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瞳の戒め 1

 フランシーヌに会うことが叶った数日後のお茶の時間、その話題を先に口にしたのは公爵夫人だった。


「ジゼル。侯爵家の夜会に参加する意思があるとのことですけれど、間違いはありませんか?」

「はい。先日あちらを尋ねた時に、フランシーヌから話がありました」


 ジゼルが頷きながら返答すると、公爵夫人はぱっと明るい表情で手を叩いた。


「そう。先程、侯爵邸から、招待状が届きました。宴は二週間後だそうです。ジゼルのドレスを急ぎ用意しなければいけませんね」


 うふふと笑いながら、侍従長を呼び出した公爵夫人は、一言二言侍従長に言付けると、ジゼルににっこりと笑いながら宣言した。


「明日、わたくしのドレスの仮縫いをする予定です。その時に、採寸をして、あなたのドレスを作らせましょう」


 上機嫌の公爵夫人の言葉に、慌てたのはジゼルの方だった。


「あ、あの、そこまでの事をしていただくわけには」


 先日、ベルトラン侯爵夫人からの贈り物だった外出着も、ジゼルの感覚からすれば、高級すぎるものだった。

 もちろん、ドレスなど、家の収入ではとても舞踏会に着ていくようなドレスは作れないからと、以前の舞踏会も参加を見送る予定だったくらいなのだ。

 以前は、侯爵夫人の善意でドレスを借りることで参加したのだが、今回もそれで済むだろうと思っていたジゼルは、慌てて公爵夫人に待ったをかけた。


「もしお許しいただけるのならば、どなたかのドレスを貸していただきたいのですが」

「まあ、駄目よ」

「え……」

「次に出かける時の衣装は、わたくしが用意するとお約束したでしょう。それが夜会のドレスであろうと、変わりありませんわ。ジゼル、どうか、わたくしの楽しみを奪わないでちょうだい」


 にこにこと上機嫌のまま、公爵夫人は翌日の午後、シリルの目覚めを見守る仕事も休みにしてしまったのだった。



「……本当にいいのかしら」

「なぅー」


 ジゼルは、しゃがみ込んだ姿勢で、ため息を吐きながら、白銀の猫に話しかけていた。

 その場所はもちろん、シリルの寝室である。

 現在、ジゼルは、目覚めの見張り中なのだ。

 寝台の中のシリルは微動だにしていないが、白銀の猫はジゼルを見ながらごろんと寝転がり、撫でろとジゼルに求めている。

 求められるままにお腹をなで、頭をなで、猫が満足するまで、じゃれつく足を構う。


 シリルによると、猫は、あくまでジゼルの記憶で構成されており、その行動に関することはシリルの管轄外だということだった。

 猫にとって、ジゼルは自分の構成主であり、見守る対象である。それ故に、離れる事はありえないらしい。

 だからこそ猫は、ジゼルを自分に引きつけるために甘えるし、離れそうになったら追いかける。そういう性質があるのだとシリルは説明した。

 しかし、その行動のすべてがジゼルの記憶に頼っているのかと思えば、視覚と聴覚を繋げる過程で、その判断基準に若干シリルのものが入っているそうで、そのあたりが、猫としての行動に違和感を覚える点のようだった。

 現在も、視覚聴覚は繋がっているが、以前のように寝起きの時、あやふやに作ったわけではなく、覚醒したシリルと繋げるように作り直されているので、シリルが寝ている間のことは伝わらないらしい。

 それが真実かどうかはシリルしかわからないことなのだが、ジゼルはさんざん悩んだあげく、結局その言葉を信じることにした。

 しっかりと魔法をかけ直し、作り直された猫は、シリル本人が消さない限り、再び姿を消すこともない。

 こうやって、ジゼルが仕事の時に、傍でジゼルに構われるのが今の猫の仕事だった。


 猫は、ジゼルの思い悩む表情をどう見ているのかはわからないが、ごろごろと喉を鳴らしてジゼルの膝に頭を擦りつけた。一時でも、自分から意識を逸らすのを許さないとばかりに、ひたすらジゼルを求めている。


「外出着くらいなら、がんばって働いてお返しできるかもしれないけど……。ドレスはさすがに無理よね……」


 父親は、仮にも小隊長として、普通の家庭よりはそれなりの収入がある。

 だが、それでも、ドレスを作るのは難しかったのだ。

 最悪、伯父に借金をすればどうにかなるだろうという話だったが、それくらいならばと舞踏会の参加自体を断る選択をした。

 そこまで無理をして、王都に行く必要はないと思ったのだ。

 その事が頭にあったジゼルは、ドレスを一から作るという公爵夫人の言葉に、素直に頷けなかった。

 父が稼げない金額を、女の身で稼げるとも思えない。

 公爵夫人の厚意に素直に甘えるにも金額が大きすぎ、ジゼルは困り果てていた。


「ドレス一着、どれくらい働けば作れるのかしら。やっぱり、作っていただくのはなんだか申し訳ないの。どうすればいいかな」

「なぅーん?」


 猫は、一瞬首を傾げ、そして次の瞬間、耳をぴくりと動かした。

 猫が何に反応したのかと悩む間もなく、突然ノックも無しに扉が開かれ、ジゼルはなにごとかと身を竦ませた。


「気にすることはない。叔母上にしても、その夫である宰相にしても、ドレスの一着で揺らぐような身代ではない」


 ぽかんと口を開けたジゼルが、その入り口にいた人物の姿を正確に認識するまでには、しばしの猶予が必要だった。

 赤銅色の髪に、シリルのものより薄い緑の瞳。シリルの中性的な美貌を見慣れたジゼルが、それでも思わず見とれる、整った顔。

 本物を眼にするのはこれが初めてだが、この国の人間ならば、この人のことは絵姿で国の隅々までも知らされている。


「……王太子、殿下?」

「邪魔をするぞ。午前中に外出するついでに、公爵家への所用を王妃陛下より申し付けられた。それも終わったので、今日は午後からシリルと会う約束をしていたし、ついでに一緒に城に行こうと思ってな。相変らず、ぎりぎりまで寝ているのだな」


 ジゼルの方に一度たりとも目を向けないままに、王太子はシリルの寝台に視線を向けると、他に一切頓着することなく移動をはじめた。

 その長い足を勢いよく動かして歩んでいく先は、当然のようにシリルが寝ている寝台で。


「あ!」


 せっかちな王子様は、ジゼルが止める間もなく、透明の壁に勢いよく正面衝突した。

 透明な壁は、睡眠を妨げるあらゆる物から、シリルを守っている。

 当然の事ながら、相手の身分などまったく見ることなく、王太子殿下からも一分の隙無く守ってみせた。

 あまりの出来事に、ジゼルの頭は一瞬真っ白になり、そして顔から血の気が失せた。

 以前、ジゼルが頭を下げておもいきりぶつかった時と遜色ない音が部屋に鳴り響いたので、どれほど勢いよくぶつかったのかは窺い知れた。

 その体が、ふらりと後ろに倒れそうになったのを見て、ジゼルは慌ててその体を受け止めるために手を差し出した。

 傾いだ体をきっちり受け止め、その勢いで尻餅をつきながらも、なんとかそれ以上王太子に傷を負わせることは阻止した。


 しかし、最初の一撃が大きすぎた。


 ジゼルが見る限り、見事に顔面から衝突していた。

 よりにもよって顔である。

 他のどこより怪我をごまかせない顔面を、おもいきり強打したのである。


「大丈夫ですか!」


 のぞき込んだ顔は、王太子自身が手で覆っており、様子が窺えない。しかし、押さえている場所から見るに、鼻を打ったらしい。

 手の隙間からたらりと零れた血に、状況が推測できて、自分がふらりと倒れそうになる。


「……マリーさん、マリーさーん!!」


 久しぶりのジゼルの絶叫に、マリーもなにごとかと駆けつけ、ジゼルの腕の中に抱え込まれた人物を見て、悲鳴を呑込んだ。


「殿下! まさか、ジゼルさん」

「透明の壁に正面から衝突されました。どうしましょう!」

「ど、どうっ……誰か、水とタオル! それから、治癒術師を手配して!」


 さすがに、王太子殿下に対して、ただ薬を塗るだけで済ませることはできない。むしろ、このまま帰したら、あらぬ疑いを掛けられそうである。

 慌てる二人を鎮めようとしたのは、当の本人である王太子だった。


「だ、だい、じょうぶ……」

「全然大丈夫ではありません!」


 その制止のための声は、あいにく手によってくぐもり、むしろその事態をより悪化させていた。

 そしてそんな騒ぎの中であろうとも、透明の壁に守られたままのシリルが目を覚ますことはなかったのである。

 

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