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瞳の戒め 14

「このお転婆娘が。なにやらかしやがった」


 ほぼ半年ぶりに会う父は、当たり前ではあるが、まったく変わっていなかった。

 太い腕にひょいと抱き上げられ、堅い髭でぞりぞりと頬ずりされ、あっという間に頬が赤くなり、痛みが走る。


「父さん、痛い! 力を加減してよ!」


 ぎりぎりと、必死で引き離そうと抵抗するが、娘から見ても親馬鹿な父は、まったく意に介さず、先程までの厳めしさも台無しのでれでれ顔で、娘を抱きしめた。


「はははっ。お貴族様んちで行儀見習いをして大人しくなったかと思ったら、まったくかわってねえ。さすが俺の娘」

「……それは、褒め言葉なの?」


 ジゼルが、おもいきり顔をしかめて父に問うた。


 周囲で、その感動の対面を果たす二人を取り巻き、その場の全員が同じことを思う。


 ――全く似ていない。


 この国で軍に関わる者ならば、西砦の名物隊長を知らない者はおそらくいない。

 もちろんベルトランの騎士達もだが、その娘が、自分達が護衛していた人物だったとは気が付いていなかった。

 容姿があまりにかけ離れており、そもそも血縁だとも思えないほどなのだ。

 捕縛された襲撃者達までもが、ぽかんと口を開けながら、その妖精と野獣が戯れているような親子の姿を見つめていた。


「……お前達、一応言っておく。「似てない」は禁句だ。死にたくなければあれの前では言うなよ」


 重々しくそう告げたのは、西砦の小隊長と共に出てきた、東砦の小隊長だった。


「その言葉は、娘が産まれた時からの、あいつの逆鱗だ。触れると死ぬぞ」


 あくまで小声で、娘に夢中の父親の耳に入らないように告げたその人は、まるで悪戯でもしているかのように、にやりと笑っていた。


「まあ、あれを倒せる自信がついたら言ってみるといい。一番簡単に怒らせることが出来る言葉だからな。本気で相手をしてもらえるぞ」

「無理です!」


 側で聞いていた者は、一斉に首を横に振った。


「……お二人とも、あちらでお待ちくださいと申し上げたはずですが」


 エルネストが、その場にいる兵達を睨み付けながらそう告げると、その人は飄々とした態度で肩をすくめた。


「西のが、娘が気になるというので、直に見に来た。ついでに、この変な魔法を確認したくてな」


 淀みを振り返り、頷きながら、改めたように真剣な表情になる。


「これの実装はいつなんだ?」

「これ、というと」

「魔術師が一緒じゃなくても移動が出来るなんざ、思ってもみなかったが……。これが使えるようになれば、使いようによっては世界がひっくり返るぞ」


 エルネストは、改めて淀みを見て、苦笑した。


「実際に使えるようになるかは、まだわかりません。これは、シリルが、「出来る気がする」と言っただけで出したものです。本人も、呪文として使ったのは初めてだそうです」

「……はぁ?」

「寝ている間に、無意識に使っていたものを、改めて構築し直したと言っていました。道具に込められるかどうかはギルドの審査が必要でしょうが、本人はもう、魔法として使えるようです」


 エルネストは、改めてその淀みを見る。それはまだ、そこに壁としてある。

 もし、護衛を任せた兵に何かあれば、遠く離れた場所から兵を送り込めると聞いたからこそ、無茶な会場の変更を受け入れた。

 てっきりシリルは大規模な転移魔法を儀式によって使うのだと思っていた。もし、儀式魔法を使うのだとしたら、シリル一人では到底発動できるはずもないのに、他の魔術師が出てくる様子がないから、おかしいとは思っていた。

 そうしたら、この壁がでてきて、襲撃者の逃走妨害に使う結界用のクマを現場に魔法で吹っ飛ばし、目の前の障害を排除すると、それに続いて本人があっさりと移動して見せた。

 エルネストは、目の前にその効果が出るまで、シリルがこんな魔法を思いついていたとは知らなかったのだ。


「つまり、現状、あのでたらめ魔術師しか使えないって事か。相変らずだな」


 呆れた表情を隠すことなく、肩をすくめたその人を、側でフランシーヌが不安そうに見つめていた。

 娘の視線に気が付いた父親は、ふっと微笑むと、娘の頭にぽんと手を置き、二度ほどそっと撫でると、そのまま肩を掴み、フランシーヌの体の角度を変えさせた。


「……しょうがねぇ。もううちの娘じゃないしな。ちゃんと亭主に褒めてもらえよ」


 それだけ言うと、父は、娘の側をすれ違いざま、ぽんと肩を押し、エルネストにフランシーヌの体を押しつけ、捕縛された襲撃者の方に足を向け、その場を離れていった。



「父さん、どうしてここにいるの?」


 ジゼルは、どんなに暴れても突っ張ってもびくともしない腕の中で、父に問いかけた。

 西の海岸にある村々は、今ちょうど、海賊達の襲撃が多い季節だった。

 毎年、この季節、父は砦の詰め所に入りっぱなしになるほど忙しいというのに、こんな海から離れた場所で、隊長自らが何をしているのかがわからない。

 ジゼルの視線に、父はにやりと笑い、ジゼルをようやく開放した。


「この前、西の砦に入った盗人の護送だ。王都で、裁判の証言に使うってんでな、つれて来た」


 その言葉を聞いても、ジゼルは疑問も露わな視線を向けていた。

 護送なら、隊長自ら行う必要はないのである。

 王都からも受け取る人員が送られるし、いつもなら信頼している部下に任せる事になっているはずだった。

 案の上、父は、少しだけ考えると、肩をすくめた。


「まあ、お前のこともある。そろそろ、お前をつれて帰ろうと思ってな。直接話を聞きに来た」

「……帰れる、の?」

「王宮で話を聞いたがな、今回のこの騒ぎで、お前を足止めしていた案件はケリはつくって事だ。それなら、お前がここにいる必要もない。堂々と大手を振って、帰りゃいいだろ。道中の護衛まで、こっちの王国軍を頼るのもどうかと思ったんでな。俺が帰る時に、一緒に連れて帰ってやる」


 父の言葉に、ジゼルの顔から表情が消えた。

 嬉しいけれど、純粋に喜びだけとはなれなかった。予想以上に、こちらにいられる時間は少なかったのだ。

 とっさの戸惑いは、どうしても隠しきれなかった。


 しかし、それが父に見つかる前に、その場に大きな変化が起こった。

 周囲をぐるりと取り囲んでいた光の柱が、一斉に音もなく砕け散ったのだ。

 一瞬の光に目を取られ、視界が奪われた。

 その衝撃が治まり、視界がようやく戻ったそこに、シリルが王国軍を背後に従え、ふわふわと浮かんでいたのである。


 王国軍は、確保した襲撃者を王都に送るための馬車が主な部隊だった。

 彼らは、手際よく、捕縛されている襲撃者と、その場に倒れたままになっていた遺体を運び出していく。

 その喧噪を横に、ジゼルは、父の腕をすり抜け、シリルに駆け寄っていた。


「……シリル様!」


 思わず駆け寄ったジゼルを見て、シリルの目元に、あきらかな安堵が見えた。

 しかし、次の瞬間、慌てたように左腕でその顔を隠す。

 正面まで駆け寄ったジゼルは、そんなシリルに、勢いよく頭を下げた。


「あの、シリル様。さきほどは申し訳ありませんでした」


 ジゼルは、気まずそうに頭を下げた。


「……すごく、怒ってらっしゃいましたよね」


 上目使いに、今はいつもよりも少しだけ高いシリルの顔を見上げる。

 その表情は、下半分を覆う立て襟と、しっかり目元を隠す大きな袖で、まったく見えない。

 いつもより厳重に覆われた姿は、その感情をまったく外に見せてはくれなかった。

 不安で見上げるジゼルに、シリルはしばらくして、ぼそりとつぶやいた。


『……魔術師は、皆、魔法を使う時に自分が無防備になる事を知ってる』


 ようやく聞けたのは、いつもと違う、音にならない声だった。

 直接響くそこからは、なぜか感情が読み取れなかった。


『だから、接近された時の対処をしている者も多い。むやみに飛びかかっちゃ駄目だよ。今回はうまくいったけれど、中には防御ではなく、攻撃を仕込んでいる者もいるから』


 その言葉には、怒りはない。だが、その、感情の感じられない言葉が、ジゼルの心にある不安を膨らませた。


「シリル様。どうして、お顔を隠しているんでしょうか。あの、それに、この服は……」


 ジゼルの疑問に、シリルはほんの僅かに身動ぎ、そしてほんの僅かに、ジゼルから距離を取った。


『……口元と手足を隠すのは、魔術師の本来の正装。魔術師にとって、声と手足は、武器。だから、武器の携帯が許されない王宮に入る時は、すべて晒すのが礼儀だ。だけど、魔術師としては、ここを晒すのは、己の技能を敵に見せるのと同義。相手に魔術師がいる場合に備え、戦闘ではこちらを身につける事が決まっているんだ』


 そう言っている間も、シリルは手を降ろさない。

 そして、ジゼルが一歩進むと、シリルもその分、下がっていく。

 それが、まるで避けられているようで、ジゼルは足を止め、項垂れた。


「……お声を……口から出すお声を聞かせてくださいませんか」


 せめて、声が聞こえれば、シリルの感情も分かるかもしれないと思った。

 怒っているのか、呆れているのか、それともまったく感情がないのか。

 それを知る糸口も、今はみつからない。


『……ごめん。今は、無理』

「どうして、ですか?」

『力の制御が出来なくて……。ほんの僅かの声を出しただけでも、魔法が発動しかねない』


 だからしばらく、家にも帰れない。

 それを聞いたジゼルは、さらに項垂れた。


「……あの、私、帰る事になりそうなんです」

『うん、さっき王宮で、聞いたんだ。……よかったね』


 ――ここに居て。


 ジゼルの中に、シリルの声がよみがえる。

 いつか聞いた声は、今、感情の見えない音と、あまりにかけ離れていた。

 かけ離れすぎていて、ジゼルはわからなくなっていた。


「シリル様……。お顔、見せてもらえませんか?」


 声を出すのが駄目ならば、せめて目元が見たかった。

 思わず伸ばした手は、再びシリルが後ろに下がり、避けられた。


『……今、ちょっと、姿が変わってしまっているから。見て、ジゼルに驚かれたくないんだ』

「姿の変化なんて、そんなの、見ればわかります。髪も伸びてらっしゃるし、そもそもなんで浮いてるのかなとか思いますし……。私は、ずっと、シリル様に驚かされっぱなしなんですよ。今更姿が多少変わったくらいで、大げさに驚いたりしません」


 ジゼルは、困ったように微笑んでいた。

 顔を隠すシリルの左袖を掴むために、ジゼルは手を伸ばす。

 シリルの体は、もう後ろに下がっていかなかった。

 掴んだ袖をくいっと引っ張ると、その下から出てきたのは、困ったように顰められ、僅かに下がった眉と、泣くのをこらえたように、潤んだ瞳。

 聞こえない声よりも、万の感情を伝える瞳だった。

 人に在らざる翡翠が、縦長の虹彩で、さらに際立っている。

 ジゼルは、その瞳を見ても、驚いてはいなかった。ただ、微笑んで、首を傾げた。


「……猫ちゃんと、同じ瞳。ずっと私を見守っていてくれた瞳です。何に驚けばいいのか、私にはわかりませんよ」

『ジゼル……』


 シリルの袖が、ふわりと舞う。

 気が付いた時には、ジゼルは、シリルの腕の中にしっかりと抱き留められていた。


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