかった。
周囲の視線は、好奇心に満ちあふれ、そこかしこで、声を潜めて話をしていた。
ジゼルの正面では、令嬢の取り巻き達が、してやったりとばかりにほくそ笑む。
正面では令嬢が、あくまで気の毒そうに表情を取り繕い、そのパートナーである男性貴族は、まるでジゼル自身が不貞を働いていた者であるかのように顔をしかめて睨み付けていた。
その人波をかき分けて現われたのは、王太子だった。
「何事だ、これは」
その姿を認め、誰よりも先に頭を下げたのはジゼルだった。
それに習うかのように、一斉に周囲もその頭を垂れる。
ただ一人、ジゼルに言葉の刃を突き立てた令嬢だけは、毅然としていた。
「ご機嫌麗しゅうございます、王太子殿下。なんでもございませんわ。ただ、わたくし達は、王家に相応しい人となりについて、議論を交わしていただけですもの。ねえ、ジゼル様?」
「……王家に相応しい?」
「ええ。わたくし、すっかりジゼル様のことを気に入りましたの。ですから、あえて、他の方が告げにくいことを、教えてさしあげましたの」
王太子の視線はジゼルに向けられ、そして周囲を巡る。
ジゼルは、王太子がここに顔を出してから今に至るまで、一切言葉を発していなかった。
「どうして、ジゼル嬢が、王家に相応しい人となりなど、議論する必要がある」
「まあ、ジゼル様は、王太子妃候補だと聞き及んでおりますわ。それならば、誰よりもそれを知る権利があるのではありませんか?」
令嬢が、にっこり微笑んで言い放った言葉に、王太子はすっと眼を細めた。
「私もぜひ尋ねたいことがある。ダントリク侯爵令嬢。なぜ、ジゼル嬢が王太子妃候補だと思ったのか」
え、と不思議そうに首を傾げた令嬢は、すぐに表情を笑顔に戻し、王太子に返答した。
「今、社交界では、その噂で持ちきりでしたもの。ここにいる方々は、皆さんご存じのはずですわ」
「ご存じ、か。あいにく、ジゼル嬢は、王太子妃候補ではない。今回、彼女に私のパートナーを務めてもらったのは、あくまで王妃陛下の大切な、若年の友人への計らいというだけのこと。彼女はこの縁組みに、最大の功績があったゆえ、この宴に賓客として迎えられるようにとり計らったのだ。その彼女に、なぜ、王家に相応しい人となりの話が必要になるのか、この周囲の噂にも愚鈍な私にもわかるように、教えてもらおうか」
厳しくなる王太子の声とは反対に、令嬢をはじめとした周囲の人々はただ唖然としていた。
中には、その王太子の態度に、この先を予感したのかそっと人垣を抜ける人々もいたが、他の者はただ成り行きを見守ることしかできなくなっていた。
その中で、王太子を諫めたのは、他でもないジゼル自身だった。
「王太子殿下に申し上げます。ご令嬢は、あくまで通常知ってしかるべき事実を述べられたまでにございます。私に関する噂も、高位貴族ならば、出自が知れぬ娘が、たとえ友人としても、王家に近付くなど許せぬ所行でございましょう。ご令嬢は、間違ったことは述べられておりません」
「いや、しかしだな……」
王太子は、ジゼル自身の言葉に、慌てたように止めようとした。
しかし、そこを遮り、ジゼルは周囲に優雅に一礼した。
「皆様、お騒がせして申し訳ございませんでした。この祝いの席に、争いの端を開いたことをお詫び申し上げます。私はこれで失礼致しますので、どうぞお許しください」
「ジゼル嬢」
ジゼルは、慌てたように止めようとした王太子の手をすり抜け、この場を去ろうとした。
祝いの席は、結局自身のせいで台無しである。役割を終えたなら、この場を去るべきだった。
フランシーヌの晴れ姿は見守った。彼女はしっかり、夫となるエルネストの腕に、身を委ねた。
それを見届けられただけで、ジゼルは満足だった。
――聞き慣れた中傷など、今更である。
生涯関わらぬ貴族の間でいかにその噂が走ろうと、ジゼルには痛くも痒くもない。
毅然と立ち去ろうとしたジゼルは、その正面に暁色を眼にして、足を止めた。
「……フラン」
「彼女のお母様の身の潔白は、証明できます」
「……え?」
「私は今日、婚約の儀にて、ファーライズ聖神官様のお手により、誓約証をエルネスト様と交わすこととなりました。その際のお話で、その誓約書類の文言は、婚約に限ったことではないと伺いました。それならば、お母様に、その誓約証で、彼女の血に関することで嘘はつかない誓約をしていただき、その上で、言っていただけばいいのです。彼女のお父様は、間違いなくレノー=カリエ小隊長だと。ファーライズの誓約は、それを守らない場合、即座に神罰が目に見える形で下されると伺いました。ですが、お母様に疾しいことがないならば、きっと喜んで、その誓約をしてくださるはずです」
フランシーヌは、華やかな場には不似合いなほど、真剣な眼差しで、ジゼルの周囲を見渡していた。
「彼女のお母様が潔白であった場合、この場にいる皆様は、どうなさるおつもりですか。ベルトラン家の祝宴の賓客が、根拠のない噂で誹謗中傷を受け、公で辱められるなど、許されざる事。私は黙ってそれを見過ごすことなど致しません」
フランシーヌから少し離れた位置で、侯爵夫妻がそれを見ながら、深く頷いていた。
そして、そこからエルネストが、いつもの速さでフランシーヌの元へ赴くと、さりげなく彼女の肩を抱き、その言葉に賛同した。
「今日ならば、まだ聖神官殿はここに滞在しておられる。もし、ジゼル嬢が望むなら、ベルトラン家から、この度のカリエ家への侮辱に対する謝罪の意味も込めて、すぐにでもファーライズ聖神官殿に正式に要請しよう。君の母君は、これを受けてくださるだろうか?」
エルネストは、まっすぐにジゼルを見据えていた。
ジゼルは、その二人の姿を、呆然と見つめていた。
幼い頃から、諦めていたたったひとつの、そして自身の最大の謎を、この二人は解決できるというのだ。
ジゼルは、一瞬、涙をこらえるように表情を歪め、そしてそれでも懸命に微笑んだ。
「私の母の口癖は、「私の男はレノーだけ」です。幼い頃から、私が父の事で他者から言葉をかけられる度に、母は胸を張ってそう答えてきました。その誓約も、母ならば、躊躇うことなく了承すると思います」
その言葉と共に、ジゼルは深く深く一礼した。
その拍子に、こらえた涙が、床に一滴ぽとりと落ちる。
それに気付いたのかはわからない。だが王太子は、素早くジゼルに手を添えて、後は任せるとエルネストに告げると、ジゼルを外に連れ出したのだった。