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白銀の糸 2

 ジゼルの腕の中で、その猫は喉を鳴らしている。

 大人になったばかりのような、あどけなさの垣間見えるその猫は、女性三人が見守る中、ジゼルの左手にじゃれついていた。


「……私の息子は、いつの間に猫になってしまったの?」


 公爵夫人は、こんな時も驚きを顔に出すことはなかった。声も至って穏やかで、いつの間に生けていた花を変えたの、とでも尋ねられたようだった。

 それでも、どうやら母である公爵夫人から見ても、この猫の印象は、シリルそのものらしい。


「……シリル様は、ちゃんと離れの寝台でお休みになっておられます」


 この公爵邸では、猫が飼われたことはないようだが、ジゼルの住んでいた港町には、たくさんの猫が闊歩していた。

 ジゼルの故郷であるガルダン港は、諸外国の船が毎日たくさん寄港する。

 そして、船に乗せられたねずみ取りの猫達も、毎日勝手気ままに降りてくる。

 もし船に猫が帰ってこなくても、船乗り達は慌てない。居なくなった猫の代わりは、港のどこにでも居るため、また適当な猫を積んで、船は港を離れていく。

 ガルダンの港は、人の混血も進んでいるが、猫の混血はそれ以上に進んでいるのだ。

 珍しい種類の猫も居るガルダンで、毎日たくさん猫を見ていたジゼルも、流石に自ら光を放っているかのような白銀の毛皮を持った猫は見た事がなかった。

 まして、この家で、白銀を見て、シリルと結びつけない者はない。なにより、瞳まで同じ色なのだ。関係が無いわけがなかった。


「シリルは、ちゃんと息をしていたの?」

「もちろんです。マリーさんと一緒に心音も確認しましたが、ちゃんとありました」


 ジゼル自身が布団をまくり、胸に耳を当てて確認したので間違いはない。

 そんな状況で起きないのはおかしい、と言いたいところだが、シリルがそんな程度のことで目を覚ますようなら、そもそも誰も苦労はしていない。 


「じゃあ、やっぱり、何かの魔法なのかしら」


 公爵夫人の出した結論に、他の二人も異論はなかった。


「魔法で生き物を作るというのも、聞いたことがあった気がするのだけど、シリルはそんな魔法を使っていたかしら」


 首を傾げた公爵夫人に、マリーは頷き答えた。


「たしか、小さな紙を利用して小鳥を作っておられたのは見た事がございます。しかし、この様な大きな、さらに、生物そのもののような存在も作れるのかはわかりません」

「でも、この猫がどんな存在なのかは、私達には判断もできないわね。本人が目覚めた時に、お聞きなさい。もし、シリルが明日の昼まで起きないようなら、王宮魔術師長にお話を聞くことにしましょう。それまで、その猫はできるだけ人の目には触れさせないように。ジゼル、しばらくその猫をお願いね」

「かしこまりました」


 改めて、体に密着するように猫を抱き直すと、猫はその姿勢が気にいったのか、まるで笑っているような満足そうな表情で「なぁーう」とかわいらしい鳴き声をあげた。



 猫は、床に降ろしても、ジゼルのそばを離れなかった。

 行く先々に体をすり寄せながらついてくるので、人の目に触れさせないようにするなら、ジゼル自身がどこかの部屋に入っておくのが一番いい。

 マリーの意見も一致したので、少し早い昼食をとると、そのままシリルの部屋でいつものように目覚めを待つことにした。 


 猫は、昼食の時も、大人しくジゼルの膝の上で待っていた。

 興味深そうに、テーブルの上の食べ物を眺めているが、手を出すでもなく、ただジゼルが食べ終わるのを待っているようだった。

 シリルの寝室に入ってからも、特別変わった行動をとるでもなく、傍にあった椅子に飛び乗ると、横になった。

 そして、視線だけはジゼルから離さず、ただころころとその椅子の上で転がった。


 なでて。


 猫にそう言われている気がして、ついふらふらと手が伸びる。

 仕事中だというのに、猫に構ってしまい、手が止まらなくなる。猫が、撫でるごとに大音量で喉を鳴らし、その様子を見て次第に頬もゆるんだ。


「しょうがないなあ……」


 今の状況から、素直にこれが猫だとは信じがたいのだが、その姿形も行動も、猫としか思えない。


 生き物を魔法で形作るという事が本当に出来るのかどうかわからなかったが、公爵夫人に聞く前も後も、それ以外思いつかなかったのだ。

 しかし、それにしては、猫そのものすぎる。毛皮と瞳がシリルそのものの色合いというだけで、他は完全に猫なのだ。

 ジゼルの意識が少しでも離れると、猫はそれが不満だとばかりに鳴き声を上げ、手にじゃれつき、一時もジゼルの意識を自分から逸れさせない。


 この、妙な猫は、ただひたすら、ジゼルに懐いていた。


 確かに妙だが、ここまで懐かれると、あまり猫には興味がなかったジゼルも、可愛いと思ってしまう。

 すっかり寛ぎ、緊張していた表情も柔らかくなり、笑顔で柔らかな猫の毛皮を思う存分撫でていたジゼルは、その時完全に油断をしていた。

 この部屋にいるもう一人の存在を、すっかり忘れていたのだ。


 ジゼルの撫でる手の下で、ぴくりと猫の耳が動く。

 その瞬間、ジゼルの背後で、ばさりと布が擦れあう音がした。


 猫以外に意識が向いていなかったジゼルは、その音に飛び上がりそうになりながら、慌てて振り向いた。


「……え?」


 ―――起きるはずのないシリルが、起き上がっていた。

 

 いつものように、目を僅かに開いた程度ではない。

 なんと、今まさに飛び起きましたとばかりに、上半身を起こし、目を見開いていたのだ。

 息は乱れていないし、むしろまばたきもしていないような気がするが、間違いなく起き上がっている。


「……え? え、うそ……」


 ジゼルがここで、シリルの目覚めを見守ること四ヶ月。

 はじめて、起きてすぐに、まともに目を開いているシリルを見たのである。

 驚愕のあまり、その手の下から、今まで撫でていた猫がするりと抜け出したことにすら気付けなかった。

 

「や、え? え? ま、マリーさん、マリーさーん!」


 自分の見ている物が信じられず、慌てて近くの部屋で待機しているマリーを呼び出した。

 顔を出したマリーは、寝台にいるシリルを見て、やはりジゼルと同じようにぽかんと口を開けていた。


「……ど、どうなさいましたか、シリル様?」


 おそるおそるマリーが尋ねると、シリルはなぜか困惑の表情を浮かべ、ぼそりと尋ね返した。


「今日は、王宮で何かあったかな」


 一瞬、何を問われたのかと思ったが、すぐに気を取り直したジゼルは、シリル本人が、寝室にある帳面に書いてある予定をあわてて確認して答えた。


「本日は、王宮の会議も王宮魔術師のお仕事もありません。お客様のご予定もありません」


 だからこそ、こんな時間にシリルが起きるとは、マリーもジゼルも思っていなかったのだ。

 いつもなら、昼に予定がない日は、間違いなく夕方まで寝ている。下手をすると、夜までしっかり寝ていたりもする。

 それが、まだ日の高い、それこそ王宮で仕事のある日より早く起きるなど、ありえない。

 さらにこんな、寝起きなのに話し方が普通のシリルなど、まず見た事がないのだ。


 しばらく、困惑した表情のままだったシリルは、なぜか再びごそごそと上掛けに潜り込んだ。


「……もう一度寝る」


 ジゼルは、マリーと二人、唖然としたままそれを見ていたのだが、はっとして慌てて一歩踏み出した。


「いや、ちょっと待って! 寝ないでくださいシリル様!」


 とっさに飛び出したジゼルは気が付かなかった。

 背後で、マリーが同じように手を伸ばし、そして透明の壁に阻まれた事を。

 マリーは、慌てたジゼルが、何かを言いながらシリルの寝台から上掛けを力一杯引き剥がすのを、透明な壁の外から、壁を叩きながら見つめていた。


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