5、静寂と侵入
温かな光を発する太陽が登り始める頃、暗い闇の中で蠢いていたものたちの活動は徐々に収まってくる。
同時に空は鮮やかな青色に染まり、煌めく光が地上にいるものたちを照らし始めた。
ここにも二人の少年が天から降り注がれる光に照らされながら、古びた倉庫を見上げている。
左目を眼帯で覆い、鉄パイプを握り、肩に担ぎ上げた少年は、口を一文字にして建物を青色の瞳で睨み付けていた。
もう一人の少年は腿に巻かれたホルスターから小さな銃を取り出し、手にその感触を染み込ませると、再び中にしまい込んだ。彼の左膝の部分のズボンは破れ、そこから包帯やテープで巻かれた膝が露わになっているが、痛そうにしている風には見えない。両手をポケットに入れ、彼の黄緑色の瞳も倉庫に向けられた。
「――あの老人はああ言ったが、極力俺たちだけで倒すぞ」
「頭を倒せば、大人しくなるよな、ハヤト!」
「さあ、どうだろうな。ただカオリ先輩を助けるには、頭を潰す必要はあるだろう。悔しいが……ユージの腕次第だ。大切にあと四発使えよ」
ハヤトはユージのホルスターに入っている銃に視線をやる。地上にある元素を吸収し、即座に化学反応を起こして、物体に対して攻撃をする銃――天色の銃と適正があったユージ。それがなければ、炭素生物である人類が、まったく性質が異なり、非常に堅い皮膚で覆われている珪素生物を倒すことなどまず不可能だ。
結局、ハヤトはあの物置小屋の中で、彼を導こうとする武器とは出会えなかった。非常に悔しそうな顔をしていたが、その後食事を取ることで、段々と冷静さを取り戻したようだ。
「俺も鉄パイプの方がよかったな……」
「お前の取り柄は素早さだろう。何か重いものをもつことで、それを失ってどうする? サッカーをしているときも、ちょこまかと動きやがって……」
ハヤトはぎろりとユージを睨み付けた。同じサッカー部であるユージとハヤトだが、紅白戦をし、敵同士になると、よくユージがボールを持っているときに一対一で対峙することがある。先を見越して、必死にハヤトは抜かせないようにするが、だいたいがユージに抜かれてしまっている結果となっていた。
「そんなことを今ここで掘り返さなくてもいいだろう?
ユージは苦笑いをしながら、ハヤトの機嫌を取ろうとする。彼もこのタイミングで突っかかるのは無意味と悟ったらしく、視線は再び古びた倉庫に向けられた。すぐ後ろには“クラウド・タワー”がそびえ立っている。
老人から言い渡された作戦は至って単純なものだった。
カオリをどうしても救出したければ、珪素生物討伐部隊を待つこと。
だがその一団として行けば、珪素生物の思惑通りに事が運んでしまい、下手をすれば一網打尽にされる可能性がある。
だからそれを防ぐために、先に行って攪乱してこい――さっきの戦闘の状況を見ていた珪素生物であれば、おそらくユージたちを見たら、油断するはずだ。攪乱しつつ、必死に逃げきれば、後から来る討伐部隊が処理してくれるだろう――と。
「つまりさ、俺たちが先発部隊だろう!? なんだかかっこいいな!」
「……脳天期なお前がたまに羨ましく見える。俺たちが行くって行ったから、あの老人は仕方なくこの案を出したんだ。そうじゃなきゃ、夜にでも特攻していたからな。――いいか、これから生死の際どいギリギリの線を突破しなければならないということを覚えておけ。あと、他の討伐部隊が来るとは考えるな」
「どうしてだ?」
「あの人語を喋る珪素生物が他にもいて、街を徘徊していたらどうする? おそらく出会えば、相当苦戦するはずだ。珪素生物が有利な陰の気が強すぎる夜は避けて朝まで待ったが、誰一人として、基地に戻っていないだろう」
カオリが一番始めに案内をした、パソコンが大量に並んでいる部屋は、討伐部隊の秘密基地だ。あそこを拠点とし、討伐部隊は街を巡回しているらしいが、誰一人として戻ってはおらず、さらには連絡さえもなかった。
それを思うと、急にユージの鼓動が速くなり始めた。
最終的な鍵を握るのは、ユージが持つ化学反応を起こす天色の銃のみ。そしてそれを放つ本数は限られている。
陽の気である、太陽の光を浴びれば、珪素生物は動きを鈍くするらしいが、この薄暗い倉庫内で始めからそれを期待することはできない。
ハヤトが一歩踏みだし、立ち止まっているユージに振り返る。
「行くぞ」
「お、おう!」
ユージはポケットから手を出し、深呼吸をしてから、進み始めた。
音を立ててドアを引き、中に入ったが、恐ろしいくらいに静かだった。
老人曰く、太陽から逃げるための避難場所として、この倉庫があり、日中はそこに珪素生物が隠れているらしい。しかし早朝であれば、街を徘徊している珪素生物が戻っていない可能性も高く、特攻するにはこの時間帯しかないと言っていた。だから、数が少ないのはもともと予想されていたが、あまりにも気配がないのは逆におかしいのだ。
ハヤトが鉄パイプを握りしめ、前方に注意し、足音を立てないように段ボールが積まれ、その間にできた通路を進んでいく。左目を隠しているからか、若干足取りが覚束ないように見える。
「大丈夫か?」
「俺は陽動だ。これでハンデになるとは思わない」
そう言いつつ、段ボールに手を触れながら歩いているのを見ると、大丈夫とは言い難い。ユージが口を開こうとすると、ハヤトは左の人差し指を口元に付けた。そして柱の角で止まった。ユージは開こうとしていた口を閉じ、息を殺しながら、ハヤトの傍へと寄る。
声が聞こえる――非常に低く、耳の奥底に残りそうな声だ。話し声を聞いていると、どうやら二体で話をしているらしい。
『――来ませんね、この女を助けに』
『昨晩はかなり騒ぐよう言っておいたから、その処理に追われているかもしれない。まあここに来たとしても、結果は見えている』
カオリをさらった珪素生物の声が途切れると、それは足音を鳴らしながら、アスファルトの上を歩いていく。それが終わると、再び口を開いた。
『残念だが、そろそろお前は用済みのようだ。哀れなものだな、誰も助けに来ないとは』
「来ないのは当然でしょう。あなたたちの罠に易々と引っかかるほど、愚かな仲間じゃない」
『ならば粉々にしたお前の体を道端に置いておくとするか』
急に珪素生物の声に強みが増した。漏れ出る殺気が肌に刺さってくる。
状況をほんの僅かでいいから見ようとしていたハヤトとユージは、充分に警戒をしつつ、柱のギリギリまで踏み寄り、覗き込む。
カオリが両手を柱に巻かれた鎖で繋がれて、座り込んでいた。頬は赤く腫れ、口元からは血が流れた後がある。美しい黒髪に血が付着して、固まっていた。
しかし覇気はなくなっておらず、怯むことなく真っ黒な人型の二体の珪素生物を睨んでいる。背が高い方は、さっきカオリをさらった生物であり、もう一方の寸胴の方は初めて見る生物だった。
「――そうね、さっさと殺せば? どうせあんたたちは、邪魔な炭素生物を滅亡させるように指示されているはずだわ。誰に言われて動いているのかしら。やっぱりクラウド・タワーにいる、お偉いさん?」
聞き慣れた単語が急に飛び出され、ユージは目を丸くした。街のシンボルでもあるクラウド・タワー、その上層階は研究者たちが雷といった天気などを解明するために、滞在しているのは聞いたことがある。
『小娘、どこまで知っている?』
カオリの口元がにやりと笑った。
「珪素生物はクラウド・タワーにいる、ある研究者が偶然作ってしまった産物。しかしそのまま何もせずに処分しようとした。一方でそのあまりの強さに惚れ込み、力を自分のものとして使いたい人がいた。その人は研究者から知識と技術を奪って、珪素生物を作ることに成功。用済みになった研究者は殺される前に逃亡、けれど結局は数年後に見つかって殺されたわ」
『どうしてそこまで詳しいことを……』
珪素生物は心底驚いたような声を出していた。あまりの堅さのため、顔の表情を器用に動かすことはできないが、声からおおよその感情は読みとれることができる。
カオリは珪素生物が怯むかのような、鋭い視線に向けた。
「――私の父があなたたちの原型を作り出したからよ!」
衝撃の告白に、頭の回転が速く、博識なハヤトでさえも知らなかったようで、目を大きく見開いていた。カオリの両親が殺されたとは聞いていたが、まさかその理由がここにあったとは――珪素生物を酷く憎んでいた理由もわかるというものだ。
『早川博士の娘か。ならば早々に両親の元へ逝かせてやろう。お前のように中途半端に強い奴は大勢いるからな。他のものを人質とすることにしよう』
珪素生物が腕を振りあげようとした瞬間、ユージはハヤトの制止も聞かずに飛び出した。
「待て!」
二体いた珪素生物は胡乱げな目で、声を発したユージに視線をやる。カオリは驚きの表情を浮かべていた。
『なんだ、あの子供?』
『あれはこの娘をさらったときにいた少年だ。ただの炭素生物だ。――進んで殺されに来たか』
『殺していいか?』
『ああ。ただ他にも飢えている奴はたくさんいる。皆でなぶり殺しでいいだろう』
背の高い珪素生物が手を叩くと、倉庫あちこちから真っ黒な色を下四つ足の珪素生物が現れたのだ。ざっと見て二十体はいるだろう。まるで暗黒色の動物園だ。
『ほら、餌だ。好きに殺れ』
その言葉を皮切りにユージの元に珪素生物の大群が飛びかかってきたのだ。腿に巻いていたホルスターに手をやるが、それよりも向かってくる相手の方が速かった。
「ユージ、しゃがめ!」
ハヤトの声を聞くなり、その場にしゃがみ込むと、すぐ真上に羽を生やした鳥型の珪素生物が飛んでいった。その鉤爪は鋭く、炭素生物が保有している爪よりも何十倍も頑丈そうである。
「ぼけっとするな、次は左だ!」
ハヤトの声は的確で、言われた方に向けば多種多様な珪素生物が襲いかかってくる寸前であった。その助言通りにかわしていく。
一方でハヤトは非常に不機嫌そうな顔をしながら、鉄パイプを振るっていく。牽制のように見えたが、意外にも急所を狙っていた。
四本足の珪素生物の首を殴り、轟音が鳴り響いたかと思うと、その珪素生物の動きが鈍くなる。足首、手首、羽と胴体の間など、炭素生物でいう骨のつなぎ目の部分は、珪素生物も同様に他の場所よりも柔らかいらしい。
ハヤトの助言と攻撃により、すぐにユージとハヤトは合流することができた。お互いに背中を付ける。
「なんで勝手に飛び出すんだよ、バーカ!」
「あのままだったら、カオリ先輩が危なかっただろう!」
息は上がっているが、二人が未だに傷を負っていないことに対して、カオリは心底驚いた表情をしていた。
「まあ、まだそれを使っていないのは、お前にしては上出来だ。――それにしても雑魚をけちらしながら、大物に対しても注意を引くって、結構難しいな……」
頭上から来る、鳥型の珪素生物の嘴をよけ、羽を一発殴ると、うめき声を上げながら、ハヤトたちから離れていく。その去っていた方向を見ると、ハヤトはにやりと笑みを浮かべた。
「――おいユージ、走れるか?」
「どれくらいだ? さすがに猛ダッシュはできる状態じゃない。いつもの七割くらいってところか」
「足の速いお前なら、悪くないな。――後ろに注意しながら、ついてこい!」
ハヤトは人型の二本足の珪素生物に対して、不敵な笑みを向けつつ、四本足の珪素生物で囲まれている円の一部を突破し始めた。