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海賊放送の放送準備

 アイリスが目を覚ますと、家の中にヤトの姿がなかった。


 家の中に日の光が入り込まない様に窓が最低限しかないこの家では人口の光源が必須であり、ランプの油は常に多すぎるほど備蓄されている。

 電気が通って居れば最低限で良い備蓄だが、生憎ここは隠れ家であり、自家発電の動いていない間はどうしても原始的な光源に頼らざるを得ない。


 ランプを片手に家中を回ったアイリスは、可愛らしく頬を膨らませながら、リビングとなっている部屋でヤトの帰りを待っていた。


「ただいま」

「おかえり。どこ行ってたの、って、むむ」


 感覚の鋭敏なアイリスは、ヤトから仄かに香るそれに、鼻をひくつかせる。

 やましい事などしていないはずのヤトだが、似たような誤解でアイリスの機嫌を損ね、宥めるのに苦労した経験もあり、思わず頬が引きつる。


「あー、やっぱり何か後ろ暗い事があるんだ!」

「いやいや、ちょっと敵情視察をしてきただけで」

「ふーん」


 正確な年齢は不明だが、大よそ十代前半程であるアイリスは思春期真っ盛りであり、やりたい事の多いお年頃だ。そんな年頃のアイリスが引きこもりに近い生活を余儀されているのだから、ストレスはどんどん溜まって行く。

 一方、ヤトはアイリスに合わせて夜型の生活をしているだけで、日中に出かける事に不都合は存在しない。それを不公平だと叫び、いちいち文句を言うのはいわば恒例行事の様なものだ。そんな中、ヤトが良い匂いをさせて帰って来たのだから、怒りのボルテージはうなぎ上りだ。


「じゃあ、報告をきーてあげる」

「はいはい、仰せのままに」


 ヤトは、仕方ない子だと思いながらも、鞄の中のプレゼントをいつ渡そうと考えつつ、同時に今日会っていた女性を思い出す。

 公安警察に新しく出向してきた、技術士官。まだ候補生だと言う事だが、その技術レベルは折り紙つきで、これまでのように軽くあしらえる相手ではない。無論、噂が真実であれば、だが。


 同時に、服の下に見えた豊満な身体も思い出してしまったヤトが、あれいいなぁ、と思っていたところ、アイリスがジト目で睨んでいる事に気付き、慌てて真剣な表情を作る。


「怪しい」

「この前、公安警察に新しい技術士官が出向して来るって話があったのは覚えてる?」

「怪しい」


 しつこい、と思いながらもそれを口にはせず、ヤトは説明を続ける。

 アイリスの方は相変わらず半眼でヤトを見つめており、話に対する興味は薄い様だ。


「で、調べるついでに接触してきたんだけど」

「ふうん。デート?」

「言葉は正しく使おうな、アイリス」


 脚本を書き始めてから良く聞くようになった指摘に、アイリスはむっと顔を顰める。

 その言葉が最近のウィークポイントだと知っているヤトは、ようやく黙らせた隙を逃す事なく、おさらいを含む相手の情報を開陳して行く。


「名前はタルト・ジャーク。南部戦争でそこそこ活躍したジャーク少佐の娘だ。

 ジャーク少佐がどんな人物かは知らないけど、ここは七光りで配属されるにはおかしい場所だから、何か問題ありの人物かと予想してた、んだけど」


 話をしたのは数時間だけだが、性格に難ありと言う訳でもなく、不真面目と言う訳でもなさそうだとヤトは感じていた。

 本当に優秀で、あれだけ職務に忠実であれば首都か前線である北方の後方部隊に配属されるのが普通である。


「能力に問題アリ、ならむしろ助かるんだけど」

「常に最悪を想定しろ、だね?」

「その通り」


 海賊放送を行っている2人は、何かのミスで捕まればそこで終わりだ。次など存在せず、電波の無断使用なり、国家機密漏えい罪で物理的に首を切られる可能性だってある。

 普通に考えればそんな危険な行為を続ける意味はないのだが、ヤトはある理由から活動を止められずにいた。


「じゃあ、次はお手並み拝見って訳だね」


 急に上機嫌になったアイリスの声に余計な思考を脇に寄せながら、ヤトは明後日のプランを書いた紙を机に乗せる。ついでに、アイリスへのプレゼントも。


 ただ置いただけのソレにアイリスは首を傾げるだけだった。ヤトは仕方なく、ずいとソレを押し出すとアイリスの目の前まで移動させ、自分とソレを交互に見るアイリスの、まてを言い渡されて子犬の様な表情に苦笑しながら、頷く。


「わぁ、髪留めだぁ」

「新しいのが欲しいって煩かったし、な」


 それを思い出したのはタルトがそう提案したからなのだが、言わぬが花だろうとヤトは口を噤む。

 機嫌が直っていたところに追い打ちの様に差し出されたプレゼントに、アイリスはご満悦だ。もう1つ入っている事に気付くとすぐさま引っ張り出し、その正体であるエプロンを広げ、家事をする訳でもないのに着けはじめる。


 その様子に多少の照れくささを感じながら、ヤトは目の前の紙に線を引いていく。

 以前から作ろう考えていた、ある装置の図面を引く為に。



 夜食までの時間を次回放送の原稿と新装備の図面の作成に費やした2人は、食後の授業を中止して話し合いをしていた。

 議題は、新しい技術士官が仕掛けてくるかも知れない手段の検討と対策だ。


「でもまぁ、ヤトより凄いって事はないでしょ。それに、最悪、逃げ出せばいいんだよね」

「バカ。首都で新技術とか開発されてても、こっちまで情報が流れてくるのは時間がかかる、って教えただろ」

「そうだっけ?」

「ちゃんと説明しただろ。それに、既存の技術でも使いこなせば十分脅威なんだから」

「えー、例えば?」

「そうだなぁ」


 海賊放送では大まかに、広域に電波を飛ばすアンテナと、アンテナへ放送内容を送る機材を使っている。


 アンテナは毎回、街のどこかに設置する形を取っているのだが、そこに放送用の電波を送る際、1つ問題がある。

 電波の送信距離を伸ばそうとすると機材が大型化し、持ち運びが不可能になってしまう。そんな機材を準備して放送用にスタジオを設置したとしても、放送中にスタジオを強襲されれば、捕まらずともその場で放送は中断する羽目に陥る。


 かと言って持ち運び可能な小型の物を使えば、電波の送信距離が格段に短くなる。

 どちらにしても電波の発信元を割り出して追われる事は確実であり、ならばと海賊放送では後者を採用している。


 手順はこうだ。

 アンテナを複数設置し、出来るだけ小型化した送受信機に放送内容を録音した機器を接続。通信を維持しながら公安警察から逃げ続ける。その際、電波の範囲外に出てはならない。


 開始当初、正直、これが成功する確率は極低いとヤトは思っていた。それでも実行したのは、アイリスに押し切られたからだ。


 放送開始当初は邪魔する者もいなかったのだが、知名度があがるにつれてアンテナが撤去されるようになり、たまに追手がかかるようになった。そして追い打ちの様に軍人が派遣されてきた事で、海賊放送は終了の危機に瀕していた。

 何度も放送中断を重ねながらも、何とかゲリラ的な放送を行う事で警備の薄いタイミングを潜り抜けて活動していた海賊放送だが、アイリスの参加により、状況は一変した。


 ある日、放送を半ばで中断して逃亡して来たヤトに、アイリスが地図を指差しながら言ったのだ。これを持ってこの辺に居れば良いんだよね、と。

 ヤトは当然、ダメだと否定した。しかし、残念な事に当時のアイリスの身体能力は既にヤトのソレを軽く凌駕していた事もあり、あっさりと家を抜け出したアイリスは、放送は見事に完遂して凱旋した、と言う訳だ。


 その後、2時間に渡るお説教と説得のせめぎ合いの結果、押し切られる形でアイリスが放送機器を持って街中を逃げ回ると言う破天荒な放送が実現したと言う訳だ。


「基本的なところで、通信傍受とか」

「うーん。でも、あんまり問題ないんじゃない?」


 アイリスの言葉に、前回の放送時の通信利用状況を思い出し、ヤトは頭を抱える。

 配線の接続方法を忘れたアイリスの質問に答える。逃走ルートを指示するも、気分で変更される。その結果、アイリスは用水路に逃げ込む羽目になり、不通となる。


 予定通りに進めるのであれば、通信の傍受は大問題だ。だが、前回の様な状況ならば、問題は無い。作戦的には大問題だが。


「アイリス、そこに座りなさい」

「え、もしかして藪蛇った!?」

「いい機会だし、作戦の存在意義とか、指示を出す意味とか、そもそもアイリスは指示に従う気があるのか、とか一度徹底的に議論すべきだと思わない?」


 ヤトの議論と言う名の説教は夜半まで続き、夜食の準備をする為にとそこから逃げ出す事に成功したアイリスは、新しいエプロンの最初の活躍の場に、直前までの事をすっかり忘れてご機嫌だった。


 食後は外出する事になり、ウィッグとフード付きのケープで髪まで隠したアイリスは、ヤトと共に夜の街へと繰り出す。

 街には人影はほとんどなく、たまに見かけるのは酔っ払いくらいだった。暗い路地を歩く2人は、お土産を片手にアイリスの友達が待っているはずの場所へと向かっている。


 しばらく歩き、町はずれにある空き地へと辿り着くと、アイリスはお土産に持ってきたご飯を取り出す。

 すると、彼女の友達は大量の仲間を引き連れて、空き地に姿を現した。


「チェシャー」

「んなー」


 凄い勢いで現れた集団に飛び込んで行ったアイリスの友達とは、サウスの街でそれなりの地位を持つと言う不細工な猫のチェシャと、その仲間たちだ。

 アイリスが頻りに可愛いと言うその容姿は、どこからどうも見ても不細工なもので、実際、ヤトもそう思っている。


 チェシャが特別なのか、それともアイリスが特別なのか。はたまた両方か。この1人と1匹は、なんとなく意思の疎通が出来る、らしい。


「ねぇねぇチェシャ。何か良いネタあった?」

「にゃ~」

「そっかぁ。次までにもっとおいしいの探しとくね」


 当然だが、餌代はシラネ家の家計から出ている。

 それを管理しているヤトは、最初こそうちにそんな余裕は無いとはっきり告げていたのだが、アイリスの泣き落としもあり、最近ではラジオのネタを提供して貰う報酬代わりだと割り切っている。否、諦めている。


 最初のそんな態度のせいか、ヤトはチェシャを筆頭とするこの空き地の猫に嫌われている。ヤト自身はそこそこ猫好きである事から、触ろうとして警戒され、避けられる事を密かに悩んでおり、毎度餌やりに挑戦しては失敗し、落ち込んでいる。


「よーし、今日は猫じゃらしであそぼー」


 楽しそうに猫達と戯れるアイリスを見ながら、ヤトはいつの間にか足元近くまで来ていた猫に対して今日も懐から出した餌を差出す。折角準備してきたアイリスの出した物より高級なソレは、しかし見向きもされず逃げられ、何時もの事とは言え、少しだけ落ち込んでいる。


「どっちかって言うと犬派だし」


 そんな風に呟きながら、ヤトは餌をアイリスの足元に向かって放り投げると、脚本を取り出す。

 アイリスの書いた脚本は、そのままでは放送に耐えうる内容ではない。それでもヤトがこの役目を彼女にやらせている理由は幾つかある。


 例えば、勉強をさせる口実。例えば、責任感の芽生え。

 その中でかなり大きな部分を占めるのは、アイリスが自分を、ヤトの足手まとい、役立たずであると考えている事を知ったからだ。


 それを受けてヤトは、アイリスに必要なのは自分が役に立っていると言う実感だと考えていた。だからそれを与えれば、放送中に逃走し続けるなんていう危険な行為を止めさせる事が出来るのではないか、とも。


 そう言った意味で、情報分野の軍人が出向して来た今回の件は、良い口実になるのでは、とヤトは思っていた。昔はさておき、今のアイリスはラジオ放送を行う事自体に意味を見出しているので説得は難しい、と言うかほぼ不可能だろうと言う事を、ヤトは知らない。


「ほーれほーれ」

「うにゃー!」


 ヤトが放り投げた餌を猫じゃらしの代わりにしてチェシャを釣っているアイリスの姿に、ヤトは苦笑いを浮かべる。

 なんで自分じゃダメなんだろうな。名付け親なのに、と思いながら。


 しばらくの間チェシャと戯れたアイリスは、日が昇るまでヤトと散歩をしてから帰宅し、大量のチェックマークの入れられた脚本を差出され、頭を抱える。


「期限は明日の夜食まで」

「じゅ、授業は免除だよね?」

「もちろん、やる。明日は計算と国法のおさらい」

「うわーん、ヤトの人でなしぃ」


 その日、眠るまでの時間一杯と、早起きをした1時間分をたっぷり使って訂正を施した脚本は、再びチェックマークだらけの無残な姿でアイリスの元へ戻り、彼女を苦しめる事になる。


 その後もダメ出しや訂正を連発され、結局、脚本にOKが出たのは放送日前日の夜食前だった。

 放送日に備えて機材とその使用方法の確認を終えた2人は、放送当日の準備と最終確認で早起きする為に、夜明けとともに床に就いた。

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