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瞳の戒め 9

 その日は、見事な晴天だった。

 雲ひとつない空を見て、その空とは対称的な表情のジゼルはため息を吐いた。


「おはよう、ジゼル」


 侍女を伴い現れたフランシーヌは、そんなジゼルに心配そうに寄り添った。


「どうしたの? やっぱり、不安?」

「……不安はあるけど、危ないとわかっている事なら、心構えはできるから。なにも覚悟がない時に襲われたら足が竦んじゃいそうだけど」


 苦笑したジゼルに、フランシーヌは真剣な表情で問いかけた。


「……どうしてもというなら、やめてもいいのよ。言い辛いなら、私から伝える。ここで病気になりましたとでもお伝えすれば、今ならまだ計画の変更もできるわ」

「それでも、場所の変更は無いでしょう? それだとフラン一人が馬車に乗ることになるじゃない。そんなの、もっと駄目よ」


 首を振り、ジゼルは否定した。


「むしろ、フランの方こそ、少しずらして出発してみるとか……」

「それも駄目よ。それだと、エルネスト様とお義父様が困るもの」


 侯爵達は、すでに王国軍で、いざという時に軍を動かすための用意をしている。

 一日一刻ずれただけでも、二人の立場がまずくなる。

 フランシーヌは、微笑んで断言した。


「私は、ここに来た時点で、移動する時は常に危険が伴うと覚悟をしているわ。その覚悟がないならば、嫁に行くなと父さんに言われたの。私の夫になる人は、いつかこの国の将軍になる。軍の先頭に立ち、その顔をさらしながら、敵国の最大の壁となるべき人の、私はもっともわかりやすい弱みになるの。その意味がわからないなら、たとえ結婚しても、別れさせて別の家に嫁にやると、父さんは言ったわ」


 もう養女に行ったのだから、ただの小隊長にそんな権限ないのにねと、フランシーヌは苦笑する。

 それがあるからこそ、フランシーヌの行列が襲われたなら、他国の関与がないか、徹底的に原因究明がなされる。そのベルトランの価値を、フランシーヌはちゃんと理解していた。


「だから、私は、いつ移動しても、誰が同行していても、どんな危険があろうと、その覚悟にかわりはないの」


 鮮やかな笑顔に、ジゼルは圧倒された。

 王太子からの提案に、迷い無く了承ができたのは、常に覚悟をしていた彼女にとって、迷うほどのことでもなかっただけだった。


「だからね、むしろ、ジゼルの方は、移動しなくても噂だけでなんとかなるんじゃないかしら。ここまで用意が調っていれば、相手もきっと、あなたの存在を確認することもないわ。ジゼル自身が、危険なことをする必要はないと思うの」


 フラン自身が心配するのは、あくまでジゼルのことだった。

 しかし、ジゼルは、それに首を振る。


「だってそれだと、シリル様が寝ないでがんばってた意味が無いもの。シリル様がそこまでやるということは、今回の警護の中心は、きっとシリル様の魔法なのよ。フランを守るための魔法も、私が身につける事になると思う。だから、フランが行くなら私も行くし、そうじゃないと、この移動は意味が無くなるの」


 先程のフランシーヌに負けないほど、ジゼルの笑顔は晴れ晴れとしたものだった。

 フランシーヌは、その笑顔に首を傾げた。

 しかし、その疑問をジゼルに問う前に、部屋の外から声をかけられ、会話を中断した。


「エルネスト様がお帰りになりました」

「はい、わかりました。お出迎えにまいります」

「いえ、すでにこちらに……」


 了承の声より先に、扉が開かれる。

 そこにいたのは、執務に忠実な執事ではなく、帰ってきたばかりで着替えもしていない、王国軍の軍服を見に纏ったままのエルネストだった。


「エルネスト様、お帰りなさいませ」


 にっこり微笑み、フランシーヌが足を一歩進めると、その何倍もの速度でエルネストが歩み寄り、フランシーヌを抱きしめる。

 エルネストは、周囲にまったく頓着することなく、遠慮なくフランシーヌの顔に何度も口付けした。 


「今帰った」

「お食事はなさいましたか?」


 フランシーヌは、僅かに頬を染めながらも、平静を保って応対している。

 その姿から、これがおそらく普段どおりなのだというのがわかる。

 どうやらエルネストは、使用人がいようが客がいようが、お構いなしにこの調子らしい。

 ジゼルはとても驚いたが、ここで大げさに驚いていたら、懸命に平静を保っているフランシーヌが気の毒で、必死で耐えた。


「まだだ。フランもまだだと聞いている。共に仕度を頼む」

「わかりました。レア、お願い」

「かしこまりました」


 フランシーヌの傍にひっそりと付いていた侍女と執事が、そっと部屋をあとにする。


「変わったことはなかったか?」

「ございませんでした。ジゼルと一晩の時間を設けてくださり、ありがとうございました」

「楽しかったか?」

「はい、とても」


 にっこりと微笑み、頷いたフランシーヌを見て、エルネストは普段の厳しい表情が幻のように、優しい表情を見せて、微笑んだ。

 だが、その表情は本当に一瞬で、また再び、怒っているような平常の表情に戻っていた。

 ジゼルは、目の前で見たそれが幻だったのかもしれないと、何度も瞬きをした。


「ジゼル殿」

「は、はい」


 エルネストが、自分がここにいるのを見ていたとは思っていなかったジゼルは、突然名を呼ばれ、一瞬身構えた。


「シリルからの預かりものだ。本番で身につける物とはまた別の、今日のための装飾品だそうだ」


 そう言って、エルネストは、懐から二つの箱を取り出した。

 一つは髪飾り、もう一つには、腕輪と耳飾りが入っていた。


「……今日は、先に渡されたあれをつけるのだと思っていました」

「本番に身につける物は、当日会場に設置されているものと連動するものだ。今日身につけても意味が無い。今渡した物は、それ単独で発動するらしい」


 ジゼルは、渡された箱を開け、それを繁々と見つめた。


「……あの、シリル様は、お元気ですか?」


 ほんの少し、表情を曇らせたジゼルに、エルネストは頷いて答えた。


「はじめの頃とは違って、ちゃんと睡眠も取っている。顔色も悪くない。昨日も、王太子を連れて帰った時にはもう休んでいた」

「そうですか」


 ほっとして、胸をなで下ろしたジゼルに、エルネストは苦笑した。


「あれは、君の言葉は素直に聞くらしい。あちらに閉じこもった数日、陛下までがあれの鬼気迫る様に驚き、体を休めるように告げたというのに、まったく眠る様子がなかった。それなのに、突然、何もかもの作業の手を止めて、作業場の床に転がったらしい。突然の変わりように驚いたが、起きたあれに聞いてみたら、君が寝ろと言ったから、だそうだ」

「さ、作業場? しかも、床!?」


 そんな事は言ってない。


 ジゼルは声を大にしてそう訴えようとしたが、エルネストは笑っているだけだった。


「あれの魔法は、あれ自身の内から沸く力だ。道具を作る時も、魔法を唱える時も、本人の体力がものを言う。それなのに、物を作るだけで倒れられては困る。それを考えれば、君の存在はありがたい。今までは、働かせる事はできても、止める事が出来る者はいなくてな。本人が、それこそ気が済んで倒れるまで、やらせるしかなかった」

「止められないって、そんな……」

「あの指輪がある。ましてや、仕事中で、繊細な魔力の制御をしているあいつは、あの指輪に関係なく、声をかけてもまったく反応しない。魔法というのはそれだけの集中力を必要とする物であり、それに関してあいつほど才能がある者もいない。声が届かず、さらに指輪で接触も封じられると、止めようがないんだ」


 接触ができれば、無理矢理にでも落とすんだがと、若干物騒に手を握ったエルネストは、ジゼルに視線を向け、肩をすくめた。


「昔から、私達は王太子と共に三人ひとまとめに育てられた。その中で、一番強くて、一番手に負えなくて、一番物騒なのは、昔から今に至るまで、ずっとシリルだ。自信を持っていいぞ、ジゼル=カリエ。あいつを制御できるのは、この国広しといえど、君だけだ」


「……自信は持っていいのかもしれませんが、あまり嬉しくありません」


 がっくりと項垂れたジゼルは力なくそう呟き、それを見たエルネストは再び、くっと笑った。



 エルネストは、朝食を共に取ると、すぐに王宮に戻っていった。

 帰らないと、あちらにはシリルを強引に起こせる者がいないからと言われ、思わず猫に視線を向ける。


 今、猫は、『眼』だった。


 最後まで心配そうに、くれぐれも無茶はしないようにと言い置いて、エルネストはようやく家を出た。

 フランシーヌは、「とても心配性なの」と、なにやら嬉しそうに照れながら、エルネストを見送った。



 ――午後になり、出立の時間。


 ジゼルは、公爵夫人が仕立てていたという外出着を身に纏い、シリルの作った飾りを身につけて、鏡の前に立っていた。

 腕に装着した新しい腕輪は、前の物と違いぶかぶかで、なにやら頼りない。

 形は、シリルの指輪とほぼ同じ形になっており、まるでその指輪をそのまま腕輪のサイズにまでしたように見えた。


 前に、腕輪を填められ、抜けなくされた時は、さんざん外せと言っていたというのに、今となっては、この簡単に抜ける腕輪に不安を覚えるほどになっている。

 ジゼルは、自分の心境の変化に、笑うしかなかった。


 腕輪を、指でくるくる回していたその時、きっちりとはまっている腕輪で作られている猫が、ジゼルの足元で、「にゃーん」と、妙に猫らしい鳴き声を上げた。


「おはようございます、シリル様」


 足元に視線を向けると、猫はその翡翠色の目を大きくして、じっとジゼルを見つめていた。


「エルネスト様に起こされましたか?」

「うぅー」


 突然、難しそうな表情で唸る猫に、ジゼルは手をさしのべる。


「行きましょうか、シリル様」


 その手を見上げた猫は、身軽にその手に飛び乗った。

 ジゼルは、暖かなその体を胸に抱き、一日滞在した部屋をあとにした。


 

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