3、後悔と決意
壊れかけた街灯が点滅している。僅かにある光の周りにたかるようにして、多くの虫たちはそこに集まっていた。
一瞬の出来事にユージとハヤトは呆然としていた。鮮血が飛び散っているアスファルトの上に、カオリが所有していた刀が刃をむき出しにして置かれている。
「カオリ先輩がさらわれた……?」
ユージは塀に寄りかかりながら、珪素生物が消えていった方向に視線をやった。その延長上には、街のシンボルである“クラウド・タワー”があった。
一方ハヤトは左手で左目を押さえながら、刀の元へ歩み寄る。その手の隙間から赤い液体が垂れていた。
「人語を話す珪素生物……。あれは俺たちが夕方に出会ったレベルとは雲泥の差の強さを持っている。知能があるんだろうな、珪素生物のくせに」
刀を拾い上げ、傍にあった鞘にしまう。かちゃりと小気味のいい音がすると刃は見えなくなった。
ユージは左目から離れたハヤトの顔を見ると、思わず息をのんだ。彼の閉じられた左目の周りから出血しているのだ。
「ハヤト!」
「うるさい、騒ぐな。もともと視力は思っているよりも悪くはない」
「そうじゃなくて、目は大丈夫なのか!?」
「殴られたときに少し切っただけだ。直前に眼鏡は外したから、ガラスは刺さっていないはず。まあ、多少は眼球が傷ついているかもしれないが」
さらりと事の重大さを言いつつ、壊れた眼鏡には目もくれずに、ハヤトはユージの脇を通り抜けて、珪素生物が消えた方向に歩き始めた。左手にはカオリの刀を携えて。
「その状態でどこにいくんだ!」
「あの珪素生物を追う。知能があるってことは、かなり上位の存在だ。妹のことも何かを知っているかもしれない」
ハヤトは右手を力強く握りしめる。怪我を負っているはずなのに、どこからそんな力がでてくるのか。
ユージは壁をつたいながら立ち上がると、背を向けているハヤトに対してあらん限りの声を発した。
「おい、その状態で行って勝算はあるのか!? 負け戦に行くなんて、お前らしくないぞ!」
ハヤトは立ち止まり、怪訝な表情でユージを睨みつけてきた。
「俺が負け戦をするだと?」
口調も変わっている。もはや冷静さの欠片も見つからない。だがここで怯んでは、ハヤトを無駄死にすることなる。
「そうだ。そんなヘロヘロな状態で、あの化け物に勝てるわけねえだろ!」
「うるせえ! 黙っていろ!」
そう言い捨てると、持っていた刀の柄に触れ、刃を露わにし始めた。暗闇の中できらりと光る刀身。ユージは身を堅くした。
「黙ってねえと――」
「黙っていないと、それで斬ると?」
ハヤトが表情を一変して、声がした後ろへと振り向いた。だがそこには人はいない。
「気が立っていて反応が悪いな。この状態では珪素生物相手に、一分ももたない」
再び逆方向に視線をやると、ハヤトよりも二十センチほど小さい老人がいた。彼を見てつい警戒の手を緩めると、その隙に老人はハヤトの顎に拳を下から振りあげる。
防御もしていない状態であったため、ハヤトは老人からの攻撃をまともにくらった。そしてそのままアスファルトに倒れこんだ。
「人を見た目で判断しおって。こやつ、本当に頭がいいのか?」
腰に手をあてながら、意識を失っているハヤトを眺める。
突然現れた老人の一部始終を、口をあんぐりとしながらユージは見ていた。素性はわからないが、これだけは言える――この人に逆らっては駄目だと。
「――お前らが、カオリが言っていた、珪素生物を倒したいと言っていたやつらか」
カオリの名を出されて、ユージは意識を老人に戻す。
「カオリ先輩が言っていた?」
「話は移動してからだ。少し歩いた先にわしの家がある。そこまでその男を運べ。応急処置くらいならしてやる」
ユージは完全に伸びきっているハヤトに視線をやった。彼の左目付近は血で薄汚れており、あまりに痛々しかった。足を引きずりながら、彼を肩にかつぎ上げる。
そして歩き始めた老人の後を、ゆっくりとついていった。
着いた場所は街外れにある剣術道場であった。門をくぐり、道場の扉を左右に開ければ、こざっぱりとした空間が広がる。
その端にハヤトを寝かせると、老人は大きな箱に入った応急処置セットを持ってきた。中は消毒液やガーゼだけでなく、針や糸まで見える。
「こめかみの部分が切れているから出血は多いが、傷自体はたいしたことはない。これくらいなら止血すれば大丈夫じゃ」
「ええっと、あんたは……」
「これでも医術の道を歩んでいた時代もあった。心配するな」
「はあ……」
その後老人によって、ハヤトとユージの応急処置が行われた。非常に手際はよく、彼が言っていたことは満更嘘ではないようだ。
終える頃にはハヤトの左目は眼帯に覆われ、ユージの剥き出しになった左膝の部分も固定テープによって、しっかり保護されていた。
治療する前と比べて、かなり動くのが楽になっていた。眠っているハヤトの横顔を見ながら壁に寄りかかる。一息吐いていると、道場の外に出ていた老人が毛布を二枚持ってやってきた。
「風邪をひかれては困るからな。――だが、朝になったら出ていってくれ」
毛布をユージたちの傍に置くと、老人は背中を向けた。そして歩き始めるのを見て、ユージは思わず声を投げかける。
「待ってくれ!」
「なんじゃ?」
振り返り、怪訝な顔で見上げてくる。鋭い視線につい怯んでしまいそうだ。
「カオリ先輩の知り合いなのか?」
「――育ての親と言ったところじゃな」
「育ての?」
「事情があってあの娘の両親は既にこの世にはいない」
「そうなのか。実はカオリ先輩は――」
「珪素生物にさらわれたんじゃろ? 人語を使う相手とは、かなり厄介なものが現れたものだ」
まるでその現場を見ていたような言い方をされ、ユージは眉をひそめる。
「じいさん、いったい何者だ?」
「――口の聞き方に気をつけろ。お前らの命をとるなんざ、すぐにできる」
すると老人は突然目の前から消えた。そして驚くまもなく、ユージの喉もとに日本刀を突きつけられたのだ。道場の壁に立て掛けられていた刀が一本その場から消えている。ほんの数瞬の間に、移動し、刀を抜くという行為をしたらしい。
非常に冷たい刃が首に触れる。動悸が収まらない。冷や汗が首にまで流れた。
感情のない冷酷な表情の老人。
これはまるでさっきの――。
「――いいか、お前たちが刃向かおうとしていたのは、これ以上の手練れのものたちだぞ。そんな奴ら相手に、生半可な気持ちでかかろうとすれば、体など粉々に破壊される。それでも相手をするのか?」
「オ、オレは……」
初めはただの興味だった。
目の前に現れた、見たこともない生物。死を覚悟したときに現れ、窮地を救ってくれたカオリという少女。
かっこよく、凛々しい姿を見たとき、彼女がいればどんな珪素生物が出てきても倒せるだろうと思っていた。
だがあの珪素生物に対して、カオリは何も抵抗せずにさらわれてしまう。
彼女は抜刀していたが、それを珪素生物の喉元に突きつけようとはしなかった。倒れているユージやハヤトをちら見していたように思われる。二人のことが気になって動けなかったのではないだろうか。
つまり二人がいなければ、カオリはあの珪素生物に対して充分に相手をできたのでないかと思うのだ。
それを考えると――何もできなかった悔しさだけではなく、迷惑をかけてしまったという申し訳なさで頭がいっぱいだった。
死ぬのは怖い。珪素生物に殴られ、骨が砕かれるのも怖い。
だがそれよりも――逃げたまま、情けない自分のままでいる方がずっと嫌であった。
「――オレはカオリ先輩を助けたい、ただそれだけだ」
それ以上も、それ以下の理由もなかった。
老人の手に込める力が強くなる。首から一筋の血が流れ出る。だがユージは彼から視線を逸らさなかった。
しばらくして刀が首から離れると、老人は刀を鞘へとしまいこんだ。
「――お前さん、馬鹿と言われるだろう」
「頭悪いって言われたことはある」
「馬鹿正直に己の思うままに行動していると、いつしか自分の身に災いが降り懸かるぞ」
「そのときになってみないと、わかんなくね?」
ユージはぼそっと呟くと、老人は目を丸くした。そして次の瞬間盛大に笑い始めたのだ。あの殺気じみた雰囲気はどこかに消え去ってしまい、快活な老人へと戻っていた。
「ほっほっほっ、その通りだ。しかしそこまで前向きな人間、初めて見たわ! 先のことをまともに見通さない、やはり馬鹿だな!」
「それ、喧嘩売っているのか……」
あまりの変わりように拍子抜けしてしまう。しかも出会って数時間も経っていない人に馬鹿を連呼されているのは、あまり気分のいいものではない。つい眼を付けて、見下ろすが、老人はまったく相手にしていなかった。
「さてお主、二十四時間以内に、二度、いや三度、珪素生物に接触したそうだな」
「そうだ。今日だけで、日常が崩壊したな」
「カオリも言っていたかもしれないが、おそらくお主には珪素生物の残留粒子が染み付いてしまっている。それに惹かれて、短時間のうちに何度も接触してきているのじゃろう。時間が経てば粒子は消える。だがその前にまた接触されれば、粒子は残る。つまり、このままでは永遠に珪素生物と出会い続けることになるだろう」
「永遠かよ!」
ユージは愕然とした。まるで絶望を突きつけられたような気分だ。人を意図も簡単に殺すようなやつら――つまり殺人事件の容疑者に、一生命を狙われるということである。
最初に出会ったカオリが発していた言葉が思い出される。
『今、起こったことはすべて夢よ。忘れなさい、そうでなければ、あなたはもう二度と平凡な人生は送れないから』
退屈な日々を過ごしていたが、そこまで刺激的な日々を求めているわけではない。
立ち尽くしているユージを眺めていた老人は、目を細めながら眺めていた。
「怖くなったか?」
「違う! ただ一生命を狙われるなら、それに対抗する手がねえと、オレ、明日にでも死ぬだろう」
「それはもっともな意見じゃ。炭素生物相手に傷つけることができる武器を持っていたとしても、珪素生物を前にしたときは何も意味をなさないからな」
「珪素生物用の武器とかあるのか?」
ユージが聞き返すと、老人は首を縦に振る。そして床に置いてある、カオリが使用していた刀を抜いた。
一見、さっき老人が抜いた日本刀と同じである。しかしよく見れば光に当てたときの輝き具合が違うのだ。さっきの刀が明るい白色の光に対して、こちらは深みのある空の色といったところか。
「空の色を別名“天色”と言う。これがその色じゃ。人によっては普通の武器でも珪素生物と戦えることができるが、たいていの人間はこのように特殊な加工をした武器を使うことで、珪素生物と対峙できるようになった。これはわしの長きに渡る友人が作ったもので、この武器たちにはかなり重宝しておる」
「じゃあ、これを使えばオレでも斬れるのか!?」
老人ははっきりと首を横に振った。
「無理じゃ」
「どうして!」
「この武器には魂が込められておる。それと波長があった奴としか、使うことはできぬ」
「そんな……」
手繰り寄せた糸がぷつんと切れてしまった。これでは対抗する術ももたなく、呆気なく死んでしまう。
愕然としているユージをちらりと見た老人は、背中を向けて、すたすたと歩き始めた。背中をぼんやりと眺めていると、老人が背中越しから声を発してくる。
「――ついて来るのじゃ。臭いが残っていたとはいえ、二十四時間以内に三回も接触されるのは、異常すぎる。――才があるかもしれぬ」
「え?」
老人はそれ以上語らず、道場から出ていってしまった。ユージは気を失っているハヤトを見下ろし、眠っていることを確認してから、老人の後を追いかけた。