白銀の糸 13
「……猫、どうやって出したんです? 私の手を握ってらしたんですから、さっきの魔法は、無理ですよね?」
「指だけ動かしてらしたわ」
フランシーヌにあっさりと報告され、シリルはばつの悪そうな表情で、ジゼルに説明した。
「腕輪の途中の石が、ひとつ落ちてた」
「……はい?」
「腕輪の細工に見える部分が呪文で、さらに途中途中にこの石をはめて、石の一個一個に条件付け用の式を籠めているんだけどね……その一個が取れて、それがこれ」
これ、と差し出されたのは、その腕に抱かれていた猫だった。猫は、嬉しそうに前足を伸ばし、ジゼルに抱かれるのを待っていた。
思わず手を伸ばし、猫を受け取ると、猫は素直にジゼルに身を預け、ごろごろと喉を鳴らす。
「石が取れたことによって、呪文の流れが変わってしまったらしくて、本来の防御を発生するべきところまで、呪文式が発動しなくなったんだ。そして、その途中までの呪文式というのが、『眼』の魔法と大部分が同じ物だった」
「大部分?」
「どうして猫なのかというとね、この腕輪は、ジゼルの状況を見ながら、防御魔法を展開しているんだ。さっき、私の指輪について説明したよね。肌に直に触られた状態で一気に覚醒させられると、この指輪は反応しないって」
シリルからの質問に、ジゼルは頷いた。
「指輪はね、持ち主の状況を見て、防御の展開方法を切り替えているんだ。意識がない場合は、敵意のある存在が近寄っただけで防御を展開する。だけど、意識がある時は、本人が危険を感じている時だけ常時警戒していて、それ以外の時は、索敵能力を発動させないようにしているんだ。指輪が、さっきのように反応しなくなるのは、その隙間をついているためだ。突然一気に覚醒させられれば、指輪はまず、どちらで反応すべきか混乱する。さらに、意識が覚醒した時に肌に直に触れている状態だと、その相手は敵ではないと指輪が判断してしまうんだよ」
「……それなら、ずっと展開しておけばいいのでは」
「私の作る道具というのは、消耗品なんだよ。私の魔力の糸で編まれた魔法だから、使えば、それだけ力を消耗する。私が持っているのなら、魔力の補給もされるけれど、それ以外だとそうは行かない。だから、常時警戒し続けるというのは、魔力の消耗をそれだけ早めてしまう。だから、より魔力の消耗が少なくてすむように、身につけている本人を判断基準にして起動するんだ。腕輪は、ジゼルが起きている間、危険を感じているかどうかを、常時観察している。それが、石が外れたことで、そこに魔力が集中して、眼の魔法として、ジゼル自身がそばにいても警戒しない、身近な動物の猫という形で出てたんだ」
「んなぁーお」
その通りとばかりの猫の相槌に、思わず体の緊張が抜けた。
「……じゃあ、この猫は、腕輪の魔法だけで出ているんですか?」
「……ちょっと、寝ぼけて、魔法も通ったかも?」
小首を傾げて、笑顔でそう告げたシリルに、ジゼルは危うく出そうになった足をぐっとこらえた。
「つまり、寝ぼけて、『眼』の魔法を強引に魔力で発動させ、それが腕輪に反応して、本来発動できそうもない、あやふやな式で発動した。そういうことか?」
今までずっと、腕を組んで経過を見守っていたエルネストがそう言うと、シリルはあっさりそれを認めた。
「まあ、簡単にまとめると、そんな感じ」
「相変らずはた迷惑な」
ため息と共にそう呟いたエルネストを尻目に、シリルはようやく、その傍にそっと控えていたフランシーヌに視線を向けた。
「ようやくフランシーヌ嬢に挨拶できるかな」
そう尋ねたシリルに、慌ててフランシーヌは一歩前に進み出た。
「初めてお目に掛かります。フランシーヌ=ベルニエ=オードランにございます」
ドレスをほんの少し摘み、軽く足を折る。
戸惑いも躊躇いも見られずに、フランシーヌはごく自然に淑女の礼を取る。
この数ヶ月に、彼女はすでに、貴族の令嬢としての教育を受けていたことが伺えた。
「はじめまして、フランシーヌ。そうか、オードラン家の養女になったんだっけ」
「はい。お養父様は、実父とも旧知の仲だそうで、大変よくしていただきました」
「私は、シリル=ラムゼン=バゼーヌ。エルネストとは、産まれた時からの付き合いなんだ。これから、隣のよしみでよろしくね」
「ありがとうございます。ラムゼン伯」
「ああ、シリルと呼んでくれて構わないよ。そっちの名前は、ほとんど使うこともないし」
シリルの気安い様子に、フランシーヌの緊張も解れたのか、顔を上げ、花がほころぶように微笑んだ。
「それではシリル様。あの、お聞きしたいのですが……」
「なに?」
「どうして私が子ぐまなのでしょうか?」
やはり、フランシーヌ本人も、それが気になっていたらしい。首を傾げて尋ねた瞬間、その隣にいたエルネストが動いていた。
正面のシリルの口を塞ごうと伸ばしたらしい手が、見えない壁に防がれる。
「……さすがに、起きている間は、私の魔法の方が速いよ、エルネスト」
「ちっ」
「あのね、熊のぬいぐるみの名前が、フランシーヌなんだ」
そのシリルの言葉で、フランシーヌとジゼルの頭の中に、部屋にあった巨大なぬいぐるみが思い出された。
しかし、どうやらそれとはまた別らしい。
延びるエルネストの腕を、壁を使い巧みに回避しながら、シリルは続けた。
「エルネストが、君に振られて立ち直れずにいた間、ずーっと抱えていた熊のぬいぐるみの名前が、フランシーヌなんだよ」
目を剥いた二人の女性は、揃って、現在必死になってシリルに攻撃を仕掛けている人物に視線を向けた。
ありえないと思った。
想像すると、とても怖い図が思い浮かぶ。
「黙れシリル!」
「君の忘れ物だったんだよね、ぬいぐるみ。それを、どこに行くにも持っていって、椅子に座る度に、顔を埋めてたんだ。名前を呼びながらね」
あんぐり口を開けていた二人だったが、フランシーヌの方は、その直後、エルネストを見つめ、顔を真っ赤に染めた。
「そのせいで、エルネストの知人にとって、君は子グマちゃんなんだよ」
「シリル!」
「今更だろエルネスト。たぶん両陛下も彼女のことは子グマちゃんで認識してるぞ?」
「うるさい!」
すでに、顔どころか、指先までほんのり赤く染めたフランシーヌは、しばらくおろおろとエルネストとシリルに視線を彷徨わせ、慌てたように身を翻した。
「お、お先に失礼致します」
慌てたようにこの場を去っていくフランシーヌの耳はすでに真っ赤で、羞恥のためか、手で頬を押さえながら、小走りにこの場から逃げていた。
「フラン!」
慌てたようにエルネストがそれを追いかけ、この場には静寂が訪れた。
ジゼルは、普段見せないような、若干黒いものが見える笑顔のシリルを上目遣いに見つめながら、肩をすくめた。
「……悪い人ですね、シリル様」
「本当のことを言っただけだよ。だって、私が言わなくても、王太子殿下が彼女に会えば、同じ事を言ったはずだよ」
自分より面白がっていた王太子殿下だと、さぞおもしろおかしく教えてくれるだろう。それに比べれば自分は真実しか言っていない。
シリルのその言い分に、ジゼルは苦笑した。
「さて、私達もあっちに行こうか」
「私、達?」
「少なくともジゼルは、あっちに行かないとね。門から帰らないと、後でもめるよ」
その言葉に、はっとして、腕に抱いている猫に視線を落とす。
言われてみれば、ジゼルはこの猫を追いかけ、抜け道を通ってきたのだ。
この猫をつれて門から帰らねば、それこそ捜索隊が出るような騒ぎになる。
「私も、ちょっとエルネストに聞きたいことがあるし、あっちに行くよ」
シリルはそう言うと、部屋に戻りマリーに声をかけると、そのままジゼルの手を引いて、抜け道に向かって歩き始めた。
気が付いたら、シリルにしっかり手を握られ、共に歩いていたジゼルは、歩きながらシリルの横顔を見ていた。
「……シリル様。さっき、猫の説明の時仰いませんでしたけど……視覚だけじゃなくて、この子聴覚も繋がっていませんか」
「……どうしてそう思う?」
前を向いたままのシリルの問いかけに、ジゼルは苦笑しながら答えていた。
「聞き分けがよすぎました」
くすくすと笑うジゼルに、シリルが不思議そうに首を傾げた。
「猫って、普通だと、どんなに人懐っこくても、あんなにお願いは聞いてくれませんよ。それにあの時、フランに抱いてもいいかと聞かれて、躊躇してたじゃないですか」
今だからわかる。あれは、フランシーヌの腕に自分がいた場合のエルネストの反応を察したからに違いない。
しかも、腕に抱かれないように、撫でやすいようにか、背まで向けていたのだ。
それでも、エルネストの怒りには触れたようだが、少なくとも普通の猫なら、自分が呼ばれたことは察しても、そこまで気を使う素振りをすることはないだろう。
「猫って、自由気ままなんですよ。どんなに人に慣れている子でも、気が乗らなければ、髭の一本も動かしてくれません」
腕の中にいる、白銀の猫を見ながらジゼルが言うと、シリルはふむ、と一瞬押し黙った。
「やっぱり、猫はわからないなぁ」
「本物をしっかり見ないと駄目ですね」
二人の視線を受けながら、白銀の猫はここが居場所だと主張するように、しっかりとジゼルにしがみついてごろごろと喉を鳴らしていた。