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白銀の糸 11

 エルネストの身体能力は、ジゼルの想像をはるかに超えていた。

 エルネストは、気が付いた時には、中途半端に開いていた距離を詰め、逃げる隙も与えずに、フランシーヌの膝から猫を取り上げていた。

 無理矢理首根っこを掴むのではなく、ちゃんと胴を掴んでいるあたり、逃がす気がない事を示している。

 目の高さまで上げられた猫は、先程からいっそう厳しくなったエルネストの眼差しで睨み付けられ、完全に怯えてふるふると震えながら小さくなっていた。


「……この猫は、君がつれて来たのか?」


 その問いが、自分に向けられていることに気付いたジゼルは、慌てて立ち上がり頭を下げた。


「申し訳ありません!」

「詫びる必要はない」


 しばらく睨み付けていた猫を小脇に抱えると、エルネストは今度はジゼルに視線を向けた。

 視線に射すくめられながら、ジゼルはここで学んだ礼儀作法を必死で思い出し、淑女の礼をした。


「初めてお目にかかります。ジゼル=カリエと申します」

「噂はかねがね、フランシーヌとシリルに聞いている。エルネスト=ジーク=ベルトランだ。ひとつ尋ねたい。君は、猫は好きか」


 エルネストの問いに、一瞬ジゼルは頭が追いつかなかった。

 しばらくして、問われた言葉をようやく処理して、頷いた。


「猫は、船が行き交う港産まれの私にとって、もっとも身近な動物ですので……」

「そうか、わかった。わざわざ名乗ってくれたところすまないが、話は後だ」


 エルネストはそう言い残すと、身を翻し、あっという間に庭に面したガラス戸まで移動した。


「フラン。少し出かけてくる。ジゼル殿は、よかったら夕食も共にしていくといい」

「あ、あの、どうぞお構いなく……」

「どちらにお出かけですか?」


 慌ててフランシーヌがエルネストに駆け寄ろうと立ち上がったがそれよりエルネストの方が早かった。

 庭に出ると、そのまま一直線に、庭の木々の合間に姿を消してしまったのだ。

 残されたジゼルとフランシーヌは、その背中を唖然としたまま見送ってしまった。


「……いったい、どうしたのかしら」

「出かけると仰ったけれど……あちらに行って、何がおありなのかしら……」


 そのフランシーヌの疑問の答えを、ジゼルはなんとなくわかっていた。

 おそらく、抜け道である。

 しかし、暢気にそんな事を考えた瞬間、ある事を思いだし、愕然とした。


「あ! 猫っ!」

「え、どうしたの?」

「猫、そのままつれて行かれてる。どうしよう!」


 ジゼルの慌てぶりに、フランシーヌが疑問も露わな表情で、首を傾げる。


「猫を連れてくる時、門で許可証をもらったの。でもそれ、持ち出しの許可証なの」

「……え?」

「持ち出しという事は、持って帰ったことを門で証明しないといけないの。そのまま置いて帰られたら、私が門を通れないわ」

「……まあ、大変」


 しばらく、エルネストが消えた木立を見つめていた二人だが、先に行動をはじめたのは、フランシーヌの方だった。


「追いかけましょう」

「……いいの?」

「私が、友人であるあなたのために行動したとなれば、エルネスト様もお怒りにはならないはずよ。急がないと、どこに行ったかわからなくなるわ。行きましょう」


 慌てたように庭に出ていくフランシーヌを追いながら、ジゼルは頼もしい友人に告げた。


「行き先はわかってる。たぶん、バゼーヌ公爵家よ」

「でも、門に向かってないわ」

「抜け道があるそうなの。ねえ、フラン。エルネスト様って、道なりに進んでいく人? それとも、目的の方角がわかっていれば、直進する人?」

「それなら決まっているわ。直進よ」


 きっぱりと、フランシーヌは言い切った。

 二人の視線は、当然のように、先程エルネストが姿を消した木立に向けられた。

 


 その時、シリルの部屋に寝起きを見守る者はいなかった。

 夜まで起きる必要がない日は、シリルもそれを前提に寝ているために、見守っていても目覚めないとジゼルの観察から判明したのだ。

 その為、見守るのも、昼を過ぎてしばらくまでは行われない。

 今はまだ昼前であり、シリルにとっては深夜と変わらないほど熟睡中である。

 だから、その変化に、だれも気が付いていなかった。

 静かに開けられたテラスの扉から、緩やかな風が部屋に流れ、閉められたカーテンを風で煽り、部屋に光を零れさせた。

 その次の瞬間、その侵入者は一瞬で寝台の上に移動し、その大きな手でシリルの顔面を鷲掴みにしたのである。


「あたたたたっ!」


 さすがのシリルも、その状況では寝ていられなかった。


「ちょ、いたっ、いたいいたいいたい!」

「なにごとですか!」


 飛び込んできたマリーは、シリルの寝台で、馬乗りになっている人物を見て、慌てて頭を下げた。


「いらっしゃいませ、エルネスト様」

「すまんな、マリー。しばらく外してくれ」


 鷹揚な言葉を、シリルの頭を掴んだままで平然と口にしたエルネストだったが、マリーはとくに異論もなさそうに頷いた。


「かしこまりました。失礼致します」

「ちょ、待って待って待って、マリー! お前誰の侍女なんだ!」

「誰のというならば、マリーは公爵夫人の侍女だろう」


 返事は、エルネストからだった。その間に、マリーはすでに部屋を辞している。


「痛いって、ジーク! なんでお前、いつもうちに来るとこうなんだ!」

「一気に起こさないとお前の指輪が発動するからな。起きたか?」

「起きた、起きました!」

「そうか」


 頷いたとたんに再び手には力が込められた。


「痛い痛い痛い! なんで、起きたのに!」

「お前は起きたと言った後にすぐまた寝るからな。用心のためだ」



 結局、エルネストが、シリルの顔から手を外したのは、それからしばらく経ってからだった。



「……相変らず馬鹿力すぎるよ。何か搾り取られた気がする」


 ぎゅうぎゅう締められ、痛む顔面を押さえながら、シリルが愚痴る。

 それをなんでもないとばかりに聞き流したエルネストは、シリルが向けてくる恨みがましい視線の先に、今まで腰にあった手を差し出した。

 その手では、怯えた表情のままの猫が、胴を掴まれぶるぶる震えていた。

 それを見た瞬間、シリルは、誰の眼にも明らかなほど狼狽した。


「……心当たりがありそうだな」


 エルネストの声は、いつもより一段と低い。


「触れろ」

「え、ええと……」


 シリルの視線が宙をさまよう中、じれたエルネストは、シリルの手を強引に掴み、震える猫の背に無理矢理添わせた。


「あっ!」


 シリルの手が乗ったとたんに、猫はまるで空気に溶けるように消え去った。

 エルネストは、手のひらに残った色のついた石を見て舌打ちした。


「やっぱりこれはお前の『眼』か。どこまで繋がっていた。言え」

「ちょ、落ち着いて」

「事と次第によっては、殴って一日分記憶を飛ばす。さあ言え」

「そんな事を言われて素直に言えるか!」

「つまり全部か。ちょっと頭を貸せ」

「駄目に決まってるだろう!」


 伸びてきた腕から慌てて逃げたシリルを、エルネストが睨み付けていた。



「こんな場所に出るのね」


 ジゼルは、抜け道から真っ直ぐ進んで到着した場所に驚いた。

 それは、以前シリルが空中から落ちた、妖精噴水のすぐ傍の木立だった。

 シリルの住む離れも、すぐ傍にある。


「……やっぱり、直進だったわね」


 フランシーヌは、後ろを振り返りながらそう呟いた。

 木立に消えたエルネストは、本当に一直線に進んだようで、迷わずにその背中を追うように歩いて、二人はまず生け垣の切れ目を発見し、そしてここに出てきたのだ。

 ジゼルが離れに視線を向けると、寝室のテラスにある扉から、部屋のカーテンが外にひらひらと翻っていた。


「こっちだわ」


 慌ててジゼルが駆けつけようとした時、そのカーテンの隙間から、ちょうど猫が消えるのが見えてしまったのである。


「あああ、猫が!」

「えっ」


 ジゼルは、それを見て、大慌てて寝室に飛び込んだ。

 寝室では、先程の猫とエルネストの一触即発だった雰囲気が、そっくりそのまま再現されていた。

 ただし、猫の位置がシリルに変わっている。

 シリルは、相変らずの下穿き一枚の姿で、エルネストから逃げ損ねて寝台の端に追い詰められていた。


「シリル様、猫はどこですか!」

「ジゼル! その前に助けて!」


 シリルから、すがるような眼差しがジゼルに向けられる。

 大変情けないシリルの悲鳴に、ジゼルはがっくりと項垂れたのだった。



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