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はじめてのお仕事1

 ジゼルがバゼーヌ公爵邸の侍女になったのは、今から三ヶ月ほど前だった。


 そのさらにひと月前、王妃陛下主催の舞踏会に、辺境の下級騎士を父に持つジゼルが招かれたのは、王妃陛下の気まぐれのようなものだった。


 ジゼルの他にも、十人ほどの少女達が、初めての煌びやかな王宮のパーティに足を踏み入れたのだが、そこは、夢見たような綺麗な場所ではなかった。

 そこにいたのは、ジゼル達に蔑みの視線を向け、到底淑女とは思えないほど顔を歪めている少女達と、それを娯楽でも楽しむかのごとく、にやにやと笑って見ていた男性貴族達。

 上級貴族というものを、この舞踏会を楽しめるようにと、礼儀作法から会話術まで親切丁寧に指導してくれたベルトラン侯爵夫人と、その夫で、受け入れた少女らを、ようやく娘ができたようだと大喜びで迎えてくれたベルトラン侯爵の二人しか見たことがなかったジゼルだったが、流石にそれは酷すぎた。

 だが、どんなに失望しても、それを表に出して反抗的な態度を取れば、それが侯爵夫人の汚点になるのだろうという事くらいは、この様な場所に縁のないジゼルにも理解できていた。

 ぐっとこらえていたのだが、上級貴族の少女達の目には、その姿すら反抗的に見えたらしい。その手に持った扇を振り上げ、ジゼルを打ち据えようとしたのだ。

 とっさに、隣にいた、同じような理由でジゼルと共に招かれていた少女が、ジゼルをかばってくれたのだが、彼女はそのまま体勢を崩し、テラスに転がり出る事になってしまった。

 打ち据えた少女達はそれを満足そうに見やり、男性貴族達は彼女を指差して笑う。

 笑いものにされた彼女は、泣くでもなく、気丈にジゼルに微笑んで、席を外すと告げて会場を去っていった。

 この場に招かれ、共にベルトラン侯爵夫人に礼儀作法を学んだ。数日前にできたばかりだったけれど、友人だった。知り合った期間は短くとも、境遇がほぼ同じだった彼女は、この特別な日が終わっても友人でいたいと思えるような人だった。

 その彼女が、若干とはいえ足を引きずり、後ろ指を指されながらその場を去る姿に、ジゼルはこれ以上ない怒りを覚えたのだ。そして、ついに我慢の限界もここまでとばかりにぶち切れた。

 ぶち切れた彼女がまずしたことは、その場でもっとも近くにいる、王宮の使用人を捜すことだった。傍にいた給仕の侍女に、座った目を向けたジゼルは、その侍女に一つ頼み事をしたのだ。


「……王妃陛下に申し上げたいことがあるのです。陛下に直接お言葉をいただこうとは思いません。遠くから、聞いてくださるだけで構いません。だた、私の言葉を、直接お耳に入れたく存じます」


 不遜な願いだった。しかし、それを聞いた侍女は、顔色ひとつ変えず、優雅に礼をすると、その場を去っていき、そして帰ってきた時は、侍女の数は三人に増えていた。


 三人に先導され、連れて行かれたのは、舞踏会の会場の傍にある、休憩用の小部屋だった。

 驚いたことに、そこには王妃陛下と、自分達をここまで連れて来てくれたベルトラン侯爵夫人。そしてもう一人、小柄で可愛らしい貴婦人が、それぞれ椅子に座り、ジゼルを待っていた。


「私の耳に入れたいことがあると聞きました。この場での発言を許します」


 初めて聞く王妃の声は、それだけで体を射すくめそうな威厳があった。

 ジゼルは、一瞬硬直していたのだが、勇気を振り絞り、声を出した。


「私は、王妃陛下にご招待いただき、ベルトラン侯爵夫人のご指導を受けこの舞踏会に参加しました、ガルダンのジゼル=カリエと申します。率直に申し上げます。今後再び、私のような、日頃舞踏会に参加することのない身分の者をお招きになる事は、おやめいただきたく存じます」


 ジゼルの言葉に、その場にいた三人の貴婦人達は、一様に目を丸くした。


「なぜです?」

「意義を見出せません」

「まあ……」


 絶句した王妃に構うことなく、ジゼルは言葉を続けた。


「招待状には、貴族も平民も、共に楽しめる場を設けたいと記されていました。ベルトラン侯爵夫人も、同じことを仰って、作法のことなど何一つわからない私達に、手取り足取り、これ以上ないほどの広いお心で指導してくださいました。ベルトラン侯爵夫人は、真の貴婦人でした。私達は、拙いながらも、そのお姿を手本とし、この場に臨みました。ですが、この場で私達に向けられたのは、蔑みの視線です。どんな作法で臨もうとも、どれだけ美しい手本があろうとも、それを受ける方々の視線は、私達の出自にのみ向けられたものでした。この場に、私達のような出自の者が存在する事は許されていないとばかりに、蔑まれました。友人のフランシーヌは、会場を叩き出され、怪我をし、指差されて笑われ、去ったのです。彼女が何をしたというのですか? それを見てなお、私達に楽しめとおっしゃるのですか? 私達に、こちらに参加するような作法がないのと同様に、貴族の方々には、私達を受け入れるようなお心の持ち主は、ほんの僅かしかおられないように思います。今後、もし同じことをお望みになるのならば、貴族の方々が、私達を受け入れるお心をお持ちになった時にしていただきたく存じます。私の父は、下級騎士をしております。有事の際、国を、貴族を、その命をもって守る役割をしております。だからこそ、私は、これ以上貴族の方々に対して、失望したくはありません」


 失望させるだけなら、呼ばないでほしい。ジゼルの願いは、その一言だった。


 ジゼルの言葉は、静寂の中に吸い込まれた。

 招待してくれた王妃に、ありのままを告白したジゼルは、自分はこのまま罪に問われるのだろうかとぼんやり思っていた。

 正面に座っていたベルトラン侯爵夫人は、近くにいた侍女に小声で何かを命じ、王妃は、口元を隠していた扇を音を立てて閉じた。

 静寂が、痛みを感じそうなほどにジゼルの肌を刺し、否応なく、今行ったのが、王妃に対しての不敬であった事を自覚させる。

 しかし次の瞬間、王妃の隣にいた貴婦人の軽やかな笑い声に、その場の静寂は打ち破られたのである。

 

「わたくし、あなたのような方は大好きよ」


 にっこりと、少女のような笑みで告げたその人が、後のジゼルの雇い主、バゼーヌ公爵夫人だった。

 しばらくにこにことジゼルを見つめていた公爵夫人は、微笑んだまま、王妃に話しかけた。


「陛下のお気持ちは理解しておりますけれど、やはり、少々急ぎすぎたのではなくて?」

「……そうですわね。ジゼル=カリエ、あなたの言うとおりです。今回の事、私の考えが至りませんでした。あなた方にも、負傷したというあなたの友人に対しても、申し訳なく思います」


 王妃の言葉に、ビクンと身を竦ませたジゼルは、慌てて頭を下げた。


「ただ、釈明の言葉を許されるならば、国を支える貴族ともあろう者が、その自らの宝である民に対し、愚かな行いをするとは考えておりませんでした。私にとって、それは、考えるまでもないことだったのです。まさか、そちらの意識を変える必要があるなどと、思いもしなかったのです」

「王妃陛下は、昔から高潔でいらしたものね。周囲に集まる方々も、皆さま尊い方々ばかりでしたわ」

「ですが、知らぬでは済まされぬ事です。ましてや、それで負傷者が出たとなれば、私の至らなさを責められて当然のことでしょう。辛い思いをさせてしまいましたね」

「お、恐れ多いことにございます」


 ジゼルはますます深く頭を下げた。それを見下ろした王妃は、静かに立ち上がると、傍にいた侍女に、一言二言言いつけた。


「ジゼル=カリエ。あなたの言葉、しかと聞きました」


 そして、その言葉を最後に、静かにその場を去っていった。


 頭を下げたまま、足音が遠ざかるのを待っていたジゼルに、なぜか近寄ってきたのは、公爵夫人だった。


「頭をお上げなさい。もう王妃陛下は会場にお戻りになりましたから」


 その言葉を聞いて、恐る恐る頭を上げる。そして、ぼやけた視界に、ジゼルはようやく、自分の目に涙が浮かんでいたことに気が付いた。

 公爵夫人は、そのジゼルの涙を、絹の手袋でそっと拭うと、ジゼルの手を取った。

 小さな、それこそ重い物は扇程度しか持たないような嫋やかな手が、ジゼルの手を優しく撫でた。


「よく頑張りましたね。大丈夫、あなたも、あなたのお友達も、悪いようにはしませんから」


 微笑む公爵夫人は、その時のジゼルにとって、どんな歴戦の兵士達より、強者に見えた。


 その後、身柄がバゼーヌ公爵夫人預かりとなったジゼルは、王宮からバゼーヌ公爵邸に向かう馬車の中で、自分はこのまま罪に問われるのだとばかり思っていた。


 ところが、蓋を開けてみると、なぜかジゼルはそのまま、行儀見習いという名目で、公爵夫人の話し相手として、公爵邸で歓待を受けることになったのだ。

 王妃に対し不敬を働く娘を躾け直すための行儀見習い、という訳でもなく、何か厳しく指導されるでもなく、ただ、小柄で可愛らしい公爵夫人の話し相手として過ごしていたジゼルは、流石にこれでは駄目だと思い、目の前にいた公爵夫人に頭を下げた。


「居たたまれないので、せめて、下働きとして働かせていただきたいのですが。日頃、家では母と共に、兵士達の宿舎の世話をしております。洗濯婦でもなんでも構いません。働かせてください」


 それに対する公爵夫人の返答は、とても簡単なものだった。


「わたくしの話し相手をこれまでどおり務めるのも、お仕事の内に含めますよ」


 そして、その日のうちに、バゼーヌ公爵家との正式な雇用契約は結ばれたのである。


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