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白銀の糸 1

 ジゼルは、本を書庫から隣の空き部屋に持ち出しながら、ふうとひと息吐いた。


 ジゼルが母屋から離れに部屋を移され、公爵夫人の話し相手をする時間以外のほぼ全てをこの離れで過ごすことになり、その仕事も以前より格段に増えることになった。

 そして、シリルからまず最初に頼まれたのは、書庫の整理だった。

 母屋から研究用の資料を借りてきているらしいのだが、シリル個人が所有しているものと混ざってしまっているから、ひとまずそれを母屋の書庫に返却し、その上で分類して欲しいと頼まれたのだ。

 昼少し過ぎの時間からは、寝室でシリルの目覚めを待つことにかわりはないが、それ以外の時間、ここ最近はずっとこの書庫の整理にかかりきりになっていた。

 なにせ、ここ三年ほど、誰も入ったことがない、開かずの間だったらしいのだ。

 ここの本は、一般的な羊皮紙の本から、金より価値がある高価な紙の本、果てにはジゼルが見た事の無いような、木でできた巻物らしきものまであり、これらをどうやって分類分けしたものか、しばらくの間ジゼルは動くより先にそれを考えていたほどだ。

 これらは、貴重な研究の資料であるため、わざわざ扉に魔法の鍵をかけていたらしく、使用人達も手の出しようがなかったらしい。

 しかし、ジゼルには、その扉の魔法も効果がない。それで、ジゼルにその部屋の管理の仕事が回ってきたのである。

 埃の積もり具合にげっそりしながら、ジゼルはひとまず、簡単に埃を取り、本を運び出す作業に入ることにしたのである。


「これでようやく半分かな」


 隣の空き部屋の使用許可をもらい、本を傷めないために敷かれた絨毯の上に運んできたものを積み上げながら、肩を鳴らす。


 この離れにある本には、それぞれ所持している人物の紋章が入れられているので、ひとまずそれを目印に仕分けすることを目標にしたのだが、なにせその部屋には、床も見えないほど、本が積み上がっていた。

 奥には書棚も見えるが、それもぎっしり埋まっている。

 借りてきた本を取り出すだけでも、ひと苦労だった。それだけでもすでに二日目である。

 さらにそれらを母屋に運ぶ作業もあるのだが、流石にそれは、母屋の書庫を管理している侍従が手伝ってくれるらしい。

 しかし、どれを運ぶかの目処がたたないと、そちらに知らせることもできない。

 まったく終わる気がしない、気の遠くなる作業だった。


「そろそろ母屋に行く時間かしら」


 夢中になって仕事をしていたジゼルだが、ふっと外を見ると、すでに日がずいぶん高くなっていた。


 日課である、公爵夫人の話し相手は、たとえジゼルが離れに部屋を移されても続けられていた。

 毎日、昼のすこし前に公爵夫人の元へ赴き、昼食前の空き時間が、それに当てられている。

 以前、公爵夫人は、午前に自由に過ごす時間があれば、ずっとジゼルを傍に置いていたのだが、ジゼルがシリルから装飾品を受け取ったとマリーから報告されると、不承不承ながら、ジゼルが離れの侍女となる事を認めたのである。

 あまりにあっさり認められ、逆にいいのだろうかと思ったくらいだ。

 ジゼルは、侍女としての仕事は、母屋にいる間ほとんどやっていないため、突然離れで仕事を任されても、基本ができていないのだ。

 本来は、離れなどの少人数で勤める場所に、その場所専任の侍女を付ける場合、ジゼルのような経験のない者は入れないはずだが、この離れに関しては、そうは言っていられない事情があった。


 もちろん、その事情は、シリルである。

 この離れに部屋をもらえる使用人の絶対の条件は、シリルの魔法に対抗、もしくは防御の手段があること、なのである。


 当然、それを満たすのは極々少数であり、結局、今に至るまで、ここに部屋を与えられた使用人はいなかった。

 シリルは、寝ぼけて攻撃の魔法を繰り出すことはないが、道具作成中に失敗して何らかの危害が及ぼされる可能性はあるのだ。

 シリルはその仕事を、魔力が安定するからという理由で夜に行う。

 もちろん、そんな失敗をするような実験は、シリルが防御を徹底している場所で行われているため、それほど危険はないのだが、寝ている間に、本人が対処できないような魔法の被害に遭う可能性がある場に使用人を住まわせるのは、流石に王国法で禁じられている。

 魔法ができる使用人を公爵家では捜していたらしいが、制御されていない魔法を防御することができるような才能があるならば、それだけで王宮魔術師として雇ってもらえる。わざわざ、使用人になる事はないのだ。

 だからここの離れの管理は、シリルが寝ている昼に行われ、仕事をする夜になると使用人達は皆、この離れから母屋へ帰るのだ。

 シリル本人が道具を渡してそれを防御させるほど気に入ったのなら、ということで、公爵夫人はジゼルの部屋を離れに移すことを許したのだ。


「……どうしてこれが、防御できる物だとわかったんだろう」


 腕にはめられた、か細い白銀の光を見つめ、ジゼルは首を傾げた。

 公爵夫人もマリーも、これをひと目見るなり、迷うことはなく防御のためのものだと見抜いていたのである。

 ジゼルは、それを不思議に思いながらも、埃まみれになった掃除用のお仕着せから、側付きのお仕着せに着替えるために、自室へ向かったのだった。


 簡単に身繕いをして、離れを出たジゼルは、できるだけ早足になりながら、庭を通り抜けていた。

 妖精の彫像が飾られた噴水は、シリルが落ちた時に壊れた部分も無事に修復され、愛らしい妖精達が手に持っている花々から再び水を噴き上げている。

 まだ若干夏の名残のある気候には、その水のもたらす涼は心地良い。

 通り抜けながらも、その涼を楽しんでいたジゼルは、その時視界の端をかすめた色に、一瞬にして思考を奪われた。


 白銀である。


 腕にはめられているその色が、一瞬、庭の隅をよぎった気がした。

 この場所で、その色が指す意味は、他を考えるのがばかばかしいくらい、明確だった。

 まだ寝ているはずのシリルが、なぜ外にいるのだろうかと思いながら、ジゼルはとりあえず、その色を追いかけることにした。


「……確かにこっちだったと思ったんだけど」


 茂みをかき分け、庭の木立の間を抜けながら、ジゼルは不安を感じていた。

 確かに、白銀の髪のように見えたのだが、今はまだ午前中である。

 今日、シリルは会議に行く予定もなく、先程離れを出る前に確認した時も間違いなく眠っていた。

 まさか、また何か、新たな寝ぼけの症状でも出始めたのかと思ったその時、再び、視界に白銀が横切った。

 慌ててそれを確認するため茂みを乗り越えたジゼルは、その意外なものを見て、立ちすくんで絶句した。



 ジゼルがなかなか母屋に姿を見せないのを訝しみ、離れにやってきたマリーは、なぜかシリルの寝室前にあるテラスで、立ちすくんでいるらしい銀髪の少女を見つけ、笑顔になった。


「ジゼルさん、よかったわ、まだこちらにいらしたのですね」


 すでにジゼルがこちらに勤め始めて五ヶ月になろうとしているが、この公爵邸は他の貴族の敷地と比べてもとても広く、さらに複雑である。

 マリーは、もしかしたらジゼルが普段使うことのない場所に迷い込んだのではないかと心配していたのだ。

 部屋の中を見ていたジゼルは、マリーのかけた声に、ビクンと身を竦ませた。

 ぎこちなくこちらに向いた顔は、明らかな困惑の表情を浮かべており、マリーはその様子に疑問を抱いた。   


「どうか……」


 どうかしたかと尋ねようとしていた言葉は、そのまま呑込まれた。


 ジゼルの腕の中には、至福の表情で喉を鳴らしながら寛ぐ、どこかで見たような毛色の猫が抱かれていたのである。


「……まだ……寝ていらっしゃるんです」


 ジゼルの第一声はそれだった。

 誰が寝ているのかは、別に聞かなくてもこの家の人間ならば誰にでもわかる。


「これ……どう思われますか?」

「……」


 その猫は、マリーの存在にようやく気付いたというように、ゆるやかに首をあげ、目を開く。

 その瞳の色は、紛う方無き、翡翠色だった。

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