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瞳の戒め 7

 手渡された靴を見て、ジゼルは首を捻る。

 宴当日に履くものと同じ形の物を、至急ダンスの練習用にと誂えたと聞いたのだが、それにしてはずいぶん踵が低かったのである。


「あの、踵の高さは、当日もこれくらいなのですか?」


 以前、舞踏会の時に、ベルトラン侯爵夫人のドレスを借りた時、靴だけは本人の足に合わせないといけないからと、靴屋にわざわざ買いに行ったことを思いだし、その時に踵は少し高めの物を選ぶようにという注意を受けたのだ。

 流行もあるが、ドレスはどれも腰が高く見えるように、少し裾を長めに作っているのだと説明された。

 ただでさえ慣れないドレスで裾を引きずる状態では、裾の捌き方に不慣れだとあっという間に裾を踏み、ドレスを駄目にするかその場で転けてしまうかになる。

 だから、少しだけ、踵を高めにするように、という説明をされたのである。

 今、ジゼルが持っている靴は、普段バゼーヌ家のお仕着せとして支給されて身につけている物と変わらない程度である。

 動きやすくていいとは思うが、本当にこの高さでいいのかと、不安だった。


「王太子殿下と並んだ時、あなたの踵があまりに高いと、見栄えがよろしくありません」


 その理由に、ジゼルはぽかんと口を開け、家庭教師に注意を受けた。

 しかし、告げられた理由から連想される事実に思い至り、それは思わず口をついて出た。


「……王太子殿下は、それほど小さくは見えませんでしたが」

「殿下は、若干踵の高い履き物をご利用なさっておられます。それを除くと、あなたと指一本の差もありません。あなたが高い履き物を履いてしまうと、殿下よりも高くなる可能性があります。ですから、高さを抑えました」

「は、はい……」

「ですから、当日までに、裾捌きはきちんと身につけて下さい。その靴ですと、おそらく、裾はぎりぎりの高さになります。もちろん、殿下はあなたをきちんとエスコートして下さるでしょうが、常にあなたの傍にいてくださるわけではありません。一人でも無様なことにならないよう、しっかりと覚えてください」

「はい」


 できないなどと、言っている時間すら惜しい。

 その場にいる全員の思いはそれだった。



 ジゼルが公爵家に世話になり、そろそろ半年。

 公爵夫人と毎日の会話の時間を取り、お茶の時間でさりげなく礼儀作法は教えられていたが、さすがにまだ、王族のパートナーが勤まるほどではない。


 ジゼルのことがまだ公にされてない今、ここに入る人物は、かなり制限されている。

 その為、公爵夫人は、隣家の侯爵家に、家庭教師の融通を依頼した。

 隣には、フランシーヌのための家庭教師が常に待機していた。

 そのうちの一人を、抜け穴を使ってこちらに回してもらったのだ。


「フランシーヌ様には、もう礼儀作法の教師は必要ありません。今は侯爵夫人が、侯爵家のしきたりを直接ご指導なさっています。礼儀作法に関しても、侯爵夫人ほど講師として優れた方はそうはおられません。あの方を前にすれば、自ずと磨かれることでしょう」


 そう言って家庭教師は、その日から公爵家に滞在し、朝から晩までジゼルに付きっきりになった。


「……どうかしら。間に合いまして?」


 ジゼルが、ダンスのレッスンのために別室で着替えている間に、公爵夫人は家庭教師に尋ねた。


「ジゼル様は、お体を使うことに関しては、あまり心配はないかと。あらかじめ、侯爵夫人にお聞きしてまいりましたが、ダンスの基本のステップは、ご指導なさったそうです。その際、彼女は、誰よりも早くそれを覚え、最終的には他の方の練習のためにと男性用のステップも覚えておられたとか。ですから、今回も、ダンスよりもより多くマナーのための時間を取りたいと思っております」

「まあ、そうなの?」

「はい。元々の姿勢もよいですから、歩き方もそれほど問題がありません。最大の問題は、その動きに少々粗野な部分があることです」


 二週間もあれば十分かと。

 そう締めくくった家庭教師に、公爵夫人はにっこり微笑み、頷いた。



 着替えるために侍女に付き添われ部屋を移動するジゼルの後ろを、白銀の猫は付いて歩く。

 着替えの部屋に入ることはないが、その部屋の扉から再びジゼルが姿を見せるまで、猫は部屋の入り口が見える場所で、大人しく待っている。

 すでに数日、ジゼルが行動する時は常に付き従うその姿は、使用人達に微笑ましく見守られていた。

 今日も、部屋の外で待つ猫に、通りかかった侍女が微笑みながら声をかけた。


「小さな騎士様。今日も姫様のお付き添いですか?」


 二人連れだった侍女は、それぞれが挨拶のように、猫を撫でた。

 猫は、撫でるなら撫でろとばかりに頭を差し出し、大人しくされるがままになっている。


「そういえば、この子は名前をつけないのかしら」

「ジゼルさんは、シリル様と呼んでらしたわ。さすがに私達は、その名前で呼ぶことはできないわね」


 侍女は、大人しく撫でられるがままの猫を見て苦笑した。

 彼女らは、この公爵家の侍女である。その子息の名前を、気軽に猫相手に使っていいわけがない。そして、猫の毛色と瞳の色を見れば、その猫がシリルに関わりがあることは一目瞭然である。

 それだけわかっていれば、猫がここにいる意味も自ずと理解できる。


「この猫は、ジゼルさんだけの騎士様なのよ。それならば私達は、そうお呼びするだけでしょう」


 微笑んだ侍女は、仕事に戻るべく、猫に会釈した。


「では騎士様、お勤めつつがなく果たされますよう」

「失礼致します」


 その二人を猫は一瞥し、「みゃう」とだけ返事をした。



 二人を見送り、再び扉に向き直った猫は、簡素な練習用のドレスに着替えて出てきたジゼルに、「にゃ」と嬉しそうに鳴き、再びついて歩く。

 それを見て、ジゼルに付いていた侍女は微笑ましそうに見守り、それに反するようにジゼルは微かに顔をしかめた。


「少し、止まってもいいでしょうか」


 侍女に声をかけ、了承を取ったジゼルは、猫に向かって手を伸ばした。


「シリル様」


 伸ばされた手に、身軽に飛び乗った猫は、ジゼルの首筋にスリスリとすり寄った。

 視線を向けると、侍女は心得たように、頭を下げて席を外す。

 それを見届け、ジゼルは猫の耳元に、そっと呟くように声をかけた。


「……シリル様。このあいだから、ずっと起きてらっしゃいますよね?」


 ぴくんと耳を揺らした猫が、上目遣いでジゼルを見つめた。

 ジゼルの目は、この猫がシリルと繋がっているのかいないのかを、正確に見分けられるようになっていた。

 そして、この数日、ジゼルが朝起きた時から眠るために寝室に入るその瞬間まで、この猫はシリルだった。

 今も、ほんの少し気怠そうにしていたことを、ジゼルの目は見逃さなかった。


「夜は道具作りで起きていらっしゃるのもわかります。ですが、せめて昼はお休み下さい」

「なぁう」

「王宮にも、お部屋があるとお聞きしました。ですから、きちんとお休み下さい」

「みぅ」


 猫は、気まずそうに視線を逸らした。

 逸らされた視線を、抱き直すことで戻したジゼルは、ほんの僅か苦悩を見せながらも、微笑んでみせた。


「私は今、シリル様をお起こしするお役目はできませんが、シリル様はご自分で起きられますよね。もし、シリル様が、今回の件でそのままお体を壊されたらと思うと、心配で集中できません」

「……なぁう」

「見ていて下されば、確かにとても安心します。でも、それがシリル様のお体の負担になるなら、安心した心も吹き飛んで、悲しくなります。今、お側にいる方々も、きっと心配なさっていますよ?」


 猫は、しばらく大きな瞳を潤ませ、ジゼルを見つめていた。


「……みぅ」


 猫の瞳は、静かに閉じられ、そのままふっと、何かの気配が消えたことが感じられた。


「お休みなさいませ、シリル様」


 ジゼルの腕の中で、再び目を開けた時、猫はきょとんと不思議そうにジゼルを見上げていた。

 その気配は、元の『眼』の猫だった。

 猫は、それは眠そうに、ジゼルの腕の中で前足を突っ張り伸びをして、大きなあくびをした。

 それを見たジゼルは、くすくす笑いながら、猫を改めて抱きしめた。


「あなたも、ずっと起きていたようなものかしら。ごめんね」


 ジゼルが猫の体を優しく撫でると、猫は満足そうに喉を鳴らし、目を閉じた。


「寝ててもいいから、傍にいてね?」


 目を閉じた猫は、もう返事はしなかった。

 しかし、その代わりのようにジゼルの腕に預けられた体は、安心しきっているように力が抜けていた。



 たった二週間だった。

 そして、長い二週間だった。



 ジゼルの前に、誂えられたドレスが飾られ、その傍にはシリルから預かったと王太子自らが運んできた宝石箱が添えられていた。

 結局、誂えられたドレスは、上は薄い紫から、裾に向けてどんどん濃い色に変わる、濃淡の美しいものになった。

 形こそ、ジゼルの希望どおりに簡素だが、その濃い紫の部分に、銀糸による刺繍が施されており、その手間のかけ方は、王族の隣に並んでも見劣りしないものになっている。

 宝石箱には、銀に赤、青、緑と、色とりどりの宝石を使い、花の形にあしらった飾りが一式と、透明でありながら、光を受けて七色に輝く石を途中途中に繋いだ、髪に編み込むための銀鎖が数本用意されていた。

 どれも、簡素なドレスを彩り、華やかさを見せながらも、主張しすぎない、このドレスのためだけに計算されたような品だった。

 すべての道具が調ったあとも、シリルは王宮から帰らない。

 しかし、ジゼルの表情には、まったく不安は見えなかった。

 今も猫は彼女の傍で、大きな翡翠の眼をただジゼルにのみ向けている。


「……大丈夫そうだな」


 二週間ぶりにジゼルの姿を見た王太子は微笑んだ。

 ジゼルはその正面で、それに答えるように無言のまま微笑んだ。

 凛とした姿勢に、すでに戸惑いは見られなかった。


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