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瞳の戒め 13

暴力表現、流血表現があります。苦手な方はご注意ください。

 シリルは、すっと、指先の見えない腕を上げ、その袖をふわりと横に振る。

 そのとたん、地面で異彩を放っていたクマは軽々と跳ね上がり、見事に着地した。

 地面にきちんと座り直したクマに滑り寄ったシリルは、その大きな頭にそっと手をかざし、なにやら手を動かしはじめた。


「シリル。馬車は証拠品だ。壊すなよ」


 言葉をかけながら、淀みを抜けて、ようやくエルネストが姿を現す。

 王宮警備のための礼服ではなく、しっかりと鎧も着込んだ姿であるところを見ると、今日はこのために待機していたに違いない。


『この姿の時に加減が難しいのは、お前が一番知ってるだろう』


 シリルからの返答が、妙にはっきりと聞こえてくる。

 それは、声ではなかった。不思議なことに、頭に直接響いてきたのだ。

 周囲は、戦闘による喧噪でかなり賑やかだというのに、それにお構いなく、言葉が飛び込んでくる。


「それでもだ。なんとかしろ」


 シリルは、エルネストが現れたことにも頓着せず、クマに手を添え、その反対側の手を振っている。

 ジゼルには、その袖の下で行われている動作が目に見えるようだった。

 あの、まるで楽器をつま弾くような、流れる指の動きで、魔法を紡いでいるに違いない。

 ジゼルのその予想は、次の瞬間、正しいことが証明された。


 ぽん、という軽い破裂音がした。

 その音と共に、クマからふわりと何かが浮かび上がり、そしてそれは、一瞬にしてこの戦場と化した場の全体を覆うように広がっていく。


 それは美しい光景だった。


 まるで、光がそのまま凝固したような不思議な円筒が、戦場となっている場をぐるりと取り囲む。

 その場で、戦っていた兵達や襲撃者達も、気付いたものがその手を止め、息を飲む。

 その円筒は、静かに、まるでその場にある事がごく自然であったように、地面にそれを受け止める穴がはじめからあったとばかりに、すごい速さで落ちてくる。

 その意図にはじめに気が付いたのは、襲撃者の首領だった。


「お前達、散れ! 閉じ込められるぞ!」


 だが、その命令が襲撃者達に行き渡る頃、ちょうど最後の一本が、やはり静かに地面に突き刺さった。

 こんな開けた場所で、逃げ道を塞がれ閉じ込められるというありえない事態に、襲撃者側はついに統制が取れなくなり、次々に投降者が現れはじめた。

 それでもしつこく抵抗するものは次々にベルトラン兵の手に掛かり、地に伏した。


 シリルは、拉致用の馬車の中にいた使用人を引きずり出し、先程の魔術師と同じような拘束の呪文を掛けると、すぐさまその馬車を踏み台に透明の壁を越え、外に飛んだ。



 シリルは、地面すれすれを飛びながら、上空に意識を飛ばす。

 そこからもたらされた情報を元に、向かう先を微妙に修正する。

 目の前の森の中から馬の嘶きが響き、馬車が走り出す音がした。

 その身を加速するため、地を蹴り、風を操りながら、ローブの袖で隠された指先で魔法を紡ぐ。

 道があるとは言え、馬車では全速力を出すのは少々難しい。

 そのためか、あっさりとシリルは逃げる馬車を視認することができた。

 馬の鼻先すれすれに雷を落とし、足を止めた瞬間に、馬と車体を風で切り離す。

 御者がその風に煽られ吹き飛んだのが見えたが、シリルは構うことなく、次はその馬車自体に風を当て、車体を横転させた。

 派手に軋む音がして、車体は一回転して脇にあった木に衝突し、動きを止める。

 かなり乱暴だが、シリルの力加減としてはこれが一番損害が少ない方法なのである。

 飛ばされた御者と、車体に残っていた人物が、共に息があるのを確認し、そのまま引き摺って地面に寝かせ、魔道具で拘束する。

 その一連の作業を終え、シリルは、浮かんだままで捕われた二人を見下ろしていた。


 相変らず、一旦堰を切ると、力加減が良くわからない。

 常に溢れっぱなしになる力は、修行の成果か、ほぼすべてきちんと糸として紡がれている。

 しかし、その量が尋常ではないのだ。

 毎回、こうなった時は、師匠である王宮魔術師長が作る結界の中で、治まるのを待つことになる。

シリルという人の形に戻るまで、次はどれくらいかかるのか。

 シリルは、王宮で知ったジゼルとの別れの時に、それが間に合うのか、ぼんやりと考えていた。 


 そうしているうちに、遠くから、馬蹄の音が聞こえてくる。

 シリルはこの場の情報を、上空にいる師の使い魔に渡し、再び、自らが発動した檻の魔法が支配する場へとって返した。

 

 

 シリルが飛んでいった先で、なにやら落雷や竜巻などの局地的な荒天が見えていたが、あまりに遠すぎてこの場所からは何が起こっているのかが伺えない。

 ジゼルは、目の前で起こっている出来事を必死で理解しようとしたが、自分の持っている知識だけでは、まったくわからない。


 ただ、エルネストもシリルも、なんの遠慮もしていないことだけは、よくわかる。


 今も、エルネストは、正面にいる首領を牽制しながら、投降者を拘束するように指示している。

 淀みは未だそこにあるが、エルネストがこちらに来てからは他に通ってくる者はない。

 それを不思議に思いながら、ジゼルは隣にいたフランシーヌに手を貸しながら、馬車の外に足を踏み出した。


 しばらくして、ようやく散らばっていた剣戟の音も止み、襲撃者達は皆確保された。

 エルネストは、自らに向けられる憎悪の視線を正面から受け止め、それを気にした風もなく、遠慮のない視線で首領を観察している。

 首領は、周囲を兵に取り囲まれながらも、そのふてぶてしい視線を改めることはなかった。


「見た覚えがあるな。クレール家の次男か」


 エルネストの言葉に、首領は何も言わなかった。

 しかし、それを聞いたフランシーヌは、はっきりとわかるほどに顔色を変えていた。


「……どうしたの、フラン」

「クレール家というのは……あなたに扇子を振り上げた、あの方のお家なの」


 そう言われ、改めて首領の顔をじっくり見てみると、確かにあの時の貴族の少女の面影がある。

 あの時の少女は、見事な赤毛を艶やかに背中に流し、その華やかな色合いに負けない、派手な真紅のドレスを身に纏っていた。

 ジゼルがもっとも印象深く残っている姿は、顔の半分を扇で隠して、蔑むような瞳でくすくす笑っている姿だが、あの顔は絶対に忘れることはない。

 あの華やかさと、エルネストを前に膝を屈している男は、その印象は違って見えるが、確かに顔の作りがどことなく似通っていた。


「クレール家は、半年の間領地に蟄居。奥方と令嬢は、今期、王妃陛下のご臨席するすべての場へ出席することを禁じられている。この上、縁者が犯罪に荷担したとなると、家も取りつぶしになりかねんな」


 その言葉に、首領は噛みつくように叫んだ。


「ふざけるな! 平民の小娘のために、伝統あるクレール家の令嬢であるデルフィーヌが修道院に送られることになったんだぞ!」

「王妃陛下は、それを命じたわけではない。それはクレール家の家長の独断だろう」

「あの騒ぎのせいで、決まっていた結婚はすべて破談になった! 妹も、俺もだ!」

「それも、お前の妹のデルフィーヌが、短慮だっただけだろう」


 エルネストの相槌は、その男にまったく届いていないようだった。

 その憎しみの籠もった視線は、今やエルネストを通り越し、ジゼルとフランシーヌに向けられていた。


「それなのに、その平民の小娘が、貴族の養女だと? 挙げ句の果てに、王太子妃だと? そんなもの、誰が認めるものか!」


 まるで、呪いの言葉でも告げるように、その男はフランシーヌとジゼルに、言葉を叩きつける。

 二人は、互いを支え合いながら、それを何も言わずに聞いていた。


「たかが平民の娘に、伝統あるクレール家の令嬢が負ける事などあるはずがない! 平民は、どう取り繕おうが平民だ。どんなにお上品に振る舞ったところで、あっという間に化けの皮が剥がれてすぐさまその本性を晒すことになる。ベルトラン家もその花嫁一人のせいで、その評価は地に落ち……」

「……黙れ」


 男は、その瞬間、今までの勢いが嘘のように口を噤んだ。


 男の正面に、いつの間に抜いたのかわからない、抜き身の剣が突きつけられていた。

 エルネストの表情は完全に消え、その夜の闇のような瞳に、冷酷な光が宿っていた。


「今日のこの剣は、支給品でな。いつも身につけている物より斬れ味が落ちる」


 口調自体は世間話のようだった。だが、その場の誰も、身動きが取れない。それだけ、エルネストの怒気は凄まじかった。


「あいにく、一撃でその首が落とせそうにない。その幸運に感謝しろ」


 その言葉を告げた瞬間、エルネストの剣は、風を切った。

 その斬戟は、あくまで軽やかで、あまりに早すぎて、ジゼルの目には軌跡すら残像のようでしかなかった。

 しかし、その剣が鞘にしまわれ、しばらくした後、男の顔と喉の部分に、血の一筋が現れていた。

 ごく浅く、計算して切られたその傷に、エルネストの凄まじい技量が示されている。

 男は力を奪われたようにへたり込み、先程の勢いもなく震えはじめていた。


「彼女らの父親は、それぞれ我が国が誇る騎士だ。騎士として名を立てるものならば、必ず越えるべき壁となる方々だ。それを、たかが平民だと? 我が国の規範となる騎士の鏡を、愚弄する言葉は許さん。そして、その方を父に持つフランシーヌ以上に、ベルトランの花嫁として相応しい女はいない」


 きっぱりと言い切ったエルネストは、それ以上聞く耳もないとばかりに、その男の捕縛を周囲に命じた。


「おお、ご立派だねえ。さっすがベルトランの大将の子じゃねえか」


 その声を聞き、ジゼルは、まだその場にあるままだった淀みに視線を向けた。


「ちっ。どうせなら、とっとと喉でも潰しておけばいいものを。いらんことをフランに聞かせやがって。あいかわらず、気が利かない野郎だな」


 その声に、今度はフランシーヌが顔を上げた。

 声に続くように、再び、淀みに人影が現れる。

 現れたのは、軍服を窮屈に着こなしている中年男が二人。


 一人は、中肉中背。栗色の髪と榛色の瞳はフランシーヌとよく似ているが、その視線の強さと冷酷な表情は、いくつもの修羅場を潜った歴戦の勇士であることが伺えた。

 体はそれほど大きくないのに、その一歩がとてつもない威圧感を放っている。


 そして今一人は、見た目的にこの場の誰よりも大きな男だった。

 エルネストの、さらに頭一つ大きな体は、縦だけではなく横周りも大きく、その腕はそれこそ細身のジゼルの胴回りほどもある。

 陽と塩に焼けた、赤に金混じりの鬣のような髪は、縦横に走る傷のある小麦色の肌に、さらに荒々しい印象を与えている。

 皮肉混じりの笑みを浮かべた男の顔は、太い眉に髪と同じ色の髭に覆われ、あまりにも厳めしく凶悪で、笑っていても愛想の欠片もない。


 フランシーヌとジゼルは、その二人組を見て、ほぼ同時に、ふにゃりと顔が歪んだ。


「父さん!」

「父さん!」


 まったく同時に、まったく同じ言葉を発したフランシーヌとジゼルは、「え?」というところまで同時に、お互いの顔を見つめあった。


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