紫陽花
皆さんは梅雨の季節は好きですか?
「全く、何でこんな日に限って雨なのよ……」
梅雨の時季、学校に登校しようと何時ものように自転車に乗ろうとしたのだが、不運にも自転車のタイヤがパンクなどというものを起こしていた。
「……は?」
一瞬、というわけではなく、恐らく十秒弱。目の前に起きている現実を受け入れるのにはその位の時間を必要とした。
「え、何で?」
がやはり私は認めたくなかった。何故なら私が家を出る時間は自転車に乗って、調度よくホームルームに間に合う時間であり、歩いて間に合うような時間ではないのだ。
「はぁ」
意識したわけでもなく、自然と溜め息が零れる。私のどこか少し抜けている友人に「溜め息すると幸せがにげちゃうんだよ。だから気を付けなくちゃね!」などと言われたが、今現在の現状を見ると溜め息の一つでも吐きたくなるものである。
「はぁ」
そして再び溜め息が零れる。
「ただいま絶賛幸せの叩き売りなう」
などと呟いてみたが、文面だけ見ると自分でも何を言っているのか理解出来なかった。
そんな事をしていると、ガチャっと家のドアの開く音と共にゴミ袋を持って母が出てきた。
「あら、まだ学校に行ってなかったの?」
「え、あ、うん。何か自転車のタイヤがパンクしちゃったみたいで。ちょっと途方に暮れてた」
本当はちょっと所じゃないけどね。と心の中で自分にツッコミを入れる。
「そうなの。まぁ今日は仕方ないから歩いて学校に行くしかないわね」
「やっぱりそうなるか……」
やはりそれ以外に選択肢は無い様だ。そして私は玄関へ傘を取りに戻った。
「じゃあお母さん行ってくるね」
「ええ、車には気を付けなさいよ」
そして私は家を後にし、学校へ向かった。遅刻は確定しているので特に早く行こうと思わなかった私は走る気も起こらず、ゆっくりとした歩調で歩いて行った。
学校に着いたのは一限が始まった十分後の事であった。
「へ~、そんな事があったんだ~」
「うん、だから遅刻したの」
お昼休み、私は昼食を食べながら今朝あった事を友人に話している。
「でも、だめだよ、溜息しちゃ。幸せが逃げちゃうって言ったじゃん」
「いや、あれはもう吐いてないとやってられないというか……」
「もう、仕方ないな~。そうだ!じゃあ私が溜息するからそれを捕まえれば逃げちゃった分の幸せを取り戻せるね!」
「え?」
私の友人はたまに突拍子もない事を思いついたりする。私と彼女がこうして友人関係を築いたのも『シャーペンを垂直に立てて、倒れた方に居た人に声を掛けてみる』という事であったらしい。少し変わっているがとてもいい友人であると思う。恥ずかしくて本人には言わないが。
「あれ、どうしたの?急に無言になっちゃったけど」
「え、ああ。私は素敵な友人を持ったなって、そう考えてただけだよ」
あれ、ついさっき恥ずかしくて言えないとか言っていたのに普通に口に出してる私って……。
「えへへ、そうかな~。私素敵かな~?」
「あ、早く食べないと食べてるだけでお昼休みが終わっちゃう」
「私の質問華麗にスルーされた!?」
「私は一度言った恥ずかしいセリフは二度と言わない主義なの」
「そんな話一度も聞いたことないよ?」
「だって今考えたもの」
「それって主義じゃないと思うよ!?」
やっぱり私の友人は素敵だ、色んな意味で。
「ツッコミ役として箔がついてきたね」
「声に出てるよ……?」
「あ……」
そして学校も終わり、放課後。私は家に帰る準備を済ませる。特に学校に残ってやらなければならない用事とかもないしね。
そして帰るのは良いのだけど問題は……。
「雨止みそうにないな」
梅雨の時期なのだから雨が降るのは当たり前だし仕方がないとも思っている。が一日中降っているというのは、何だか気が滅入る。
「まあ、ここでうじうじしていてもしょうがないし、帰ろう」
こうして私は学校を後にした。
「あー、歩きって疲れるし面倒くさい」
帰り道の道中、一人でただ黙々と帰るのも何だか少々寂しいものがあるので、どうでもいいことを声に出している。
「雨さん雨さん、何時まで降っているのか教えてくれませんか?」
答えが返ってくるわけでもない事を聞いてみる。
「ニャ~」
……返ってくるわけでもない事を……。
「ニャ~」
「お前が雨なのか!?」
そう言って声が聞こえる方、後ろを振り返ってみると、一匹の猫がいた。
その猫をじっと見つめる。その内どっかに行くだろうと思ったが中々動かない。それどころか向こうもこちらをじっと見つめてくる。見つめてくる。じっと見つめてくる。
そして、見つめ合うこと約一分。
「はぁ」
私は折れた。まさかこの様な勝負?で猫に負ける日が来るとは思わなかった。それ以前に勝負するのも如何なものかと思うが。
それはさておき、気になることが一つ。私は再び猫を見る。不思議だ。さっきの様な見つめ合いをしても逃げ出さない猫が普通いるのだろうか。まあ実際目の前にいるのだが・・・。
「君は私に何か用でも有るのか?」
思い切って猫に話かけてみる。
「ニャッ」
……答えた。もはや人の言葉を理解してるとしか思えない所業だ。だが、この様なことがあって良いものなのだろうか。ヒトは自分の理解の許容範囲を超えるものがあると、そのものから目を逸らす。つまり考えない、無かった事にする。と聞いたことがあった気がするが、まさに今現在私のことを指しているのだろう。
そう言う物は物語の中にしか存在しないと決まっている。そう決めつけている、そう言う風にしか考えられないからなのだろう。
そんな事を考えていると、件の猫は私に背を向け歩き出した。
「もしかして、付いて来いって言ってるのかな?」
そう尋ねてみるが応えは返ってこない。猫は
ただ、歩いていくだけだ。
どうしようか。このまま猫と別れても構わないし、普通はそうするだろう。けれど、やはりあの猫が気になる。だから私は……。
猫の後について行くことにした。
真っ直ぐ、真っ直ぐ、真っ直ぐ。右に曲がり、真っ直ぐ、真っ直ぐ、真っ直ぐ。今度は左に曲がり、真っ直ぐ、真っ直ぐ。
猫が歩みを止めた。
「どうかしたの?」
そう猫に尋ねる、すると猫は此方を向き、そしてまた前を見る。恐らく前を見ろ、そう言いたいのだろう。
そして目の前を見ると、視界に映るのは一本の道と紫陽花。ただそれだけだった。
「……すごい」
つい言葉が漏れる。すごい。この一面の紫陽花を自分の持っているボキャブラリーで表すにはそれしか言いようがなかった。
私が紫陽花に圧巻されていると、猫は再び目の前にある一本の道へと歩みを進めた。
再び猫と共に歩く。歩いて歩いて歩いて歩く。どの位歩いただろうか、体感的に五分くたいだろう、私と猫が歩い先には神社が周りの紫陽花に浮いてぽつりと建っていた。
この辺りに神社など在っただろうか、そんな疑問を抱きながら私は神社に近づく。
そしてお賽銭を入れ、二礼二拍手一礼。うる覚えだったが、一通りの作法を終える。そして後ろを振り向くと……。
「おやおや、こんな所にお客さんとは珍しいねぇ。」
そこには老婆が立っていた。
「――――っ!?」
「あらあら」
私の口から声にならない何かがでる。私もこんな声がでるとは驚きだ。
「……取り乱してしまい済みません」
「いえいえ」
「あの、それであなたは?」
「ただの通りすがりのお婆さんよ」
「はぁ、そうですか」
「そうよ」
会話が途切れる。雨の音をBGMにして沈黙が続く。暫しの沈黙の末、取り敢えず私は当たり障りのない質問をしてみる事にした。
「あの、お婆さんは此処に何をしに来たのですか?」
「わたし?わたしはね、紫陽花を見に来たんだよ」
「紫陽花ですか?」
「そうよ、あなたは違うの?」
「え、と。私は猫の後について来て……」
「猫?」
「はい」
そして私は神社の屋根を使い雨宿りをしている猫を見る。
「ああ、あの猫ね」
「え、知っているんですか?」
どうやらこのお婆さんもあの猫の事を知っているらしい。
「ええ、わたしも猫に連れられて神社に来た一人ですもの。昔にね。それから毎年この梅雨の時期に紫陽花を見に来ているのよ」
「はぁ……」
「わたしはね、ここに来るまではこの梅雨の時期が嫌いだったのよ。でもここの紫陽花を見てから毎年、早く梅雨の時期に成らないかな、早くあの紫陽花が見たいなって。何時の間にか嫌いじゃなくなってたのよ。不思議なものね……」
「あの」
「何?」
「実は私も梅雨が嫌いで……」
「そう。あなたも」
「はい」
この人も私と同じだった事に、私は少し喜びを感じていた。このお婆さんも似たようなものを感じたのか、私を見て優しい笑みを浮かべている。
「あ、そうだ」
何かを思いついたのか、お婆さんが声を発する。
「私のとっておきの場所があるんだけど、行ってみない?」
とっておきの場所か。とても気になるけど……。
「良いんですか?お婆さんのとっておきの場所なのに」
「いいのよ。別にわたしだけの場所じゃないし、それに誰かと秘密を共有するのって、何だかわくわくしない?」
「……私には良く分かりません」
「そう、でもきっと分かる時が来るかもしれないわ」
この人がそう言うのだから恐らくそうなるのだろう、そう思えてくる。
「じゃあ行きましょうか」
そして私はお婆さんと共にとっておきの場所に行くことになった。
……のだが。
「もしかしてここを上るんですか?」
「ええ、そうよ」
「この山を少し登ったところにある展望台がわたしのとっておきの場所なの」
「……はぁ。そうなんですか」
どうやらとっておきの場所は本当にとっておきな場所にあるようだ。
「まぁ、頑張るしかないか。って置いて行かないでください!!」
「あら、ごめんなさい。付いて来ているとばかり思って」
……本当に頑張ろ。
歩く事体感時間で二十分弱。私の頭の中は疲れた、帰りたいの二文字しかなかった。
「あの、まだですか?」
「もうちょっとよ」
この会話も何度交わしたか分からない。多分両手を使っても数えられないだろう。
それにしても先頭を悠々と歩いているお婆さん、全く疲れを感じさせない足取りである。普段何をしているのか気になるところである。
そんな事を思いながら歩いていると前にいるお婆さんが止まる、どうやら目的地に着いたようだ。そう思うと自然と足取りも軽くなる。
そう後もう少し、後ちょっと、後二十歩位かな、後十歩、五歩、三歩、二歩、……着いた!
「な・・・難とか着いた」
「ええ、お疲れ様」
「それで、ここが、とっておきの場所で、良いんですよね?」
息を切らせながらも確認を取る。正直、いいえまだまだこれからよ!とか勘弁願いたい。
「そうよ、ここがわたしのとっておきの場所。ここからさっきいた所を見てみて」
そう言われ、展望台の端まで歩いてみる。そして少し視線を下に下げると……。
「…………」
何も言葉が出てこなかった。
そこにあったのは神社を中心として前後にまっすぐの道、そして両脇に広がる色とりどりの紫陽花。俗にいう紫陽花畑がそこにはあった。
「如何かしら、わたしのとっておきの場所は?」
「えっと、すいません。ただ綺麗としか表せなくて。もっと、こう言いたい事はいっぱいあるんですけど、言葉に出来なくて」
「いいのよ、今の言葉だけであなたの気持ちは十分に伝わったわ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
そう言って私は再び紫陽花畑の方に視線を戻す。
青や赤、紫、はたまた白など多くの色が自由な場所に咲いているが、それでも上手く調和されており、まるで一枚の絵または絨毯のように存在している。
「綺麗ですね」
「ええ」
そして私たちはしばらくの間、ただじっとこの目の前に広がる風景を眺めていた。
展望台を下り私たちは神社に戻ってきた。
「あんな素敵な場所を教えてもらいありがとうございました」
「いえいえ、わたしもあなたと行けて良かったわ」
「では、私はそろそろ帰ります」
山を下りている時にふと気になって携帯で時間を確認してみたらもう夕刻を過ぎていた。
「ええ、気を付けてお帰りなさい」
私は来た道を戻ろうと足を進めようとしたが、その前にふと思った事を聞いてみる事にした。
「お婆さん」
「何かしら」
「また、会えますか?」
するとお婆さん何かを考えるかのように目を閉じる。そして目を開き、最初にあった時のように優しい笑みを浮かべ
「また来年、この季節に会いましょう」
そう応えた。
翌日、今日も雨だ。だけど昨日のような憂鬱感は感じない。
「おはよう」
学校に到着し、先に来ていた友人に声を掛ける。
「おはよ~。今日も雨だね」
「うん、そうだね」
「あれ、何か良い事でもあった?」
「……え?」
「昨日はね~『雨なんて大っ嫌い!』って顔してたけど、今日は『雨か~、でもまぁいっか!』って顔してるよ~」
何この娘、鋭すぎるのですが。
「よ、よく分かったね」
「だって友達だもん!」
「そうなんだ」
友達だから分かるっていうのはどこか間違っている気がしなくもないけど、この際気にしないでおく。
「ねえねえ、何があったの?」
「えっとね……」
どうしようか、私とあのお婆さんだけの秘密にしたいと思う自分もいるし、大切な友人に教えたいと思う自分もいる。
ここで私はお婆さんとの最後の会話を思い出した。
――また会えますか?
――また来年、この季節に会いましょう。
「来年この季節になったら教えてあげる」
窓から外を見る、雨はいつの間にか上がっていた。
雲の隙間から光が漏れる。天使の梯子だ。
初めましての方も、そうでない方もこんにちは、東雲秋葉です。
電車の中で「あぁ梅雨かー、そう言えば紫陽花がこの時期咲くんだっけ。」とか考えていたらいつの間にか話を考え始め、このような小説を書いておりました。これを読み少しでもいい時間を過ごしたなと思っていただけたら幸いです。
また、この小説へのご意見、感想など気軽に書いて頂けると作者は喜びます。
以上、東雲秋葉でした。