公安警察の人気者
深夜と呼ばれる時間の入り口まで捜索を続けた公安警察の面々が引き上げた後、タルトは軍に貸し与えられている部屋へ戻り、報告書を書いていた。どちらかと言うと、始末書を書いているような気分ではあったが、筆は順調に進んでいた。
「おぉ、まだ居たのか」
「はい」
本日の作戦の大まかな流れとその結果どうなったのか。そして自分は何を失敗したのか。
士官学校の成績優秀者らしく、書類、と言うかレポートの作成には慣れているタルトは、つい先ほど完成したレポートを手に取ると、恐る恐る執務机へと向かう。
一方、部屋に戻って来たハッターは、執務机に着かずに着替えを始めた。それだけならば問題無いのだが、何故か着替えているのが活動用の使い古された軍服だった。その上、タルトに向けてこう言い放ったので、彼女は慌てる事になる。
「明日は休んでいいぞ。いや、もう今日か」
「って、待って下さい!」
報告書の確認どころか受け取りすらする事無く、そのまま部屋の外へ出て行こうとする上司を引き止める為、タルトは声をかけると同時に手を伸ばす。遠すぎて、手が届くはずがないにも関わらず。
「ん? あぁ、そう言えば言って無かったな。実は2日ほど公安警察の応援に出向く事になってな」
「へ? いや、でもそうではなく!」
「世話になってばかりはいられんだろう?」
「そ、それはどうですけど、そうじゃなく」
「次の放送までには戻るゆえ、準備は怠るなよ?」
待って下さい、と更に告げる暇はタルトに与えられず、ハッターは部屋から出て行ってしまう。
こんな時間帯から、一体どこへ向かう気なんだ、とか、あの人の体力は底なしなのか、とか考えていたタルトは、前に伸ばしていた手に持っている紙が目に入り、思わずため息が出る。
折角急いで書いたのに、と。
次の日、夜半まで起きていたせいもあり、昼前に目を覚ましたタルトは、その日を機材の調達に充てる事に決め、街へと繰り出した。目的地は、例の修理屋だ。
彼女にとっては残念な事に、本日はヤトと遭遇する事はなかったが、次回の放送までに何とか機材を揃えなければと、一先ず自腹で買い揃え、その足で署内へ持ち込む。もちろんあとで請求はするつもりだが、通らなかったら自室に持ち帰ろう、などと考えながら。
そこでタルトは、己の大いなる失敗に気付く事となる。
「鍵がしまってる」
昨夜、と言うか時間的には今日の深夜だろうか。ともかく、部屋を最後に出たのはタルトで、鍵を閉めた記憶はない。ならばハッターが戻って来たか、そうでなければ見まわりの人間が閉めたのだろうと予測したタルトに、山ほどの機材の重さに加えて、ここまで運んで来たのに無駄になったと言う徒労感が圧し掛かる。
「……何をしているんですか?」
「あ、キャナリーさん」
不審者を見る様な目つきのキャナリーは、まず機材の入った背負い鞄に、次いで両肩に1つづつ引っかけられた肩掛け鞄に目をやる。そして最後に肩掛け鞄の紐をたすきがけする事で強調された豊かな胸元へ視線を向けると、大きくため息を吐いて呆れ顔になる。
「えっと、どうかしましたか?」
「中に入りたいなら、鍵を借りて来ましょうか?」
「え? あ、そっか。」
ここは公安警察署内であり、鍵はどこかで管理していると考えるのは、普通の事だ。最悪、マスターキーは存在する。
そもそもハッターは2日戻らないと言っていたので、明日来ても鍵は開いていない可能性が高いのだが、タルトはまだそれに気付いていない。
「でも、悪いです」
「その恰好で歩き回られる方がよっぽど悪いわ。いえ、むしろいいのかしら」
穏やかでありながら昨日よりかなり刺々しい口調のキャナリーに、タルトは言葉に詰まる。
しかし彼女は不運な事に、この瞬間にそれに気付いていてしまった。機材を改造しようにも、元となる機材がこの部屋に存在しない事に。
「あの、でしたらついでに」
「何?」
「ジョンさんに会いたいのですが」
その言葉に、キャナリーの目つきは過去最大の悪さを記録する事になる。そして直後に、人生最大級のため息を吐く。
これは言わなきゃ判らないんだろうな、と。
「そこを動くな」
「え?」
「鍵は持ってくるから、荷物を降ろして、扉に向かって敬礼でもしてなさい」
苛立ちが再頂点に達したキャナリーによる理不尽な指示。立場的にも、内容的にも守る必要が欠片も無いソレをタルトが律儀に守ったのは、なんとなくそうしなければならないと本能的に感じ取ったからだ。
しばらくしてキャナリーが部屋の鍵を持って戻ると、本当にやっているとはと呆れ顔の彼女と共に、タルトは室内へと荷物を運びこみ、2人して来客用らしいソファーの対面に腰かける。
「タルト・ジャーク候補生。いえ、ここはあえてタルトさんと呼ばせて貰います」
「は、はい!」
「これは公安警察の人間としてじゃなく、私個人として言っておきたい事なんだけど」
「は、はい!」
口調の厳しさに緊張しながらも、タルトは個人的な会話だと言う点に少しだけ別の感情を抱いていた。上手くやれば、これを切っ掛けに、などと。そして、名前で呼ばれて少し嬉しいかも、とも。
「貴方が何を考えて無駄に色気を振りまいて署内を練り歩いているのかは知らない、と言うかどうでもいいのだけれど」
「うっ」
先ほどまでの我が身を振り返って、タルトは狼狽する。
タルトは、自分が1つの事に集中すると周りの目が気にならなくなる悪癖を持っている事を知っている。そのせいで、無用な注目を集めてしまう事も。
しかし悪癖は安々と矯正出来ないが故に悪癖なのであり、学生時代も後で指摘されるまで気づかないなんて言う事はざらだった。
もっとも、元々が重い通信機器を背負って従軍する通信兵を育成する為に開設された技師課程は――と、言うか士官学校自体もだが――男性比率がやたら高いので、指摘せず、観賞ブツ扱いである事が多かったのだが、本人にあまり自覚は無い。その癖、普段は異性からのそう言った類の視線が気になると言うのだから、救いようがない。
「それは別に構わないの。むしろ推奨したいくらい」
「へ?」
「恐らく、女性署員の半分くらいは似た様な事を思っているんじゃないかしら」
何故、と言う疑問の表情を浮かべるタルト。
キャナリーはそれを確認するまでもなくそのような反応が来るだろうと予想していたのだろう、返答とほぼ同時に説明が続けられる。
「ワンダーラジオ、聞いたでしょ?」
「は、はい。一応、過去の分も幾つか」
「だったらあれが、この街で最大の娯楽だって事も、判るわよね?」
思わず頷いてしまったタルトは、直後にそれが問題発言である事に気付き、慌てる。
そしてまさかと考えていた事が脳裏を横切り、眼を見開く。
「そしてそれは、署内でも同じ」
予想通りな内容に、タルトの表情は強張ったものへと変わる。
そして、やはり署内に手引きや幇助をしている者がいるのかと奥歯を噛みしめ、それを黙認している警察の代表として目の前の女性を睨みつける。
「だからね、署の男どもの大半がアリスのファンなの」
「それはやっぱりっ」
「俺が捕まえてやる、って張り切ってるくらいならいいわよ。でもね」
キャナリーが、はぁ、と大きなため息を吐く姿に、タルトは僅かながら違和感を覚える。
タルトはここから公安警察内部に居るスパイの類の話になるはずだと考えていたのだが、キャナリーのため息はそう言った類のモノには見えなかった。
何より、話の始まりを考えれば、流れがおかしいのではないかと、気づいてしまった。
「アリスちゃんを捕まえて告白するんだ、とか、他の女どもなんてアリスちゃんに比べれば、なんて言う馬鹿のせいで、うちの女性署員は軒並みお冠なの」
「え、っと」
「従軍経験者やベテランは北の小競り合いに駆り出されているせいで、ここの署員は若者が多いけど、それでもあれは、ねぇ」
その指摘を受け、タルトは昨夜取り逃がした海賊放送に片割れを思い出す。
コートの上からとは言え、身長と体つきから事前に聞いていた通りまだ10代前半の少女のもの、だったようにタルトには思えた。傍受した声も、それを証明する様に子供らしい部分が残っていた。
ボイスレコーダーを使っていた少女の通信相手はさておき、少なくともあの少女を捕まえて嫁にすると言うは、タルトの基準では犯罪と言うか変態と言うか、ともかく幼女趣味すぎると感じられた。
「えっと、単なる冗談じゃ……」
恐る恐るそう尋ねるタルトは、先程まで忌避していたにも関わらず、これなら内部にスパイが居た方が精神衛生上ましだったのではと考えてしまう。そうであった場合はどう感じるのはまた別の問題だが。
「こっそり非公式ファンクラブを作ったり、軍の要請で出向く捕縛作戦の志願者が殺到していても?」
「あ、あはははは」
乾いた笑いを浮かべながら、タルトは昨夜の事を思い出していた。
少女を包囲する公安警察の面々は、そこそこに鍛えた体躯と真面目な表情で、軍にも劣らぬ整然さを見せていた。しかし今しがた聞いた事実を踏まえてしまうと、たった1人の幼い少女に、大の大人が群がっていると言う嫌な構図が想像されてしまう。
思わず浮かんだ想像に、昨夜自分の隣で機器を触っていた青年が現れた事で、タルトの頬が引きつる。
そして楽しそうな声と笑みを思い出せば、口元の引きつりは更に大きくなる。
「あ、あの」
「なに?」
「その、ジョンさんも、まさか?」
タルトが疑問を口にした瞬間、キャナリーは厳しい目つきで彼女を睨みつける。
それを受け、身を竦めたタルトだったが、すぐに女の子の直観とも言えるべきものが働き、気づく。否、決めつける。
「あ、もしかしてキャナリーさんってジョンさんが」
「だから、貴方に鞍替えする男が出て、上手く告白でもして玉砕すればうちの女性陣にも目が行くでしょ。
まともに会えもしない相手じゃ、勝負する事も、諦めさせる事も難しい、と言うわけよ」
睨む目つきと表情は変えず、一気に説明を口にするキャナリー。その露骨な反応に、タルトは思わず微笑んでしまう。
どんな形であれ、恋愛話っぽい内容の会話が出来た事は、彼女にとって喜ばしい事であり、先程までの憂い顔が嘘の様に晴れやかだ。
「ジョンさんとはお付き合いしてるんですか?」
「カップルが1つ2つ出来れば、連中も少しは考えが変わるかもしれないからね」
「じゃあ、じゃあ」
「ファンクラブの男どもが、よ。ジョンは関係ないわ」
「えー」
そんな風にして、時間は無駄に過ぎて行く。
結局、キャナリーとジョンの関係を聞き出す事が出来なかったタルトは、執務机の引き出しからペンを取り出した際にハッターが渡し忘れていたらしい合鍵を見つけると、ジョンに会って機材の改造に取り掛かると言う目的を忘れて帰宅する事となった。
翌日、前日の目的通りジョンと、ついでにキャナリーにも声をかけて機材の改造に1日を費やしたタルトは、日が沈むより前に公安警察を後にした。
とは言え、1日中3人で作業していた訳ではなく、2人は公安警察の仕事で抜ける事が度々あった。もちろんタルトは、1日中機材いじりをしていた。そのせいもあり、今のタルトはどこか満足気だ。
「よっ」
「ふんふふ~ん、って、ヤトさん!?」
鼻歌交じりに道路へ踏み出たタルトを後ろから引き止めたのは、数日前に出会い、少し気まずい別れをした相手だった。
しかしヤトの方はそれを気にして居る気配は無く、タルトの方は鼻歌を聞かれた事が恥ずかしかったので、それどころではない様子だ。
「なななな、何でそんなところに!」
「ん、ちょっと近くを通りかかったから」
そう言ってヤトは、両手に持った籠を持ち上げる。買い物のついでだとアピールする為に。
それは半分事実であり、半分は警戒心を薄れさせるための演出だ。
しかしそれが言い訳である事は明白であり、タルトはこの街で出来た最初の友人の気遣いが嬉しくなり、少しだけ羞恥心が薄らぐ。ある意味でヤトの思惑通りに。
「えっと、お久しぶりです」
「久しぶり、って言うほどでもないけど、お久しぶり」
僅かに残っていた緊張も、そんな軽口を聞いて霧散してしまったタルトが次に考えたのは、先日の件に謝罪をするか否か、と言うものだった。
しかしその結論は、ヤトの先手を取った行動により出る事はなかった。
「この前はごめん。ちょっと調子に乗り過ぎて」
「そ、そんなこっちこそ手荒な真似を」
両手を前にだし、首をぶんぶんと左右に振るタルトは、昨日のキャナリーの言葉を思い出していた。
あれが事実なら、公安警察内にもワンダーラジオのリスナーは山ほどいる事になる。ならば街の人に関しては言うまでもなく、一々逮捕していたらきりがない。街の人全員を逮捕するならば別だが。
故に、本当に連行していたとしても、ヤトの指摘通りすぐに解放されただろう事は容易に想像がつく。
「アレは犯罪行為だし、取り締まるべき事。それは事実だから、タルトは間違っていない。そうでしょ?」
「……はい、その通りです」
「だからタルトは悪くない。OK?」
にこりと笑うヤトに、これ以上の言葉は逆に迷惑をかけてしまうと考えたタルトは、口を噤んで釣られて笑う。もっとも、それは苦笑いではあったが。
「それより、どう? この街には慣れた?」
「はい」
タルトの住む部屋のある方角へと歩みを進めながら、2人は数日前と同じように少し弾んだ声で会話を交わす。
「仕事は?」
「ちょっと夜更かしが辛いかも」
少しわざとらしくも、砕けた口調になりながら苦笑するタルト。
タルトの性格上、年齢的にも、精神的にも上であるヤトに完全なタメ口をきく事は難しかったのだが、これが今彼女が示す事が出来る精一杯の友好の証だった。
「それは大変。夜更かしは美容の敵だって言うし」
「はい。ですから早く、海賊放送を捕まえないとです」
タルトの方から海賊放送の話題に触れた事に、ヤトは僅かに驚く。しかし彼女が悪戯っぽく笑う表情を見れば、自然とヤトの顔にも笑みが浮かぶ。
「何か買い食いしていこうか?」
「是非!」
ヤトのお勧めの店へと向かい、まだ買い物の途中なんだ、と言うヤトと共にタルトはパンを買い、夕食用に屋台でおかずも調達する。
タルトはそこそこの料理を作る腕を持っているが、そんな事をしている時間があれば機械いじりをしたいと言う理由で、ほとんど作る事はない。実家がそれなりに裕福であるタルトは、これまでそれで問題無く過ごして来た。そして恐らく、これからも。何故なら、彼女の最も時間を食う趣味は、軍から提供される資材と経費で賄われる可能性が高いからだ。
先ほどパンを買った際、オマケだと渡された焼きたてのデニッシュ。
タルトは何故この時間に焼きたての品がと疑問に思いながらも、ヤトの勧めで冷め切らない内にそれを口にする。
「おいしいでしょ?」
「はい!」
それ以外にも、道を行きながらお勧めの店を教えられているタルト。
前回は主に修理屋から中心街へ抜け、タルトの部屋に向かう道順にある店を巡った為、タルトの生活範囲ではあっても通勤範囲ではなかった。故に今回の、通勤路にほぼ接している店舗情報は、タルトにとってとても役立つものだ。
「って、言っても実はタルトも知ってる店だったはずだけど」
「え?」
その指摘に、タルトは驚くが、すぐに気づく。
店舗に行ったのは初めてであり、この街に来てからパン屋の噂を聞く機会などなかった。ただし、不特定多数向けに流される言葉としてならば、1度だけ耳にした記憶が、タルトにはあった。
「海賊放送の……」
「街の人は、こうやって繋がってる。だから、手を取りあえる」
そう言ってヤトが視線を向けた先には、楽しそうに話しこむ男性が2人。片方は黒髪と黄色い肌を持つ南部諸国人。そしてもう一方は、茶味の強い髪色で、緑系の瞳を持つこの国の人間。お互いに十数年前まで戦争をしていた、そんな枠組みに属していたにも関わらず、2人からはそんな鬱屈な感情は微塵も感じられない。
「だから、その。許せと言うんですか?」
「いや、悪い事をしたら、罪を犯したら罰を受ける。これは曲げちゃダメな事」
てっきり海賊放送を擁護する内容が返って来るだろうと思っていたタルトは、驚き、思わず足を止める。
それに気付いたヤトは、しかし足は止めず、少しだけ歩みを緩めて首だけで後ろを向く。
「悪法も法。文句があるなら、まずは正規の手段で訴えるべき。違う?」
「その通り、ですけど」
「強硬手段に出るからには、それ相応の覚悟があるはず」
悪法、などと言う暴言に驚き、タルトは目を見開いてヤトを見る。そしてその姿が段々と離れて行く事に気付くと、慌てて歩みを再開する。
「ただ、少しだけ考えて欲しいだけ」
その言葉を期に、2人の間に静寂が訪れる。ヤトは反応を待つ為に、タルトはその言葉通り、考える為に。
そしてどちらもそれを破る事が出来ないまま、タルトの住む部屋の前までたどり着いてしまい、タルトは少しだけ勿体無い事をしたなと思いながらも、一歩前に出てその場でターンする。
「ヤトさん、あがって行きませんか? お茶くらいしか出せませんけど」
それを見越して、と言う訳ではないが、タルトは今日の買い物でちゃっかりお茶っぱを購入していた。もちろん部屋も、片付け済みだ。機材は少しばかり散らかっているが、すぐに片付けられる範囲だと、タルトは想定していた。
ヤトとタルトが共に過ごした時間は、合計してもまだ1日分、24時間にも達していない。それにも関わらず、タルトは自分の部屋にヤトを招き入れても良いと思える程に、信用し始めていた。初日も似たような事をしようしては居たが、あれは新しい街へ来て初めて友人が出来た事と人恋しさが相まっての言葉であり、信用とはまた別問題だ。
「申し訳ないけど、お腹を空かせた妹分が待ってるから」
「あ、すいません」
「いいのいいの。夕食までに戻ればいいんだし」
名残惜しそうなタルトに、ヤトは嬉しそうな、そして少し困った様な笑みを浮かべると、小さく手を振って別れを告げる。
同じく名残惜しそうに大きく手を振るタルトに見送られながら、ヤトは僅かな罪悪感を飲み込むと、振り向く事なく家路へとついた。




