公安警察と新任軍人
軍人の家系に生まれたタルト・ジャーク士官候補生は、戦争が嫌いだった。
しかしジャーク家に生まれたからには士官学校に通い、軍人となるべしと育てられた彼女は、その期待に応えるかの様に優秀な成績で卒業し、無事に軍へと入隊を果たした。
戦争は嫌い。軍人になるのは別にいいけど、前線に行くくらいなら今すぐ辞める。
士官学校の技師課程を優秀な成績で卒業したにも関わらず頑なにそう主張する娘に、軍でそれなりの地位を持つ父親は、ある手段でもって引き止めを行った。
それが小競り合いの激しい北部地方から最も遠い南部地方の街、サウスの公安警察への出向だ。
軍人であるが故に首都か前線である北部への滞在が多い父親は、自分の目が届かない場所へ娘をやる事に三日三晩悩んだが、己の元部下で、なおかつ優秀な男であったと記憶しているハッター少尉になら娘を預けられると言う苦渋の決断を行った。
ちなみに、預けられると言うのは番いになっても許すと言う意味ではなく、そうならない可能性が高く、命ずれば悪い虫から守ってくれるだろうと言う意味だ。
「お食事中に失礼致します。タルト・ジャーク候補生、ただいま着任いたしました」
「あぁ? あぁ、そう言えばそうだったな」
着任早々、同じ軍所属であり直属の上司となるハッター少尉に挨拶をしながら、タルトはこっそりため息を吐く。
それもある意味仕方のない事で、このハッターと言う上司はタルトの着任をすっかり忘れていたのだ。そのせいで、タルトは既にこのサウス公安警察の署内をほぼ網羅するほどに歩き回らされ、その見た目も手伝って、署員の中でそれなりの知名度を獲得してしまっていた。
「やはり女だったのか」
「はっ、すいません」
軍人の女性の大半は、女性だと言う理由で見下されたと感じると、相手が上官であってもすぐさま反論する。
しないのは実力で見返せると思っている者か、特に気にしない者だ。どちらもごく少数しか存在しないが、タルトは後者にあたる。
戦争が嫌いな彼女が軍人である誇りなどあるはずもなく、何より食事をしている為に椅子に腰かけているにも関わらず自分より目線の高い、壮年一歩手前の男性に逆らう勇気も持ち合わせていない。
「いや、すまん。そう言うつもりではななかったんだが」
申し訳なさそうに頭をかく上司に、タルトは拍子抜けする。
軍人の男と言えば、偉そうに威張り散らすイメージがあり、こんな辺境に飛ばされ、たった1人でテロリストの相手をさせられている軍人ならばストレスもたまっているだろうと考えていたタルトは、無駄に女らしい身体を嘗める様に観られる覚悟も、セクハラ発言を受ける覚悟もしていた。
タルトは技師課程とは言え、士官学校を出た身だ。当然、最低限のサバイバル訓練や武器を扱う技術も身に着けている。
その結果、無駄な肉は落ち、腰回りは細い。レンジャー候補の友人程には鍛えていないので腹筋が割れるほどではないにせよ、そのせいで成長期に育ち過ぎた胸がやたら強調されている。実は今も成長中なのが、ひっそりと彼女の悩み事となっている程に。
公安警察への出向とは言え、基本的には軍人であるハッターやタルトは、勤務中に軍服を身に着ける義務がある。
軍には大男も大量に居る為、大柄なハッターに合う軍服は、それこそ山ほど存在する。しかしながら絶対数の少ない女性隊員、しかも一部分に無駄な脂肪が多く集中しているとなれば、身体に合う規格が存在しなかった。
タルトは十数日前、転属命令を受ける際に支給品として準備されていた新しい式典用の軍服を前に、頭を悩ませた事を思い出していた。
体格に合わせた物を選ぶべきなのだろうが、そうすると袖が余り、だらしなく見える。そうならない為に小さなサイズを着てみれば、ぴっちりとし過ぎて体のラインが浮き彫りになり過ぎる。胸が苦しくなる程に。
式典用の軍服の意匠は袖の先まで及んでおり、曲げて着る事も出来ない。結局、一見してそうとは判らないインナーは大き目のサイズを選び、軍服のメインともいえるアウターはきっちり、と言うかぴっちりとしたサイズを選択した。一応でも式典に属する転属命令の受け取りの場に、だらしない恰好で参加する訳にはいかず、それは当然の選択であった。
そのせいで、転属命令の受諾までの間、部屋中の男の視線が集まっていた事は、彼女の記憶に新しい。
余談だが、その後すぐに軍備の担当者に詰め寄り、父親とついでに祖父の名前を出す事も厭わない覚悟で自分に合うサイズの軍服を仕立てる様に懇願したおかげで、今はその時よりも少しましになっている。それでもまだ少し袖が余ってはいるが。
「あー、ジャック候補生、だったか?」
「ジャークです、ハッター少尉」
一瞬だけ迷ったタルトだが、家名を間違えられたのだから訂正しない訳にはいかないだろうと、それを口にする。
するとハッターは何か思い出したかのような表情を浮かべ、タルトの顔をまじまじと見つめる。
それに対してセクハラされるのではと警戒を強めたタルトだが、別の方向性で事前に予想していた言葉が飛び出し、僅かに頬を潜めてしまう。
「もしや、ジャーク少佐の娘さんか?」
「はい、恐らく」
タルトは親の七光りを嫌ってはいないが、好いてもいなかった。
それに助けられた事はそれなりに多く、感謝はしている。けれど、同じくらいそのせいで色々と被害を被り、苦労させられている。
それだけならば差し引き0となるところだが、タルトは家族の事が好きだ。だから面倒事の予感に眉を潜めつつも、仕方ないといつも受け入れている。
「よしっ!」
どうやら目の前の少尉はすり寄って来るタイプの男らしい。
嬉しそうなハッターの反応を見たタルトはそんな風に考えながら、こっそりとため息を吐く。贔屓されれば個人としては動きやすくなっても、団体行動で問題が発生する事を、彼女は経験から良く知っていた。
幸い、北方での小競り合いのせいで戦時下となっている今、軍は警察よりも上位の組織と扱われており、士官候補生とは言え軍人であるタルトは、この署内でそれなりの権力を保有している事になる。それは最悪、命令と言う方法で強制的かつ嫌々でも協調を図る事は出来ると言う事だが、タルトにとっては気の進まない選択肢だった。
「鍛えがいがありそうだ!」
そう言って立ち上がったハッターは、驚くほど背が高く、見上げるタルトは唖然とする。
嬉しそうに歯を見せて笑うハッターの迫力に、タルトはつい敬礼を緩めてしまうが、それをとやかく言う人間はここにはいない。
「いくぞっ」
「っつ、はっ!」
すれ違いざまに尻を叩かれ、身体が浮いたかと思うほどの衝撃に顔を顰めながらも、タルトは慌てて少尉の背中を追いかける。もしかしてあれはセクハラだったのだろうか、と考えながら。
2人が去った後、そんなやり取りを遠巻きに注目していた公安警察の男達は、タルトが跳ねた際に派手に揺れたソレのサイズが、一体どのくらいなのかと言う話題で盛り上がっていた。食堂の女性陣からの冷たい視線を浴びながら。
張り切るハッターによる、着任早々の訓練からどうにか逃げ出す事に成功したタルトは、上司がいわゆる脳筋に属する人間だと知り、疲れ切っていた。
尊敬する上司の娘だからと言って、体積が3倍程違いそうな女の子に、自分と同じだけの訓練内容をこなさせようとするのは絶対におかしいとタルトは心の中で毒づく。
「あー、どうしようかなぁ」
首都で聞いた予定通り、本日午後及び明日の午前を生活準備の為の時間として休日を獲得したタルトは、不案内な路地をふらふらと彷徨っていた。
欲しい物はあるのだが、どこに売っているのか、この街ではどの程度が相場なのか、彼女には一切の予備知識が存在しない。
署で声をかければ、独身寮に住む非番の男が、それこそダース単位で立候補して来ただろう。しかしながら、まずは数少ない女性署員との交流を持ちたいと考えていたタルトは、着任早々男性署員に頼り、そう言った男に媚を売る種類の人間であると誤解される事を嫌った。
残念な事に、食堂の一件や、ハッターを探して署内を慌ただしく移動していた際に、その身体的特徴のせいで何名かの男性署員の視線を釘づけにしており、既に女性署員の評判は微妙な事になっていた。ちなみに、注目されていた原因の1つに、ロッカーが割り当てられていなかった為にずっと荷物を持って移動していた事がある。具体的には、持ち物の1つである肩掛け式の鞄を襷がけにしていた事が。
「あのー、すいません」
「へい、なんだい姉ちゃん」
威勢の良い屋台の店主に話しかけながら、タルトは小銭を取り出す。
更衣室で着替え、一度戻った部屋では荷物を置いて来ただけのタルトは、喉が渇いていた。だから飲み物を買い、ついでに目的の場所を聞こうと考えた。
「それ1個ください」
「あいよ。姉ちゃん、美人だからサービスしとくよ」
「ありがとうおじさん。ところで、この辺に通信機器とかその部品を買える場所ってありませんか?」
若い娘さんから告げられた予想だにしない言葉に、屋台の店主が首を傾げる。
そして聞き間違いかと問い返すが、答えはやはり同じだった。
「機械部品を取り扱うところか、あ、修理屋でもいいんですけど」
「あー、わかったわかった。とりあえず、ほれ」
ベリー系の果汁が入ったジュースを受け取ったタルトは、オマケとしてカップの端に引っかけられていた切れ込みの入った果実を口にしながら、イマイチ納得いかないと言う表情の店主から場所を聞き出すと、目的地に向かって歩き出す。
まだ家具や衣料品どころか十分な量の食糧すら購入していないにも関わらず、機械部品の店に直行する。それこそが、彼女がしぶしぶながら軍人になった理由だ。
タルトの趣味は機械いじり。様々な機器の修理・分解・改造を好み、気が向いた時にすぐ手に取れるよう、自室にも自前の工具と機材をおかないと落ち着かない程だ。そんな彼女にとって、軍の備品を触り放題と言う立場は、戦争嫌いを差し引いても魅力的なモノだった。
そのおかげで技師課程を優秀な成績で卒業できたので家族は誰も文句を言わないのだが、両親は嫁の貰い手が無くなるのではと頭を抱えてもいた。
「えっと、ここかな」
「……らっしゃい」
タルトが扉を潜ったのは、カウンターに老年の店主が座る小さな店だった。
店主はそれ以上何も言わなかったが、タルトは気にする事なく店内を見て回る。職人気質の人間には良くある事であり、ついでに女であるせいでそう言った対応をされた経験も豊富なタルトにとって、この対応はさほど気になる事でもない。
店内には大小様々な機械部品が並んでいるが、統一感はまったくない。
そんな無造作な陳列を端から確認しながら、タルトはここが十数年前まで戦場であった事を、なんとなく感じていた。
店に並ぶ商品は、この国のものだけではない。タルトが教本と士官学校で1度だけ見本として実物を見ただけの南部諸国の規格品や、見た事も無い程に古い規格の品。さらには、どう見ても元々は兵器だったもの。この国の軍部標準規格になっているが、民間には出回っていないはずのものまであった。
タルトはそれ、特に最後のモノに関しては、ここにある事を咎める側の人間だ。
もちろんそれはあくまで建前であり、タルトにこの店を摘発する気はない。何故なら、貴重な品を手に入れられる場所を失いたくないからだ。軍人としてはどうかと思われる思考だが、本人は、今まで許可されていたんだから問題無いはずだと、自分の都合の良い解釈を行っている。彼女は基本、機械優先な人間なのだ。
「これ、幾らですか?」
「……6万だな」
高いかなー、と思いながらも、タルトは購入を検討し始める。
タルトの住んでいた首都と違い、地方都市では物資の絶対量が少ない。自然、相対的に物価が値上がりするのは仕方のない事である。
この店は妙に品ぞろえが良いが、逆に言えば怪しいルートで仕入れている可能性が高いと言う事であり、そうなれば仕入れ値も高くなるのが当然である。
それは首都の怪しい店でもよくある事で、そこに地方特有の物価高が上乗せされれば、そのくらいになるのかなとタルトは考え始めていた。
実際にはその価格設定は高すぎるのだが、タルトにはそれに気づく術がない。
「それじゃあ、こっちはおいくらですか?」
「3万だな」
今度は安すぎる価格設定が飛び出しタルトは驚き、目を凝らす。
もしかして水没品とかかな、と回路の確認を行うが、タルトには特に問題はなさそうに見えた。
一度動作確認を行って見たいと思いながらも、初めて来る店の、見知らぬ店主にそれを提案する事に気後れしたタルトは、仕方なくそれを台に戻す。
そして最低限、支給されるはずの通信機を改造する為の機材だけでも購入しておこうと辺りを見回すと、そこには見知らぬ人間が立っていた。
「相変わらず無愛想ですね」
「ふん、知るか」
「道楽とは言え、もうちょっと愛想よくしたらどうです?」
「ほっとけ」
2人が親しそうに話す姿を見たタルトは、きょとんとした表情を浮かべる。
突然現れた、十代後半か二十歳くらいに見える相手の持つ黒髪と茶色の瞳と言う容姿は、南部諸国では珍しくない。そしてこの街には同盟関係にある南部諸国の人間も多数生活していると知識では知っていたタルトだが、首都で生まれ育った彼女にとってそれが珍しい事に変わりは無い。
タルトはサウスに来てから南部諸国出身らしい人間を、街中では何度か見かけて居る。しかしそれは遠目に見かける程度で、目の前とも言えるほど近くで見たのは、これが初めての事だ。
「初めまして、お嬢さん。ヤトと呼んでくださると嬉しいです」
「ヤトさん、ですか?」
タルトの返答に、ヤトは愉しげな表情を浮かべて、よろしく、と一礼する。
そんなヤトの態度に、それなりの家でそれ相応の教育を受けて来たタルトは、反射的に挨拶を返さなければと考え、口を開いていた。
「タルト・ジャークです」
「タルトさん、と呼んでもかまいませんか?」
「はい。それと、敬語も不要です」
そこまで言ってから、タルトははたと気づく。
士官学校の、友達ではない同級生と話す時と同じ感覚で、更に言えば軍人としての態度そのままで接していた事に。
一応なりとも年頃の女の子である自覚があるタルトは、これではダメだと反省すると、大きく息を吸い込み、ゆっくりと息を吐くと笑顔を浮かべる。
息を吸っている際、強調された胸元にヤトの視線が一瞬だけ奪われていた事には、気づかなかった。
「すいません。つい、仕事の癖が」
「あぁ、何かお堅い仕事でもしてるの?」
相変わらずどこか堅い自分に対して、少しだけ気安く話しかけてくれた相手に好感を持ちながらも、タルトは正直に答えるべきか、悩んでいた。
下心が強そうな相手ならばそれによって牽制出来るのだが、ちょっと仲よくしたいなと思う相手にそれを告げると、少し引かれる恐れがある。例え、同性相手であっても。それほどに、女性軍人と言うのは珍しい生き物なのだ。
「あぁ、悪い。答えたくないなら――」
「実は私、軍人なんです」
遠慮がちなヤトの言葉に、タルトはこの人なら大丈夫かもしれないと希望的観測を持ってそれを口にした。単純に、嘘を吐く事に抵抗を覚えたと言う理由もある。
その考えはある意味で正しく、タルトにはヤトはまるで自分が軍人であった事を事前に知っていたかのような、あっさりとした反応を見せた様に見え、嬉しそうな表情を浮かべる。
「あぁ、だからこんな店に?」
「こんな店たぁ、言ってくれんじゃねぇか」
「商品価値も把握していない店主の店なんて、こんな店で十分でしょ」
そんな2人のやり取りに、タルトは思わず吹き出してしまう。
一頻り笑った後、彼女が欲しがっている部品をヤトが見繕い、適正価格どころかこれからも贔屓にして下さいのサービスだと言って格安で購入したタルトは、ヤトにお礼を告げると満面の笑みを浮かべたまま店を後にした。しかめっ面の店主に見送られて。
機械部品を格安で手に入れてご機嫌な女と言うのはどうなのだろうと思ったタルトだが、嬉しいのだからしょうがないと自己弁護にもなっていない自己弁護をしながら、次は服か家具かなと考え、街中へと繰り出して行く。
そんな上機嫌なタルトが、背後に気配を感じて振り返る。
一応でも軍人である彼女の気配察知能力は間違っておらず、そこには先ほど別れたはずの相手の姿があった。
「えっと、何でしょうか?」
「街の案内をする人、いらない?」
店を出て太陽の下でヤトを見たタルトは、その姿を見上げてから、全身を観察する様に視線を動かす。
ヤトは背が高い。とはいってもタルトよりは、と言う意味で軍や公安警察にはそれ以上に大きな者が山ほどいる。違いがあるとすれば、軍人はゴツイ者が多いのに対して、ヤトは細身だ。それに対してタルトは、すらりとして格好いい、と心の中で評していた。
「え、っと。それはありがたいんですけど」
「けど?」
「申し訳ない、と言うか」
大きな胸が目立たない様にだぼっとした服装をしているタルトは、傍から見れば野暮ったく見える。身体目当てのナンパ野郎を避けると言う意味で体型隠しも兼ねてそんな格好をしているタルトだが、それは格好いい人の隣を歩くにはちょっと抵抗のある微妙な服装であると言う自覚がある。
そんな微妙な見栄の様なもの以外にも、一方的に助けられてばかりと言うのは、気が咎めると言う理由も存在する。
それに気づいたらしいヤトは、笑みの中に少しだけ困り顔を混ぜ、期待していないけどとりあえずと言う軽い気持ちでしたお願い、と言う体でそれを口にする。
「実は、その代わりにお願いしたい事があるんだけど、ダメ?」
「えっと、それは」
「実は、妹分の機嫌を損ねちゃって。何か、ご機嫌取りに良いプレゼントが無いか、一緒に考えてくれない?」
それを単なる口実と断じるには、ヤトの恥ずかしそうな表情はあまりに自然すぎた。
だからタルトは、この人は本当に困っているのだなと考え、つい力になってあげたいと考えてしまう。
「私、そう言うの疎いですけど、それでもいいですか?」
「もちろん! そう言うのに疎いから、助かるよ」
疎い人間が2人揃っても意味は無いかと思いきや、タルトとヤトは楽しげに店を周り、タルトの生活必需品や家具などを買うついでに、あーでもないこーでもないと話が弾ませ、最終的には良い感じの髪留めとエプロンを購入する事となった。
元々タルトは、今日と明日の2日間――実質は1日分――を費やして新生活の準備品を整える予定だった。
理由としては、不慣れな街でどこに何が売っているのか判らない事。そして、1人では1度にそうたくさんの荷物を持ちきれない事だ。
前者はヤトの案内で解決し、後者もやはりヤトが荷物持ちを買って出た事と、家具などの大きな荷物は部屋まで届けて貰える事になったからだ。普通なら別料金のかかる宅配だが、ヤトの紹介ならと店主の男性陣は快くオマケしてくれた、と言う訳だ。理由の一端に、タルトの外見的要素が含まれていた事は、言うまでもない。
「本当に、今日はありがとうございました」
「こちらこそ。ホントに助かった」
荷物を玄関先に下ろすヤトに、タルトはお茶でも飲んで行きませんかと言いかけて、まだ部屋に何もない事を思い出す。そして、まだヤトとは出会って数時間しか経っていない事も。
かなり仲良くなったとは言え、さすがにそれはダメだと考え直したタルトは、別方向から改めてお礼をする為の言葉を探し、口にする。
「よければ、今度の休暇の時に一緒に遊びませんか?」
「いいね。休みが重なるといいけど」
「あ」
士官学校に通っている時は、補習やら居残りが無い限り、友人のほとんどと休日は同じ日だった。
働く様になれば休みが合わず、遊びに行く回数も減るねなんて会話をした事もあるにも関わらず、迂闊にも忘れていた自分に、そしてまだ学生気分が抜けていない未熟さに僅かに赤面しながら、ヤトはどんな仕事をしているのだろうと、好奇心が疼いた。
今、ここでそれを正面切って尋ねるべきか迷うタルト。しかしそれを尋ねるより早くヤトが1枚の紙を差出した事で、その好奇心は僅かな緊張ごとどこかへ吹き飛ばされてしまう。
「軍人さんに渡すのもアレだけど、正式に街の住人になった人には誰かが教える事になってるから」
「こ、れは」
差し出された紙に書かれていたのは、ラジオの使い方を説明する内容だった。
ただし、正規の――国のプロパガンダ――放送を聞く為のモノではない。
「な、なんでヤトさんがこんなモノをっ!?」
「この街なら、誰でも知ってる」
海賊放送は国の利益を脅かす悪であり、テロリストである。そしてそれに加担する者も、犯罪の幇助をしているのだから同罪である。
タルトはそんな言葉を鵜呑みにしている訳ではないが、仲良くなった相手がそうなのだと言う事実に、少なくない衝撃を受けていた。
安直にヤトが海賊放送の実行犯だと考えた訳ではない。しかし、積極的に放送を聞き、その方法を他人に教える行為は、間違いなく幇助にあたる。
その反応を見ながらヤトは、苦笑しながらもタルトを評する項目に、真面目な娘、と言う文言を追加する。
「捕まえる気なら、抵抗はしないけど?」
「なん、で、何でなんですか!?」
「いや、どうせすぐ釈放されるだろうし」
あっけらかんと言い放つヤトに、タルトは自分の思考が熱されて行くのを自覚する。
犯罪幇助は、幇助した犯罪の重さによって罪状が変わると国法で定められている。そして、テロリストへの加担は重罪だ。機密漏洩も、電波の無断使用も。手柄を欲しがる悪辣な者に捕まれば、有無を言わせず重罪に処される可能性すらあるほどに。
それにも関わらず、あっさり自白し、あまつさえ逃げ出す素振りすら見せない。
その態度を、自分1人から逃げ出すくらいは容易だと考えているのかもしれないと判断したタルトは、荷物を地面に落とすと素早くヤトの手を取り、足を払って地面に押し付ける様に引き倒す。
「可愛い女の子に押し倒されるのは悪い気はしないけど、せめて部屋の中にしない?」
「……このまま公安警察に引き渡しますよ?」
「脅すつもりなら、もう少し力を込めるべきだと思うけど」
タルトが背中に馬乗りになっているにも関わらず変わらない態度で、抵抗すらしないヤト。それを不思議に、そして不可解に思いながらも、タルトはその腕を離す。鍛えているのか、それとも肉体労働の人なのか、それなりに力はありそうだ、などと考えながら。
「さすがに、いきなり押し倒されるとは思わなかったなぁ」
「ヤトさん……」
「公安警察で言いふらしたら、面白い事になりそう?」
「ヤトさん!」
怒りによって赤く染まるタルトの顔を見て、ヤトはちょっとからかいすぎたかなと考えながら真剣な表情を作る。
その変化を感じ取ったタルトは、同じく真剣な表情を作って、ヤトの真意を視線で問う。
「一度、聞いて見て。それからタルト自身が判断してくれればいいから」
そう言ってヤトは、一度だけ手を振るとその場から居なくなった。
しばらくの間、言いたい事だけ言って去ってしまったヤトが居なくなった空間を睨んでいたタルトは、ヤトが残して行った言葉を三度反芻して、更に大きく深呼吸してから荷物を拾い始める。1つ拾っては1つ、ヤトとの会話を思い出しながら。
全ての荷物を部屋の中へ運び終えた頃、タルトが考えていたのは、また会えるかな、と言う平凡な内容だった。
この物語は、海賊放送サイドと公安警察サイド、そしてラジオ放送の3種類で構成される予定です。