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瞳の戒め 10

 四頭立ての馬車は、ゆっくりと道を進んでいた。

 周囲を兵に囲まれての移動なので、今までジゼルが知るどんな移動よりもゆっくりだった。


「ここからなら、今から出れば午後のお茶の時間には余裕を持って着くわ。疲れるけれど、休憩は挟まずに行く予定よ」

「そうなの? どこか適当な場所で、休憩を取るのだと思ってた」


 その適当が、”休憩のために”ではなく、”襲われるために”という意味で使われた事に、フランシーヌも気が付いていた。

 フランシーヌは緊張など何一つしていない様子で、くすくす笑う。


「広場はどこも、水場が近いから。相手がどんな手段で来るかまだわからない段階だと、こんな街に近い水場を、万が一にも使うような計画は立てられないでしょう?」


 休憩となれば、たとえ移動している貴人は利用せずとも、その水を乗り物として使っている馬に使う事はある。

 その水に細工をし、薬剤を混ぜたらどうなるか。

 少なくとも、足止めならば、たとえ流れている水でも、上流を押さえればその策は容易に達せられる。

 その水を使うかどうかはわからないという点で、不完全な策とはいえ、その隙を残しておくのは得策ではない。

 もしそれが行われ、その水が街に到達すれば、街は毒物騒ぎで大変な事になる。


 本来、貴人の移動に関する情報は、細かいところは公開されない。だが、今回の場合、相手が貴族だという事はわかっている。

 貴族の移動は、王宮に届ける必要がある。その後、その情報を表に出すか秘匿するかは、王宮での判断となる。しかし、王宮には、移動の情報は出ているのだから、それが見られれば、意味はない。

 つまり、同じ貴族なら、その移動の道程や時間など、簡単に調べる事もできるのだ。


 今回、この移動の警護をしているのは、ベルトランの私兵達だ。

 歩兵も騎兵も、整然とこの馬車の周囲に配置され、今は街の馬車道をゆっくりと移動している。

 おそらく、相手が仕掛けてくるとすれば、郊外に出てからが本番だった。


「馬車の中には、お茶の用意もあるし、軽食も用意したから、ゆっくり行きましょう」

「そうね」


 苦笑しながら、ジゼルの視線は、自分の隣に座るレアに向けられる。

 本来、侍女は外の御者席に座るものだが、今回、身の安全のため、彼女の席も中となった。

 さすがに、フランシーヌの隣は主人と使用人の関係上無理だったが、彼女は大人しくジゼルの隣に腰を下ろしている。

 彼女は、この馬車の中で、フランシーヌの身を守る盾でもある。

 故に、頑として入り口側から席を譲らなかった。


 隣にレアが座っていても、まだまだ広さに余裕がある柔らかい座席。どういう仕組みなのかはわからないが、中もそれほど揺れないのが不思議だった。

 ジゼルが知っている馬車は、ただの幌付きの乗合馬車くらいしかないが、それにしても、同じ馬車だとは思えないほど違うのだ。

 時には体が飛び上がるほど揺れる乗合馬車の中では、絶対に飲み物など飲めはしない。

 そんな事をしたら全身ずぶ濡れになるのがオチである。

 それ以前に、下手に会話をしようものなら、舌を噛む。


「立派な馬車よね。さすが侯爵家」

「あら、でも、バゼーヌ家はもっと立派な馬車があるでしょう? バゼーヌは王家に連なるお家だから、王族専用の馬車があるはずだもの」

「そうなの? 私は臨時の侍女だもの。見た事ないわ」


 首を振りながら、ふと、隣にいた猫を見た。

 猫は、お座りをして、前足を盛んに動かしながら、顔を洗っていた。

 ふと、見られている事に気が付いたように、ジゼルを見上げて、「にゃ」と鳴く。



 ジゼルは、今更ながらに、シリルの捨てたものの大きさに気が付いた。


 バゼーヌであってバゼーヌではない。王族としての身分も、儀式の都合で末席にかろうじて戻されただけ。

 以前に聞いた、シリルの現在の身分は、そういう事だった。

 王族としてのすべての権利を捨て、そうして、自分の才能を磨いたシリル。

 きっちりと腕にはまった腕輪を見ながら、以前、これを調整しながらシリルが告げた言葉を思い出す。


 ―――ここにいて。そうすれば、私は、自分がまだ人なんだと思えるから。


 それは、シリルが、自分の本心を告げている言葉。

 ジゼルの知らない、シリルの王宮での姿。

 ジゼルが忘れた、シリルの身分の、本当の意味。


 ジゼルの頭の中で、ぼんやりと、それらが纏まろうとしていた時、突然、腕輪に向けていた視界の端で、ビクンと猫が大きく膨れあがった。

 その後、なぜかジゼルを大きな眼で凝視している。

 それは、まさに何かに驚愕している顔だった。


「……何かあったの?」


 猫の様子に、フランは外にそれとなく視線を巡らせ、まだ街からも出ていない様子を見て、外には変化が無いことを確かめた。

 猫の方は、まだジゼルを凝視したまま、なぜかプルプルと首を振り、その後たまに首を傾げながら、上を見上げ、そして首をふりの繰り返しだった。


「もしかして、シリル様の方に、何かおありなのかしら……?」


 フランがそう言うと、猫はビクンと反応し、首を傾げた。

 猫は、しばらくすると、ジゼルに背を向け、くるんと丸まった。

 たまにちらりと視線を向けてくるのだが、それがいったい何を示しているのかは、よくわからなかった。

 ただ、なにやら耳がぺたんと寝ており、さらに瞳はじわりと潤んだ。

 それを見て、何かに戸惑っていることだけは、よくわかったのである。



 馬車は、猫の戸惑いも人の緊張もすべて乗せ、緩やかに先に進む。

 街の門を潜り、外には、のどかな農園の風景が広がっていた。

 雲のない晴天の中を、鳥たちが優雅に空を舞い、地に影を落とす。

 所々には身を潜めるのによさそうな木立もあるが、それらは道から少し離れた位置にあり、今のところ、怪しい集団も見受けられない。


 その行程は、順調だった。


 その時までは。


 はじめの変化は、馬だった。

 先頭で周囲を警戒していた騎兵の馬が、徐々に足を止めたのだ。

 腹を蹴っても、鞭を使っても、びくともしなくなった馬は、その場で突然、人を乗せたまま、目を閉じ、静かに足を折り、地に腹をつけた。

 それはまるで、見えない煙のように隊列を取り巻き、生きる者全てにその手を伸ばしていた。

 一人、また一人と膝をつく外の兵達と共に、馬車の中にも変化が現れる。


 馬車の中で、真っ先に変化が現れたのは、フランシーヌだった。

 ゆっくりと足を止めた馬車を訝しみ、外の兵士に状況を尋ねようと視線を向けたその時、突然目を眇め、そのまま座席にふらりと倒れたのだ。


「フラン!?」


 慌てて体を支えたジゼルに、フランシーヌは、すでに目を開けるのも辛いとばかりに、弱々しく首を振った。


「……なんだか、目蓋が重い……とても、眠い……の」

「フラン!」


 ジゼルが慌ててゆすっても、ただ苦しそうに顔をしかめる。

 そして、次はレアが、なにも告げずに前のめりに倒れるように眠りについた。

 ジゼルには、何が起こったのかまったくわからなかった。

 その身に変化が現れないのを不思議に思っていたが、すぐに気が付いた。


「まさか、魔法?」


 防御の腕輪は、ジゼル本人が危険を感じていないと発動しない。

 だが、自分が認識していなくても、魔法だけは通さない。そういうものを身につけているのかもしれないと気が付いたのだ。

 猫の方を見ると、さすが魔法で作られた生き物だけに、眠りはしていなかった。

 ただ、先程までの様子と違い、その目が爛々と光り、なにもないはずの空を見つめていた。

 フランは、まだ、睡魔との戦いを継続していた。

 レアのように、一気に意識を取られるのではなく、必死で足掻いているように見えた。


 取れない腕輪は、猫になっている。

 それならば、今、魔法を弾いているのは、おそらく新しく与えられ今日身につけた装飾品である。


 そう思いつき、フランシーヌに渡すべく、とっさにくるくる回る腕輪に手をかけた時、外から新しい変化がもたらされた。


 ガン、という、何かが扉にぶつかったような音が、馬車の中に響く。

 続き、あきらかに鍵を外から強引にこじ開ける音が聞こえる。


 ジゼルは、とっさにフランシーヌとレアを抱き寄せ、扉から二人の体を引き離し、背後にかばう。


 はじめに見えたのは、黒の革手袋を填めた手。

 扉の影から姿を見せた不気味な黒装束姿の人物を目にして、ジゼルはひゅっと息を飲んだ。


 その顔には、漆黒の羽根が飾られた怪しい鳥の仮面を身につけている。

 仮面は、顔の全面を覆い、くちばしの部分だけが飛び出ていた。

 微かに割れている部分には、奥を見通せないように、中に黒い布が張られていた。


 くり抜かれた目の部分から、不気味な金の瞳が輝いているのが見える。

 その中の、縦長の虹彩が、ジゼルの姿を凝視していた。

 

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