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瞳の戒め 15

 シリルの腕の中で、ジゼルは自分に少しずつ浸透してくる熱を感じていた。

 シリルが身に纏う魔術師の正装は、生地も厚く、中の体型を感じさせないほどゆとりを持って作られた物で、たとえ力の限り抱きしめられていたとしても、その体の熱などわかりそうにない。それなのに、ジゼルは確かに、それを感じていた。


 恐る恐る見上げたシリルの顔は、目元まで襟の影になってよく見えない。

 ジゼルが身動ぎすると、しっかりと抱きかかえていたその腕は、ほんの僅かにゆるんだ。

 ジゼルの目に、シリルの僅かに赤く染まった耳元がしっかりと見える。

 先程まで、浮かんでいる分だけ、ほんの僅かに高くなっていたシリルが、ジゼルが見慣れた高さに戻っていた。

 長かったはずの髪も、まるで光に溶けるように消えていくのが肩越しに見える。

 その不思議な現象を、ジゼルは呆然と見つめた。


「あの、シリル様……。髪が……」


 慌てて見上げたシリルの瞳がジゼルに向けられ、そこでまた唖然とした。


「……目も、元に……」


 シリルの瞳は、虹彩も元の通り、丸くなっていた。

 いつの間に戻っていたのかわからない。しかし、そこにいるのは、間違いなく、いつもと同じ姿のシリルだった。

 シリルは、ジゼルを抱きしめていた手を外し、そっと立て襟の金具を外した。

 立て襟が下にずらされ、そこからいつものシリルの顔が現れ、ジゼルは目を丸くした。


「……こっちの姿の方に驚かれると、私はどういう顔をすればいいのかな」


 苦笑したシリルは、再びジゼルをその腕の中におさめ、肩に顔を埋めた。


「開放するのも、それを収束させるのも、ジゼルなのか。……もう、どうしていいかわからないよ」

「シリル様……」


 抱きしめられ、頭と背中をそっと撫でられながら、ジゼルは困惑していた。

 どうしていいかわからないのはこっちもだと言いたかったが、腕の中の居心地があまりにも良すぎて、そんな事も言えなくなる。


 ジゼルは、その居心地の良さに状況を忘れ、されるがままになっていたのだが、突然シリルの体がビクンと撥ねた事で、再び周囲の状況に意識を戻された。

 さりげなく見上げると、シリルはジゼルの背後を見て、驚愕、というよりも怯えに近い表情で、固まっていた。

 そっとその視線を辿った先には、ジゼルがその存在をすっかりと忘れていた父が、明らかな憤怒の表情で、攻撃態勢の熊のごとく物騒な気配を漂わせて立っていた。


「……」

「……」

「……ジゼル。お父さん怒らないから、説明してくれるかな?」


 すでに怒りの頂点を越えて、頭からうっすら湯気でも出ているように見える父が、地を這うような声で、重々しくそう告げた。

 これ以上はないほどに説得力のない台詞だが、そんな軽口も告げられない。

 普段聞いたことのない口調は、父の不気味さを一層際立たせていた。



 その場から、襲撃者がすべて回収され、ようやく移動は再開された。

 馬車の護衛は、あの地点から、王国軍のエルネストの部隊が行っている。

 襲撃されたことが、王国軍の出動理由となったらしい。それにしてはいろいろと無理があるが、それで申請が通ったらしく、護衛される側であるフランシーヌとジゼルが、それに否やは唱えられるはずもない。

 それと、もう一つは、ベルトラン兵は皆、魔法の影響を抜けて体を動かすために、それぞれどこかに傷を負っていた。

 フランシーヌのように、舌を噛んだ者。仕込み刃で自らの身に刃を突き立てた者。あるいは、故意に襲撃者の刃の前に、腕を突き出した者。それぞれ様々ではあったが、傷を負っていることに変わりはない。命こそ全員無事であったし、重傷というわけではなかったが、それでもこれ以上の無理はさせられなかった。

 それに、魔法の影響は、完全に払拭したわけではない。

 その治療のために、護衛は交代したのである。

 フランシーヌやレアも、魔法の影響が完全に消えたわけではない。

 だが、フランシーヌは、儀式やそれに伴う行事のために、どうしても移動が必要だった。

 その仕度を手伝うレアも、申し送りが必要だった。それが出来る女性兵は、あいにくエルネストの部下には居なかったのだ。

 故に、彼女達に関しては、移動後に治療を行うこととなり、それ以外のベルトラン兵は、シリルが治療に当たるために、その場に残っている。


 シリルは、ジゼルの父に背後から睨まれ、まるで捨てられた犬のような縋る視線を向けながら、ジゼルが乗った馬車を見送っていた。

 シリルが、直接ジゼルの父に攻撃を受けることはない。

 すでに一度殴られそうになったが、おそらく恐怖心からか、普通にシリルの防御の壁が発動し、防いでしまった。


「一発殴られておけば、少しはましだったのだが」


 エルネストはそう言うが、あの拳をまともに受ければ、シリルは吹っ飛ぶ程度では済まないだろう。

 そんな事になれば、まさに今日これからのシリルの仕事に差し障りがある。

 それがわかっているから、エルネスト自身が取りなしたのだ。

 しかし、その威圧感はとんでもない重圧となり、シリルにのしかかっている。

 なにせ、ひと睨みで、荒事に慣れた海賊達が気絶するとまで言われる迫力は、現在すべてシリルに向けられているのである。

 軍人であるだけに、戦場での仕事の邪魔はしないだろうが、一挙手一投足、すべて睨まれながらというのは、大変やり辛そうだった。

 そして、その場には、フランシーヌの実父である、東砦の隊長も残っている。

 いざという時に、ジゼルの父を止められる人物がこの人しかいなかったからだが、その際、「貸しだな」という一言と共に、にぃっと引き上げられた口の端を見て、さすがのエルネストも体を竦ませ顔色を青くしたのだった。



 馬車の中、フランシーヌとジゼルは向き合い気まずく沈黙していた。

 そしてなぜか襲われた地点から同行することになったエルネストが、腕を組み、瞑想している。

 途中まで中にいたレアは、エルネストがいる場所に、わざわざ護衛は必要無しとばかりに、本来の居場所である御者台に移動した。

 馬車の中の沈黙は、エルネストと、その正面にどんと置かれているクマのぬいぐるみとの対比で、より耐え難い物になっていた。

 あの時、淀みの向こう側から飛んできたクマは、エルネストが持ち上げ、馬車に乗せた。

 どうやらこのクマも、離宮に移動していくらしい。

 エルネストは、話に聞いたとおり、確かにこの重たいクマを簡単に持ち上げていた。

 あの時飛んできたのは、シリルが魔法で吹っ飛ばしたから、という事だったが、あの時の重々しい音は、未だにジゼルとフランシーヌの耳にこびりついていた。

 ついに、沈黙に耐えられなくなったのか、フランシーヌはそっとエルネストを伺いながら、声をかけた。


「あの、エルネスト様。そのクマは、いったい何なのでしょうか? 先程、透明の檻のような物ができていましたけど……」

「……本来は、フランの部屋を守るための、結界だ」

「結界、ですか?」

「侵入者が入った場合に備えて、離れの中央であるあのテラスに置いた。あれの対になる鍵が守衛室に保管されていて、侵入者が入ったことが判明した時点で鍵が使われ、離れに内外から干渉できないようにする」

「シリル様の、防御の指輪のような物ですか」


 ジゼルの挟んだ疑問に、エルネストは頷いた。


「あれは、身につける者に基準を持たせているが、このクマは離れ全体を包む大きさで、発動条件を外部に設けている。だから今回はそれを利用して、シリルがあの檻の発動用として使ったんだ。その方が、呪文が短くてすむというのでな」

「……とても驚きましたけど、それをどうしてクマの形にしているんですか。それに、とても重いのは、どうしてです?」


 純粋なフランシーヌの疑問に、エルネストは一瞬だけなにやら苦々しい思いをこめた視線をクマに向けた。


「……シリルに、用途を説明して注文をしておいたら、あの形になっていた。女性の部屋に置く物だから、違和感のない物の方がいいと説明された。重いのは、物が物だけに、簡単に動かないように重さを設定してあるだけだ。私が触れると重さが変わるように魔法が掛けられている」


 いつもより、一層難しい表情をして、エルネストは言い放った。

 その説明に、フランシーヌもジゼルも、何とも言えずただ沈黙した。

 確かに、ぬいぐるみなら、女性の部屋にあってもおかしくはない。

 それに、他の美術品のようなものだと、平民出身であるフランシーヌは、見慣れない故に落ち着かないことも想像できる。

 だが、たとえぬいぐるみだろうと、この大きさはいかがなものか。

 そう言いたかったのだが、おそらくシリルはそれを理解した上で、この大きさのクマにしたに違いないと思ってしまった。


 シリルなら、あのクマを、機能も重さもそのままに、小さくできたに違いないのだ。

 腕輪も、瞬きほどの時間で、ジゼルに気付かれることなく小さくして見せたのだ。

 それならば、クマにもそれができないはずはない。


 あえてそれをしなかったのは、おそらく幼なじみ同士のお戯れ。

 からかって、遊んでいたのだろう。あの王太子と共に。


 シリルの、普段の穏やかさとは相容れぬ姿だが、ジゼルの頭の中に、はっきりとその時の様子が思い浮かび、思わず吹き出した。

 それに釣られるように、フランシーヌの顔も綻ぶ。

 先程の緊張も、これからの苦労も、その一瞬だけ忘れたように、馬車の中は女性二人の押さえた笑い声で満たされていた。 


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