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白銀の糸 9

 公爵夫人に挨拶し、執事に付き添われて、ジゼルは初めて門にある警備隊の詰め所に足を踏み入れた。

 ここで、屋敷から出るための許可証を発行してもらわなければ、帰ってきた時に、長々と手続きが必要になる。

 これは、公爵家の血に連なる人々のみならず、この屋敷に関わるすべての人に課せられた義務である。

 それに異議を唱えることもなく、ジゼルも所定の手続きというものを済ませた。


「こちらが許可証になります。お持ちください」


 詰め所の中にいた門番から手渡された封書を、両手でしっかりと受け取り、スカートの隠しポケットに仕舞う。

 付き添いがいれば、その人物が持つらしいが、ジゼルは自分でしっかり管理しなければならないので、不作法は勘弁してもらうしかない。

 封書を仕舞い、改めて身繕いをしたジゼルは、壮年の執事に、にこやかな笑みで見送られながら、用意されていた二頭立ての馬車に歩み寄る。

 自分一人のために、まさか馬車まで用意されてあると思っていなかったジゼルは、その為にわざわざ来てくれている御者に恐縮しながら、門番の騎士に手を取ってもらい、乗り込もうとした。


「……あ」


 その声が、誰のものだったのかはわからない。

 しかし、その声が聞こえた瞬間、ジゼルは背中に軽い衝撃を受け、よろめいた。

 もし、騎士が手を取っていなければ、ジゼルはそのままつんのめって馬車に転がり込む醜態をさらしていただろう。

 いったい何事かと振り返ったジゼルが見たのは、唖然とした騎士二人と執事。そして、なぜか青ざめた騎士が一人と、あきらかに笑いをこらえている騎士が一人だった。


 つい先程まで、笑顔で見送ってくれていた人々の表情の変化に、首を傾げる。


 原因は、あきらかに先程の背中への衝撃である。

 あわてて背中を確認しようと、手を上げてみたり首を限界まで捻ってみたりするが、場所が場所だけになかなか確認ができない。

 しかし、腰を捻った瞬間、目の端に飛び込んだ物で、その正体が判明した。


「……猫ちゃん?」


 白銀の尻尾が、背中から延びて、体の動きと連動して揺れていた。

 尻尾の位置から判断すると、べったりと背中に張り付いているようだった。


「んみゃーおぅ!」


 元気よく返事をされたはいいが、背中に手が届かない。しかも、どうやらぎりぎり届く手からも逃げるように、猫が動いている。


「猫ちゃん。今日は遊んであげられないの。降りて!」

「んにゃー!」


「……失礼します」


 ジゼルと猫の、間の抜けた攻防を見かねて、執事がジゼルの背中から、丁寧に、しかもできるだけジゼルには触れないように猫を降ろした。


「うー」


 不満そうな猫が、しっかり抱えた執事の手を抜けるように、体の力を抜き、体を捻り、逃げだそうとする。


「猫ちゃん、今日は私は出かけるの。遊んであげられないのよ」

「んぎゃーおぅ!」


 抗議の声を上げる猫の様子に、笑いをこらえていた騎士はいよいよ我慢できぬとばかりに壁に向いて丸まると、声を抑えて笑い出し、青ざめていた猫が苦手らしい騎士は、鳴き声に我慢できなかったらしく、涙を浮かべて詰め所の中に逃げ込んだ。


 猫は、ようやく執事の手を逃れると、再びジゼルに飛びついた。


 仕方なく、手を伸ばしてそれを受け止めたジゼルは、ため息と共に猫に言い聞かせた。


「あのね、今日は出かけるのよ。余所のお家に、あなたは連れて行けないの」

「みぅー」

「夕方には帰ってくるから、そうしたら遊んであげるから。ね?」

「にぅ~……」


 猫の大きな眼が潤み、耳がぺたんと倒される。

 その視線が、「自分を置いていくのか」と訴えていた。


「初めて行くお家だから、連れていけな……」

「にぃ~う……」


 ふるふると震えながら、まるで今生の別れのような様相になっている猫に、これ以上何を言えばいいのかわからなくなり、ジゼルは困り果てた。


 その様子を静かに見守っていた執事は、突然何を思ったのか、詰め所の中に入っていくと、紙を一枚持ち、再びジゼルの傍に歩み寄る。


「ジゼルさん。そのまま猫をつれて行ってください」

「え?」

「侯爵家に入る時に、この手紙をあちらの執事に渡してください。あちらの執事は、魔法にも心得があります。シリル様がご幼少のころからの馴染みですから、魔法にもある程度、対応のできる者が揃っています。あらかじめ伝えておきさえすれば大丈夫でしょう。あちらのご令嬢が猫を苦手とされていた場合は、そのまま執事に預けてください」

「は、はい」


 その手紙を、猫を抱える手に持たされ、さらに騎士からも、屋敷から猫を一匹持ち出す許可証を渡される。

 すでに猫は、自分が連れていってもらえることを理解したのか、ジゼルにしっかり寄りかかり、首元に耳を擦りつけながら、大音量でごろごろと喉を鳴らしていた。

 本当にいいのかわからないが、この様子では、置いていこうとしても馬車にすがりついて結局ついてきそうだった。

 それくらいなら、初めから抱えていった方が、まだ混乱は少ない。

 おそらく執事の判断も、そういうことなのだと理解したジゼルは、擦りつけられるくすぐったさに苦笑しながら、改めて猫を抱え直し、馬車に乗り込んだ。


「……いい子にしてないと、駄目よ?」

「なぁーん」


 甘えるような返事に、思わずジゼルは膝に座る猫の背中をひと撫でした。




 ジゼルは、隣といえども一人で出歩くなと言い聞かされた意味を、馬車の小窓から見える景色でつくづく理解した。

 お隣という言葉が指すのは、もっと小規模なものだろうと思う。

 しかもここは、首都の王城近くなのだ。

 確かに隣なのだが、入り口自体は別の方角にあったらしく、ぐるりと回るように移動した馬車は、ようやくと言いたくなるほど時間をかけて隣家の門らしき場所にたどり着いた。


 遊びたい盛りの子供が、垣根だけで分れているという敷地で穴を見つければ、それは越えたくもなるだろう。そんな距離だった。


 入り口で出迎えてくれた老齢の執事に手紙を見せると、そのままつれて行くようにとにこやかに告げられ、猫もご機嫌に鳴いて返事をする。

 以前、この屋敷に、舞踏会の用意のために迎え入れられた時は、初めて垣間見た貴族の生活に緊張しながら、恐る恐る絨毯を踏みしめたものだった。

 すれ違う侍女達にも、ちらほらと見覚えのある顔がある。

 あの日、ジゼルの世話係となっていた侍女もいて、すれ違いざまに微笑みながら、会釈をしてくれた。

 あの日、舞踏会に招かれ、このベルトラン侯爵家で迎えられたのは、ジゼルを含め五名だった。

 他の貴族の家にも、数名ずつが預けられたのだと知ったのは、王宮に入った後。王妃陛下の意を汲んだ貴婦人達が、それぞれに少女達を受け入れ、教育を施し、送り出したのだ。

その中でも、特に親しくなったのが、フランシーヌだったのだ。


 今日は、公爵家での経験がある為か、それほどの緊張はない。

 改めて、緊張のあまり見ることが無かった屋敷の細部を見学しながら、案内する執事の背中を追いつつ屋敷の奥に向かう。

 

 廊下にある扉を越えたとたんに、先程までとは変化した雰囲気に、自然と緊張感が生まれた。

 今までの、重厚な作りの屋敷が、扉をひとつ越えたとたんに、柔らかな曲線が多く使われた調度品で飾られた、優美な屋敷に早変わりしたのだ。

 思わず、感嘆の声が漏れたジゼルに、執事はにこやかに説明した。


「こちらがフランシーヌ様がお住まいの棟でございます。フランシーヌ様は、こちらの私室にあるサロンで、ジゼル様をお待ちです」

「は、はい」


 案内されるままに足を進めたジゼルは、次第に高まる鼓動を感じながら、その扉の前に立った。

 執事が開けてくれた扉の先で、初めに見えたのは、高価な板ガラスで作られた窓から一望できる、今が季節の花々が咲き誇る庭の風景。

 そしてその前に、栗色の髪の、淡い黄色のドレスを身に纏った女性が一人立ちすくむ姿。

 あの日、あの瞬間、気丈な微笑みを見せていた女性。

 そして今は、榛色の瞳からこぼれ落ちそうな涙を、懸命にこらえていた。


「……ジゼル!」


 あの日足を引きずっていた事を忘れそうなほどの勢いで駆け寄ったフランシーヌは、部屋に一歩入ったばかりだったジゼルにしっかりと抱きついたのだった。


 

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