白銀の糸 12
「エルネスト様」
ジゼルの声に、エルネストがようやく獲物であるシリルから目を離した。
「すみませんが、シリル様に身支度するための時間の猶予をいただけませんか」
「……なに?」
「フランも来ていますので、さすがにその姿のままでは差し障りが……」
フランシーヌの名前の効果は覿面だった。
聞いた瞬間に、エルネストはベッドの上掛けをシリルに投げつけ、外に飛び出していった。
「ジゼル! ありがとう!」
ようやく肉食獣の爪から逃れたウサギのように、シリルは目に涙を浮かべつつも安堵の笑みを浮かべ、上掛けを身に纏った。
しかし、それに答えるジゼルは、半眼で白い目を向けていた。
「……お友達じゃないんですか。なんであんな危機一髪の状況になってるんですか」
「友達だからこそ、こっちの弱点を的確に突いてくるんだよ……。防御展開するより早く踏み込んで、肌に直に触られた状態で一気に覚醒させられると、この指輪反応しないんだ……」
「そうなんですか!?」
「……ジゼルはやる意味ないからね。もう防御魔法は展開しないからね。試すために踏み込んでこなくて良いからね!?」
ジゼルの食いつきの良さに怯えたシリルは、必死で首を振っていた。
「それで、猫なんですけど……どこに消えたんですか? 結局なんなのか、わかったんですか?」
着替えを手伝いながらジゼルが問うと、シリルはなぜかしきりに首を傾げていた。
「……なんというか、わかったというか、予想通りだったというか、おかしいなというか」
「困るんです。あれが魔法で作られたものなら、もう一回出していただけませんか?」
「いや、それが、なんで猫なのかは結局解決してなくて……」
「さっき、消えてましたよね?」
「うん……まあ、だから、あれがなんなのかはわかった……」
「私、猫の持ち出し証明証を発行してもらったんです。猫をつれてないと、帰ってこられないんです」
「……わかってる。……たから」
「はい?」
シリルがぼそりと呟いた声が聞き取れず、怪訝な表情をしたジゼルに、シリルは苦笑した。
「あとでやってみるけど……猫かぁ」
ジゼルは、うーんと唸ったシリルに、装飾品が仕舞われた箱を差し出した。
そのひとつひとつを確かめるように、それらを装着したシリルは、身を翻した。
「じゃあ、とりあえず、表に出ようか。エルネストもまだいるだろうし」
「フランシーヌもきていますよ」
「……へぇ、私も本物に会うのは初めてなんだ」
そのシリルの言葉に、違和感を覚える。
シリルは、首を傾げるジゼルを顧みることなくそのままテラスに出て行った。
ジゼルは、その疑問をひとまず置いて、そのシリルの背中を慌てて追いかけることにした。
庭では、フランシーヌの肩をしっかりと抱いたエルネストが待っていた。
二人は、噴水のそばで、近くの花壇を見ていたらしい。
シリルの姿を認めると、エルネストはさりげなくフランシーヌを後ろに下げ、自分は一歩前に出た。
「お待たせ」
「……じゃあ、説明してもらおうか。どこまで繋がってた」
なんの躊躇もなく本題に入ったエルネストに、シリルはさすがに顔をしかめた。
「せめて、後ろにいる子ぐまちゃんを紹介してくれないの? 初めて会うのに」
「……子ぐまというのは、私のことですか?」
フランシーヌが不思議そうに首を傾げる。ジゼルもその点はずっと謎だったのだが、あいにくその説明をするだけの時間を、エルネストが許さなかった。
「こっちの用件が先だ。『眼』をどこまで繋げていた」
「うーん。あれ、意図して出した『眼』じゃないから、曖昧なんだよ」
「曖昧だと?」
シリルは頷くと、エルネストに向かって手を差し出した。
その手の上に、先程猫が消えた際に残った小石が乗せられる。
「なにせ、寝ている間に出してたみたいだから」
そのシリルの告白に、エルネストは盛大に舌打ちした。
「またか!」
「これでも一応、少しはましになったんだけどなぁ」
気まずそうに視線を逸らしたシリルの視線の先にはジゼルいた。その姿を認めると、ため息を吐く。
「だから、見てた物が全部、夢みたいな感じで曖昧だったんだよね……」
「じゃあ、視覚だけなのか?」
「少なくとも、さっきまで猫が見ていた景色は、吸収してもやっぱり曖昧だった。どうも、寝ている間にしか、共有してなかったみたいなんだ。そのせいで、それほど鮮明な記憶として残ってないんだと思う。結局、『眼』の魔法も、それを受け取る側の意識次第だからね。だから今まで、猫が動き回って見ていた間も、妙に現実味のある夢だとは思ってたんだけど……」
頭を掻くシリルに、ジゼルは慌てて詰め寄った。
「待ってください。さっきから言ってる眼って、どういう魔法なんです? それがそもそもわからないので、お話の意味がさっぱりわからないんですけど……」
ジゼルの疑問に、シリルは手元にある石をしばらく見つめ、頷いた。
「じゃあ、やってみようか。ジゼルはその位置にいてね」
そう言い置くと、数歩三人から離れ、ふわりと屈むと地面にその石を置いた。
それは、舞いのようだった。
指先の一本一本まで、目的があって動かしているのだろうが、それでもその指先に、情感がある。
足捌きは、あらゆるダンスのステップよりも複雑で。さらに時折ふわりとからだを回転させる。それでいて、体の位置は、その場からほとんど移動していない。
飛び跳ねたり、派手な動作はないはずなのに、魅入られる。
そして、指先から、足の先まで、ひと動作ごとに、光の粒が産まれ、その場に舞う。
幻想的なその時間が不意に途絶えた時、その光の粒は、先程地面に置かれた石に集中していき、空中に浮き上がった。
何が起こるのか、ジゼルとフランシーヌは息を飲む。
その光は、大きな何かに形を変え、次第に横に広がり、そして何かの意思を持ったように動き始める。
その光が収束した場に、白銀が現れた。
それは、一羽の鷹だった。
白銀の翼を優美に広げ、産まれたばかりだとは思えないほどの速さで空を巡り、そして信じられないほどゆったりと優雅に、シリルの差し出した腕に舞い降りた。
「……鷹ですね」
「……鷹だね」
色合いこそ、猫と同じだが、その生き物としての根幹はまったく違う。
「どうして猫じゃないんです?」
「猫を出す方法がよくわからないから、ひとまず自分が一番単純に出せる物を出してみた」
「……今のアレで、単純なんですか?」
「一番省略して、アレなんだ。この魔法は、魔術師が、魔法を使う空間を把握するために使うんだ。一番簡単な物でも、出せば最低限視覚は共有している。魔術式に一言追加するごとに、聴覚、嗅覚、触覚、味覚と、共有する範囲は広がっていくんだけど……いまはひとまず、視覚だけ」
ジゼルとシリルは、気が付いたら見つめ合っていた。
シリルは、この魔法だけはまず寝ぼけてはできないだろうと思っていた。なにせ、全身を使わないと、シリルはこの魔法を出せないのである。
ジゼルもその点に気付き、首を傾げた。
「……さすがにお休み中は、あんなに派手な動きはしてませんでしたよ?」
なにせそれを見守っていたのはジゼル本人だ。
シリルは日頃、寝返りした気配もないほど、寝相が良い。
いくらなんでも、あんな動きを睡眠中にしていたら、猫どころの話ではなくもっと大騒ぎをしているだろう。
二人揃って腑に落ちない表情をしていたが、それを見かねたように口を挟んだのは、エルネストだった。
「……基本が違う」
突然の言葉に、シリルとジゼルが揃ってエルネストに向き直る。
「お前の『眼』を出すんじゃない。ジゼル嬢の傍に置く『眼』を出すんだ」
「……意味がわからない」
首を傾げたシリルに、エルネストは溜息混じりに言い聞かせた。
「俺が見たのは魔術師長が出したものだが、それがお前に出せないとは言わせん。軍事演習の時、各箇所の命令系統の確認のために、魔術師長が連隊の各隊長用に、『眼』を出したことがある。それぞれの隊長に別の生き物が宛がわれていて、なぜかと問うた俺に、これは各隊長が傍に置いて警戒しない生き物を出していると仰っていた。魔術で出した生き物であるが故に、感情によって精度が変化する。だから、傍に置く相手が決まっている場合、その相手に警戒心などを抱かせないよう、相手の意思を魔術に取り込むと仰っていた。先程、ジゼル嬢は、猫は自分にとってもっとも身近な生き物だと言っていた。それしか理由はないだろう」
エルネストの意見に、シリルはジゼルに視線を向けていた。
「……でも、ジゼルに繋げる魔術は、使えないはずだ。彼女は、魔力をすべて弾く。繋げられないから、感情も記憶も読めない……はず……あれ?」
突然、シリルが何かを思い出したように、視線を彷徨わせる。
しばらくの間、シリルはそのまま何かを空中に描くように指を動かしていたのだが、突然何かに気が付いたように、腕に止まっていた鷹を、手を添わせて消滅させると、慌てたようにジゼルに歩み寄った。
「なにか気が付かれましたか?」
ジゼルの問いかけに、一瞬シリルは目を彷徨わせたが、結局何も言わずにジゼルの手を取った。
その腕には、白銀に光る腕輪がしっかりとはまっている。
ジゼルが初めて見る、真剣なシリルの眼差しは、腕輪に注がれていた。
しばらく、それを指でなぞると、その指が一点で突然静止した。
「……ここか?」
シリルは、手の中にあった石と、腕輪を見比べ、目を眇めて腕輪を見つめると、ハァ、と大きなため息を吐いた。
「ジゼル」
「はい?」
ジゼルは、シリルの常にない様子に、思わず身構えた。
しかし、シリルは、にっこり微笑むと、意外なことを告げた。
「あっちを向いて、目を瞑ってくれる?」
「……それで、解決しますか?」
「あー、たぶん?」
ジゼルは、しばらく訝しげにシリルを見つめ、後ろを向き、目を閉じた。
しかし、突然、手を掴まれ、驚きで目を開けた。
「なんですか?」
「ごめん。ジゼルの場合、眼も魔除けだから、見られているとちょっとやり辛いんだ。大丈夫、すぐだから」
「……」
そしてジゼルは、今度はその言葉に納得し、素直に目を閉じた。
ジゼルは、自分の手が、しっかりと握り直されたのを感じた。
シリルの意外と暖かな手が、ジゼルの手を包むように握る。
ほんの一瞬、腕輪が熱を持ったように感じたが、そう感じた瞬間、それは終っていた。
「……ジゼル、もういいよ」
本当に僅かな時間で名を呼ばれ、ジゼルが目を開き、シリルに向き直ると、その腕の中にはしっかりと、白銀の猫が抱かれていた。
猫は、ジゼルの顔を見て、うれしそうに「にゃあ」と鳴いた。




