海賊放送の誤算
放送準備が終わる直前から追われ続けているアイリスは、今日に限って何時もとは違う逃げ方を強要されていた。
「うぅ、また先回り……」
ちらりと通信機へと視線を落とすも、電波を受信する気配はない。
それもそのはず、つい先ほど送られてきたヤトからの通信で『電波の発信源が特定出来るみたいだから通信は控える』といわればかりなのだから。
そんな訳で、現在アイリスはラジオ放送用の電波を垂れ流して逃亡している関係上、常に相手へ居場所が筒抜けになっていた。
精度は不明であり、ヤトの方が調査中だ。
「逃げるのは悔しい、なぁ」
独り言を呟きながら、アイリスはもう何度目の先回りする警察署員を発見して進路を変える。
度々古くて脆い建物を通過する事で、何時も通り背後からの追手は対処できているのだが、如何せん先回りをされ続けているせいで逃げ場が限定されてしまう。恐らくその先にはあの少尉が待ち受けているに違いないと考えながら、アイリスは残りの放送時間と電波の到達範囲と周辺地図を思い浮べる。
今のところ、相手に電波到達距離を誤認させるために決めたフェイクの逃走範囲から外に出た事はない。だが、最悪の場合は本来の電波到達範囲ぎりぎりまで逃げ、放送終了と共にそこから一直線に逃げ去ると言う手段も考慮しつつ、アイリスは少尉との接触時間を出来るだけ遅らせようと移動速度を下げる。もちろん、後ろから来る追ってに追い付かれない程度に。
正面から挑んで彼に勝てると思うほど、アイリスは己の脚力を過信していない。
「はっはっは、遅かったではないか海賊放送!」
「わ、なんでそんなとこから!?」
飛び移ろうとした建物に登って来た声と人影に、アイリスは慌てて急制動をかけ、なんとか建物の淵で踏ん張る。
そしてすぐさま別の建物に狙いを変えようとして、気づく。左右どちらの建物にも、人影が伏している事に。
「どうした、こちらの飛ぶのではなかったのか?」
「えーっと、お誘いは嬉しいけど、今日はもう帰ろうかなーって」
「そう言うな」
にやりと笑ったらしい少尉にすぐさま背を向けたアイリスが、来た道を戻る為に足に力を込める。
しかし助走の一歩目を踏み出した瞬間、そこに人影を認め、再び慌てて足を止める。
「もう逃げられんぞ、海賊放送!」
「ありゃー、これは結構ピンチかも?」
あははー、と乾いた笑いを浮かべながら、アイリスは通信機を二度叩く。そしてヘッドセットのマイクに、おーい、と声をかけるも、返答は無い。
ならば自分でどうにかするしかない。そう決意したアイリスは、状況と装備、周辺の地形を思い出しながら打開策を考え始める。
正面に飛び移れば、あの少尉にあっさり捕まってしまう事は明白。左右や背後の建物も、時間を稼がれれば人手が増える事は確実であり、そうなれば逃げられるとは思えない。最悪、少尉がアイリスの居る場所まで飛び移って来る可能性さえある。ここも、四方の建物も、そこそこ新しい物である為、恐らくそれが可能だ。
そんな事を考えながら、アイリスは一先ず時間を稼ぐために四方に目を凝らし、梯子がかけられていのを見つけると、急いで駆けよる。
「ごめんねー」
「見つかった、退避退避」
駆け寄った建物の淵、その目立たない位置にかけられた梯子を蹴り落としたアイリスは、他の場所にも目を向けるが、気配は感じられず、一先ず安堵する。
この行動を隙だと見做して建物を飛び移る馬鹿がいれば、それに乗じて交代する様に飛び移ればよかったのだが、残念な事にそれは叶わず、むしろ建物のの上の人影が増えていると言う悪化の一途をたどっていた。
「観念せい!」
「べー、っだ」
舌を出し、子供っぽく否定を返すアイリスには、残念な事にまだ打開策が浮かんでいない。
放送はもうほとんど終盤に差し掛かっており、この場を凌ぎ切れば逃げ出すだけなのだが、それが出来ないからこそ困っているアイリスは、未練がましく通信機に視線を落とす。
「よし、2名ずつ飛び移れ!」
「はっ!」
少尉の号令で彼を含む8名が建物を飛び移る準備を始める。
いっそ下に降りれば、とも考えたアイリスだが、既に建物は地上でも包囲されている。隙あらば梯子をかけて登ろうとする班も配置されている念の入用だ。
とは言え、逃げ場はそこにしかないと判断したアイリスは、8人が建物を踏み切った瞬間を狙い、自分も身体を宙に躍らせる。一番頑丈そうで、一番の障害でもある少尉に向かって。
「なっ!?」
「折角のお誘いだもんね!」
空中でしがみ付かれたせいで建物に届かなかった少尉は、そのまま地面へと落下して行く。
アイリスの方はバランスを崩させた後、彼をクッションにする為に下敷きにするような体勢を作ると、先程懐から取り出したモノを手放し、堅く目を瞑る。
「あっ」
「危ない!」
「なにぃっ」
署員達の口から洩れる叫び声に、少尉さんって人気あるんだな、と思いながらアイリスは落下に備えて身を固める。まさかその声が、己を心配するモノだとは、夢にも思わず。
少尉をクッション代わりに地面へと落ちたアイリスは、まぶたの裏の闇が明るくなった事で第一段階が成功した事を察し、急いで体勢を立て直すべく、動き出す。そして立ち上がる寸前に両側から何かが迫って来る気配を感じて、慌てて転がる事で回避する。
「ちぃ、逃がしたか!」
「うぇぇ、あぶなー」
下敷きにした事で大怪我をしていないかと心配していたアイリスだが、元気そうな少尉の声と行動にほっとする以上に呆れてしまう。
一階建てとは言え、そこそこ高い建物の上から落下、いや、叩き落された直後にこの反応が出来るのだから、心配するだけ無駄だと溜息すら出てしまう。とは言え、半ば平気だろうと予想していたからこその人選ではあったのだが。
「もういっこ!」
「ちっ、総員、閃光に備えろ!」
先ほど、アイリスが屋根の上で準備し、地面に落としたものは、マグネシウムを原料にした簡易な閃光弾だ。ヤト手製の。
それを再び警戒した少尉の叫び声に、アイリスはにやりと笑いながら次の玉を署員達の方へと放り込む。程度の差はあれ、ほとんどの者が視界を制限されていた為、それに気付けた者は少ない。
アイリスが投げたのは、単なる煙玉だ。その煙に乗じて逃げ切れるかは、正直半々だった。視界が制限されていたとしても、少女1人を捕まえられない程、公安警察の面々の包囲は薄くない。
だがしかし、彼らにとっては不幸な事に、そしてアイリスにとっては幸運な事に、ここにきてようやく海賊放送の片割れによる介入が行われた。その余波なのだろう、アイリスの耳に、甲高い音が聞こえ、一瞬だけ顔を顰める。
「いぎぃ!」
「み、耳が、耳が」
「あああああ」
喚いているのは、ヘッドセットをつけていた通信兵と部隊長、小隊長、班長に該当する面々だった。
人数にすれば3分の1にも満たない数ではあったが、指揮系統が乱れた事、何より包囲の一角が崩れた事で、アイリスが逃げ出すには十分な隙となる。
「先に言ってよ!」
『暇が無かった』
「むぅ。それに、遅すぎ!」
『そっちを巻き込まない為に、あっちの使用帯域を調べるのに手間取った』
自分の特徴を消す為だと言う端的で素っ気ないしゃべり方に少し苛立ちを感じ、アイリスは頬を膨らませる。文句は言い足りないのだが、援護が無ければ逃げ切れなかった可能性もあるとなれば、それ以上は口にし辛く、ぶー、とわざとらしく不満である事を主張するくらいしか出来ない。そんなアイリスの反応に、ヤトは苦笑を浮かべつつも、居場所を特定されない為に通信を止め、速足で移動を開始している。
ヤトが行った事は至極単純で、公安警察が使っている無線に対して大音量かつ大量の電波を流し込んだだけだ。もちろん、鼓膜を破らない程度には加減して。
全帯域に無差別に送らなかったのは、アイリスへの言葉通りの意味以外にも、この街で最も多く存在している受信機である、ラジオへの影響を恐れたが故だ。具体的には、まだ終わっていない放送を邪魔しない為。
「あとで文句言ってやるぅ」
それを知ってか知らずか、アイリスはそんな事を呟きながら、今日は街を西側に出る進路を取る為に、警察の目から逃れつつこそこそと屋根の上へと戻るのだった。
街を西側に抜け、ぐるりと回り込んで隠れ家へと戻る際中、アイリスはぽつんと立つ人影を見つけ、反射的に物陰へと身を隠す。
気づいていないのか、もしくは気づかない振りをしているのか。どちらにしても、状況を把握せずに人前に出るべきではないと、まだ海賊放送ルック――黒いフード付きコートに今日は金色のウィッグ――を付けているアイリスは、目と耳を澄ませる。
「まさか、あの有名な海賊放送の担い手が、こんな若いとはな」
「一応、これでも24なんですけどね」
知らない男の声と、聴きなれた相棒の声に、アイリスが驚き、目を凝らす。
助けに入るべきか。それとも、邪魔すべきではないのか。そんな風に考えながら、アイリスは少し迷ってから通信機のスイッチを入れると、こつこつこつ、と三回指でマイクを叩く。事前に決めてあった、合図の1つを伝える為。
ヤトはアイリスが通りがかる可能性も考えていたのだろう、通信機は入れっぱなしだったらしく、2音が返って来た事でアイリスは辺りの警戒を開始する。
ちなみに、合図は1音が肯定、2音が否定。3音ならば判断不能、もしくは指示を求める事を意味する。あくまで今日は、だが。
「それでどうだろう」
「それは放送でお断りしたはずですが」
そのやり取りから、アイリスはヤトと向かい合う人影の正体に関するある情報を思い出していた。
前回放送でお便りとして読み上げた、レジスタンス「ハート」からの誘い。ヤトの言葉通り断ったソレを、直接問いただしに来た、と言うかむしろ再度勧誘に来たのだろうとアイリスは予想する。
そして、待ち伏せされていたと言う事実に、自分達の隠れ家が見つかってしまったのではとも考え、少し慌てる。
「あちらのお嬢さんが、噂のアリスかな?」
「何の事でしょう」
潜んでいる事を指摘され、アイリスの肩がびくりと跳ねる。
そして再度、出るべきか否かを悩み、マイクを3度叩く。
「あそこに潜んでいる娘の事だよ」
「……はぁ、なるほど」
はったりではない事を確認したヤトが、目深に被ったフードを更に深く被り直しながら、マイクを2度叩く。
それにより、アイリスはその場に止まる事を決め、ならばと辺りを見渡し、警戒を強める。
「どんな噂が流れているのかは知りませんが、とりあえずアリスでは無いと思います」
「そうかい。まぁ、今回の件には関係ないからどうでもいいが」
「そうですか。では、そろそろ帰っても?」
まったく信じていない口調の相手に、ヤトは気にする事なくそう告げ、歩き出す。もちろん、アイリスの潜む方向へ。
呆れ顔の相手を放置してやって来たヤトと合流を果たしたアイリスは、聞きたい事は山ほどあるにも関わらず、口を開かずその隣を歩いていた。
念の為、かなり遠回りして帰った隠れ家に戻ると、今日は1人たらい一杯のお湯で身体を清め、夜食の準備を始める。
「で、何て言われたの?」
「あの事は気にしていない。だからうちに来ないか。それと、断っても別に害は与えない」
その言葉を完全には信じてはいないだろと考えながら、アイリスはあえてその件についてはそれ以上の追及をしなかった。
「じゃあ、それはそれでいーけど。それより、今日の反省会しないと」
「確かに」
話題転換も兼ねた発言。その中で2人が共通して問題視しているのは、その放送内容ではない。脚本にはかなり文句をつけたいヤトだが、それ以上に問題が山積みなのは、放送方法の方だ。
理由は、ヤトの杞憂通りに士官候補生の技術レベルが高かった事だ。
「この放送も、そろそろ限界かな」
「えーっと、一応聞くんだけど、放送止めたりしない、よね?」
アイリスの問いに、ヤトは曖昧に微笑む事で返答する。
それが肯定であるのか否定であるのか問いただそうとしたアイリスがテーブルから身を乗り出した瞬間、それを見計らうかのようにヤトは冷静に、決定事項を告げる。
「三日後の放送は様子見するけど、ダメなら即中断。放送内容には次回放送予定は入れない」
「え、それって」
「放送自体は止めない。でも、不定期にはせざるを得ない、でしょ」
海賊放送が定期的にかつ放送日を指定して放送をしていたのは、リスナーの為であり、そして自分たちの為でもあった。
放送日が判らなければ、公安警察は常に警戒をしなければならない。そうなれば、こっそりと工作を行う事すら難しい。更に言えば、常に公安警察がうろついて居ては、街の人も迷惑だ。一面的に見れば治安は良くなるとも言えるが、労働量が増えてストレスがたまれば、ちょっとした軋轢から無用な諍い発生する事は、想像に難くない。
「じゃあ、どーすんの?」
「昔みたいなゲリラ放送に戻る、かな」
「むぅ」
リスナーが減る事を懸念するアイリスを見て、ヤトは苦笑しながら時間まで不定期に遅くする案は口にしない。
ラジオの日だけ少し遅くまで起きている事を許されている子供、と言う存在を知っていたヤトは、更に深夜になる事で確実にそう言った年代のリスナーが減る事を確信している。
「それはそれとして、しばらく外出禁止ね」
「へ、何で?」
「誘拐事件がこっちにまで波及して来てるらしい」
誘拐事件とは、ワンダーラジオ内で神隠し事件と題して伝えている連続子供行方不明事件の事だ。
その情報をもたらしたハートの構成員曰く、あれにはそれなりに大きな組織が関与している、との事だ。詳細は伝えられなかったが、ヤトはそれを、単純にまだ調べが付いていないのだろうと予想していた。
「えー、つまんなーい」
「我慢しなさい。公安警察に見つかるリスクも高まるし」
誘拐事件が起これば、当然警察が動く。そしてヤトは兎も角、アイリスが公安警察に見つかれば、その正体に気付く者が現れるかもしれない。彼らはアイリスの姿も声も知っているのだから。
それを判っているアイリスは、不満を口にはしても、その指示に逆らう気はない。
「じゃあ、ヤトも外出禁止だよね?」
「情報収集は必要だし?」
「ずっるーい!」
こうして真面目な話を終え、今日も今日とて、海賊放送の賑やかな夜は更けて行く。




