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白銀の糸 14

 ベルトラン侯爵邸の敷地に戻ったジゼルが見たのは、ガラス戸で覆われたテラスに入り、ソファの上で寛ぐエルネストと、その膝の上に座らされ、真っ赤なままでぎこちなくお茶を飲むフランシーヌの姿だった。


「さすが自宅だと遠慮がないなあ」


 暢気な感想を述べたシリルが、こちらも遠慮なくそこに踏み込んでいく。

 シリルに手を引かれたままのジゼルも、当然のように、足を止める暇もなくテラスに入る事になった。

 二人の存在に気付いたフランシーヌが、どんなに膝の上から降りようとしても、エルネストは腰から手を外さない。

 二人の客人の姿を認めたエルネストは、婚約者を膝に乗せているのが信じられないほどに、無表情なままぶっきらぼうにシリルに問いかけた。


「何の用だ、シリル」

「うーん。今日はジゼルが子グマちゃんに会いに来てるんだし、二人きりにさせてあげたいなと思って」


 その意外な返答に、エルネストも虚を突かれたのか、唖然として首を傾げた。


「お前がいたら話もできないだろう?」


 ほらほらと促され、さすがのエルネストも、それ以上我を通すことはできなかったらしい。

 素直にフランシーヌを腕と膝から開放し、立ち上がる。

 しかし、扉から出ようとした二人を止めたのは、その開放されたばかりのフランシーヌだった。


「あの、そろそろ昼食ですから。すぐに用意させますわ」


 慌てて控え室に声をかけようとしたフランシーヌを、シリルは簡単に声で制した。


「ああ、気にしないで。こっちはこっちでよろしくやっておくから」


 ひらひらと手を振って、まだ未練がましく足を揃えたままだったエルネストの腕を引き、シリルはテラスから出ていった。


「……よかったのかしら」


 不安そうにジゼルに尋ねるフランシーヌに、ジゼルはあっさり頷いた。


「シリル様はなにかお話があるようだったし、大丈夫じゃないかしら。それにね、何かあっても、ほら」


 ジゼルは、自分の腕の中にいる猫を、フランシーヌに示しながら、穏やかに微笑んだ。


「この子にお願いすれば、すぐにあちらと連絡は取れるわ」


 白銀の猫は、ジゼルの言葉に了承するように、「なぁん」と鳴いた。



 昼食を終え、そのまま庭に散歩に出た二人は、フランシーヌのために整えられたという庭の東屋でお茶にすることにした。

 今度はフランシーヌではなく、彼女に仕えているという侍女が、丁寧な作法でお茶の仕度を調えた。


「やっぱり、レアの入れてくれたお茶の方が、美味しいわ」


 フランシーヌが、お茶を一口ゆっくりと味わい、侍女に告げる。


「ありがとうございます。では、わたくしは外しますので、ご用の際はベルでお呼びください」

「わかりました」


 頭を下げ、静かにこの場を立ち去った侍女のレアを見ながら、ジゼルはため息を吐いていた。


「……よそのお家の侍女を見ると、やっぱり自分は急ごしらえなんだなって感じるわね」


 公爵家の使用人達にとって、やはりジゼルは客人なのだろう。それほど厳しいことを言われた事がなく、侍女としての礼儀は、見よう見まねのものなのだ。

 お茶の入れ方などは、公爵夫人との会話の時間で教えてもらったが、その所作が優雅かどうかは自信がない。


「せっかくこちらにいる間に、ちゃんと教えてもらおうかしら」


 思わずそう呟いたジゼルを、思案するような表情で見つめたていたフランシーヌは、意を決したように口を開いた。


「……ジゼルは、いつまで公爵家にお世話になるの?」


 フランシーヌの疑問は、そのままジゼルの疑問だった。

 そもそも、ジゼルは、なぜ自分が公爵家に来ることになったのか、それすらわかっていなかったのである。当然、保護とやらが、いつまで続く物なのかもわからない。


「……私もわからない。でも、公爵夫人は、そろそろ護衛をつければ、外出もできるって仰ってたわ」


 だが、それはあくまで外出であり、戻ることが前提である。


「手紙も、隣くらいまでなら構わないとお聞きしたけれど、実家にはまだ送れないでしょうね」


 肩をすくめたジゼルに、フランシーヌは再び沈黙した。


「もう、ごめんなさいは無しよ、フラン?」

「ええ、わかってる。……あの……あのね、ジゼル。舞踏会であんな事になって、今もまだその為に自由になれないあなたに、こんなお願いを言ってもいいのか、わからないのだけど……」

「なに?」


「……私の、婚約披露の宴に、あなたを招待してもいい?」


「……フラン?」


 首を傾げたジゼルに、フランシーヌは真摯な眼差しを向けた。


「お義母様は、あなたを再び貴族の集まりに呼ぶのは、あなたに悪意を持っている貴族達を刺激することになって、よくないかもしれないと仰ったわ。それに、あなたの危険は、今も無くなったとは言いきれないんだとも聞いたの。だから、招待したいと私が言っても、公爵夫人やお義母様はお許しくださらないかもしれない。でも……部屋に居てくれるだけでいいの。……勇気を、ほんの少しでいいから、分けて欲しいの」

「フラン……」

「エルネスト様の手を取ることに、躊躇いはないの。身分が変わることも、構わないの。私が努力すればなんとかなるのなら、それくらいいくらでもやる。でも……一人で一歩を踏み出す勇気がないの」


 フランシーヌの瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。

 ジゼルは、フランシーヌの言葉で、あの日の舞踏会で、自分達に向けられていた視線を思い出していた。

 なぜこんな場所にいるのかと、不愉快そうな表情を隠しもしない紳士がいた。

 貴族の少女達は、こんな所にあなたたちの居場所はないと、自分達をどんどん隅に追いやった。

 フランシーヌは、王家にも近しい侯爵家に嫁ぐ。

 おそらく侯爵家は、フランシーヌに害意を抱き、表立って攻撃するような相手を招待することはないだろうが、悪意の視線の恐ろしさは、あの日の舞踏会で思い知ったのだ。

 その視線を、主役としてお披露目されるフランシーヌは、おそらく一身に受ける事になる。

 隣にはエルネストがいるが、そのエルネストですら、視線からはフランシーヌを守る事はできないのだ。


「……今度は、逃げない。立ち去ればいいなんて思わない。ちゃんと戦う。だから……ジゼル、私にその勇気をくれる?」


 恐る恐る窺うように、フランシーヌはジゼルと視線を合わせる。

 涙をこらえた榛色の瞳が、ひたとジゼルを見つめていた。

 ジゼルは、その瞳を見て、頷いた。


「今の私には、自分の身の振り方を決める権限が無いわ。公爵夫人が駄目だと仰れば、無理なのだけど……。でも、お許しいただけるなら、部屋でも、控え室でも、夜会の会場でも、どこにでも行ってあげる。私がいて、それがあなたの強さになるというのなら、どこにでも行くわ」

「ジゼル……」

「あ、でも、会場に行くなら、ドレスがいるわね。……もし行く時になったら、また侯爵夫人のドレスをお借りしてもいいのかしら?」


 ためらいなく頷き、にっこり笑って肩をすくめたジゼルを見て、フランシーヌはほっとしたような表情で微笑んでいた。

 

 


「……という事は、ジゼルは出席なのかな? エルネスト」

「彼女ははじめから、招待客候補のうちに入っている。母が根回しをしている最中だ」


 エルネストの部屋から、二人がいる東屋までは、部屋を一つ越えるほど距離があるが、彼らはその場所で、窓を開けて東屋の会話を聞いていた。

 この場にシリルがいるならば、彼らにとって死角はないし、拾えない音もない。

 ごく普通に庭を渡る風が、彼らがこの屋敷の端にいたとしても、問題なく音を届けてくれるのだ。

 しかも今は、ジゼルの傍に猫が居る。

 あの猫の視覚を利用すれば、シリルならば遠距離だろうとその場に魔法を打ち込める。

 たかが庭の端から端ならば、なんの問題もない。


「……相変らず、便利だな、魔術師は。早くこの魔法を道具に込める研究をしろ」

「残念ながら、攻撃魔法と諜報系魔法は道具にするなとギルド長から言われてる」

「……あの猫はどうなんだ?」

「あれは偶然の産物だから。私もびっくり」

「ずいぶん都合のいいびっくりだな」


 シリルの魔法は、ある意味でたらめだ。

 道具に込める段階で、呪文を細切れにして、パーツとしてはめ込んでいる事になる。

 組み合わせ次第であらゆる可能性を生み、そしてその組み合わせを思いつく天才が、シリルなのである。


「本当に、猫になったのは想定外なんだ。でも……まあ、結果的に、よかったかな」

「そうか? つけられていた本人は、ずいぶん不服そうだったが」

「……ジゼルは、すごく表情が豊かなんだ。行動力もあって、水の中にはドレスをたくし上げて入って来るし、木の上には平気で登ってくる」


「……さすがカリエ隊長の娘だな」


 エルネストは、西の砦の名物隊長を思い浮かべ、複雑な表情をした。

 厳つい、ちらと見ただけで海賊達が腰を抜かすとされた容貌の父と、妖精にも喩えられそうな、嫋やかな容姿の娘は、絶対に外見だけでは血のつながりは判断できそうもない。しかし、容貌は似ていない父と娘だが、顔以外は、不思議と親子の血を感じさせる。

 エルネストは、軍の演習の際、たまに顔を合せる間柄だが、はじめ、ジゼルを見ただけでは、その父親とまったく繋がらなかったのである。

 エルネストがそれを思い出している間、東屋では、フランシーヌが、感極まったように、ジゼルにすがりついていた。

 遠くに、たまに光を受けたジゼルの銀が煌めくのを見て、シリルは苦笑した。


「怒るし悔しがるし、必死になってるし。見てるだけでも楽しかったんだけど……。でも、笑っているのを見たのは、猫が出てきた時が初めてだったんだ」


 その、珍しい幼なじみの姿を見て、エルネストはため息を吐いた。


「影でこそこそしてるだけじゃあ、アレはいつか逃げるぞ。少なくとも、ここに残る気はまったくなさそうだからな」

「お前が逃げられたみたいに?」

「うるさい」


 苦虫を噛みつぶしたような表情で、エルネストは舌打ちすると、ゆっくりと立ち上がった。


「お前も夜会に来るんだろう。せっかくだし、警備に一枚噛んでいけ」

「うん、それを言いたくて来たのに、どうして私達はここに二人で、女性の会話を盗み聞きしているんだろうね」

「……日時が決まってから、ずっとフランが浮かない顔をしていたからな。悩みがあるなら聞きたいと思っていたが」

「子グマちゃんは、これから共に立つお前じゃなくて、かつて後ろを守ったジゼルに頼っちゃったね。まあしょうがないね」


 言われずともわかっている事を飄々と口にされ、再び透明の壁対エルネストの戦いになった。

 室内で、ひっそりとお茶を用意していた侍従長は、幼い頃から見守っていた二人の様子を見ながら、変わらない関係を微笑ましく見守っていた。



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