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殻を破る時 3

 目が醒めた時、すでに日は昇っていた。

 夜の間、部屋はカーテンで覆われていたが、目が醒める前にレアが開けてくれたらしく、すでに薄い物に変わっていた。

 はっきりしない意識を、体を起き上がらせて覚醒させる。

 伸びをして、枕元を見て、そしてぎょっとした。


「……なーう」


 枕元に、猫が居た。


「あ、こら。私が寝ている時は入っちゃ駄目でしょう?」


 ぱっと見たところ、それは『眼』だった。

 それでも、ジゼルも一応年頃の女性としては、以前のように、たまたまうっかりその時猫とシリルが繋がって、寝顔や寝間着姿を見られたというような事故を起こしたくははないので、『眼』も寝室には入らないように言い聞かせてあったのだ。

 猫は、ジゼルに叱られ、慌てたように、寝台から飛び降り、部屋を出て行く。

 昨夜は部屋の外に出しておいたはずが、いつの間に入りこんだのか。

 ジゼルも慌てて寝台から降り、猫を追うように足を踏み出した。


「おはようございます、ジゼル様」


 部屋を飛び出すよりも先に、レアが朝の仕度のために姿を現し、一礼した。


「お湯をお持ちしました。どうぞおつかいください」

「あ、ありがとう。あの、猫を見ませんでした? 今、部屋を出て行ったのだけど……」


 ジゼルの問いに、レアは「ああ」と、何かに納得したように笑顔になった。


「ジゼル様がお目覚めになったのをお知らせに来てくださいましたわ。そのあとは、窓から出て行かれましたが」


 レアは、あの猫がシリルの出したものだということは知っている。

 だがそれが、目や耳が繋がっている事は知らないらしい。


「あの、あの猫は昨夜、部屋の外に出しておいたのだけど……。いつから、ここに入っていましたか?」

「それなら、今朝ですわ。お部屋のカーテンを開ける時に、私の足元をすり抜けておいででした」


 レアの説明で、ジゼルは難しい表情で沈黙した。


「また、ちゃんと言い聞かせないと……」


 思わず口をついて出たのだが、それでふと、これが終われば猫も側にいなくなる事を思い出す。

 猫とも、これでお別れなのだ。


「……シリル様が入ってない猫も、少しは私と、別れを惜しんでくれたのかしら」


 苦笑したジゼルは、そのしめっぽい感情を忘れるために、勢いよく伸びをした。


「じゃあ、忙しい一日を、はじめますか」


 そのジゼルの言葉に、レアは微笑みながら、「お手伝い致します」と返事をした。



 朝食を取らず、早めの昼食をとり、ジゼルと侍女の戦いは始まった。


 レアと、年配の二人の侍女によって、風呂で磨かれ、香油を塗られ、ぐったり疲れながら部屋のソファに座り込む。

 頑張ろうと気合いを入れたはいいが、普段、人に仕度をしてもらうことのないジゼルにとって、いつでも侍女がついていて、自分は指一本使うことのない今の状況は、なかなか疲れるものだった。

 体力は十分あるので、これは精神的な疲労だ。


「……貴婦人というのは、大変なものなのね」


 ジゼルの呟きに、レアは何かを思いだしたように微笑んだ。


「フランシーヌ様も、侯爵家にいらしたすぐの頃、同じことを仰いましたわ」

「そうよね。フランにとっては、これが日常になったのよね」

「そうですね。フランシーヌ様はご自身でなんでもお出来になる方ですが、やはりパーティの前のお支度は、お一人でとはいきません。わたくしたちのような使用人を上手に使う方法を覚えるのも、貴婦人としての嗜みですから」


 柔らかい布で、髪の雫を綺麗に拭いながら、レアは嬉しそうに微笑んだ。


「……ごめんなさいね、レアさん。本当は、フランの所にいたかったでしょう? 今日のお支度も、手伝いたかったのではない?」

「いいえ、そんな事はございません。フランシーヌ様は、私を信頼してくださっているからこそ、大切なご友人であるジゼル様のお側に私をお付けになりました。その信頼に応えることこそ、私の喜びですわ」


 その言葉にも、態度にも、嘘偽りは見られなかった。

 まだ、人生経験そのものが少なく、それらを見抜く眼も鍛えられていないジゼルでもわかるほどに、彼女は仕事に自信を持っているように見える。


「ありがとうございます。そうね、レアさんの仕事ぶりをフランに伝えるために頑張るわ」

「はい」


 レアは微笑みながら、ジゼルの髪に香油を塗り込み、梳る。


「ドレスのご用意が出来ました」


 年配の侍女達が、ドレスと装飾品、そして下着を、すべて並べていた。


「では、はじめましょう」


 レアの一言で、全員が一斉に動き始める。

 丁寧に下着を一枚一枚重ねていき、コルセットできっちりと締める。


「ジゼル様、いかがでしょう。痛みを感じる場所など、ございませんか?」

「……苦しいけど、痛みはないです」

「ジゼル様は、元々細身でいらっしゃるので、それほど締める必要がございませんね。よろしゅうございました」


 年配の侍女の一人が、にっこり笑顔で告げ、その言葉でジゼルが困惑したように眉を寄せた。


「……これでも、締めてないんですか?」

「ええ。大柄な方ですと、ドレスをあまりにも細く作りすぎて、侍女数名がかりで紐を締める事もございますよ」

「そんな事をされたら、息もできないわ」


 がっくりと項垂れながら、ジゼルは呟いた。


「さ、そんなお顔をなさらずに。美しいドレスですこと。さあ、着付けてしまいましょう」

「着付が終わりましたら、髪をまとめて、お化粧しますからね」


 ジゼルは、仕事をこなす侍女達の手を素直に受け、これは我慢するという仕事なのだと自らにひたすら言い聞かせていた。

 

 すべての仕度が終わり、ようやく落ち着けたのは、すでに昼も過ぎてお茶の時間だった。

 お茶と軽くつまめるものを用意されたが、まだコルセットに慣れておらず、食欲はまったくわかない。仕方なく、お茶だけを口にしてほっとひと息つく。


「この後、控え室への移動になります。呼ばれるまでこちらでお待ちください」

「ありがとうございます。あの、フランは……」

「無事に婚約の儀を終えられ、お支度も済まされたそうです」

「そうなの。よかった……」


 一番重要なのは、その儀式なのだ。これでフランシーヌは、名実共に、神に認められたエルネストの婚約者となった。お披露目はしていなくとも、その事実は今後なにがあっても、双方の希望により破棄されるまで有効である。


「じゃああとは、お披露目だけね」

「はい」


 日頃、フランシーヌに仕えるレアにも、心なしか安堵が見えた。


 部屋の移動は、その後まもなくして行われた。

 部屋を出て移動しながら、ジゼルは来た時とは様相の変わった屋敷の内部に、感嘆の声が零れた。

 あちらこちらに、繊細な、虹色の石飾りのついた花束が飾られ、惜しげもなく燭台が置かれている。

 夜になり、これらがすべて使われたなら、廊下には死角になる影も出来そうにない。


「すごいですね。これが全部付けられたら、きっと昼のように明るいわね」

「そうですね。この廊下だけでなく、会場も、照明には大変な力を入れておりますよ。そちらは、パーティが開始された時点から明かりが灯されておりますから、どうぞご堪能ください」

「ええ」


 にっこり微笑み、ジゼルは再び正面を向く。

 進むにつれて、昨日にはなかった賑わいが窓の外から聞こえてくる。

 楽団の楽器の音や、すでに到着しているらしい客人の声に、嫌が応にも緊張が増し、心が重くなっていく。

 そんなジゼルを、レアは励ますように手を引きながら、控え室まで案内した。

 控え室の中では、すでにフランシーヌが用意されていたソファに納まり、ジゼルの到着を待っていた。

 ふんわりと広がった、薄布を何枚も重ねた暁色のドレスは、穏やかな笑顔のフランシーヌを鮮やかに引き立てていた。


「フラン!」

「ジゼル、移動おつかれさま」


 にっこりと笑うフランシーヌに、ジゼルはほっとしながら歩み寄りその手を取った。


「フラン、怪我は大丈夫? 治療したとは聞いたのだけど、不自由ない?」

「ええ、大丈夫よ。心配かけてごめんなさい」


 やはり、儀式を終えた安堵からか、フランシーヌは幾分か落ち着いて見えた。

 それを見て、ジゼルもこころなしか、今まで感じていた重圧が軽くなった気がした。


「そうだ。大切な事を言わないとね。婚約の成立おめでとう、フラン」

「ありがとう」


 笑顔のフランシーヌに促され、フランシーヌの正面のソファに座ったジゼルは、ふと疑問に思ったことをフランシーヌに尋ねていた。


「そういえば、結婚式はいつになるか、決まっているの?」

「ええ。ふた月後よ」


 ジゼルはそれを聞いて、驚きで目を見張った。


「そんなに早いの?」


 本来、婚約期間は、半年ほど取ることが多い。貴族の家同士ならば、なおのことである。

 たったふた月で結婚式の仕度を調えられるほど、貴族の結婚は簡単ではない。

 貴族の結婚は、ある意味国のイベントである。

 高位の貴族になればなるほど、国外からも客を招き、盛大に執り行われる。

 そして盛大であればあるほど、用意は多岐にわたり、時間がかかる。

 ベルトラン家ならば、それこそ半年でも早いくらいである。

 ジゼルですらわかっているその事実に、フランシーヌは頬を染めて頷いて答えた。


「エルネスト様が、私がベルトラン家に来た時点から考えれば、その期間は十分あったからと仰って……。もっと早くとも仰っていたのだけど、さすがにふた月より早くは出来なくてそうなったの」


 ジゼルは、エルネストの強面無表情を思い浮かべ、思わず出そうになった溜息を必死でのみこんだ。

 どれだけあの人はフランシーヌを溺愛しているのかと、おもいきり突っ込みたかったが、突っ込む相手はここにはいない。

 ジゼルは、その宙に浮いた突っ込みを横に置き、話題を変えることにした。


「そういえば、侯爵夫人はどちらにいらっしゃるの? この控え室は、侯爵夫人もご一緒だと聞いていたのだけど」


 フランシーヌは、ジゼルの唐突な話題変換に、にっこりと微笑んで応じた。


「お義母様は、先程到着された王太子殿下をお迎えするために席を外されたの」

「それは、フランシーヌは行かなくてよかったの?」

「ええ。私は、お披露目で皆さんに一斉に紹介されることになるから、それまでお出迎えはしないことになっているの」


 噂をすれば、とフランシーヌが告げた時、扉の外から入室の知らせがもたらされた。


 侯爵夫人に促され、この控え室に入ってきた王太子は、その後ろに一人の老人を従えていた。

 青銀の長い髪を後ろで緩やかに纏め、シリルが普段着ている物より、幾分か装飾の多い王宮魔術師用のローブを身に纏っている。

 その姿だけでも、その人物の正体は窺い知れた。

 その容姿だけでは年齢は推し量れないが、老齢とは思えないほどしっかりとした足取りで、その人は部屋に足を踏み入れた。


 しかし、ジゼルは、そのあまりにも意外な姿に、呆気にとられていた。


 老人は、眼を、不思議な装飾品で覆っていたのである。

 それは、視線を遮るような作りになっており、この老人がこの状態では物を見ることが不可能であるようにしか見えなかった。

 老人の肩には、小さな小鳥がとまっており、チリチリと鈴のようなかわいらしい鳴き声を上げながら、こちらを見つめていた。



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